その山には『竜』が住む・前

その山には『竜』が住む・前


 

 初めて会った時から、妙な子供ではあった。


「カイドウさんは、また『竜』のところか……」

「みたいだな。暴れられるよりゃ良いだろ」

 おおぉん、と遠雷の様な咆哮と、見失う事等ありえない強大な気配が空高く遠ざかっていく。

 ここ最近の荒れ様と酒量から、そろそろかと測っていたタイミングにぴたりと合う夕暮れ時。……数度目ともなれば今更驚きはしないが、決して何も思わない訳では無い。

「気になるなら追っかけりゃ良いだろ。シケた面見せんじゃねェよ」

「黙れ」

 ぶつぶつと文句を垂れ流しながら去っていくクイーンを無視して、見聞色の限界範囲に近付いて行く気配を遠く追う。――真っ直ぐ、迷いなく向かう先は何時もの方角だった。


 数度前から不意に規則性を持ち始めた出奔と、十と数日後に戻る安寧。頑健で精強なその身体に傷は無く、それでもまるで思う様に暴れ戦い抜いた後かと思える程に凪いだ心。其処へ向かうようになってから、悪癖としか言い様の無かったかの存在の"趣味"もまた鳴りを潜めていた。

 だからこそ、皆がその先に強者を幻視した。

 かの『龍』が向かう先、臨む相手が同じならば、ソレはどれ程に恐ろしく強大で怖気が奔る程に鮮烈な存在だろうか。

 新世界のどこぞで天が割れただの島が消し飛んだだのと聞いた事は無い。ならばその存在は、現皇達でも海軍の最高戦力や英雄でも世界最強の剣士でも無く、まだ世に広く知られざる者なのだろう。

 最強の『龍』に幾度となく相対し、その激憤と暴威を受け止めて返し得る存在。――向かう先に居る筈の相手を『竜』と呼び始めたのは、果たして誰だっただろうか。



「………………」

 何時もならば見送るだけで済ませた気配を追った事に、深い理由は無かった。

 誰にも知らせず飛び立つという事は、『竜』の存在やそのやり取りを自分達に教えるつもりが無いという事に他ならない。

 他者の介入が無い場所で、思う様に暴れ戦いたいというその願望は良く知っていた。……その意思を慮るのであれば、ただ待つべきだという事も。それでも――気が付いた時には既に、視界は雲の上を映していた。


 例え相手が誰であれ手は出さない。ただ見届けるだけだと、誰にともなく弁明じみた思考を向けながら空を翔けていく。雲海を眼下に望む高度の夜風は冷ややかで、頑強な己の身に今は感謝する。

 密かな追跡という後ろめたさから、見失わない程度の距離を保っての追跡。……その行く先に本格的な疑問を抱いたのは、新世界を越え、カームベルトさえ越えた辺りの事だった。

 向かう先にあるのは〝東の海〟。……グランドラインに比して明確に劣る四海の中でも尚、最弱と称されるその場所に、本当に強者が存在し得るのか。

 そう思いはしても、今更引き返すには長く飛び過ぎていた。――此処まで来たからには、例え相手が何であれ確認だけでもせねば割に合わない。

 そんな事を僅かに鈍り始めた頭で思考して、遂に下降を始めた気配を追って其処へと向かう。


 ワノ国からおよそ一昼夜。

 不眠不休の追跡劇により、主に精神へかかり続けた緊張と負担。頑強さを誇る肉体はそれでも尚余裕を保ってはいたが、それでも僅かに疲労を覚える頃合いに。唯一と定めた存在を追って雲の海を抜けたその目に映ったのは、あまりにも小さな子供に張り付かれながら此方を見上げる相手の姿だった。


 ………………


 あまりの事に現実を認識し損ねた思考が形を取り戻した時には、既にその存在は目の前に在った。


『なあ、ウォロロンの子分のプテラのおっさん! 名前なんていうんだ?』

 色々と物凄い表現で自分を呼んだ小さな子供に啞然として、咄嗟に普段の名乗りが出てこなかった事を覚えている。

 〝ウォロロン〟等という珍妙極まる名前の知り合いなど居ないというのに、それが誰を示すのかを汲み取ってしまった自身の洞察に覚えた頭痛。……〝火災のキング〟というそれではなく、〝アルベル〟という捨てた筈の本名を洩らしてしまったのはそれが原因で、やらかしたと自覚した時には既に遅かった。

