その先は、いつになるやら。

その先は、いつになるやら。

傀儡呪詛師、死体処理専門の二級術師

あの騒動の後、茅瀬は露鐘の元で経過観察を命じられた。かつて上層部の数名を殺し、4552名の命を無差別に奪った茅瀬に課せられたのは、術式の永久使用不可と人命を2度と奪わないこと。前者は達成させられても後者は必ずそれができるかと言われれば不明。本人は、原因そのものとなった露鐘が健やかに生きているならば何もしない、と供述したらしいが信じるはずもなく。坂野政と穂村冬嗣の両名の発言を経て、露鐘眞尋が経過観察をするように命じられた。


結果、半同棲状態となっている。

茅瀬としては願ったり叶ったりだし、半ばプロポーズのような発言をされたことでかなり有頂天である。表情には出さないが。

対して露鐘も満更ではない。そりゃあ好きな人と想いが通じて一緒にいられるなら嬉しいに越したことはないからだ。因みに上層部からは興味のきの字も持たれてないので気付かれていない。


そんな日々を謳歌しつつ、日常は過ぎる。

そんなある一節。高いとも低いとも言えないマンション住まいの露鐘は、珍しくチョコレートを食べていた。

「...少し、治って来たかな」

行っているのは味覚の確認。数年前の任務から後遺症の残る彼女は、その1つに五感の不調も含まれていることを知った。刺激性のある辛い食べ物を好むのもそれが理由。対して優しい味わいの甘い食べ物は久しく食べてはいなかったのだが。

「そう?なら快調の兆しが見えて来た、と言うことだね」

長年のストレスの元でもあった茅瀬が尽力を尽くさせて欲しいと言うので、最近はリハビリも兼ねて食べることにしている。銘柄はMeiji。皆も食べろ、美味しいぞ。

「少しだけどな。...今になってこうなるなんて」

「原因が少し取り除けたと言うことなんだろうね、言ってて申し訳なくなるけれど」

「茅瀬のせいじゃない、って言い切りたいんだけどな...まぁ、否定はしない」

「あはは、無力な自分に腹が立つね」

ソファで2人座りながら、板チョコを頬張る。久々に感じる甘味に露鐘の頬が緩む。それを見て頬を緩ませる茅瀬。チョコに倣って甘い空間を出せと言うわけではないのだよ。

休日と言うこともあり、のんびりとした昼時。平和と言わんばかりの2人の話題になったのは、過ごすようになった掲示板の仲間のことだった。

「怒涛だったよな...坂野のことに新しく来た狐花のこと。そんで、桜宮と石川のプロポーズ...?」

「まぁ、師走から勢いを増して時が過ぎたね。桜の人と盗人のことはまぁ、驚いたけど」

「狐花だって驚くだろ、出会って1日で付き合ったんだからさ」

「あぁ、あの銃使いと...確かに積極的な狐だったね」

緩いニットを着用して、砕いた板チョコをまた口に放り込む。癖になって来たのか消費が早い。そのことに気付いた茅瀬はふふっと笑い、それに露鐘は疑問符を浮かべる。

「凄かったよな、告白もそうだけど...その...」

「あのキスのこと?」

誤魔化して敢えて避けた言葉を放たれ、気道に入りかけて思わず咽せる露鐘。良くあるお手本のような咽せに背中を摩り、落ち着かせる。咳き込む露鐘を他所に茅瀬は考える。何しろ、露鐘が此処まで初心だったとは思わなかったのだ。


男性経験もないのかな、もしかして


そうだとしたら嬉しいと考える茅瀬の頭は、やはり想い人を思う1人の男。唯一愛する女性の1番は自分であって欲しいと言うものだろう。そして掲示板の彼らにも共通するだろう、知らんけど。

漸く落ち着いた露鐘は、驚きと多少の怒りを滲ませた目で茅瀬を見る。

「そんなに直球に言わなくてもいいだろ...!」

「ごめん、ごめんって、そこまで驚くとは思わなくて」

「いや、まぁ凄いとは思うし、初めて見たからって言うのもあるけど...」


はじめて。


脳内で反芻し、露鐘を見る茅瀬。眼に映る彼女は微かに紅潮していて恥じらいを感じているのが見て取れる。思考停止しかけてる茅瀬に追い打ちをかけるように、露鐘は話す。

「そもそも付き合った経験すらないし、あんな風なもの見ないし...最近の子は凄いなぁってしか感じてなかったというか、見てるこっちが恥ずかしいというか...」


付き合った経験がない。


さらりと吐き出された言葉に茅瀬の心臓が跳ねる。いや動いているかと聞かれれば知らないのだがそう感じたのなら動いてる。死体と言えど鮮度も機能も生前のまま。なら死体ではないのでは?とか言うツッコミは置いておいて。

