なきごえふたつ、あわせて心臓の音

なきごえふたつ、あわせて心臓の音


航海は順調だ。

ナミが言った通りこの数日は空も海も荒れる事なく、実にのんびりとした日々。

海賊や海軍に追われることも無いのは少々退屈なくらいで暇を持て余すくらいだ。

そんな中でも騒がしい食事時、手に持っていたフォークを置いたローから気まずそうな声が上がった。

「…悪い黒足屋、もう食えねえ」

「はぁ!?まだ全然食ってねえじゃねえか!」

ほぼ手つかずのまま残された皿にサンジが眉を跳ね上げる。

味付けが悪いわけではない。

同じような味付けの食事を何度か提供しているが黙々と食べていたし何ならおかわりまでしていた筈だ。

「そうだぞトラ男、ナミ達だってもっと食うぜ!?」

「一言余計よ!でも確かに食べる量減ったわよね、体調良くないの?」

「いや……熱もだるさもない、単に食欲がないだけだ」

「それは良くないぞ!俺診ようか?」

心配そうなチョッパーにいつものように帽子で顔を隠そうとして被っていない事に気付き、誤魔化す様に視線を逸らす。

「原因は判っている。気持ちだけで大丈夫だトニー屋」

「そ、それならいいけど…おかしいと思ったらすぐ言ってくれよ?」

「ああ。作ってもらったのに残すのは心苦しいが」

「そっちは気にするな、ルフィが食う」

言うが早いか横から伸びてきた手がローの前の皿を奪っていく。

「もっふぁいねえなぁ~こんなふぃうはいのひ」

「喰いながら喋んじゃねえ!」

頬を倍以上に膨らませながら食べるルフィにサンジが怒り、それに笑いながら纏めて飲み込む。

よく喉に詰まらないなとは今更か。

「他船に乗ってる緊張とかもあるんじゃない?明後日には合流予定なんだからしっかりそっちのクルーに癒されなさい」

「あ…もしかしてもふもふが恋しかったりするのか?撫でるか?」

「お前ら俺を何だと思ってるんだ」

けしてクルーに癒されたいわけでもベポのもふもふが恋しいわけでもない。

いやそれも少しあるかもしれないが、それが原因で無い事はわかっている。

そして少なくともルフィとサンジは原因に心当たりがあるし、ゾロも気づいている節がある。

数日前に急遽出航する事になった島でローが見たという海兵、ヴェルゴの事だ。

彼が海賊であり海軍へのスパイである事は共有されている。

ローとの因縁は約束通り口を噤んだが、皆聡い。

同行していたサンジはその顔色を見ているしゾロは鬼徹を通じて何かを感じ取ったようだが、他の面々も薄らと何かがあったとは気づいている。

それを証明するかのように仮眠から覚めた後からローは少しずつ食欲を落とし、とうとう一品すら食べきれなくなったのが今だ。

「御馳走様。この分だと昼はいらねえ」

「ああ?んな事許すと思ってんのか」

「そうは言ってもこの状態で食ったら吐く。俺の事は俺が一番判ってるんだ」

互いに真剣な顔で睨み合うのを遮ったのはゾロから放たれた一言だった。

「おいトラ男、手合わせしろ」

「は?」

唐突な申し出に間の抜けた声が出た。

「ここの所海賊にも海軍にも会ってねえ。トレーニングだけじゃ訛る。身体を動かせば腹も減る。これで解決だろ」

「…確かに動いてないからってのもあるかもしれねえが、お前らがやるなら甲板じゃ拙いだろ」

