その鼓動を知る

その鼓動を知る


「アレックス。そろそろ休憩にしろ」

最近聞きなれてきた、淡々と落ち着いた声。顔をあげると、表情の乏しい男が部屋の入口のあたりからこちらを見ている。そのまま視線を窓の外に動かすと、先ほどまで真上から照らしてきていたはずの太陽がすでに地平の方に近くなっていた。集中していると時間は驚くほど速く過ぎていく。正直まだまだ疲れも感じていなかったけれど、それを言って駄々をこねても強制的に止められることもわかってきたので素直にうなずいた。

そんな少年の様子を確認した後そのまま外へ出ていく男を見送る。彼、オルコットはこの組織の中でも特に重宝されている存在のようだった。彼のパイロットとしての技術や経験を積み上げてきたことに由来するらしい冷静さは勿論、口数は少ないし距離を置くような態度をとるけれど、なんだかんだでやさしい男であることも要因だろう。師匠のような存在なのだ、と電話越しに説明してくれた声を思い出す。今だって、多忙の中わざわざ時間を作って此方の様子を見に来てくれたのだろう。

「アレックス、仕事終わったならご飯食べよ!」

活発さを感じさせる駆け足。入れ替わりで部屋へと飛び込んできた少女と、後ろからあとを追いかけてきたらしい少女。もうすっかり見慣れた二人の声に立ち上がると、先に飛び込んできた少女はぴょこぴょこと楽しそうに廊下へと飛び出してしまった。それを見送った少女は、あきれたような顔を少しだけ浮かべ、そしてこちらを見る。

「早くいくよ、アレックス」

「ああ、今行くよ、ノレア」

歩き始めた少女、ノレアの後を追って少しだけ駆け足になる。アレックス、という、彼らが呼ぶ自身の名前を心の中で何度も反芻しながら。

 

「お兄ちゃんとプリンス、本当に仲がいいんだね……」

「これ、どうなるのかな……」

困惑する二人を見ながらもそもそと携帯食を咀嚼する。子どもたちも心配そうだが、それ以上に「兄」の学校生活への興味の方が勝っているようだ。これもここ数日、よく見る光景になってきた。

アレックスが食事をするときは基本、彼らと一緒にすることになっている。恐らくは大人たちの気遣いであり、彼らがボブ――グエルの話を聞きたいと望んだ結果でもあった。

あの日助けを求めた相手、「ボブ・プロネ」と名乗る男に連れられて逃げ出した先は、「フォルドの夜明け」という地球の反スペーシアン組織……端的に行ってしまえば、テロリスト集団だった。あの時の脱出を手配するボブの手際は見事なものだったし、緻密な連携からも彼と彼らの信頼関係がうかがえた。そうして気が付けば強化人士4号は見事に逃げおおせ、地球で「アレックス」としての暮らしを営むことが決まっていた。

そうしてアレックスとしての生活に馴染んでいくうちに、今まで見えていなかった多くのことが見えてきた。「ボブ・プロネ」と名乗る男の本名がグエルということ。みなしごとしてさまよっていた彼を保護したのがフォルドの夜明けで、以来優れたパイロットとして活動し、ガンダムにも乗っていたこと。プリンスと言う、フォルドの夜明けと提携して事業を展開する男の存在。潜入任務という形で学園に偽名を使って入学し――どうやら彼らも予想だにしていなかった展開になっているらしいこと。

……実際、念のための警戒という形で寮も科もわけた(学年もわかれている)二人が、まさか親友になるとはだれも予想できなかったのだろう。互いに互いの素性には、一切気が付かないまま。子どもたちにねだられるままに学校生活を語っていたアレックスの口からこぼれた事実が場を凍り付かせたのが数日前で、未だに彼らは対応を図りかねているようだった。恐らく、しばらくは黙秘、という形に落ち着くのだろうな、と思う。

「でも、お兄ちゃんならきっと大丈夫だって!」

頭を悩ませているソフィやノレアを励ますように声をあげる少女。最初に出会ったときはスペーシアンだからと彼女の父親の後ろから思いきり威嚇されたが、徐々に距離が近くなってきている。お兄ちゃん、と彼女たちが慕う存在が、アレックスと子どもたちをつないでいた。子どもたちにとっては、ソフィやノレア、そしてグエルがヒーローのような存在なのだろう。アレックスにとっても、グエルは恩人だから。

