それは呪いよりもおぞましくて
「──嗚呼、そうか。つまりそちらには、“新時代”を託せる“誰か”がいなかったのか」
殺戮の荒野を走り続ける無貌の怪物の前に一人の男が現れた。何の前兆も無く、奇術師の手品のように、夢幻の如くその人物はそこにいて、間違い探しの答えを当てるように先の言葉を言い放った。
外見は無貌の怪物と何ら変わりない。怪物がかつて奴隷のように酷使した黒鎧も、おどろに逆巻く紫の長髪も、ワルフラーンと生き写しの容貌も、処刑台に吹き荒ぶ風のような禍々しい印象も──全てが驚く程に怪物と瓜二つだ。
明確に異なる点があるとすれば、男が持っているものか。
その手に握られているのは無名の大剣でも神剣でもなく────何の変哲もない麦わら帽子だった。
そんな己に何ら違和感を覚えることなく、男は当たり前のように無貌の怪物の前に立っている。
「他人の敷いた法則に盲目的に従う“みんな”が気持ち悪い。世界に対して確固たるものが感じられないから“不変”たるものが欲しい。だから一人一人に向き合って白も黒も男も女も“みんな”掬い取って“不変”に取り込んでやる。……なるほど、そちらの“俺”は随分と面倒見がいいようだ」
「───そういう“俺”も、随分と“誰か”に御執心のようだな?武器より優先するぐらいだ。辿った道筋はさぞ違うんだろうよ」
「ああそうだな。そもそも、産まれた理由からして既に違えている」
初対面にも関わらず二人の凶眼は既に互いを見抜いている。異なる宇宙に生きる自分の生き様を、何の言葉も無く看破し、その上で彼らは『対話』をしようとしている。
何の為か。無駄を嫌う彼らが何故こんなことをするのか。その真意を知る者は当事者だけだ。いや、もしかしたら麦わら帽子の“彼”だけがこの二人の真意に気付けるのかもしれない。
口火を切ったのは男の方だった。
「───俺や人形、七大魔王は兄者が“ただ一人”の為だけに創った生体兵器だ」
七大魔王。かつて無貌の怪物がまだ戦士と呼ばれていた時代、黒の頂点に立っていた美麗なる悪神達。自儘に振る舞い無邪気な獰猛さを持っていながら終始一貫して華やかで───最期には全員怪物に殺された悪の英雄達。
単騎で惑星を滅ぼす程の力を持つ彼らを別宇宙の兄は、“ただ一人”の為だけに創った。
守る為に創ったのか?否、ワルフラーンはその“ただ一人”を倒す為に、より正確に言うなら全てを奪う為に、弟、弟の鞘、そして魔王達を創りあげたのだ。
なんという所業、なんという傲慢、なんという無慙無愧!
