その祈りを背負うもの Side:ウタ その1

その祈りを背負うもの Side:ウタ その1



激戦の音がそこかしこから聞こえてくる「鬼ヶ島」の城内。その一角に集う百獣海賊団の数人が自分たちへ突撃してくる人影に気付いた。


「ヤマトぼっちゃん発見!!」


「モモの助と…背中に”歌姫”を抱えておるぞ!!」


迫る人影の名はヤマト。背負うのは”麦わらの一味”の一人ウタ。

百獣海賊団がモモの助と誤認したのはヤマト謹製のモモの助に似せた人形だ。本人やウタが曖昧な表情になる程度の出来ではあるが、遠目であれば見事に囮の役割を果たせたようだ。


「あれ…!? 手錠がない!!」


ヤマトの両手に取り付けられていたはずの爆弾付きの手錠が見当たらない。アレはヤマトの父であるカイドウが付けた特別製のはずなのに。

配下たちの間に動揺が広がる。その隙を見逃さずヤマトは武器を振りかぶった。


「そうさ。もう捕らわれの身じゃない!! ぼくはおでんだ!!!」


「は!!?」


意味不明な発言に動きが止まった百獣海賊団をヤマトは薙ぎ払っていく。


明らかな敵対行動を取っているとはいえ、ヤマトは百獣海賊団の頭領カイドウの子。その事実が配下の判断を僅かとはいえ鈍らせる。

更にヤマト自身も最高幹部に匹敵する程の強さを持っているとなれば、有象無象の雑兵が群れようとも止められぬのは自明の理だった。


「や、ヤマト大丈夫なの!? ライブフロアのステージって2階なんじゃ…」


快進撃を続けるヤマトの背からウタが顔を覗かせる。


敵を次々と薙ぎ倒していく様は爽快であるが、自分の目的地があるはずの階層は通り過ぎてしまっている。

もしや目的を忘れていないだろうかという不安がその顔には浮かんでいた。


「安心してウタ!! 僕はこの鬼ヶ島をずっと逃げ回ってたんだ!!」

「これが一番の近道だよ!!」


20年もの間、鬼ヶ島のあらゆる場所を駆使して逃げ回っていた甲斐があった。

カイドウとルフィが戦っている屋上に近付きつつ、ウタを目的地の近くへと送るルートをヤマトは素早く作り上げ突き進んでいく。


敵の目を引くという目的もある。なるべく大暴れをしながら行かなければならない。

ここに「ヤマトと光月モモの助がいる」と誤認させれば、それだけ隠れているモモの助君が安全に”おでんの航海日誌”を読める。

一直線に向かうだけが道ではない。己のやるべきことは多いのだから。


「ウタにだってこれから大きな仕事があるんだろ!?」

「だったら体力は温存して!! 僕を信じて!!」


迫りくる百獣海賊団を蹴散らしながらヤマトはウタに向かって叫ぶ。


ウタ本人から聞いたが、彼女が能力を使うには多大な体力が消費されると聞いた。ならばここで無駄に消耗させるわけにはいかない。道中の負担は全て引き受ける。

自分はあのカイドウの子だから、これくらいは問題ない。


「…分かった!! 信じる!!」


ヤマトの言葉に頷くウタ。彼女の決心は本物だ。ならば心の底から信じ抜く。


固く唇を結んだウタの自分を掴む腕の力が強くなった感触にヤマトは笑みを浮かべた。

この背に感じる重さは信頼の重さ。それに見事応えてみせようと決意を新たにする。


激闘に揺れる鬼ヶ島を”鬼姫”が駆ける。全ては「ワノ国」と世界の”夜明け”を迎えるために。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



