「ただいま」と言いたかった

「ただいま」と言いたかった


⚠︎注意

・三代目コラソン√弟くんが自害するシーンの妄想SS

・シリアス、鬱寄りの雰囲気

・死ネタ

・短い




「構えろ」


 ドフラミンゴから下された命令を認識した途端、身体は言われるがままに目の前にいる標的──実の兄であるローへ向けて銃を構えた。

 糸のいらない操り人形と表すに相応しい、骨の髄まで染みついた“教育”の賜物。身についてしまったそれが、この上なく恨めしい。瓦礫を背にした満身創痍の兄と向かい合ったルカは、人知れず唇を噛み締めた。


 “本当は助けたい。自分がどうなろうが、大好きな兄さまが生きてくれればいい”


 それが紛れもないルカの本心だった。ならば今すぐに助ければいいじゃないか?──できないから、こうして銃口を向けている。意思も自主性も根こそぎ摘み取るような教育を受けてきたルカに、自由は許されない。

 かつて自分たちの自由を願ってくれた恩人とそっくりなピエロメイクに塗り潰された表情は、その実、今にも泣き出しそうだった。視界がぐらぐら揺れては歪み、世界がぼやけて形を失っていく。両目が涙で潤んだせいだ。

 ルカは自身の内にあるもう一つの人格、『コラソン』役をしてくれた彼に心の中で問いかけた。


──ドフラミンゴに銃を向ける?

──否、おれにドフィは撃てない。


──兄さまを撃つか?

──いやだ、僕は兄さまを殺したくない。


 『ルカ』と『コラソン』の間で交わされる問いと答えは堂々巡りをするばかりだった。ドフラミンゴに対する恐怖と、兄へ向ける愛情。二つの間で板挟みになったルカは、結局どちらの答えも選べなかった。


──そうだ、自分を撃てばいいんだ。これならどっちも撃たなくていい、僕もコラソンも楽になれる

──そうするか


 散々合わなかった二人の意向が、最終的にぴたりと重なる。その瞬間、それまで鉛を詰められたように重苦しかった身体が一瞬軽くなったような気がした。

 ローと目が合う。それまで噛み締めていた唇をほどいて、喋れない口で語りかけた。


(ごめん)


 ほんの数秒、ぱくぱくと動かした唇だけで紡いだ声なき謝罪。

 手の中でくるりとピストルが回る。こちらを向いた銃口を、ぴたりと胸に押し当てた。位置はちょうど、心臓の真上。

 引き金を、引いた。


 二発の銃声が響いた。胸が酷く熱い。どくどくと耳元で血潮が脈打っている。眩む視界に映る兄が、呆然と目を見開いていた。激痛と出血で今にも意識を失いそうだったが、ルカはぐっと堪える。一歩踏み出した。溢れた血液が靴と床を汚したが、気にする余裕もない。必死に、無我夢中で歩み寄り……やがて力なく崩れ落ちた弟を、ローは残った左腕で咄嗟に抱き止めた。浅く弱い呼吸が、ローの耳元を掠める。


「……何で、おれを撃たなかった」


 腕の中で小さく肩を上下させる弟に、ローは問いかけた。

 もう引き返せない、取り返しがつかない。風穴の開いたルカの胸からはとめどなく血液が溢れ、急速に命が流れ出して行く。


「何でだ、ルカ……!」


 ローは叫ぶ。答えてくれと懇願するように。

 ルカは答えようとした。しかし喉はひゅうひゅうと空気が通り過ぎる音を零すばかりで、一向に声を形作ろうとはしない。ならばせめてと、ルカは残った力を振り絞って兄を力強く抱きしめた。身体の大きさや感触も、体温も、匂いも昔とは全然違った。それでも、長年焦がれ続けた愛する兄の全てがここにある。


(……兄さま、こんな終わりにしてごめん。せっかく助けに来てくれたのに、迎えに来てくれたのに……兄さまの心を傷つけるようなやり方しかできなかった。だけど僕はずっと会いたかった、待ってたんだ……!愛してる、あいしてるよ兄さま、僕は兄さまの弟に生まれて幸せだった!だから……兄さまは生きて、どうか幸せになって……)


 言葉を紡げない口でひたすらに思いつくだけの愛を紡ぎ、どれか一つでも伝わってくれやしないかと叶わない祈りを捧げる。明瞭さを失っていく意識の中で走馬灯が駆け巡り、心残りが堰を切ったように溢れ出した。

 本当は、もっと兄のために何かしたかった。命も心も救ってくれた恩人の本懐を果たしたかったし、仇を討ちたかった。ベポと、シャチと、ペンギンとも一緒に冒険がしたかった。ポーラータング号へ帰って、ただいまって言いたかった。ぐちゃぐちゃに絡まったあらゆる感情と思考が、一言に集約されていく。


「にい、さま……ごめん……ね……」


 十数年の間に戻ることのなかった声で、ルカはようやくたった一言だけ、兄への謝罪を絞り出した。そして、か細い呼吸が途切れた。腕の中で重みを増した身体が、何が起こったかを残酷に告げる。それっきりぴくりとも動かなくなった弟の亡骸を、ローは呆然と抱きしめていた。


「……ルカ?」


ようやく紡げた言葉は、酷く掠れたものだった。


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