「...付き合ったら、ああ言うのって、した方がいいのかな」

完食したチョコの紙屑をテーブルに置き、頬に手をつく。熱くなる頬を無視して彼女は視線をあっち行ったりこっち行ったり。けれど決して横にいる茅瀬を見ない。率直に言えば、恥ずかしいのもそうだが、欲がないわけではないのだ。

「...気になるのかい、眞尋は」

「え、あぁうん。恋人ってそう言うものなのかなって」

唇に手を当てて、呟く。それとも時代錯誤か、と疑問の声を上げる露鐘とは対照的に茅瀬は静かだ。そうして、少し経った頃。


「...してみるかい、眞尋」


酷い提案だ、と内心言ちる。欲を隠して彼女の意思に沿う形で動く自分に嫌気がさしながらも、茅瀬はその提案を取り下げるころはしなかった。だって欲するだろう?自分だけの唯一を永遠不全に自分のものにする時を。

まさかの言葉に露鐘は固まる。それはもうカチンッ…と。氷が固まるみたいに硬直した彼女は、発言の意味を理解するとぶわぁっと顔を赤くした。想像したのだろう、2組の男女がキスした様を思い返して、自分達も同じことをするのだと。

「…?、? え、あ、」

「あはは、顔真っ赤。どう、してみるかい?」

熱くなった露鐘の頬に、茅瀬のひんやりとした冷たい手が触れ、撫ぜる。欲を孕んだ目が露鐘を貫く。その目は露鐘を欲している目であり、期待を込めているのが見て取れる。見たことがあるようでないその墨色の目が、酷く熱い。

「...え、ぁ...」

「...なんて、ね。冗談だよ」

頬から手を離して、すぐにいつもの飄々とした表情に戻る。黄金比の取れた薄い笑みが、逆に露鐘の焦りを加速させる。先ほどの眼は消えて瞼に隠される。そんな事には露も気付かずに視線を逸らして茅瀬は話す。

「眞尋を怖がらせるような事をしたいわけでもないし、足を早めて追いつこうとする意味もない。だからー」


ふにっ。


ふと、茅瀬の頬に柔らかい感触が伝わる。そして、すぐに離れた。急に何のことかと目を開き、瞠目する。微かに伝う温かい熱とその柔らかさに、まさかと思い横を向く。

「ぁ、その...悪い...」

見れば先ほどよりも顔の赤くなった露鐘がいる。口元を手で押さえて隠し、動揺したのか眼鏡も落ちる。相当だ、彼女らしくない。そんな彼女の思考は未知の領域に達していた。


何で急にあんなことをした!?


大パニックである。そりゃそうだ。彼女だって意識して行ったわけではない。ただ、こんなことをしていた彼らが脳裏に浮かび、どんな感じか試しただけ。結果、自分に大ダメージが降り注いでいる。

一方、茅瀬はと言うと混乱しながら露鐘を見ていた。正確に言うならば喜びと驚きが混じってどうリアクションを取ればいいか分からないと言ったところだ。それ以前に、キスをしようとして断念したのだから無理もない。他でもない彼女からのアクションに、彼は動揺していたのだ。

「...ごめん、茅瀬、その...」

「眞尋」

謝罪の言葉を上げようとする露鐘を遮って、茅瀬は名前を呼ぶ。視線を合わせずに下を向いていた露鐘は、呼ばれた声に顔を上げた。


そこにいたのは、欲を孕んで露鐘を見る先ほどの茅瀬。


「キス、してもいいかい?」


恐る恐る聞くその声は微かに震えている。けれど絶対的な圧がそこにある。有無を言わさない低い声、見下ろす眼差し、柔和ないつもの茅瀬ではない。

露鐘も恐る恐る頷く。と言うより、半ば強制的だったのかもしれない。けれど頷いたのは自分の意思。ならば口を挟むことも野暮だろう。

ありがとう、と一言置いて再び手を頬に滑らす。その手に寄り添うように露鐘も寄りかかる。引き寄せられる腰に若干の恐怖を抱いて、茅瀬の胸板に縋る。けれど、距離は近付く。


