“たとえそれが欺瞞であろうと”
マリンフォードに存在する海軍本部の一室。そこにその者たちはいた。
海軍本部元帥、“仏のセンゴク”。
海軍本部中将、“大参謀”つる。
海軍本部中将、“海軍の英雄”こと“拳骨のガープ”。
その名だけで海賊たちが恐れをなして逃げ出すような、“伝説”そのものとも言える存在。海軍内のみならず世界政府からも市民からも絶大な信頼を寄せられる彼らはその立場もあって常に多忙だ。特に今はとある事件以来荒れ続ける世界の対応に追われていることもあり、本来ならば揃って一つの部屋にいることはない。
だが今日だけは違う。この三人と同じ卓に着いている男の存在がそうさせているのである。
「同窓会って状況でもねェだろう」
そんな言葉を発したのは、これまた“伝説”の一角であった。
──元海軍本部大将、“黒腕のゼファー”。
他の三人と同じ時代を生き、その名を轟かせた海兵である。“全ての海兵を育てた男”とも謳われ、事情によって最前線を退いた後に彼が育てた海兵たちは正しく今の海軍における基盤とも言える立場にあった。
彼を含めたこの場の四人は全員が同期入隊の長い付き合いでもある。長い時間の中で立場というものが彼らを縛るようになったが、それでも腹を割って話ができる間柄であることは間違いなかった。
「あんたが話の内容を予想できてないわけがないだろう?」
腕を組みながら言葉を紡いだのはつるだ。ふん、とゼファーは彼女の言葉に鼻を鳴らして応じる。
「今の情勢については把握してる。……ガープ。お前の孫は変わらず問題児のようだな。あの頃から変わらん」
「……そうじゃな」
いつもの豪快で快活な様子もなく、張り詰めた空気を纏った様子でガープが頷く。そんな彼に対し、ゼファーは懐から吸入器を取り出しながら言葉を紡ぐ。
「いつかこうなるかもしれないとは思っていた。……できれば、そうならないことを願っていたが」
「それは皆同じだ」
センゴクの言葉にも往時のような覇気がない。長い付き合いである。この場の誰もが彼の性格と在り方はよく知っていた。
センゴクという男は公のために私を切り捨てることができる男だ。その上で仁義を通す。そういう男だからこそ彼は海軍本部の元帥であり、この“大海賊時代”において海軍本部の“正義”の頂点に立っている。
「だがこうなってしまった以上何かしらの手を打たねばならん」
「あの二人を追え、と?」
ゼファーがセンゴクへ睨むような視線を向ける。並の海兵ならば思わず身をすくめてしまうような視線であったが、センゴクはそれを正面から受け止めて微動だにしない。
「それは既に部隊が動いている。お前に任せたいのは別のことだ」
「何をしろと?」
「──離脱者の受け皿を作る」
ゼファーの眉が跳ねた。彼が視線で続きを促すと、センゴクが言葉を続ける。
「若い海兵を中心に海軍からの離脱者が増えているのは知っているな?」
「おれのところにも頭を下げに来た奴は大勢いる」
今のゼファーは後進の指導が主な役目だ。その立場もあってか広い世代に彼は今も慕われている。そんな彼の下に海軍から去ることを選んだ者が最後の挨拶に訪れることはおかしなことではない。
これまでも彼の下には挨拶に来る海兵たちは大勢いた。その理由も様々で、ほとんどの場合において彼はそんな元教え子たちを快く送り出してきたのだ。寂しさを感じながら、それでも選んだ未来がいいものになるといいと願って。
だが最近はそうはいかなかった。訪れる者たちは皆何かを堪えるようにして彼の下へやってくる。そして言うのだ。
“申し訳ありません”
──何を謝るんだ。
ゼファーは彼らに対してそう言葉を返し、そして少しでもその後悔を注げるようにと励ましの言葉を紡いできた。それが虚しいものであることはわかっていても、そうするしかなかったのだ。
「信じられなくなっちまったんだろう。海軍の“正義”ってもんを」
あの事件とその後に起こったことの影響はあまりにも大きい。海軍の“正義”が揺らぎ、世界政府に対しての信頼さえも揺らいでしまうほどに。
たった二人。そう、たった二人なのだ。
彼らは世界のルールを侵した。ずっと変わらなかった絶対的な存在に対して正面から向かい合った。その結果、世界は思ってしまったのだ。
──この世界はおかしいのではないか?
