[その他]は目を逸らす

[その他]は目を逸らす


 主役は俺だと思いながらずっと生きてきた。

 昔から、なんでも人より上手くできた。やればできたし、成果を出すのは簡単だ。一番になるのだって少し頑張ればすぐにできた。この世界の主役は俺で、他の奴らは俺を引き立てるためのモブだと、覚える必要もないその他大勢だと信じて疑わなかった。

 

 そいつを見たとき、背が高いな、と思った。それだけだ。主席入学とは聞いていたが、今年は随分レベルが低いんだなと思ったきりだった。すぐに忘れた。

 春の公演。必ず新入生が主役を演じる舞台で、主役に選ばれたのはそいつだった。主役をやるような顔か? とは思ったし、上級生はほとんどがそういったが、自分も通った道だ。今年の新入生の中で選ぶんならそういうこともあるだろう。なによりその長身は目立つし、あり得ないことではなかった。

 それから数週間が経った。何人か辞めた。

 訪れた本番、ひどく、不気味な生き物を見た。死の象徴がたち、地獄へ引きずり込むように思えた。たった一目で軍勢を死に至らしめたバロールのように、それを見た凡てが死にも似た恐怖を味わった。それでいて、感動もしていた。間違いなく、心を掴まれていた。本来それが持つような温かみなどかけらも存在していなかったにも拘らず、そうとしか言い様がなかった。

 俺は、ただ衝撃に立ち尽くしていた。言葉にすることのできない衝動が胸の中で暴れていた。言葉にしてしまえば消えてしまいそうだったことが一つと、この疼きにつけるような名前を持ち合わせていなかったことが一つだった。

 ただ、この段階でも俺はそいつを侮っていた。次の公演でそいつが主役をとったとき、純粋に疑問しか浮かばなかったからだ。そこは、俺の立ち位置だったはずだろう? それなのに、なぜお前が立っている?

 憤りはあったが、直接ぶつけるほどの子どもでもないつもりだった。与えられた役に打ち込んだ。怒りをエネルギーに変えたように、いつもより体は動いた。ように、ではなく実際にそうだったんだろう。苛烈すぎると、さりげない修正が入った。恥じ入った。

 稽古のようすは見えていた。場所が同じなのだから当然か。無視しようにもいつでも視界の端をかすめて、邪魔でしかたなかった。

 また、辞めるやつがいた。そのたびに細部が変わっていった。

 そいつを見るたびに背筋を伝うものの正体がわからなかった。

 本番、間近で見たそいつは、死神というよりも、死そのものに見えた。わからなくて、恐ろしくて、おどろおどろしくて、目を逸らしてしまいたくて、けれども見ないではいられなくて。ヒトに必ず待ち受ける死を無理やりに見させられたかのようで空気が凍り付いた。肺の中の空気すらも凍ったかのように誰も、何も言葉を発することはできなかった。誰もが震えて、魅入られて、ただただあいつの姿を目に焼き付けた。

 俺は。そこでようやく、あいつのことを恐怖した。その存在の強大さに吐きそうになった。心を折られたという自覚はあった。粉々に砕かれて地面にばらまかれた。再起不能で、立ち上がるなんてできなかった。たかだか15の少年と、多少顔がいいだけでそれだけだと、侮っていた。それが恐れの裏返しであったと、ついぞ自分は気づかなかった。合同練習で、いいや初めて見たときから、一貫して印象は不気味だった。可動域が人間のそれとは思えず、人間に近すぎるロボットに抱く嫌悪感にも似たそれを自覚しなかった。初めてまみえたとき、ぼんやりとして見えたのは俺が見ていなかっただけのことだった。それが持つ圧に気がついていなかっただけだった。見る目がないと言ったのは誰だったか、確かに俺は節穴だった。これほどにわかりやすい脅威を見過ごすことができたのだから。

 

 

 それから、二度、公演があった。

 公演の終わった夜だった。稽古場に灯りがついていた。

 消し忘れ、はありえない。朝見に来たときには消えていた。つまり、誰かがいるということだ。好奇心と恐怖が同居した心情で、俺は中に入る。

 あいつが、柊梢が、いた。

 思ったより大きな音を立ててしまったから気づいてはいるだろうに、目もくれず稽古に打ち込んでいる。

 思考が、とまった。目の前の光景を拒絶していた。

 終わったばかりなのに、なぜ? 普通、今日くらい休んで明日からまた頑張ろうってのがセオリーだろ?

 理解ができない。受け入れられない。アレは、どう考えたって普通じゃない。俺たちと同じ生き物ではない。なんで、お前は。なあ、なぜ、お前は歩みを止めない? なぜ、孤独と知って突き進む? なぜ、周りを顧みないんだ。俺たちを見ないんだ。お前のせいで大勢が辞めただろ。なにも思わないのか? 価値はないと切り捨てるのか? どうでもいいと無視を続けるのか? だから常に一人なんだろ?

 

 やめて。

 やめてくれ。

 もう、やめてくれよ。

 俺の視界に入らないでくれ。

 天才なら天才らしく油断して驕ってくれよ。

 逆立ちしたってかなわないとわかっているから、努力を見せつけないでくれ。

 じゃないと、俺が壊れる。折れて砕けてすりつぶされて、そうして残った俺すら消えてしまうから。

 俺が主役ではないと散々に理解させられたから、もういいだろ。身の程を知ったから。よくわかったから。

 だから、もう。やめてくれ。

 

 

 逃げるようにしてその場を後にした。雪の中に倒れこみ、腕で目を覆う。このまま雪に埋もれて、春になって共に溶けてしまえばいいと思った。




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