 名だけで素性を特定される事はない。ましてや、僻地に等しいこの場所で暮らす餓鬼3人に、そんな知識など無いと分かっている。……不用意過ぎる自分にこそ愕然として、それでもその警戒は杞憂に終わった。


『アルベルな、わかった』

『あゆべ……アルのおっさんだな!』

『アルベルだっつってんだろ! なんでその短さで間違うんだお前は!』

『呼びやすくていーじゃんかよ!』

『2人とも落ち着けって』

 特に何を言うでも表すでも無く、ただ此方の名前だと素直に認識してにぱりと笑った小さな子供に面食らって、気付けば訂正する機会をすっかりと逃していた。

 そうして勝手に決まる呼び名と呑気な会話に自分が含まれている事に混乱して……思わず目を向けた先にいた主が、酷く楽しげに笑いながら酒を飲み干していた事を、良く覚えている。


 満足には程遠い筈の質と量の酒を片手に、強者との死闘どころか戦の気配さえない場所で。酒精に酔っていなければ険しい事の多いその表情が解けているという事が、自分の何かを酷く揺さぶった。


『んー……』

『………何だ』

『ウォロロンもだけど、アルベルもでっけェなァ。――なあ、エース、ルフィ……問題が出来たぞ。これ、絶対今日のメシが足りねェ』

『だろうな』

『えー!!? おれ、にく食えねェのやだぞ!?』

『――いや、おれは』

 珍妙過ぎる状況に硬直していれば、足元に駆け寄る小さな影。思わず無言で見下ろせば、ほぼ垂直の角度でようやく交わる視線。そのままひっくり返るのでは無いかという程に上向いて眉を寄せ、何を考えたかと思えば、随分と頓狂な事を大真面目に言い始めた子供に面食らう。

 ふと見遣った先に積み上げられた獣の死骸。恐らくはそれが"昼飯"とやらで、確かに己らの体躯を考えれば十分とは言えない量だが――違う。そもそも何故、当然の様に自分が此処で食事をする事になっているのか。

『仕方ねェ……もっかい狩り行くぞ』

『それしかねェか』

『待ってろよ肉ー!!』

 "自分には必要無い"とそう告げるより早く、鉄パイプを片手に飛び出していく背を啞然と見送った。

 駆け去りながら残された、"待ってろよー!!"という言葉。そんなもの無視してさっさと飛び立ってしまえばそれで済んだのに、迎えにきた筈の相手と共に剥き出しの地面に座って数時間待った自分は一体何を考えていたのだと……"今"でも思う。


『悪ィ、遅くなった』

『つかれた〜』

『ほらルフィ頑張れ。あと少しだ』

 そして日が頂天を少し過ぎた頃に、ワニだの鹿だの魚だのを担げるだけ担いで、大小様々な傷をこさえた子供3人はその場所に帰ってきた。その後ろにも周囲にも、海軍や国軍等の気配は無い。

 剥き出しかつ生のまま置かれていた"昼飯"に、怪我を伴う"狩り"。……庇護者に甘やかされたが故の無警戒や無鉄砲さかあるいは恵まれた者の施しかという嘲りの思考が、此方を売って金を得ようとするのでは無いかという侮蔑と警戒が、無言のうちに掻き消える。――本当に。ただ足りない食料を調達に行って帰ってきたのだと、どんな言葉よりも明瞭に伝わった。


 しかもそれが自分に向けられたものなのだ。

 自分より遥かに小さく弱い子供に当然の様に食料を分け与えられたその衝撃は、その後も薄れる事は無かった。


『う゛〜……』

『ルフィ寝るなー。肉食えなくなるぞー?』

『にくぅ……』

『寝るなつってんだろ!!』

『ウォロロロ! 寝かせといてやりゃァ良いじゃねェか』

『甘やかすな! ――ったく、ならウォロロンも手伝え。おれとサボだけじゃ手が足りねぇ』

 疲労と空腹でべしゃりと潰れた子供の横、手際良く紐で縛ったり四肢を折って扱いやすくする子供に混じって、巨大な手の持ち主が作業に参加する様をどこか呆然と眺める。

 これを手伝え次はあれだと無遠慮かつ粗雑に命じる声が向けられているのは、確かに自分が唯一と仰ぐ存在。……あまりの暴挙に愕然とする己を他所に、"最強"を顎で使う子供と、怒り狂うどころか上機嫌に手を貸す"最強"という衝撃的な光景は、消える事なくそこにあった。

