その日、少年は海兵になった
「ねえルフィ、海賊になりたいって…まだ思ってる…?」
唐突に言われた質問に、問われた海兵…ルフィは目を泳がせる。
近くで聞いていた上官スモーカー准将はまたか、とため息をつき、たしぎ少佐は困ったように苦笑する。
問うた女性海兵…ウタがこの質問をするのはこれが初めてではなかった。
少なくとも二十を超えた時点でスモーカーは数えるのをやめた、それも数か月前の話だ。
もはやイラつくこともなく、ため息しか出ない。
そんなスモーカーの心中を察したのか、たしぎはウタを窘めた。
「駄目ですよ、ウタ中佐。部下の前でそんな質問しては…ルフィ少佐も困ってるじゃないですか。」
ねえ、と話を問われた側であるルフィに向ける。
それに対してルフィは…
「そそそそそ、そんなわけねぇじゃねえかウタ。俺はだな そのあの」
「いい加減にしやがれ!てめぇがいつまでも煮え切らねぇ答えしか返さねぇから、これが終わらねぇんだろうが!これで何回目だ!」
「なんで俺には怒るんだよ、ケムリン!」
「准将と呼べって言ってんだろうが!」
ウタの質問にはっきりした答えが出せないルフィに対してスモーカーの雷が落ちる。
これがスモーカー部隊のいつもの光景だ。今では週に何回この問答がされるか、昼飯のデザートを賭けている海兵までいる。
それほど、ルフィが海賊になるなど、彼らの中ではありえないことであった。
実際ルフィはもう海賊になりたいとは思ってなかった。昔は憧れの海賊のように、自由に歌でも歌いながら海を冒険しようと考えてばかりだったが
今では全く真逆の海兵生活、それも全然苦には思っていなかった。
ならばそれをウタに伝えればいいのだが…海賊になりたくなくなった理由がルフィ自身にもわからず、うまく言葉にして説明できないのが現状なのだった。
ウタが何度でもあの質問を繰り返しているのは、ルフィが自分の為に夢を捨てたのではという罪悪感と、いずれ父のように自分を置いて知ってしまうのではという不安からなのはルフィも気づいていた。
だから早く答えを見つけようと自分なりに考えを尽くしていた。
あの頼もしくも恐ろしい祖父に、柄でもなく相談を持ち掛けたほどだ。
「そりゃ、当然!わしの愛ある教育がお前に届いた、それだけの話じゃ!」
「いや、それだけはねぇ「なんじゃと!」痛ってぇ!」
…返ってきたのは、あり得ない答えと拳骨だったが。
兎にも角にも、ウタを安心させる為、海賊になりたくなくなった理由を見つけるのはルフィにとって急務であった。
そして…その答えをある砂漠の国で見つけることになる。
偉大なる航路にある砂漠の国アラバスタ。その国では今、王下七武海が一人サー・クロコダイルの陰謀によりクーデターが引き起こされていた。
偶然出会ったアラバスタの王女、ネフェルタリ・ビビからそれを聞いたスモーカー部隊は
クロコダイル討伐の為、彼が率いる秘密結社バロックワークスと死闘を繰り広げ、とうとう王家墓の地下にある遺跡にて
モンキー・D・ルフィ少佐とサー・クロコダイルとの最終決戦にもつれ込んでいた。
ルフィの胸の中には怒りで満ちていた。
今アラバスタには自由も笑顔もなかった、あるのは国を救おうとする悲壮な決意だけであった。それを目の前の男は嘲笑ったのだ。
そしてウタも…ウタはこの国に来て以来戦闘時以外で歌うことは無かった。今のアラバスタに、クロコダイルに、彼女は大好きな歌を奪われていた。
ウタが歌を歌えなくなるのは、父に置き去りにされてしまったあの日以来のことであった。
「……どこの馬の骨とも知れねぇ小僧が……!!」
ルフィは遂に、自分が夢を捨てた理由に気づいた…思い出していた。
全ては、”怒り”が理由だったのだ…
「このおれを誰だと思ってやがる!!!」
あの日ウタをシャンクス…自分の憧れが悲しませた時、ルフィの中に怒りが芽生えた。
自分でも自覚できないほど小さかった怒りは、いま荒れ狂う暴風雨となってルフィの中に帰って来たのだ。
「お前がどこの誰だろうと!!!」
例え憧れのシャンクスだろうと、例えいかなる理由があろうと
「俺はお前を!!!」
ウタを悲しませる者は、ウタから歌を奪う者は
「ぶっ飛ばす!!!」
地の底より放たれた暴風雨が、天高く”砂漠の偽英雄”を打ち破り、アラバスタに平和をもたらした…
「ねぇルフィ、海賊になりたいって…まだ思ってる…?」
アラバスタから海軍本部へ、帰路の途中もはやお馴染みとなった質問が繰り返された。
スモーカー准将はため息をつき、たしぎ少佐は苦笑する、いつもの光景であった…一つを除けば
「なるわけねぇだろ、俺は海兵なんだぞ!」
そう言ってルフィは、かつての夢をはっきりと否定した。
今までとは違う返答に、ウタだけじゃなくスモーカーもたしぎも目を丸くする。
目の前の歌姫を安心させるように、若き海兵はシシシシ、と笑った。