ちいさなきば
※水星本編に存在する組織とオリキャラとの繋がりを捏造しています。
子どもという生き物は、こんなにも同じことを繰り返すものだっただろうか?
エラン・ケレスの頭には、そんな疑問が浮かんでいた。
「…そうして人魚姫は、空の国へと行けました。めでたし、めでたし」
もう何度言ったかも分からない締めの言葉を口にして、ちらりと隣にいる少女の様子を見る。
記憶が小さな子供の頃に戻ってしまった少女…スレッタ・マーキュリーは、真剣な瞳で絵本の挿絵を眺めていた。
エランがそのまま動かないでいると、少女は首を傾げながらこちらを見上げた。…どうして動かないままでいるんだろう?そう言いたげな眼差しだ。
そうして、何度目か分からない言葉を口にした。
「もういっかい」
無慈悲な命令に、うっかりため息を吐きそうになる。けれどエランの両手は従順に絵本を捲り、最初のページに戻っていた。
深い海の底に、人魚たちの国がありました───。おざなりにならないよう気を付けながら、最初のフレーズを口にする。
そのまま次のセリフを言おうとしたところで、外から車のエンジン音が響いてきた。
チラリと時計を見ると、もう昼になっている。予定より少し遅れてクーフェイ老が帰ってきたようだ。
スレッタも気付いたようで、嬉しそうに顔を上げている。
「おじいさんだ!」
そのまま彼女は、エランと絵本を置き去りにして、跳ねるように玄関の方に行ってしまった。
「………」
つい先ほどまでピッタリとそばに付いていたのに、まったく何の未練もなく投げ出された格好になった。
「…はぁ」
彼女の自由奔放さに今度こそため息を吐きながら、エランは絵本を本棚にしまうと後に続いた。
「おかえりなさいっ!」
「スレッタお嬢さん、ただいま。良い子で待ってたか?」
「うん!」
クーフェイ老が大きな段ボールを持って玄関に入ってくる。すぐ外には変な形の車が止まっていて、そこから荷物を運びこんでいるようだった。
トラックに似ているがとても小さいサイズの車だ。奇妙なことに、本来荷台にあたる部分がすべて取り払われている。
一応申し訳程度に30センチほどの枠で囲われている。靴を履いて玄関の外に出てみると、外に放りだされないようバンドでしっかりと留められた荷物がたくさん積んであった。
「まだまだあるから手伝ってくれ。食料品だけでも先に運んじまおう」
「はい」
ひとまず傷みやすいものを台所に運び込んで、すぐに冷蔵庫に入れてしまう事にする。一回の買い物で、ガランとしていた冷蔵庫内がずいぶんと賑やかになった。
エランは充実した冷蔵庫の中を覗き込みながら、ふといつも確認していた種の存在を思い出した。
プラムの種。
エランの故郷から持って来たもので、湿らせた土と一緒にアパートの冷蔵庫に入れていたものだ。毎日のように確認していたから、つい癖で探そうとしてしまった。…まだスレッタの荷物の中に入っているんだろうか。
あの種をスレッタはずいぶん大事にしていた。記憶が戻った時に種がダメになっていたら、彼女はきっと悲しんでしまう。後できちんと種の所在を確認しておいた方がいいだろう。
エランが本来のスレッタを思って心の中のメモを取っていると、現在のスレッタが悲し気な声を出した。
「クフェおじいさん、おなかがすいた…」
小さなスレッタがお腹を擦っている。ひとまず片づけは後にして、昼食にするべきだ。
「おう、スレッタお嬢さん。ちょっと待ってな、色々と弁当を買ってきたぞぉ」
クーフェイ老も分かっていたようで、すぐに食べられる総菜をいくつも袋から取り出した。
総菜と一緒にライスが入ったものや、様々な具材を挟んだサンドイッチ、中には麵だけの変わりものまである。ランチボックスが選び放題だ。
スレッタは悩んだ末に、総菜とライスのランチボックスを選んだ。両手でしっかりと持って、嬉しそうにはにかんでいる。
それでも他の物にまだ未練があるようで、食前の挨拶をした後もサンドイッチや麺をチラチラと気にしていた。
「ジジィのソーメンも少し食うか?スッと食えてうまいぞぉ」
口を付けていない状態の麺を小皿に取り分けられて、スレッタが途端に笑顔になる。
「ありがと」
「…スレッタ・マーキュリー、僕のも食べる?」
エランもクーフェイ老の真似をして、サンドイッチをひとつ分けることにした。少しでも心証を良くしたいという下心だ。
「…ありがと」
