ちなみにチョコレートは毎年お互いに渡している

ちなみにチョコレートは毎年お互いに渡している

ナワリ



 「よう相棒、随分男前になったじゃねえか」

 「……そう見えるか」

 

 馬鹿な男だ、としみじみと思う。頬に紅葉をつけて帰ってきた相棒をケラケラとひとしきり笑い、氷嚢を作ってやったあとのことだ。

 現場なんざ見なくてもわかる。見ず知らずの女に呼びだされ、バレンタインついでに告白され、んでその場でフッたってところだろう。ある程度まではどんな人間の好意を拒まないからこういうことになるんだ、などという意見が思い浮かぶが、口に出すのはやめてやった。いい人間であろう、誠実であろうとしているコイツの努力を他ならぬ俺が否定するわけにはいかない。そのせいで怪我をこさえることも少なくはないが、自分自身で選んだ道ならば矯正だの口出しだのは野暮ってもんだ。歪みには違いないが、外から直すようなもんでもない。ま、色々終わったあとでなら存分に批評させてもらうが。

 毎年かなりの数持ち帰るチョコレートは大学に入ってから一気に嵩を増した。知り合う人間の多さとか、渡す女の財力とか、まあそういう事情が重なったためだろう。爆発しろ、などと冗談でいうモテない男どもの姿が目に浮かぶようだ。マア本命が幾つあろうと届かないってのは多少女たちに同情もするが、そういう男に惚れたのだと諦めてもらう他ない。ちなみに既製品しか受け取らないってのは一年目で周知されたので今年は既製品だけだ。髪とか血を入れんのは俺でも引く。貢物ならともかく、現代社会でチョコレートで偽装して渡すとかドン引きだ。黒魔術かよ。

 甘党だからまだいいだろうが、これでよくバレンタインを嫌いにならなかったな、と思わないこともない。何事にも限度ってもんはあるし、言ってしまえば好意の押し付けはコイツにとっては負担でもある。応えられないことにではなく(申し訳ないぐらいには思っているだろうが)、ただでさえ少ない脳のリソースを律儀にとっておくことにだ。不公平だの誠意がないだのと理由をつけて「お返し」を用意する必要が出てくるんだから。

 いや、どちらかというとそこではねえな。コイツのお返しは「まあまあそこそこ」なレベルのチョコレートの大袋だ。バレンタインに渡してきた人間にかたっぱしから渡していく。その渡してきた女(たまに男)を判別するのにいつも以上に頭を使うんだ。コイツの頭の中にたった一つの例外を除いて映像はない。絵で景色を捉えることができない。視覚情報は文書に変換され、それと目の前の情報を比べて判断しているにすぎない。他者の判別は、コイツにとって「きっとそうなのだろう」という確証などまったくない思い込みで、ゼリーの上に立つようなもんだ。あるいはプリン。そういやどっちも冷蔵庫に入ってるな。子ども舌め。

 俺が作ったホットチョコレートをちみちみと飲んで、他愛のない話をして。ついでにもらったチョコレートを消費して。ちなみにコイツは律儀にも一人で全部食う。そういうとこだぞ馬鹿野郎。

 

 コイツと出会ってからは5年を超えるが、退屈だと思ったことは一度もない。契約を結ぶ前ですら。出会ったときですら。

 珍しい魂だなと思った。なるほど、それを喰らえば強大な力を得られることも同時にわかった。厄介な粘着質のモノを引き連れていること、それに気が付いていないこと、けれど自分が狙われていること自体は知っていること。俺を見て正体を看破して、思わず顔に出してしまった幼さ。興味を引くには十分だった。

 安全地帯だとでも認識したのか何度も話をした。深い所まで突っ込んだことは一度だけだが、その程度には情もあった。だが、それは俺の理屈だ。生においても死においても、全てを捧げる程の価値を交流に見出しているくらいに馬鹿な男だとは思ってもみなかった。それほどにコイツが個人(個神)に執着しているなど。オマエの特別はそんなに軽いのか、なんて冗談でも口にはできない。そんなわけがないことはよく知っている。自覚のない特別であることも、また。

 なあ、知っているか。あんな姿になったあと、一目で正しく俺を俺だと認識したのも、そのあと畏れなかったのも、オマエだけなんだ。それなりに名のある神だったからな、生贄を捧げられるなんて珍しくもなかったが。それでも、信仰なんぞ欠片もしていないオマエが全てを俺に捧げるなんて、驚かないはずがないだろう。一緒にいたい、なんていう子供じみた動機でそこまでするか? オマエならもっといい生き方があったろう。オマエの善性を、オマエだけがわかっていない。自分の価値をなにもわかっちゃいないんだ。オマエは。なあ、俺でなくともいただろう。その呆れかえるほどの善性を愛するものが。こんな苦難に満ちた生でなく、あたたかな陽だまりを渡せるものが。それなのに俺を選ぶとか、本当に馬鹿だよ、オマエは。俺みたいなのに捕まえられて。

 なあ、楽しいか。オマエの人生は。記録媒体を覗くような、びっしり情報が詰まった本を読んでいるような、実感のない生は。楽しいのか。充実しているのか。そうでなければ許さん。退屈はいらない。やりきったと、オマエがそう思えるものでなくては意味がない。俺はオマエを殺さない。だが。堕落した際には覚えていろ。腐り落ちた魂なぞ俺は求めん。懸命に生きろ。そのうえで死んだなら、輪から外れたオマエを攫っていこう。

 俺の、俺だけの、オマエ。望むままに生きろよ、我が儘小僧。





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