すれ違い

すれ違い


血と暴力と嘲笑渦巻くモックタウンにおいても、ここトロピカルホテルは喧噪から遠い。

穏やかな波が桟橋を撫で、優しい潮風が蒸し暑さを和らげてくれる。

数日前までは、海賊の島に似つかわしくなく、キューカ島のような怠惰な高級感に満たされていたのだが。


「クソッタレが!!斬っても斬っても斬りたりねェ‥‥!!」

「いいかげん落ち着きなよサーキース、あんたジャヤの海賊を丸ごと狩り尽くす気??」

「それでも構わねェ!!おれたちをナメる海賊なんて、全部血祭りにあげてやる!!」


時報のようにベラミー海賊団の怒号と罵声が飛び交い、レストランの床には割れた酒瓶と高級酒の残り香が、ゴミのようにブチ撒けられている。カジュアルファッションで決めた船員たちの姿は見る影もなく、赤ら顔で着崩れたまま酔いつぶれている。

皮肉なことに、その様相はモックタウンの酒場にいるゴロツキ共となんら変わりない。

加速度的に自制心と威厳を失っていくベラミー海賊団を、モネは冷徹怜悧に観察していた。


(潮時かしらね)


熱気と怒号が飛び交うレストランと違い、彼女が居るコテージは雪夜のような静寂さと涼しさが漂っている。

数か月ほど監査を続けていたが、さすがにもう看過できない。

年が近い後輩だと思って大目にみていただが、若とファミリーのため、モネはもう限界だろうと判断せざるをえなかった。

サウスバードも記された鳥類図鑑を閉じ、報告書の書き上げのために筆をとる。


ぷるぷるぷるぷる、ぷるぷるぷるぷる


(あら、思い立ったが何とやらね)


タイミングよく、電伝虫が鳴き声をあげる。電伝虫が擬態した自らがよく知る顔をみて、モネは顔を綻ばせた。


『久しいな、モネ。休暇は存分に楽しんでるか?』

「つまらないことが9割、面白いことが1割ね。早く"新世界"に戻りたいわ」

『我慢してくれ、これもお前にしか頼めない仕事なんでな』

「その言葉だけで報われる気分‥‥ホントよ、嘘じゃない。ねえ若、今日はどんな用事?」

『なに、ちょっとした暇つぶしみたいなモンさ。"麦わらのルフィ"とかいう、ルーキーを知ってるか?』

「待って若、今"麦わら"って?」

『ああ、前に伝えただろう?おれが疑う、ワニ野郎を倒した容疑者の一人さ』

「前言撤回。面白いことが5割に増えたわ」

『ほう?』


ドフラミンゴの側の電伝虫も、モネの表情にあわせて目まぐるしく様相を変える。

有能な秘書が興味深そうな笑顔になってるのを想像し、ドフラミンゴも唇を歪める。


「そのルーキー、空島に行っちゃったの、たぶんね。このあたりをナワバリにしてる海賊と協力してね」

『空島か‥‥かなり面倒なところへ"記録(ログ)"を奪われちまったようだな。だが、そのぶんだと確定だと思っていいだろう』

「ええ。クロコダイルを討伐したのは、間違いなく"麦わらのルフィ"ね」


特段大きな理由もなく懸賞金が大幅増額され、なおかつ現在アラバスタの周辺海域にいる海賊。

もし当たればという気持ちで、ドフラミンゴもアテにしすぎてはいなかったのだが。

秘書からの報告で確信に至った。

ルーキーらしく勢いのままに駆け上がるのみならず、稀少物資を盗るために空島へ行くような海賊。

であれば、七武海へ抗争を仕掛けるというのも納得せざるをえない。


『感謝する、モネ。ジャヤ行きはせいぜいお前の回収とヒマつぶし程度だったが、いい物見遊山になりそうだ』

「そうであればいいんだけどね」

『なにか懸念事項でもあるのか?』

「もう半分、楽しくないことも"麦わら"が原因なの。しかもベラミーが関わってる」


電伝虫が笑顔のまま固まり、緊張と呆れを示すように「フゥー‥‥」とため息を零す。


『あのガキ、なにをしでかした?』

「"麦わら"に負けたのよ、二回も」

『‥‥フッフッフッ』

「一回目は記録指針の故障と空島の不存在を主張して、相手にされなかった。二回目は、フツーに叩きのめされたわ」

『フッフッフッ‥‥!!』


歯をくいしばり、血管を浮き立つかのような表情を真似て、電伝虫が怒気を滲ませる。


(やっぱりこうなるわよね)


自分向けられたものではないし、そもそも本人の顔ではないのだが。

モネは背中に、蒸し暑さとは別の汗が伝うのを感じる。


『モネ、おれの言葉をそのまま、あのクソガキに伝えろ。"これ以上余計なことをせず、その島に引きこもってろ"とな‥‥!!』

「おおせのままに、若」


ガヂャリッ!!