スレッタはエランにもお礼を言った後に、自分のランチボックスを見て少し考える仕草をした。そうしておもむろにフォークで山盛りのライスを掬うと、こちらへと差し出してくる。
「あげる」
どうやらサンドイッチの代わりにライスをくれるらしい。フォークの柄をガシリと掴んでいるのでバランスが悪く、今にも零れてしまいそうだ。
どうやって受け取ろうか迷った瞬間、ライスが目の前で転げ落ちた。
「あ」
「…っと」
反射的に手を差し出すと、なんとかテーブルに着地する前に掴むことができた。今度は特に逡巡することなく、手のひらの上のライスをパクリと口の中に入れてしまう。
行儀が悪い行いだが、エランにとっては彼女の好意を無駄にする方が悪いことだと思えた。
「…おいしい?」
「美味しい。ありがとう」
エランは口の中のライスをもぐもぐと咀嚼しながら、スレッタにお礼を言った。実際にナイトマーケットで食べたものよりも、ふっくらとして甘味がある。
すると彼女はニコッと小さく笑って、今度はクーフェイ老にライスを差し出していた。
「………」
いま、小さいスレッタから初めて笑いかけられた気がする。口の中のライスが甘さを増しているように思えて、単純な自分に笑ってしまいそうだ。
クーフェイ老にも何とかライスを渡し終えたスレッタは、今度は自分の分だとばかりに真剣な顔でランチボックスを凝視し始めた。そうして肉の揚げ物に狙いを定めると、不器用な手つきでフォークを刺して口に含んだ。
モグモグと口を動かすスレッタの顔が、だんだんと笑顔になってくる。
「美味しい?」
「おいひぃー」
エランの問いに答えた頃には満面の笑みになって、ポロポロと総菜やライスを零しながら美味しそうに食べ始めた。
小さなスレッタ。小さなお姫様。
エランは自分の分のサンドイッチを手早く食べると、彼女の召使いのように甲斐甲斐しく世話を焼き始めた。零したものを拭いたり、水を渡したり。
顔に付いたライスを濡らしたタオルで拭きとる時には、くすぐったいのか笑い声をあげていた。
とてもリラックスした様子で、最後の方にはエランがタオルを手にするたびに顔をこちらへと向けて協力する様子をみせてくれた。
こころなしか、クーフェイ老も微笑ましそうに二人の様子を見守ってくれている。
エランと小さなスレッタは、仲良くなれたようだった。
「クーフェイさん、庭を少し借りてもいいですか?」
「おう、いいけど何をするんだ?」
「プラムの種を植えたいんです」
昼食を食べた後、エランにはやりたい事があった。先ほど気になっていた種の事だ。
色々あったので遠い昔のように思えるが、プラムの種を庭に植えてもいいとクーフェイ老が言っていたのはつい昨日の事だった。
せっかくなので忘れない内に済ませておきたい。…ついでに、ほんの少しならスレッタに庭を歩かせてもいいと思っている。
エランの要望を聞いたクーフェイ老はこころよく頷いてくれた。
「いいぞ、ついでに庭も案内しよう。手入れの仕方とかも簡単に教えてやる」
「ありがとうございます」
「なんのおはなし?」
ジュースをちびちびと飲んでいたスレッタが興味を向けてくる。彼女が飲んでいるのは甘味を付けた炭酸水で、子供は好きだろうとクーフェイ老がわざわざスレッタの為に買ってきたものだ。
本来の彼女ならともかく、小さなスレッタはこれが初めて体験する炭酸飲料になる。美味しいと喜ぶ彼女を邪魔しないようにそっとしていたが、こちらの話が気になるくらいには注意を向けてくれていたようだ。
プラムの種を植えるにはスレッタの協力も必要だ。エランは少し考えて、彼女にもお願いすることにした。
「これから庭で作業したい事があって、クーフェイさんに頼んでたんだ。それと、君にもしてもらいたいことがあるんだけど、いい?」
「おにわ?」
言い方が悪かったらしい。スレッタは後半ではなく、前半の言葉に注目してしまった。大興奮で、椅子の上でぴょこぴょこと跳ねている。
「おそとにでるの?おそとにでたい!」
「わ、わかった。後で一緒に行こう。でもその前に、君の部屋にあるバックの中から、種の入った袋を探して欲しいんだ」
「…うぅー?それをみつけたらおそとにいける?」
「うん、見つけたらね。お願いできる?」
「ん、やってみる」
「じゃあジュースを飲み終わったら、スレッタお嬢さんの部屋に行くか」
二人のやり取りを見ていたクーフェイ老が締めてくれる。スレッタは庭に出ることが嬉しいのかゴクゴクとサイダーを一気飲みすると、ケプリと空気を吐き出してビックリしていた。