そうして、触れた。


「っ、...」

案外、触れるだけなら普通だと露鐘は感じる。伝わる感触は柔らか。そこにあるのは人の肌。重ねられる唇の温度がじんわりと露鐘に移る。目を閉じた露鐘に茅瀬の表情は見えない。ただ、恥ずかしい。自分がどんな表情をしているだとか、彼がどんな表情で口付けをしているのか、とか。

一度離され、角度を変えて茅瀬は啄む。優しく噛まれ、露鐘は感じたこともないもどかしさを覚えた。

「ん、...っ、」

酸素を欲した口から声が漏れる。変な声を出した、とゆっくりと瞼を開くと、そこには。

「...!?」

「眞尋、口を開けて」

真剣な面持ちの、余裕のない表情の茅瀬がいた。その差数センチ。期待を込めた視線が交じって吐息がかかって変に熱くなる。

「...うん」

そう言って少し口を開けて目を瞑る。何も変な事はされないだろう、と露鐘は思案する。委ねれば何か起こるが、相当な事にはならない、と。

頬に添えられた手が後頭部へ回ったその瞬間、何かざらっとしたものがねじ込まれた。

「!?、っ、んぅ...!」

そのままソファの腕へ倒れる。押し倒されて組み敷かれた状態で、茅瀬は露鐘の口内を蹂躙する。手始めに舌を絡めて、その次に搾って。ぴちゃ、と鳴る水温が頭の中で反芻し、露鐘の思考が音に掻き消される。

「ぅ、ん、...っ、」

「は、...っ、眞尋...」

短い呼吸の中で呼ばれる名前に、目を開く。露鐘の目に映るのは、舌舐めずりをしている茅瀬。捕食者の目をして欲を孕んだ、ただの男がそこにいる。

「...甘いな」

発せられた低音が耳に残る。染み付いて取れないその声に、露鐘は密かに恐れ、期待する。その様子に気付くこともなく、この味が先程のチョコだと茅瀬は考えた。


あぁ、甘い、甘い。...もう少し


「続けるよ、...いいね?」

そう告げた茅瀬の顔は、妖艶さと美しさがあり、露鐘は目が離せない。

硬直した露鐘は返事をする間もなく、再び舌が侵入する。余裕がない。けれどそれは互いにそうだった。

絡めた舌や口内から唾液が出て、1滴も逃さないと言わんばかりに茅瀬が搾る。唾液を飲み込んだ茅瀬の喉がごくりと呼応する。誇張された喉仏が酷く色っぽい。

されるがままの露鐘は腕に力を入れて押し返さんとするが、効果がない。力が入らないのだ。

歯並びをゆっくりとなぞって、ゆっくりと口の中を荒らす。何度も何度も角度を変えて、口吸いをする。思考も溶けてふわふわとした意識だけが露鐘に残る。

最後、口が離れると同時に糸が引かれる。それすらも茅瀬が飲み込んで、終いにリップ音が鳴らされた。

「...っ、はぁ、眞尋、大丈夫かい?」

その目に心配の色を浮かべた茅瀬が、目の前にいる。けれど同時に、まだその目は熱を帯びている。きっと、見ることがないはずだった、ただの茅瀬遥。

「...だいじょぶ、じゃない...」

肩で息をして、ゆっくりと深呼吸をする。押し倒しの状態から馬乗りされているような姿勢に変わり、茅瀬に見下ろされる。その眼光を見て、収まらない疼きと心臓の跳ねが酷く煩い。

「...ごめん、辛かったろう?息は辛くない?」

「...うん、へいき」

なら良かった、と微笑む茅瀬の表情に、ようやく露鐘は一息をついた。起き上がってペタン、と座ると髪を撫ぜられた。休みを取り始めた露鐘の髪は、傷まなくなっている。

「それならいいけど、余計に疲れさせちゃったと思うし、ココアでも淹れてくるよ。」

そう言ってリビングから離れた茅瀬を見送る。そうして、数秒経って。

お手本のように露鐘の顔から湯気が出た。ぷしゅ〜と顔から火が出るかの如く、赤く紅潮した頬が存在感を出す。

「...まだ、うるさい」

心臓に手を当てて、ニットをギュッと握る。まだ、深いキスをしたことへの衝撃や茅瀬の唇の柔らかさが離れてくれない。

当分は、離れられない。


「...うぁ...ちせのばか」


唸って唸って、下を向く。

数秒後、ココアを持ってきた茅瀬が酷く心配するのは目に見えている。けれど、露鐘は収まらない。


腹の疼きも、胸の奥からくる痛みも、何も収まらなかった。


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