「今日補給で泊まるだろ。陸に着いたらでいい」

「昼前には着くわよ。そこから夕方まで整備と買い出しするからその間で済むなら大丈夫ね」

ぽんぽんと決まっていく手合わせにローが慌てる。

ゾロとの手合わせなら組手ではなく刀の、それもあちらも妖刀である鬼徹を使ってのものになる。

だが今の鬼哭は何故か数日前から殺気立ち、それを収めるのに四六時中抱えている状態なのだ。

こんな状態で妖刀同士がぶつかれば何が起きるか判ったものでは無いと断ろうとして。

「おい、誰もやるとは」

「なんだトラ男、負けるのが怖いのか?」

「ああ゛?言ってくれるじゃねえかゾロ屋。いいだろう、ボロ負けさせてやる」

売り言葉に買い言葉とばかりに決まってしまったのだった。

どこかで爆笑と号泣が聞こえた気がした。


そんなわけで。

見事ゾロの思惑に乗った結果が上陸して見つけた手ごろな空き地で向かい合う今の状況である。

「ゾロ~!負けんな~!」

「ロー、負けたら昼飯が梅干しサンドになるからな~」

「待て聞いてねえぞなんだその嫌がらせは!」

「負けなきゃいいんだろ、おら構えろ」

野次馬にルフィとサンジを迎え、ずっと抱きしめるように抱えていた鬼哭を窺う。

だいぶ収まってきてはいるがやはり落ち着きがない。試しに鞘を体から放せば咎める様な気配が肌を刺す。

「敵じゃねえからな、手合わせだぞ」

そう言い聞かせるように鍔に頬を寄せれば僅かに和らぎ、仕方ないとばかりに大人しくなる。

これなら大丈夫だろうか、と柄に手を掛けてみればいつも通りの感触に安堵の息を吐いた。

「待たせて悪いな」

「気にすんな」

対するゾロは既に抜刀出来る体勢を整えている。やはり選んだのは鬼徹一本。

能力の禁止という制限を受けたローも半身に構え、深く息を吸う。

映るのは互いの姿のみ。

踏み込んだのは同時、抜きかけの鬼哭と振り抜いた鬼徹がぶつかり甲高い音を立てる。

そのまま残った刀身を抜くように滑らせて鬼徹を弾き、鞘を投げ捨てその長さを生かした突きでゾロを襲う。

それを縦に構えた刃で受け流し、脇腹を数ミリ外して空を貫いた鬼哭を外に弾き距離を詰める。

大きく弾かれた刃を戻さず、その勢いを利用して体を反転させたローが上段からの刃を下から掬い上げるように受け、がら空きになった腹を蹴り飛ばす。だがその程度で倒れてくれる程この男は弱くはない。

たたらを踏んですぐさま飛び掛かり、間隔を開けないように連撃を繰り出してくるのにローは防戦に徹するしかなくなる。これが普通の戦いなら能力を使って逃げる事も出来るが今は使えない。

ならばと横薙ぎの一撃を大きく膝を曲げて潜り、目を瞠ったゾロの喉元目掛けて鋭い突きを見舞う。

首の真横を掠めた切っ先を返し、峰と唾で喉を打つように振るえばその隙間に鬼徹が差し込まれ防がれる。

鍔を押しのけられたのを肘を曲げて流したローが後ろに飛べば逃がさないとばかりにゾロも踏み込んでくる。

地に着いた足に力を込め、次の一歩は後ろではなく前へ。ゾロへ向かって飛び込めば隻眼が見開かれた。

振るわれた刃を受け止め、弾くのと同時に足払いをかければ勢いのままに倒れかけた体を片手で支えて鬼哭を蹴り上げる。じんとした痺れにローの顔が歪み、追撃への対応が遅れた。