「スレッタ・マーキュリー、さっそくで悪いけどお願いできる?土入りの袋だから、見たらすぐ分かると思う」
「うん」
スレッタの部屋に帰ってきたあと、すぐに彼女のバックを持ってお願いしてみる。
この中には彼女の私物がたっぷり詰まっている。つまりはプライベートな品も入っているという事なので、ひとりで勝手に中を探る事はしたくなかった。
「おおきいねぇ。だれのなの?」
「…それは、君にあげたものだから、君のものだよ。全部ね」
「スレッタのなの?すごいー」
スレッタは目を丸くしつつも、何だかとても嬉しそうだ。中を覗いて、「いっぱいはいってる!」と驚いた声をあげている。
最初はバックの中に頭を突っ込むようにして探していたのだが、よく分からなかったようだ。途中から中に入っているものをひとつずつ取り出して探し始めた。
財布や、お菓子や、図鑑などが次々に出てくる。小さなスレッタにとってはよく分からないものばかりのようで、取り出しては首を傾げている。
「これはなぁに?」
「これは財布だね。お金とか、身分証とかが入ってる。今の君にはあんまり必要ないものかも」
「ふーん、これは?」
「お菓子だね。たしかゼリーだったはず。もう少ししたらお茶請けで食べようか」
「ゼリー!いっこたべたい!」
「…わかった、ひとつだけね」
「おいひぃ~。…ありぇ?こりぇはえふぉん?」
「花図鑑だね。色々な花の絵や説明が書いてある本なんだ。字が読めなくても楽しめると思うよ」
「んむ…。えほんじゃないのかぁ。…じゃあこれは?」
「これは……えっと、よく分からないな」
最後の方には生理用品まで出てきたので、エランは答えに詰まってしまった。しどろもどろになっていると、後ろで見ていたクーフェイ老が「袋は見つかりそうかい?」と声を掛けてくれた。
「ん~、わかんない」
「小さい方のポケットはどうだ?」
「こっち?」
「そうそう」
クーフェイ老のお陰ですっかり気がそれたようだ。小さなポケットを探すスレッタの姿を見て、エランは緊張に強張っていた体の力を抜いた。
小さなポケットにも色々と入っているようで、スレッタは相変わらず物を取り出しては並べている。
「むう~、よくわかんない。ふくろってこれ?」
「…これはレインコートだね。雨の日に着るものだよ。でも形状的には近いと思う。探してるのは、透明な袋の中に土が入ってるものなんだ」
「んむぅ~…」
楽しそうに探っていたスレッタの眉間に、だんだんと皺が寄ってくる。あまりに見つからないので不機嫌になっているようだ。
エランも少し不安になってきた。もしかして中に入っていないのだろうか。
「ちょっといい?」
一言スレッタに断ってから、エランはバックを持ち上げてみた。ほとんどのものは外に出ている為、片手でも簡単に持ち上げられる。
「…ん?」
でも少しだけ重い。まだ中に何か入っているようだ。エランがバックの口を大きく開けると、スレッタが「あっ」と声をあげた。
「なかにチャックがある!かくしチャックだ!」
興奮したスレッタが勢いよくチャックを引っ張った。すると中から土の入った袋が出てきて、そのまま下に転がり落ちそうになる。
「ふぁっ!」
驚いたスレッタが、咄嗟に両手で袋をキャッチする。中身が小さくなっても、さすがの反射神経だった。
「…えへへ。さっきのつるつるせいじんさんみたい」
零れたライスを掴んだ時の事を言っているのだろう。照れくさそうにスレッタが笑いながら、袋を差し出してくれる。
「…ありがとう、スレッタ・マーキュリー」
エランは袋をスレッタから受け取ると、潰さないようにそっと、でもしっかりと手で持った。
バックを下に置いて、改めて両手で目の前に掲げてみる。
透明な保存袋に茶色い土が入っているのがはっきりと見える。その中から所々覗いている、白や緑の色も。
「…本当に発芽してる」
しなやかな白い根と、窮屈そうにしている緑の芽。それを見ながら、エランはどこか信じられないような心地になった。
この種を手に入れたのは、まだエランとスレッタが地球に降りてから一カ月ほどしか経っていない頃だった。
頭の中に、あの旅の記憶が甦ってくる。警戒しながら少しずつ移動して、でも毎日たくさんの新鮮な出来事をスレッタと一緒に経験していた。
あの頃が一番二人の距離が近かったように思う。
「スレッタ・マーキュリー…」