鬼ヶ島の天井裏。倒壊せしその場に倒れる三つの人影とそびえたつ巨影。そこから脇目もふらず逃げる影が一つ。

守るべき主君モモの助を抱え、くノ一しのぶはひた走る。泣き叫ぶモモの助を強く抱きしめながら巨影、カイドウから逃げおおせようと力の限り。


離れ行くしのぶを見遣り、カイドウは無駄なことをと心の中で吐き捨てる。

既にこの戦の勝敗は決した。何処にも逃げ場などない。無様に逃げ回る醜態を晒すくらいならば潔く死ねばいい。


大将首にしてワノ国の希望モモの助にトドメを刺すべくカイドウは身を翻す。

その時、己の足に何かが突き立てられたことに気付く。


「ゲフッ…ゴホッ」


”光月おでん”の家臣が一人、”赤鞘九人男”の錦えもんがカイドウの足元を這いながらも刃を突き立てていた。

カイドウの一撃からモモの助を守るため身を挺した男は、武器も肉体も砕かれた状態でなおも諦めず立ち向かおうとしていた。


「時間を稼いでどうなる? 逃げて何が変わる!!?」


満身創痍の身体で折れた刀を突き立てる錦えもんを見下ろし、カイドウが冷酷に言い放つ。


”麦わら”のルフィは敗北した。もはや己に勝てるものはいない。後は決定的敗北まで早いか遅いかの違いでしかない。

だというのに、そんな無様な姿を晒してまで自分を止めようとする理由はなんだとその目は語っていた。


「ハァ…ハァ…ゲボッ」


息をすることすら苦しい。そもそもカイドウの一撃を受け止めて生き残れたことが奇跡。

刀は折れ、全身から血が流れ出る。この”最強”を止めることなど一瞬たりとも叶わないだろう。


それでも錦えもんは朦朧とする視界の中でカイドウを睨みつける。


守るべき主君の奥方に助けられ、20年の時を超え逃げ延びた恥辱。全ては「ワノ国」を解放せんがため。

この命、モモの助様を守るためならば幾らで使い潰そうという覚悟を持って生きてきた。


モモの助様の正体を悟られんために、偽の親子関係を演じられるよう努力をした。全ては「ワノ国」を解放せんがため。

20年後に現れる”ある人物”を迎え入れるため”開国”を為そうとしたおでん様の意志を遂げるために生きてきた。


全ての鍵はモモの助様だ。彼を守るために自分は倒れてなどいられないのだ。

それに、今しがた理由が一つ増えてしまった。



――おれの舞台の幕を引くなら……!! お前がいい……!!



この大根役者め。憎まれ役を演じるなら最後まで演じ切ってみせろ馬鹿者が。


赤鞘の内通者、いや始めから自分たちの動向を調べるために潜入していた「黒炭」カン十郎。

あの者はこの「ワノ国」の宿業が生んだ怪物だ。いやカン十郎だけでなく憎きオロチすらもそうなのだろう。


初めからああも歪み、壊れ切っていたはずがない。元々の悪性の強弱こそあれ、あそこまで人間として破綻していたのは間違いなく環境によるものだ。

自分たちがおでん様に救われたのとは真逆。彼らは誰にも救われず、ただただ虐げられ理不尽な憎悪に晒され心を壊したのだろう。


それで奴らが犯した罪が消えるわけではない。アレらは倒すべき怨敵である。

しかし同時に「ワノ国」の罪の証でもある。だからこそ、あんな哀れな存在を生んでしまった責任を我らは取らねばならない。


(お逃げください、モモの助様…!!!)


あなたこそワノ国の”新たな時代”を築くお方。あなたが作る時代に、古き憎悪を引き継がせはしません。

「黒炭」への憎悪、「ワノ国」への憎悪。巡り巡りて咲き続ける憎しみの業は誰かが断ち切らねばならない。


モモの助様ならば、必ずできる。それが……



――舞台上じゃあ……親友だったも゛んな゛……!!!



”親友だった男”に手向けられる唯一の贖いだろう。

奴はそんなことを望んでなどいないかもしれないが、知らぬ。勝手に背負わせてもらう。


(走れ!! しのぶ!!)


空虚な憎悪はここで終幕だ。”夜明け”にそんなものは似合わない。

古き時代の死にぞこないが抱えて逝こうぞ。


「武士らしく潔く散れ!!!」


そんな決意を消し去るようにカイドウが突き立てた刃が錦えもんの身体を貫き、地面へと縫い付ける。

その一撃がトドメとなったのか、錦えもんは動かなくなった。


「”敗北”とは、いつも信じ難いものだ!!!」


動かなくなった錦えもんには目もくれず、カイドウはモモの助としのぶが逃げ去った方へ目を向ける。

「ワノ国」の希望、その一切を砕くために悪龍はその足を進め始めた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