飛び跳ねるように体を起こしたゾロが振るった鬼徹の峰がローの胴を打ち据え、倒れたその痩躯を跨ぎ鬼哭を握る手首を掴む。

仕上げに目の前に置かれた鬼徹の切っ先に、負けを認めるしかなくなったローがゾロを睨む。

「けほ、クソ……っ参った」

その言葉にゾロが嗤い、切っ先をどけて引っ張り起こす。

「残念だったな、今日の昼は梅干しサンドだ」

「食わねえぞ」

鈍痛を訴える腹を撫で、味を想像してしまって口をへの字にするローの後ろから騒がしい足音が聞こえてきた。

「ゾロー!トラ男ー!」

「少しは腹ごなしになったかー?」

勝負がついたと判断したのか二人が近づいてくる。サンジの手元のバスケットは件の梅干しサンド入りだろうか。

げんなりすると同時に鬼哭が暴走する事が無かった事に息をついた。

投げ捨てた鞘を拾い、収めようと持ち上げた刀身に映ったものに叫ぶ。

「麦わら屋!右!」

「ゴムゴムの風船っ!」

ローの忠告と同時に大きく膨らんだルフィの腹に数発の銃弾が吸い込まれ、そのまま跳ね返される。

「ぐあっ!」

「ぎゃっ!」

茂みの中から複数の悲鳴が上がり、そして十数人程の武装した男達が姿を現す。

「なんだこいつら、海賊か?」

「もしくは山賊か。ここを縄張りにしている奴らだろう」

そう言って舌うちする。ここで暴れて海軍を呼ばれれば他の島からの援軍を呼ばれるかもしれない。

「つまり全員倒せばいいって事だろ」

「ほっとくとうちにも手を出してきそうだしな」

そう言って戦闘態勢に入るルフィとサンジを見て男達が騒めく。

「ひ、怯むな!こいつら捕まえりゃ懸賞金がっぽりだぞ!」

「その前にお前らの治療費で赤字だと思うがね」

「うるせえ!」

顔を真っ赤にして叫ぶ賊は全員腰が引けている。

それに疑問を抱いたのはローだけではなかったらしく、ゾロが一歩前に出る。

「おいてめえら、誰に頼まれた?」

「な、なんのことだ!」

「誤魔化すの下手かよ」

目があちこち動き、ガタガタと震える姿は脅されて言いなりになっているだろうという確信をくれた。

問題はその脅した相手が誰かと言う事だが、麦わらの一味に喧嘩を吹っ掛ける相手となると見当もつかない。

余りにも候補が多すぎて。

ちなみにローを狙ったという事であっても候補が多すぎるのは変わらない。

「吐かせるか?」

「心臓抜けば吐くだろ。もしくはブツを捥げばいい」

「てめぇ悪魔かよ!?」

目を剥いて悲鳴を上げる相手だが、そもそも仕掛けてきたのはあちらだ。

「すぐに吐くならわざわざ抜く必要も捥ぐ必要もないんだ、嫌ならとっとと吐け」

負けて機嫌が悪いのだ。鞘に収めた鬼哭を再び抱き込み睨みつければ震えあがるばかりの男共に舌打ちが漏れる。

「埒があかないな。いっそ海に落としてやるか…」

「待て言う!言うから待ってくれ!この辺りの海は岸近くまで海王類が寄ってくるんだ!」

「初めからそうしろ」

僅かに滲み出る覇王色の覇気をぶつけられては難しいだろう。意識してやっているわけではないので理由もわからず怯えられているように見え、苛ついて更に覇気が強くなり…のループが出来上がっている。

「機嫌悪ぃなトラ男」

「マリモに負けたから気が立ってるんだろ」

「梅干しサンドの悍ましさにキレてるんだろ」

「聞こえてるぞてめえら」

鋭い視線と共に覇気も向けられるが本気で無い事がわかっている三人は平然と受け止め、それに対してローが再び舌を鳴らす。

「お、俺たちにお前らを襲えって指示を出したのは【ジョーカー】だ!」

「あ゛?」

先程までより数段低くなった声が零れ、それに呼応するように覇気が強まる。

「ひぃ!?本物かは知らねえっ!ジョーカーと名乗る金髪の男がそう言ったんだ!」

ローは知っている。

ジョーカーはドフラミンゴの事だ。

だが彼が何故麦わらの一味を狙うのかが判らない。

鬼哭から滲む殺気が高まったのを感じてぐっと抱き込む力を強める。

「…なんて言ってた」

「お前らを襲え、倒せば褒美をくれてやるがくれぐれも……俺の大事な『コラソン』には手を出すなと」

そこまでが限界だった。

どうにか抑えていた鬼哭が吼えた。鋭く重い獣の咆哮が襲ってきた男達を残らず昏倒させ、本体を抱えるローが威圧に耐え切れず膝をつく。その余波を喰らったルフィたちも体を竦ませるが、それはすぐにローへと駆け寄れる程度の衝撃で済んだ。