『――なあ、アルベル。その炎って本物か?』

『……だとしたら、何だ』

『火種貰っていいか?』

『―――は?』

 呆然としていた最中、おもむろに近寄ってきたかと思えばそんな事を言い出した子供に、完全に素で声が出た。

 思わずじろりと睨んでも、棒を片手に握った金髪小僧は"駄目か?"と首を傾げるだけで、泣くどころか怯みさえしない。……この炎を、ただ火種に良さそうだと求められる日が来るとは、それなりに激動を生きた経験を以てしても想像さえ出来ない珍事だった。

『…………………………好きにしろ』

『ありがとう! ……うわ、本当についた。便利だなァ』

 あまりの異常事態に飽和した頭は思考を放棄し、カイドウさんが食べるものの役に立つのだから良いだろうという意識に乗っ取られ、気が付けばそんな許可を出していた。

 後ろに回る小さな気配を呆然と追えば、そう間をおかず驚いた様な声が上がる。……自分から言い出した事だろうという言葉は音にならないまま、いつの間にか簡易的な焚火の準備まで終えた場所へ走る背を見送る羽目になった。

『おーい! 火、貰って来たぞ!』

『よし。これでメシが食えるな』

 自分から分けられた火が、ただの火種として焚き木へ放り込まれる光景に抱いた感情をどう言い表せば良いのか。

『――メシ!!』

『相変わらずの食い意地だ』

 潰れていた1人が跳ね起きて、騒がしさが更に悪化する。そろそろ驚くのも考えるのも疲れて茫洋としていれば、ぴったりと揃って向けられた4対の眼にびくりと翼がはためいた。……いや本当に、何なのか。

『アルベル、食わないのか?』

『いらねーんならおれ貰うぞ!』

『だから、お前は食い過ぎだつってんだろ! 何のために態々狩りを増やしたと思ってんだ』

『――来りゃあいい』


 心底不思議そうな子供と上機嫌に笑う相手に逆らうだけの気力と理由は、既に残っていなかった。




 一度目は、そうして流されるまま食事とも呼べないような野外食を終え、「もう帰るのか?」と心底名残惜しそうな3人に見送られ、気が付けば鬼ヶ島へと帰還していた。

 アレは夢か幻覚だったかという現実逃避に似た思考は、何処に行っていたのかと絡んでくるクイーンやジャックの言葉と、確かに過ぎていた日付が無情にも打ち砕いた。……確かに自分は数日この地を空け、そしてカイドウさんを置いて帰ってきたのだと、否が応でも理解した。――そしてそれは、あの場所で目にしたあの光景と状況が、確かに現実であったのだと己に突きつけていた。

 そして自分は、それを隠すと決めた。

 最弱とされる〝東の海〟で、世界最強の生物とさえ称される存在が、誰の子とも知れない子供達の下に自ら甘んじて、戦いの気配さえなく過ごしている等、告げて信じる者はいない。……そして。告げる事であの人の格を傷つけかねないという以上に、不必要な介入を招いてあの場所を損なう事を懸念した。

 数日遅れて戻ってきたあの人は、やはりささくれ荒れた気配をすっかりと落としていた。……想像とも想定とも違ってはいたが、傷付く事なくその心を癒せる場所があるのであれば、それはきっと得難いものだ。


 『龍』を鎮める『竜』達は、確かにあの山に住んでいた。


 此方に迷惑や困難が降り掛かる訳でも無い。あの人が飽きるか手放すまで、ただ自分が口を閉ざしていれば良い。――そう結論付けたその半月後に、「あいつ等が会いたがっているから」と引き摺られて、まさかまたその場所へ向かう羽目になるとは思ってもいなかった。


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