時計の針が少しだけ進んだ同じ場所。鬼ヶ島の天井裏にて。


致命傷を受け、もはやその命は風前の灯火。それでもなお黒炭カン十郎は生きていた。

しかし生きていたところで数分もすれば尽きる命。その命を最大限利用しようと、同じく生存していたオロチが通信を介してカン十郎へと囁く。


黒炭家の怒りと憎悪。ワノ国を燃やし尽くすまで止まらぬソレを具現させようとカン十郎は筆を取った。


「ご覧に入れます。最後の舞い……」


全てを奈落へ引きずり込む底なしの悪意。紡がれ続けた憎しみの化身がここに結実した。


「『黒炭心中』が”急”!! ”火前坊”」


暗い憎悪の炎が燃え盛る。炎を纏った影絵の如き怨念の怪物。何とも自分に似合いの姿。

これが最後の演目とは……何とも言えぬ心地だ。


ああ、誰かの視線を感じる。誰だろう。拙者の舞台を見に来てくれた観客だろうか。

ならば最後まで演じてみせなければ。この舞台の終幕を彩る締めの言葉は……


思いついた。


「燃え゛て……な゛んぼの゛……」


燃えろ燃えろ。我らが怨嗟の炎よ。うねり猛り、全て燃やし尽くしてしまおうぞ。


「”黒炭”に候!!!」


己が演目の終幕を告げる言葉を叫び、今度こそカン十郎は事切れた。

理不尽な迫害に晒され心を壊し、何かを演じることでのみ生き永らえてきた空っぽの舞台役者。


今際の際、その胸に去来したものは黒き憎悪でも、待望した死への安堵でもなく、



――金がないですおでん様。今日の晩メシが!!

――よし!! 仕事だお前ら!! 町で恵んでもらえ!!

――また~!?



何もかもが偽りであったはずの、演じ続けた遠い過去の日々だった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



『ルフィは!! 必ず勝つ!!!』


モモの助の涙滲む叫びが鬼ヶ島に木霊する。「ルフィは必ず戻ってくる」「だから命の限り戦ってくれ」と。

誰よりも恐怖と絶望を味わっているであろうに、それでも勇気を振り絞り戦い続ける仲間を鼓舞している。


その言葉を受けて、奮起しなければ”おでん”じゃない。


「ウタ!! 君を背負うのはここまでだ!!」

「僕はカイドウを止めに行かないと!!」


背中に背負っていたウタを降ろし、ヤマトは語る。


ルフィが敗北しカイドウが自由になった以上、奴の狙いはモモの助君だ。

もはや一刻の猶予もない。すぐにカイドウを止めなければならない。


降ろされたウタは憔悴した顔でヤマトに話しかける。


「ヤマト…ルフィが戻ってくるまで持ちこたえて!!」


信じて欲しい。ルフィの”心音”はまだ消えていなかった。

モモの助君の言ったことはただのやせ我慢でも願望でもない。嘘ではないのだと。


「ルフィは絶対帰ってくる……だから!!」


「大丈夫だよウタ。僕も信じてる」


ウタを落ち着かせるように、冷静な口調でヤマトは語る。


「”おでん”である僕が信じないで、誰がワノ国の希望を信じるって言うんだい?」


「……うん!!」


相変わらず言ってる意味は分からないけど、ヤマトが真面目で優しい人だというのは痛いほど伝わってきた。

彼女もまたルフィの帰還を信じている。胸にあった焦燥感はいつの間にか消え去っていた。


「どりゃあ!!!」


「!!?」


突如ヤマトが”覇気”を纏わせた武器を大きく振りかぶり地面へと叩きつける。耳をつんざく轟音と共に下の階まで続く大穴が形成された。


「ここから降りればライブホールのステージへすぐに着く!! 急いで!!」


「ありがとう!!」


ヤマトの声を受け、ウタは開いた大穴から飛び降りようとする。

別れる最中、これから一人絶望的な戦いへ赴くヤマトへウタが声をかける。


「頑張ってヤマト!! ルフィが戻ってくるまで…」

「私があなたのために歌う!!!」


「!!」


ヤマトは目を見開く。その言葉に込められた想い。ウタもまた自分の戦いに赴く。でも決して一人ではない。ヤマトもまた、一人にはさせないのだと。

胸にこみ上げる場違いな喜びに無理やり蓋をする。今はまだこの感情に身を任せるべきじゃない。全てはこの戦いに勝利してからだ。


彼女の歌があるなら百人力。僕は絶対にカイドウを止めてみせる。


「約束だ!! 頼んだよウタ!!」


”歌姫”との約束を胸に”鬼姫”は駆ける。己の身に宿る宿業を断ち切るため、「ワノ国」を救うため。

これより一人、頂きに座す悪龍に挑むのだ。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「どわ~!? 敵襲!!?」