表向きは世にはこびる悪を倒す為と銘打っておきながらその実は“ただ一人”の為だけの、己だけの特注の武戯の駒を、新たな英雄としての名声を利用して周囲を謀りながら──本人にはその自覚がないかもしれないが──手に入れたのだ。
ではその“ただ一人”とは一体どんな人物なのだろう。あの誰にも理解出来なかった兄をここまで狂的に虜にするという偉業(?)を成し遂げた“誰か”は何を成したというのだろう。
「『アイツは俺にとって理想そのものなんだ』」
男はかつて兄が自分に話した言葉をそのまま怪物に話す。
怪物は無言で黙っている。この男が話す物語を、兄の真実(しんぞう)に迫る事が出来る手掛かりになるのか吟味してるのだ。
「『凄いんだぜ、ただアイツが処刑されゆく自分の兄に向かって走ってるだけで周りの“みんな”が次々とアイツに味方するんだ。どんな強敵がアイツを倒そうとしても兄の仲間達がそいつらを足止めしてアイツを先に行かそうとするんだ。それまで一切会った事が無いにも関わらずにだぜ?』──例えが猛烈にアレだが、アイツを話す兄者はまるで恋する少年みたいだったよ」
恋。七大魔王第四位・“殺人姫”フレデリカが“不変”たるものとして掲げていたモノ。自ら破戒してもなお、怪物への想いを維持していた源たる感情。
そのような感情を、別宇宙とは言えあの兄は“アイツ”とやらに向けていたというのか。
いや、これは恋と云うより───。
「『あの時の衝撃は今でも忘れられない。アイツは空っぽだった俺に心をくれて………モノクロの世界に鮮やかな色彩をもたらした唯一の男なんだ』」
兄はたちまち“アイツ”に夢中になった。それこそ今までの虚無感が嘘のように無くなり、世界徴兵に応じて入った海軍では豪放磊落、物事を良いようにしか考えられないが不思議と彼ならば心配いらないと信じることが出来る魅力の持ち主と何も知らない周囲から見られていた。
それはまるで。
自身に色彩をもたらした、あの麦わら帽子の彼を彷彿させるような───。
「海軍の新たな英雄としての地位を獲得した兄者は天才科学者・Dr.ベガパンクのセラフィム製造計画に全面協力し、その見返りとして俺達の指揮権を手に入れた」
セラフィム。熾天使。最上位の天使の名を冠する歴史上最強の“人類”。世界会議によって解体された王下七武海に代わる新戦力。その一部、試作機とは言えワルフラーンはそのままそっくり手に入れてしまった。
良く言えば目的の為ならどんな労苦も厭わない一途さ、悪く言えば目的の為なら文字通りいかなる手段も躊躇しない行動力と決断力がワルフラーンにはあった。
そう、全ては───
「『俺は、俺の全てを以て、あの“理想”から全てを奪いたい!』」
「『その為に俺は産まれてきたんだから!』」
全ては、己の眼を焼いた太陽がごとき男から何もかもを簒奪する為。
感謝はあるだろう。己に感情を与えてくれた“アイツ”はワルフラーンにとって父親みたいなものかもしれない。
憧憬もあるだろう。己すら見えない暗闇の中で突如目の前に現れた眩い光をもしかしたら“神様”とすら錯覚したのかもしれない。
だが奪う。だから奪う。
どんなにワルフラーンが“アイツ”に奉謝してようと賛美してようが、結局のところ全ては『欲しいから奪う』という気持ちに帰結してしまう。
男は兄を恋する少年と表現したが、これはそんな可愛らしい感情(モノ)では断じて無い。
もはや呪いだ。頂上決戦という善悪の雌雄を決したあの日から、ワルフラーンは一瞬で“アイツ”に呪われ、ワルフラーンもまた“アイツ”に呪いじみた妄執を向けている。
ずっとずっと───麦わら帽子の“彼”の全てを手に入れんとその背中を見上げているのだ。
その果てに、自分の願いが叶うと信じて。
「……“貴様”も、その男に呪われているだろう」
───と、男の話を黙って聞いていた無貌の怪物がとうとう口を挟んだ。
「そちらの兄者がその麦わら帽子の男にひどく執着してるのは今の話で良くわかったよ。……少なくとも、こちらの宇宙とは絶対合わない器の持ち主だな」
だがな、と怪物は言葉を続ける。
「貴様こそこの場において武器を持たずその麦わら帽子を持っている時点で、兄者に負けず劣らずその男に囚われているだろう」
男は何も言わない。ただ麦わら帽子を握り締める力を強くしただけ。
怪物を……別宇宙の自分を真っ直ぐに見据えている。
「最初に言ってたな。『そちらには、“新時代”を託せる“誰か”がいなかったのか』と。つまり貴様は、“新時代”とやらを作る“誰か”の為に無窮の剣になることを選んだのか」
───それは、かつての怪物を知る者達にとっては耳を疑う選択だろう。
過去、貪婪餓龍に語った「自分よりこの世界を上手く潰せる適任者がいても“みんな”例外無く殺す」という発言を、別宇宙とは言えそれを覆したのだ。
どれほどの器の持ち主なのだろう。異端の英雄を魅了し、凶戦士をして“新時代”を任せられると認められた覇道の主はどんな存在なのだろう。
「……初めて奴と出逢って戦おうとした時、アイツには全くやる気が無かった」
再び始まる男の話。怪物は長引く話に面倒な顔一つせず静かに聞く。
怪物は聞かねばならない。この黒白の宇宙に存在しない、自分たちの違いを完全に決定づけた麦わら帽子の“彼”の話を。
「『おれには戦う理由がねえし……そもそもお前は誰と戦ってるんだよ?』とすら言われたよ。こちらは完全に殺す気で剣を向けたというのにな」
当時の男はその言葉に怒りより困惑の気持ちが強かったと記憶している。
コイツは何を言っている?何故剣と殺意を向けられてそんな言葉を平然と吐けるのだ?何故殺意に殺意で返さない?今までの敵はみんな本気で殺しにかかってきて剣の錆になったというのに?