「トラ男!」

「っ、ざけんな……っにが……っだれが、てめぇの…っっ!」

「ロー!」

肩を掴むルフィにも、力を込めすぎた腕に触れるサンジにも意識を向けず。きつく目を瞑り、鬼哭を掻き抱きながら血を吐くような声で叫ぶ。

「てめぇの『コラソン』は……コラさんはっ!てめぇが……っ!!」

泣き叫ぶような声に鬼哭が応えるように鳴く。

吹き荒れる様な激情をどうにか閉じようと必死に息を整えているローの背に霞むような熱が触れた。

落ち着くまで数分程だっただろうか。

じわじわと放たれる覇気が弱まり、元の静かな空気が戻ってくるのを肌で感じた三人が改めてローの様子を伺う。

歯を食い縛り、その間から漏れる荒い息がようやく整ってきている。

「……悪いな、麦わら屋、黒足屋、ゾロ屋」

俯いたまま、静かな声が落ちた。

「落ち着いたか」

「なんとかな」

ふらつきながらも立ち上がり、死屍累々となった周りを見回す。

「こいつらの仲間がお前らの船に行ってる可能性がある。ロボ屋と骨屋がいるなら平気だろうがすぐ戻ってやれ」

「わかった、トラ男は」

「俺はこいつらを叩き起こして情報の出所を聞きだす。場合によっちゃうちの船に連絡を取ってもらう事になるがいいか?」

「それは構わねえが…おいクソマリモ、お前ローについてろ」

サンジの提案にゾロが眉をあげるが確かにまた鬼哭が暴走した時は同じ妖刀持ちがいたほうが対処しやすいだろうと頷く。

「決まりだな、ROOM」

そのまま広がった青い膜に包まれ、ルフィとサンジが空の酒瓶二本に代わった。

「……悪いなゾロ屋。本当ならお前も送りたいが今の俺だと鬼哭に対処出来ない」

素直にそう言うローに鬼徹が唸る。

それは未熟な使い手にか、自身を制御しきれない妖刀に対してかはわからないが当の鬼哭は随分と大人しい。

先程までの咆哮が嘘のように凪いだ気配に違和感はあるが大人しくしているならこれ以上ローに負担はかからないだろう。

黙り込んだローになんと声をかけるべきか判らず沈黙が落ちる。

先程の事に軽々しく踏み込むのはよくないだろうというのはゾロにもわかる。

そして先日聞いたルフィの言葉もようやく実感できた。

『バカやってるときの目の方が好きだ』

『あんな顔させた奴、すっげえ腹立つ』

まったくだと逸らされたままの後ろ姿を見ながら思う。

あんな思いつめた、ともすればあっさり死にに行きそうな顔は見ている方が気が滅入る。

ゾロもそうだが一味全員が頷くだろう。

「おい、トラ男」

「なんだ、ゾロ屋」

振り返った顔に涙の跡はない。

いつもの澄ました顔に戻ったローが呼びかけた癖に黙り込んだゾロに怪訝な表情を向ける。

「お前、ルフィにバカな方がいいって言われてたぞ」

「あ゛あ゛!?」

目尻を吊り上げて怒りを露わにしたローにゾロが笑った。

「(確かに、こっちの方がいい)」

どういう事だ何で俺があいつにバカ扱いされてるんだおいゾロ屋、と矢継ぎ早に詰め寄るのを躱し、賊を縛る手伝いを始める。

この後ルフィが散々追及されるだろうが、実際言った事なので嘘はついていない。

火に油となって喧嘩でもすればいい。

そうしてあの慟哭を塗り潰して今のような顔に変えてやればいい。

あの船長にはそれが出来るという事をゾロは知っているのだ。


心臓が鳴く。

お前のものではないと。

ハートが泣く。

お前が殺したのだと。

獣が哭く。

お前にもう奪われないと。


鬼が嗤う。

お前は俺の心臓だと。

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