「そーいえば、お前は今何やってるんだ?仕事はしてるって言ってたけど」

一人の子どもが声をあげる。彼も警戒心が強かった。というより、警戒心なんて強くて当たり前なのだ。それぐらいに、スペーシアンとアーシアンの問題は根深い。

「経理……まあ書類仕事、ってやつ」

『パイロットとしての技量は確かなようだが、体調がよくなるまではのせるわけにはいかない。良くなっても、ガンダムには載せないが』

余裕はないはずなのに、そこには確かに自分への気遣いがあった。子どもには殺人はさせない、とも言っていたはずだ。その上情報提供だって望まないのなら問題はないと言われた。経理方面ならできると言ったのは、むしろそうやって仕事をしていないと落ち着かないことも理由だった。「エラン」としてふるまうために身につけた知識が、アーシアンの組織であるここにおいては貴重なものであることも想像に難くなかったから。

「けいり……かっこいい!アレックスって、すごい奴なんだな!」

だから、目を輝かせる子供が経理と言われて仕事を明確に理解したわけでは、きっとない。

「あ、アレックスが笑った!」

でも、それはどうしようもなく眩い言葉だった。まるで、「アレックス」がここにいていいのだと、そう優しく手渡されたようで。

『フォルドの夜明けへようこそ、だな。これからよろしく』

胸のざわつきをごまかすように、残っていた携帯食を口に放り込む。学園にいたころに比べればどうしようもないぐらい質素であるはずのそれは、何故だかこれ以上ないほどに美味しく感じられた。

 

電気を満足に仕えない地球では、日が落ちれば、書類仕事はできない。そもそも現状病人扱いを受けているアレックスは、睡眠時間をしっかりとるよう言い渡されている。その結果としてアレックスは、簡素なベッドの上に寝ころびながら、ぼんやりと星空を眺めていた。ほんの少し前まであの星空のどこかに自分がいたのだと思うと、今の生活が夢か何かのように感じられてくる。それが何だか嫌で、寝るまではずっとその日にあった出来事を思い返すことが習慣になっていた。冷たくなってきた空気を肺いっぱいに吸い込んで目を閉じ、一つ一つ、星を数えるように。

今日も、仕事を褒められた。

少し体力が戻ってきた気がする。

畑の作物が、昨日より少しだけ大きくなっていた。

そして、子どもたちと交わした会話のこと。

(やっぱり皆、彼のことが大好きなんだ)

グエルとシャディクの関係性を彼らが気にかけるのは、それでグエルに思い悩んでほしくないからだ。いつも自分たちを助けてくれる兄貴分に、せめて親友との学園生活を心置きなく楽しんでいてほしいという純粋な想い。とても暖かいなと、素直に思う。

とはいえ正直心配なんていらないというのがアレックスの考えだ。遠目から見ていても、二人は互いを信頼し合っているようだった。穏やかに言葉を交わす二人の様子を見かけたことがある。彼の寮長であるラウダでさえ、割って入れない領域がそこにはあった。早くバレてしまえばいい。そうしたところで、今更揺れ動く二人でもないだろうから。

(まあ、どうせいつか分かるだろうし)

その時も変わらず並び立つ二人を見れば、きっと子どもたちも安心できるはずだ。

そう思える自分がいることも、少し前までは考えられなかったことだ。

子どもたちにいろいろなことを教えてもらって、ソフィやノレアにグエルの話をねだられ、大人たちには体調を気遣われること。電話越しに気楽に口を叩き合えて、また会いたいと思う相手がいること。学園生活を思い返し、いつかくるだろう光景を考えること。明日やるべき仕事を楽しみにして眠ること。この穏やかな日々を、悪くないと思うこと。

自分には与えられないと思っていたものだった。必死に手を伸ばせばそれは、不公平な世界の底に位置するこの場所にだって見つけられるものだった。それが何だかおかしいと思えることを噛み締める。その感覚全てが、自分だけのものなのだと、今のアレックスは知っているから。

『なら、アレックス、とかどうだ?……安直、かもしれないが』

何もないと思っていた自分自身をまっすぐに見て、それに確かな形を与えてくれた言葉を思い出す。多くの人にとってありふれた、泣きたくなるほどに優しい贈り物をもらったあの日、ようやくあたたかな熱をまとって力強く動き出した鼓動は、これからもずっとアレックスを満たし続けるだろう。

だからこそ、アレックスは純粋に思うことが出来る。

(君に会いたい。そしてその時は)

その時は、ちゃんと彼の名前を呼びたい。紛れもない彼自身を指し示すそれを、アレックスとして言葉にしたい。

そんなささやかな未来への願いを胸に抱いて、アレックスはこの大地で息をしている。

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