天井から突如轟音が鳴り、そこから落ちてきた人影に身体をのけぞらせるウソップ。

それでも抱えたお玉を危険から遠ざけようと動いたのは男の意地か。


降ってきた人影が自分たちを並行して走り出したことで、ナミがその正体に気付く。


「ウタ!? どこから降ってきたの!?」


「上から!! 友達が助けてくれた!!」


非常に短く、簡潔にウタは言い切った。今は無駄な会話をしてる時間すら惜しい。急いでステージに向かわなければ。


「ナミ達は何処に!?」


「ステージ!! お玉に号令をかけてもらうの!!」


ナミの言葉でしめたとウタは思う。目的地が同じなら心強い。

偶然とはいえ仲間と合流できたのも運が向いてきてる気がする。この流れを止めてはいけない。


「じゃあ一緒に行こう!! 私もそこで歌うから!!」


頼れる仲間と共に歌姫はステージへひた走る。”夜明け”を信じて今も戦い続けている多くの人々、そしてたった一人”最強”に挑む友達のための歌を歌うために。


「ところでナミ、”天候棒”から声がするんだけど…」


「え!?」



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



ライブフロアのステージに辿り着いたナミ達を執念深く追いかけてきた百獣海賊団幹部”飛び六砲”の一人うるティ。

満身創痍の身ながらウソップ達を圧倒した彼女をナミの”天候棒”の中に納まっていたゼウス改め「わた」改めゼウスの活躍により辛くも撃破に成功する。


「き!! きびだんごを食べたお友達~~~お願いでやんす!!!」

「ルフィのアニキ達とモモの助くん達の!!! 味方をしてけろ~~~!!!」


ステージに立ち、震える身体を抑えながらお玉は叫ぶ。

己の能力”キビキビの実”できびだんごを食べた動物を自身の味方にする能力で少しでもルフィ達の力になれるように。


「一緒にカイドウを!!! やっつけてけろォーーー!!!」


「お安いご用だご主人様~~~!!!」


「うおー任せろご主人様ァ~~!!!」


人造”悪魔の実”「SMILE」を食し動物系の能力に目覚めていた百獣海賊団の「ギフターズ」。

”動物系”にもお玉の能力は通用するらしく、事前に味方につけた者達が食べさせていたきびだんごの力が次々と炸裂する。


「鬼ヶ島」の至る所から響いてくる混乱の声。お玉の叫びが圧倒的戦力差を埋めていく手応えを皆が感じ取っていた。


「やったわお玉!! 作戦大成功!!」


「よっしゃァ!! じゃあこんな目立つ場所からはサッサとおさらばだ!!!」


ライブフロアは「鬼ヶ島」の中でも百獣海賊団最高幹部が二人も戦っている最激戦区。そんな場所の最も目立つステージにいては命がいくつあっても足りはしない。


お玉を抱えて走り出そうとするナミとウソップ。しかしウタは足を止め、力強く宣言する。


「待って二人とも!! 私はここで歌うよ!!」


『え~~~!!?』


確かに先ほど歌うとは言っていたが、つい今しがた下にいたクイーンがこちらを狙っていたのが見えなかったのかこの子は。

ただでさえウタは目立つのに、こんな戦場のど真ん中で歌ったら敵の良い的になってしまう。


とんでもないことを言い出した仲間に驚愕し固まってしまった三人を後目にウタは周囲を見渡す。


「お玉ちゃんが使ってたこの子を使う!!」


ウソップの緑星「デビル」に拘束され気絶しているバオファンの頭をぺシぺシと叩くウタ。

原理は分からないが、このおかしな札を頭につけている者同士は発信機と受信機の役割を担っているようだ。ならば音響設備として利用できる。