ずっと人々の心の奥に燻っていたこと。それが表に出てきつつあるのだ。
「私の考えは逆だ。……信じているからこそ、今の海軍を受け入れられなくなった」
ため息を吐く音が響いた。つるだ。
「あんたがそんなことを言うんじゃないよセンゴク。あんたが揺らいだら海軍はどうなるんだい?」
「揺らいでなどおらんよおつるさん。だからこそゼファーを呼んだんだ」
頼みがある、とセンゴクはゼファーへ告げる。
「離脱者をまとめ、別働隊を組織して欲しい」
「遊撃隊でも組織しろってのか?」
「いや違う。……別働隊という言い方は正確ではないな。別の組織の立ち上げを頼みたい」
別組織の立ち上げ。センゴクは言葉を続ける。
「離脱者たちは最早、海軍の旗下では戦えん。だがその結果最も苦しむのは力なき者たちだ。それは彼らも望んではいないはずだろう」
「──欺瞞だな」
吸引器で薬を吸い込み、ゼファーは一息を入れる。彼を蝕む病は決して軽いものではない。
「海軍を見限った奴らを、裏で海軍が操る組織で戦わせるのか」
「欺瞞だろうが茶番だろうが構わん。今必要なのは秩序を守る力だ。そのためならばどんな手段でも使おう」
つまりセンゴクはこう言っているのだ。
あの世界中を揺るがした大事件。“英雄”は“大罪人”となり、追われる立場になった。しかしそれでも彼らは“正義”を見失わず、人を救っている。
そんな現実を前に多くの海兵たちが心折れてしまったのだ。己の“正義”とは何なのか。海軍の“正義”とは何なのか。それがわからなくなった。
その結果が今の大量の離脱者だ。生まれてしまった迷いが彼らの足を止めさせた。
そもそもこの“大海賊時代”において海軍に入り、弱者を守ろうというのだ。根本的な部分で善良な人間ばかりである。そしてだからこそ割り切れない。簡単に割り切れるようならきっと、そもそも“正義”など背負わないのだから。
「ぜファー。我々が一番に守らなければならない存在を守るため、その力を貸してくれ」
一度ゼファーはセンゴクから目を離し、天井を見上げた。守るべき存在。守らなければならない存在。
それは彼にとっては全ての根幹にあるものだ。
──“正義の味方”。
それが彼の始まりなのだから。
「いいだろう。乗ってやる。……だが、条件がある」
「条件?」
疑問の声を上げたのはつるであった。そんな彼女に対して頷きを返しつつ、ゼファーは言う。
「別組織を立ち上げるんだ。一部協力はするが、基本はおれの好きにやらせてもらう」
「何をする気だ?」
「差し当たっては件の二人を確保する」
その言葉に顔を上げたのはガープだ。
「ゼファー、それは」
「結局のところ離脱者のきっかけはあの二人だ。確保はむしろ最優先事項だろう」
離脱者たちがその選択を選んだ理由は様々である。だがその始まりがあの二人であることは間違いない。
「それにあの二人には恩もある。……丁度いい」
言うと、ゼファーは小さく笑った。もう随分と前の話だ。まだ幼かった二人にゼファーたちは助けられたことがある。
それは偶然に偶然が重なったある種奇跡のような出来事だった。だがその結果として彼の教え子たちの命は救われたのだ。
そして。あの日からずっと、ゼファーはあの二人に“希望”を見ている。
「それがどういう意味を持つかはわかってるかい、ゼファー」
「そうだな。お前たちとも敵対することになる」
──だが、それでいい。
ゼファーはそう言い切った。
「それが引き受ける条件であり、おれの“正義”だ」
その言葉が出てしまえば他の三人は否定できない。長い付き合いなのだ。説得の無意味さはよくわかっている。
センゴクは息を吐くと、承知した、と頷きを返す。
「好きにしろ。だが目的を忘れるなよ」
「当たり前だ」
そうして、この密室でとある約束が交わされた。
それは世界に対する欺瞞である。多くの人々を欺くことになるそれはしかし、決して私利私欲のためではなかった。
──か弱き人々を守るために。
己の“正義”を見失いつつある者たちに、新たな居場所を。
この世界の秩序を守るために。彼らは“嘘”を吐くと決めたのだ。
「すまん、ゼファー」
「謝るなガープ。お前にはお前のやるべき戦いがあるだろう」
おそらくこの場の誰よりも現状に対して苦悩している戦友に対し、ゼファーはそう言葉を返す。
そうだ、謝ることなどない。適材適所だ。
(最後の役目だ)
彼が見た“希望”を、未来へと繋ぐために。
かつて“黒腕”と呼ばれた男が、再び時代の最前線へと舞い戻る。
そして、後日。とある記事が世界を渡ることになる。
元海軍本部大将“黒腕のゼファー”が海軍を去り、賛同者を集めて新たな組織を立ち上げた。
曰く、目的は海賊の殲滅。
曰く、目的は市民の保護。
曰く──彼らは“正義”を掲げて戦うが、世界政府の旗下ではない。
故に背負うのはジョリーロジャー。そこには世界政府のシンボルは存在しない。彼らは“自由”に“正義”を掲げることを選んだのだ。
そうして立ち上げられた組織の名は。
──“NEO海軍”。