こういう男だから───兄者に目をつけられたのか?
男の混乱を余所に麦わら帽子の“彼”は更に言葉を重ねた。
「『相手の事なんて何一つ見ないでただ命令されてあいつは敵だからってだけで戦うのかよ、お前は!敵なんて言葉で何でもかんでも一括りにするなよ!ちゃんと目の前にいるおれを見ろよ!そもそもおれはお前の名前だって知らないんだぞ!!』……本当に、当時の俺にとっては意味が分からなかったよ」
何を言っている?何をほざいている?貴様なんぞ敵という理由だけで充分だろう。
そう、言えばいいのだ。貴様の戯言などどうでもいいと。ただ敵というだけで俺と貴様は戦うのだと。
しかし。
それと同時に「本当にそれでいいのか?」という疑問が頭に沸き上がったのも事実だった。
理解できないものを、理解しないまま斬り捨てるのは本当にいいのか?
こんなザマで、俺は本当に兄者を───。
「……………マグサリオンだ」
気がついたら、己の名を名乗っていた。
思えばまともに自己紹介したのは、これが初めてかもしれない。
だと言うのに奴は呑気に「ん?」と聞き返すものだから───。
「俺の名はマグサリオン。貴様が聞きたかったのだろうが。二度も言わせるな、間抜けが」
ため息をつきながら再度する自己紹介に奴はにししと愉快そうに笑いながら───
「そっか。よろしくな、マグサリオン!」
そして、自分の名を高らかに告げた。
「おれの名はモンキー・D・ルフィ!海賊王になる男だ!」
───そう、彼こそがワルフラーンが己が理想と仰ぐ唯一の存在であり、マグサリオンが彼の夢の果てを見届けるまで無窮の剣に徹すると誓った無二の存在。
無貌の怪物が決して出逢うことのない、海賊達が跳梁跋扈する大海に皇帝の如く君臨する太陽の男。
誰よりも仲間と冒険と自由を愛し、人々を笑わせ苦悩から解き放つ、殺戮の救世主とは対極の位置に存在する解放の戦士。
「一つ訊こう、太陽の剣に成った“俺”よ。貴様の殺意(アイ)は一体誰に向けられている?」
・・・・・・・・・・
「そんなの決まっている」
怪物の質問に男が即答する。
「生憎この俺は貴様と違い有象無象の“みんな”とやらに一人一人丁寧に本質や在り方を見抜いて殺してやる気力も義理も無い」
───空間が、ギリギリと音を立てて歪んでいく。
「殺戮の救世主よ、“みんな”なんぞ貴様にくれてやる。だがな」
───超絶的な質量を持った神威に等しい祈り、
「ルフィだけは決して渡さない」
───一つの宇宙を滅ぼす程の殺意を、
「アイツを最後に殺すのはこの俺だ。それだけは誰にも譲るものか」
───ただ一人だけに向ける凶猛の想い。
それは、呪いよりもおぞましい愛だった。