それから:イツキの足跡

それから:イツキの足跡


グロワール山岳部のそう険しくない尾根に位置するレーヴァーエルの洞窟を、白い小龍が訪れたのは花柄旋風が到来しつつあった夏の終わりであった。齢100年ほどの、透き通る鱗に赤いビロードのスカーフ、雌性的なくびれが東洋の陶磁器を思わせる、一言で言えば目立つ客であった。レーヴァーエルはその客からスカーフを預かり、仕事文句で語りかける。

「お客様今日はどういたしましょう?わ!綺麗なドラゴンの花…」

「だから来たのです。この首元を、描き換えて頂けませんか。ただの白い鱗に、綺麗さっぱり、微々たる痕跡も残さずに」

「えー!それじゃあもったいないよー!お嬢さん折角モテそうなのにー」

「そのスカーフと引き換えです、できますね」

「お客様がそう言うのなら…」

わかっていた、人間だろうが龍だろうが祭り騒ぎを楽しむ者だけではない。彼女は平穏な暮らしを望む側なのだろう。ならばそれに応えるのがメイク師の責務だ。ドラゴンの花の切除は多少の痛みが伴うとはいえ難しい施術ではない。問題はその後。赤々とした切除痕が残り、これ隠すのには中々骨が折れる。自然な仕上がりを目指すならば更に腕が求められる。極めつけはクオーツに似た、透明感と濁りのあるこの客の鱗。大仕事になるかもしれない。

「…ふぅ、それではいっくよー?」

一通りのドラゴンの花を除去し終えると、そこにファウンデーションとして植物性の粘着性のある液体、糊に近い物を塗る、厚くなり過ぎぬよう気をつける。サンレインから取り寄せた王真珠の粉、これはよく潰してから塗る。全体が乾いてから白いジュエルスライムの体液で透明感を演出し…

「完成だよ!」

文字で書くと造作もなく見えるが、実際には3時間程かかった。糊の色合いの調整、塗り方、乾かす時間、その他全てに注意を払ったつもりだ。おかげで手前味噌だが決して不自然な仕上がりではない。私頑張った。

「ありがとうございます」

「あのー」

最後に一つ、理由を聞いておきたかった。でもそれは私の領分ではない。思い留まる様子を、その客は笑った。

「木を隠すなら森の中。お花を隠すなら花畑の中、でも本当に隠してるのは綺麗なお花だけでしょうか」

客は去った。?

「待ってお嬢さんどういう意味それ!」




レーヴァーエルの洞窟を去ったイツキは、依然グロワールの空を飛んでいた。彼女の首にドラゴンの花が現れたのは遡ると今年の春の終わりになる。経緯を語ると以下のようになる。イツキはセントラリアの西方の小国郡に住まう龍であった。ドラゴンの花はこの周辺が原産地である。この地は他には穏やかな古龍が住まう事くらいで、特筆すべき事は少ない。イツキもかつてはこの地に住まう、特に有名ではない小龍の一体だった。事件が起きた昨年の夏から、この地で龍の変死が相次ぐようになる。初めは人の手に因るものだと考えられていた。であれば、人の村々に威嚇として龍が姿を見せる。人間側も過度な狩猟を戒め、自体は終息するのが普通だった。

ところが、秋に差し掛かっても龍の訃報が止む事はなかった。これは何かがおかしい。古龍の呼び出しで龍達が集い、その中で人間の動向を探る役に任命された龍、それが当のイツキだった。

イツキはまず人に化け、冒険者ギルドやハンターズギルドに探りを入れる事にした。夏以来、龍が狩られた記録は確認できなかった。

次いで村の人々の暮らしぶりを見てみる。幾つも龍を狩ったというのにそれらしき潤いは全く感じられない。不可解ばかりが積み上がる中、セレネリオスから来た学者に出会った。初めは警戒した。何よりこちらが龍である事を看過したのだから。しかし、彼に敵意はない事、彼もまた相次ぐ龍の不審死を調べている事を知り、協力する運びとなった。気の良い青年で、質問すれば何でも答えた。一連の事件がおそらく龍の仕業であるとも唱えた。イツキは聞きはすれど信じはしなかった。そして、冬が過ぎイツキの母龍が殺された。

人間達の動きは全くといっていいほど無かったにも関わらずである。


何かがおかしい、気づけばイツキは古龍の住まう山に駆け出していた。当の古龍はいない、あったのは金額換算すれば4億Gにはなる財宝と、大型の骨だけ。恐らく古龍の物だろう。そんな物は、あってはいけないのだが…

眼の前にあるそれが、一連の事件の真相を直に指し示している。龍の長だった古龍は、何者かに成り代わられたのだ。その何者かは龍を殺し、罪を人間になすりつけた。何のために?考える事に気を取られて背後が迂闊だった。穴蔵に戻ってきた僭主が、イツキを背後から襲う。そうかこのためか。真相を隠すためだったか。力では到底対抗できない。瞬く間に無惨な姿にされたイツキは死を覚悟する。いや、まだだ。皆に知らせなければ。一瞬の隙をついて逃げ出す事が出来た。飛べるだけの体力は残っていない。とりあえず人の村に紛れて傷を癒やさなければ、そう考えるのも束の間、村の方角から煙が立つのを目にする。村が焼かれている。龍達によって。報復のつもりか?全て騙されていたのだ、止めなければ。地を這う足を、人の槍が捕える。潜伏活動がバレたのだ。それが今回の襲撃の前段化と思われた。逃げ出されても良いようにと首元に酢をかけられる。ドラゴンの花だ、模様さえ覚えておけば後で照合がつく。その後は、満身創痍になるまで傷つけられ、意識が飛んだ。


ふたたび意識が戻る頃には、季節は夏に入りかけていた。セレネリオスから来た学者の青年が、隠れて治療に当たったらしい。おかげで随分と動けるようになっていた。村民が自分を追って懸賞金をかけた事、共同出費者が4億Gもの大金をかけた事、腕の立つハンターが自分を探している事等を聞かされた。もうこの地に留まる事が出来ないのは誰の目にも明らかであった。学者はとある研究者に文を送ると、ビロードのスカーフをイツキの首に巻いた。これなら龍体でも人間体でも首が隠れるだろう。本来は売って生活費の足しにするはずだったらしい。それを私のために。イツキの目が潤んだ。しかしもう共にはいられない。聞けばこの話は国を超えて大きくなり、ドラゴンの花もあちこちで確認されるらしい。ならば、その騒ぎを逆に利用して逃げる。ドラゴンの首を偽造して、人間を釣ってセントラリアを超える。その後はとあるメイク師を訪れ、首のドラゴンの花を消す。自体が終息すればセレネリオスまで行こう。学者にまた会えるかはわからない。けれど、願うだけならば─思いは秘めたまま、恩人と別れセントラリアへと入っていった。

王都に着いて間もなく、窃盗団に襲われる。本当は殺す事もできただろう。だが身分を隠す都合上最後の手段にしたかった。そうして目に入った女子トイレに駆け込む。それが「あの冒険者」と出会う切欠になるとは思わずに。


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