「いやでもよゥ……」


「約束なんだ!! 友達に歌を届けるって!!」


わざわざこんな場所で歌わなくてもいいのではないかとウソップは食い下がる。それでもウタは譲らない。

強情なウタの姿を見て、ナミは大きく溜息をついた。


「諦めなさいウソップ。こうなったら止まらないわよこの子」


ナミは歌う準備をするウタに目を向ける。少々の呆れと、固い決意を抱く仲間への信頼を胸に抱いて。


「思いっきりやりなさい!!」


「…うん!!!」


ナミの激励を噛み締め、深呼吸をする。片足で地面を叩き精神を集中させる。



胸の内に思い起こすのは、「ワノ国」で見てきた光景。何処を向いても嘆き、苦しみが蔓延していた地獄の如き有様。

目にする度に胸が軋んだ。これまでの冒険で世界の残酷さ、無慈悲さは散々思い知ったはずだった。だが「ワノ国」のソレは性質が違う。


この国を荒廃させているものの根幹は深い「怨嗟」だ。何かを奪いたいだとか、何かを手に入れたいといった人の持つ欲望とは違う。

国を根城にしている百獣海賊団の性質もあったのだろうが、何よりもこの国を覆っているのは「苦しみ抜いて破滅しろ」とでも言いたげな暗い憎悪だとウタは感じ取っていた。


何か理由があるのだろう。それは分かる。これほどの憎しみを普通の人間が元々持っているはずがないのだから。


でも、アレはあんまりだ。アレだけは絶対に許せない。



――わっはっはっはっ康イエ様がァ!!死んじまった~~~!!!

――あ~~~~っはっはっはっはっ!!!

――きゃははははは!!



何の地獄だこれは?こんなものが人に対する仕打ちなのか?

「笑顔」以外の”表情”全てを奪われ、心で涙を流し絶叫する程の悲しみと嘆きが、呵々大笑へと変えられていく様はまさに地獄。



――お父ちゃんが、死んじゃったよーー!!! アハハハハハ!!!



目の前で慕う義父を無残に殺された幼子が、嘆くことすら許されないとは何の冗談だ?

ただ全てを奪われるのではなく、己の持つあらゆる”表情”が歪められる。なんて悍ましい地獄に人々を突き落としたのだ。


人が持つ当たり前の感情を出すことすら許さぬほどに、その憎悪が深いのか?そんなことはもはや関係ない。

どんな理由があろうとも、それが人の自由を奪っていい免罪符になど絶対にならないのだから。


でも、ワノ国の人たちは怒れない。怒りとは反抗心だ。現状を変えたいと願う感情のうねりだ。

長き地獄の日々で、人々の心に深い絶望が根付いている。怒りを覆い隠すほどの諦観が渦巻いている。



――「光月」に仕えた最後の大名が…いやさ、えびす町のお調子者が…

――あの世へ参るぞ!!! 歌ってゆこうか!!!



だから、これから歌うのは「怒り」ではない。

「ワノ国」を支配し、自由を奪う者ども。人の嘆きを嘲笑う者たち。

聞け、聴け。聞きなさい、聴きなさい。お前たちが踏みにじってきた全ての「祈り」を。



♪こころ穏やかに在れば いつも笑いあえる

♪そんなことを思ってたんだ ずっとね

♪明日も その次の日も



地獄の中では、心を押し殺さなければ生きていけない。

どんな環境でもやがて人は慣れると、誰かから聞いたことがある。それでもその心には「祈り」がある。



♪去りゆく同胞見遣り 滅びの足音聴く

♪やがて全て無に帰す 無常にただ膝をつく



人々は祈る。天に向かって、亡き人々に向かって。どんなに苦しくても、辛くても、いつかきっと救いが現れる。そう信じて待ち続けている。

その「祈り」は逃避か?敗者の戯言だと勝者は嘲笑うのか?