何だか酷く寂しくなって、エランはプラムの種の袋をそっと抱きしめた。突然名前を呼ばれたスレッタが首を傾げているのが目の端に見える。
「つるつるせいじんさん、どうしたの?どこかいたいの?」
小さなスレッタが、ツンツンとシャツを引っ張ってくる。こちらを心配してくれているのだ。
エランは勝手に沸き上がった寂しさを飲み込んで、今のスレッタに笑いかけた。
「…なんでもない。さぁ、庭に行こうか」
「…うん。あのね、たいようみれる?」
「見れるよ。ただ眩しいから、あんまり直視しないようにね」
「しんじゃう?」
「死なないよ」
距離や形が変わっても、変わらずスレッタは自分のそばにいてくれる。今はそれでいいと、エランは飲み込んだ寂しさを消化させることにした。
「おそと!」
「走っちゃ駄目だよ」
案の定、庭に出たスレッタは興奮しっぱなしだった。あれはなに、これはなに、と目についた端から質問してくる。
初めはエランが答えていたのだが、植物の種類などの細かい質問になってくると、途端に言葉に詰まるようになった。
代わりに答えてくれたのはクーフェイ老だ。
知りたがりのスレッタと何でも知っているクーフェイ老によって、庭の大まかな配置や管理の仕方についてだいたい理解する事ができた。
そうして興奮したスレッタが落ち着いてきてから、改めてプラムの種を植えることにした。
「日当たりが良くて風が来ない場所がいいだろ。この辺りがいいな」
「はい」
園芸についてはエランはさっぱりなので、すべてクーフェイ老の言う通りにする事にする。
場所を見定めると、まずは雑草を抜いて専用の道具で土を柔らかくしていった。使いかけの肥料が残っていたのでそれを土に混ぜて、植物が育ちやすい場所を作っていく。
「大きく成長した種は土に埋めて、小さいのは鉢に植えよう」
これからの季節は『台風』が来ることもあるので、すべて土に埋めるのは止めておいた方がいいらしい。
クーフェイ老のアドバイスに従って、袋の中の種を選り分けていく。種の数は奇数だった気がするが、ちょうど二つずつに分けることができた。おそらくいくつかの種はダメになったんだろう。
使っていない鉢を分けて貰って、まずは鉢の下に洗った石を入れていく。この石は庭に撒かれていた軽石をスレッタが拾ってくれたものだ。
「スレッタもやる」
やる気になったスレッタと一緒に、作ったばかりの土を入れる。最後に小さく芽の出た種を植えて、じょうろで水をまんべんなくかければ終了だ。
「天気のいい日は日当たりのいい場所に置いて、天気が悪い日は軒先にでも避難させとけ。嵐が来たら玄関の中だな」
「はい」
「はーい」
生徒二人を従えた先生の指導で、残りの種も特に問題なく土に埋めていく。こちらも最後に水をたっぷりと与えて、埋めたと分かるように目印を立てて終了した。
意外と時間が掛かったようで、すでに太陽は傾いて建物の隙間に入ろうとしている。
とは言えまだ周囲は明るくて蒸し暑い。早く家で休んだ方がいいだろうとスレッタに声を掛ける。
「疲れたでしょう、もう家に入ろうか」
「まだだいじょうぶー。これ、いつおはながさくの?あした?」
当のスレッタは雫をつけた芽をちょんちょんと突きながら、エランに問いかけてくる。まだ庭から動きたくないようだ。
「…明日は無理かな」
「あさって?」
「…明後日も無理」
「むぅ~…」
「ほらスレッタお嬢さん。家に入って甘いものでも食おう。麦茶と一緒に食べればきっとすごく美味いぞ~」
「おやつ!」
ぴょんと顔を上げたスレッタが、跳ねるように立ち上がる。かと思ったらもう一度座り直し、最後にちょんとプラムの芽を指で突くと、改めてエラン達と一緒に家の中へ入っていった。
「ふぁ…」
先ほどまであんまりはしゃいでいたからだろう。おやつのゼリーを食べながら、スレッタが眠そうに欠伸をした。
「眠いの?スレッタ・マーキュリー」
「んん~…」
目をコシコシと擦るが、眠気は冷めないようだ。トロンとした目つきであやふやな返事をしている。
「夕飯まで時間はあるし、少し昼寝でもしたらどうだ?」
「んん~…そうする…」
「部屋まで行ける?」
「んん~…だいじょぶ…」
ふらふらしているスレッタを部屋まで連れて行って寝かしつける事にする。とは言えエランに出来ることは何もなく、せいぜいスレッタが転ばないように気を付ける事くらいだ。
ベッドに横になったスレッタは、すぐにでも夢の世界へと旅立ちそうだった。
「おやすみ、スレッタ・マーキュリー」