乱暴に受話器をぶつけた音が鳴り、モネは顔をしかめた。今度は彼女が、安堵のため息を吐く番だった。


(リキュールでも呑もうかしら)


悪い報告をするというのは、いつでも心にクる。己がストレスに晒されようが、叱責されようが、問題解決のためにはありのままを話すしかない。

それが秘書の仕事であり、責務。

わかっていても、呑まずにはいられない日の一つや二つくらいあるのは、ベラミー達もモネも変わらなかった。

ただ、決定的に違うのは。


「ちょっと、秘書女」

「‥‥なにかしら、邪魔だからどいてくれない?」


立場が、埋めようのない差があった。

コテージを出ようとするモネに、リリーというベラミーの配下が立ち塞がる。

互いに、不機嫌の中の不機嫌が爆発寸前だった。

瓶底眼鏡とサングラスの奥底で、敵意に眼が歪む。


「聞いてたわよ、大ボスへの報告」

「行儀が悪いわね。気取ったフリをやめた影響かしら?"新時代"はどうしたの??」

「話逸らしてんじゃないわよ!!あたしらが、ベラミーが2回も負けた?!アンタ頭腐ってんの?!」

「……」


リリーは酒臭い唾を飛ばし、殺しかねないほどの勢いでくってかかる。

モネは、微動だにせずリリーの罵詈雑言を受け止めていた。


「二回目はしょうがないけれど、一回目はあの小汚いガキが一方的にやられてただけでしょ?!実際にみてもないくせに、一体どんな理解力してたら、ぞんッ?!」

「その言葉、そっくりそのまま、あなたに返すわ」


我慢の限界を超えたモネの手が、リリーの首を掴んだ。

否、絞めた。


「ごのッ、クゾアマ!!」


バンッ


攻撃と抗争を悟ったリリーが、激昂して銃を引きぬきモネの頭を撃ちぬくが。


ぼすっ


マヌケな不発音が響くのみだった。

銃弾が当たった場所が、雪と化して弾をすり抜けさせていく。


「の゛う゛、りょぐじゃっ‥‥?!」

「百歩譲って、空島の存在を嗤うまではいいわ。あなた達、"実際に見たことない"ものね?私だって、まだ行ったことないし」

「やめ゛、や゛べどっ」

「でも、"記録指針"の故障なんて戯言まで口にしたのは、もう許すとか許さないとか、そういう次元じゃないの」

「やべで、やべでぐだざい」


さきほどまで酒と怒りで赤くなっていたリリーの顔が、青白く冷たくなっていく。

化粧が残っていた唇はカサカサに乾き、低温火傷で掌型に燃えていく首と対照的に、血管が見える場所は、ありとあらゆる場所が紫色に変色していく。

仲間たちのただならぬ様子に、リリーと同じベラミーの配下も血相を変えたが、「やめてくれ!」「これ以上は死んじまうよ?!」と喚くのみで、何もしなかった。

意気地なしの彼らにもブチ撒けるかのように、モネは叫ぶ。


「ホテルに戻ってきたあなたたちの馬鹿騒ぎを聞いて、私がどれほど恥ずかしかったかわかる?!若のマークを借りた海賊が!!船乗りの常識すら知らない馬鹿だと吹いて回って!!挙句の果てに喧嘩まで売りに行って返り討ち!!」


「"麦わら"がやらなきゃ、私があなたたちにケジメつけてたわ!!!!」


雪の肌を怒りで染め、激昂する。

酒場でマスターからコトの次第を聴取調査したときに、モネは「書類仕事を優先しなければ」と心底後悔した。

せめて一回目に"負けた"ときに随伴していれば、一回目の恥をその場で雪いで、二回目の恥を晒すこともなかったろうに、と。


「だ‥‥ず‥‥」


極寒に歯を震わせる余裕すらなくなり、リリーの意識が墜ちかけ、モネは手を離して桟橋に捨てた。

慈悲からではない。

殺せば、さすがの腰抜け共も躍起になって殺そうとしてくるだろう。

殺し合いになってしまえば、若の「"これ以上余計なことをせず、その島に引きこもってろ"」という命令を遂行させることができない。


「拾ってもいいわよ。とっととフロにでもブチ込んで、バスローブでも着せときなさい」


仲間を拾おうとするベラミー海賊団たちをすり抜けて──否、勝手に作ってくれた道をすり抜けて。

モネは、悠々とレストランフロアへと足を踏み入れる。


「支配人、一番いいお酒をちょうだい。あとリキュールも」

「い、いちばんのお酒ですか?」フェイントフェイント

「し、しかし、最高級品はベラミー様がキープしておりましてっ」フェイントフェイント

「なら、今すぐベラミーにお伺いを立ててきなさい、『ドフラミンゴファミリー幹部にあなたの酒を要求されたが、断った』ってね」

「畏まりましたっ!今すぐ持ってまいりますゥゥゥ!!」フェイントフェイント


瓶底眼鏡の奥に潜む氷眼に怯えすくみ、支配人は珍妙な動きでワインセラーへと駆け抜けていく。


「はァ‥‥"楽園"への出張なのに、まったく楽しくない」


一山いくらかのジーンズにタンクトップ姿、野暮ったい眼鏡を額にかけてダラけるモネのさまは、ベラミー達のように洗練されてもいなければ金稼ぎに誇りをもっているわけでもない。

しかし、モネはこの場にいる誰よりも、海賊らしかった。


「早く"新世界"に帰りたいわ」


暴力と策謀でもって、"ひとつなぎの大秘宝"を目指しているのだから。

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