♪この狭い世界でただ小さく 静かに生きたい でも儘ならない



後に続く者達へ、その「祈り」を託し信じた人達がいた。

自分が知らないこの20年で、きっと多くの人が「祈り」を託し、継いできた。

だから私は歌う。



♪緩やかな滅びの中でぼくらは やさしい歌うたう



この歌は、「祈り」なのだから。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「これは……?」


鬼ヶ島城内「来賓の間」にて。待機していたサイファーポール”イージス”ゼロ……通称「CP0」の面々が突如聴こえてきた歌に神経をとがらせる。

ひりついた空気の中、戦況を報告していた「メアリーズ」の一人が困惑しながら口を開く。


「どうやら我々を通じて歌を歌うものが……」


「”歌姫”か……」


誰が何をしているのか、己の持つ情報と合わせて男はすぐに理解した。


”歌姫”ウタ。「ドレスローザ」での動乱と共に現れ”麦わらの一味”の一員として認知された存在。

彼女が持つ”ウタウタの実”の能力は「ドレスローザ」にて発揮され、あの”赤髪”の娘だという情報まである。政府が警戒を強めるのも当然の存在。


だが、それだけではない。自分たちの「上にいる者達」は明らかに何か他の事象を警戒していた。

でなければ自分たちに「可能ならば生かして捕えよ。最悪でも歌えぬように喉を潰せ」などという指令を出しはしないだろう。


彼女が歌うことが彼らにとって何の不都合がある?確かに「ドレスローザ」で見せた能力は政府の支配において脅威となり得るものではあったが……

あるいは、彼女の歌が「何か」を呼び覚ますのか?


男の持つ疑問に答えられるものはここには存在しなかった。


「動くか?」


「止めておけ。既に機を逸した」


マハが剣呑な気配を発しながら短く呟く。それを片手で制し、考える。


”歌姫”に対する指令を遂行するのならば、乱戦が始まった時に動くべきだった。混乱の最中、誰が手を下したのかを隠すのには最適の状況故に。

だがこの争いは「海賊」同士のもの。政府の存在として介入せず事の推移を見守ることを決定した時点で、この場で”歌姫”を無力化する機会は失った。


ましてや、今”歌姫”は歌い敵味方問わず注目を集めている。となれば必然的に護衛が傍に控えているだろう。

ここまでの注目を集めている存在を正体を気取られず指令を完遂するのは、幾らなんでも無理筋というものだ。



♪この狭い世界でただ小さく 静かに生きたい でも儘ならない



男は思考を巡らせ続け、ふと”歌姫”の歌に聴き入る。


何を伝えようとしているのか自分には分からない。だが彼女が誰かのために歌っていることだけは分かる。

その為に”四皇”の本拠地であるこの地で、己が身を危険に晒しながらも歌い続けている。その身を支えるのは「信念」か、或いは己だけの「正義」なのか。


自分たちはどうだ?この戦いの中、己たちの与えられた命令を遂行するための機を伺い、漁夫の利を得ようとする我々は。

彼女たち海賊より、余程卑しい飼い犬ではないか?


「まるで火事場泥棒だな…」


「…………」


男が呟いた言葉にゲルニカが顔を向ける。

言葉にこそ出さないものの、今の発言を咎めるような気配に変わったことを感じ取る。


「…………」


その視線から逃れるように帽子を深く被り直す。らしくない感傷だ。

自分がどのような想いを持とうともやるべきことは変わらないというのに。


沈黙が支配する部屋に、”歌姫”の歌が響く。

何かを伝えようと木霊するその歌を聴きながら、政府の勅命を遂行する白き猟犬たちは静かにその時を待ち続けていた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「鬼ヶ島」に響く歌声に、心をかき乱される者がいた。


「”赤髪”の娘ェ……!!」


歌声の主に壮絶な憎悪を滾らせるは百獣海賊団幹部”飛び六砲”の一人フーズ・フー。


ガリガリと鋭い歯を軋ませ、フーズ・フーはここにはいないウタへの憎悪を募らせる。

目の前にジンベエがいなければ誰の制止も聞かずウタの下へ駆け出し、その喉笛を噛み千切らんばかりの憤怒がそこにはあった。


猛り狂うフーズ・フーを睨みつけながら、”麦わらの一味”の一人ジンベエは叫ぶ。


「お主をあの子のところへは行かせぬと言ったはず…!!」

「わしがいる限り、ウタを傷つけることはできぬぞ!!!」


「ほざけジンベエェ!!!」


迸る憎悪は激流の如く、フーズ・フーはジンベエへと襲い掛かる。

若き仲間を守るため、その憎しみを堰き止めるため、ジンベエは戦い続けていた。



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