「つるつるせいじんさん…」
挨拶をしてそのまま部屋を出ようとすると、スレッタがエランを呼び止めた。
「なに?」
「あのね、スレッタがおきたときにね…」
「うん」
「………なんでもない」
最後にポツリとそう言うと、スレッタはスゥスゥと寝息を立て始めた。
「………」
彼女が何を言おうとしていたのかを考える。きっと、そばに居て欲しい、と言いたかったんだろう。彼女はとても寂しがり屋だ。
エランはスレッタがしっかり眠っている事を確認して、そうっと部屋を出て行った。
これからクーフェイ老と必要な情報のやり取りをしなければいけない。でもそれが終わったらすぐにスレッタのそばに戻るつもりだった。
「クーフェイさん」
「戻ったか。お嬢さんはよく眠ってるか」
「はい。でも起きた時に、誰かにいて欲しそうでした」
「まだ小さいからなぁ。手早く終わらせるから、お嬢さんのそばについてやれ」
「はい」
「何から話そうか…」
そう言ってクーフェイ老が話し始めたのは、クーフェイ老がこの土地に来るまでの経緯やその後の事だった。
そもそも日本という国は、ベネリットの前身となるグループによって解体されている。
その際には大規模な武力行使も行われていて、クーフェイ老はその惨禍から逃れて五〇年ほど前にこの土地へやって来たらしい。
食べるものも住む場所もなく、着の身着のままこの土地へやって来たクーフェイ老。
まだ青年だった彼は、家族や周囲の人達と協力して少しずつ山々を開拓していったそうだ。
「運がよかった。逃げられたのもそうだし、逃げ込んだ先もよかった。周りにいる連中もいい奴らだった。そんなこんなで頑張ってるうちに、この土地の周辺がある組織によって運営されることになった」
宇宙議会連合。
声には出さないが、エランも散々世話になった組織だ。
「そこからはますます順風だった。娘も大きくなって、年頃になった。でもそこでひとつばかり困ったことが起きた。大切に育てた娘が、厄介なヤツと知り合って一緒になっちまったんだ」
「…まさか、上級スペーシアンですか?」
厄介、と聞いてまず思い当たるのはスペーシアンだ。彼らは大小の違いはあれど、アーシアンにとっての天敵なのは間違いない。
エランの言葉に、クーフェイ老は首を振った。
「いや、アーシアンだ。でもな、スペーシアンに目の敵にされる危険な立場にいたヤツだった。…スペーシアンと敵対する組織に所属していたんだ」
「それは、議会…いや、この土地を管理している組織とは別なんですか?」
「別だ。…今はもうないがな。二〇年ほど前にスペーシアンに潰されてる」
「……ヴァナディース?」
エランが思わずつぶやいた言葉に、クーフェイ老は意外そうな顔をした。
「なんだ、知ってるのか。正確にはオックス・アースの方だ」
「オックス・アース…。だからガンダムを知ってたんですね」
「実際に機体を見せてもらった事がある。ありゃ見ただけで寒気がした。色々見えたから警告したんだが、結局事件は起きちまった。当時はもう孫もいて、他人だった婿も俺にとっての家族になっていた。…生きた心地がしなかったな」
「娘さんたちは無事だったんですか?」
「無事だ。だからこの家がある」
クーフェイ老の妙な物言いに、エランは唐突に閃いたものがあった。
「もしかして、娘さんたちを匿うためにこの家を建てたんですか」
「そうだ。オンボロに見えるが、スペーシアンから隠すために色々と工夫されてる拠点だ。水も、エネルギーも、ある程度は孤立しても問題ない作りになってる。二〇年経っても見つからなかったくらいだ、お前さんたちにピッタリだろ?」
「………」
開いた口がふさがらない。宇宙議会連合だけでも世間は狭いと思っていたのに、意外なところにガンダムの関係者がいたのだ。
「…娘さんたち、今何をしてるんです?」
「空の上で連合の手伝いをしてる。具体的には、孤児の子どもたちを支えるボランティアみたいな仕事らしいな」
「…はぁ」
「訳アリの子どもたちをこの家で匿う事もある。今のお嬢さんくらいの年の子もいた。だからまぁ、実績はある」
「子育ての実績ですか…?」
「見つからない実績に決まってるだろ」
エランの言葉に突っ込みを入れたクーフェイ老は、皺の深い顔を更にくしゃりと歪ませた。
歯を剥いた挑戦的な笑みだと気付いた瞬間、老人の言葉が耳に届く。
「ここはちょっとやそっとの事じゃ見つからん。だからお前は安心してお嬢さんを支えてやんな」