しろいゆめ の 話
うつくしい しろいゆめを みている。
真白なシーツの海から起き上がり、白い天井から白い床へと視線が移る。
いつもの夢だ。
白い街の記憶を映し出す優しい夢。
そこに住んでいた頃の年齢に相応しい視界の低さにももう慣れた。
白い扉を開けばそこだけ色付いた人々に迎えられる。
『おはよう、ロー』
『おにいさまおはよう!』
『邪魔してるぜ、ロー!』
「……おはよう、母様、父様、ラミ」
ローの家族と、家族同然の人。
立派な口髭を蓄えて、いつも被っている帽子を脱いでくつろぐ男にローの頬が綻ぶ。
「ロジャーおじ様っ」
その逞しい胸に飛び込めば軽々と抱え上げられる。
きっと成長した後にやったとしても同じように抱えられてしまうだろうなと思うと男としては悔しいが。
『おっと、今日は朝から元気だな?よし、じゃあこの前言ってた必殺技の練習にでも』
『ロジャーさん?』
意気揚々とした提案は笑顔の母様に遮られる。
いつもの優しい笑みだが向けられたロジャーは口端をひくつかせている。
その裏に隠された言葉を正確に読み取ったらしい。
『冗談だ冗談!今日はラミと子供たちと一緒に遊ぶって話だったもんな!』
「おじ様、相変わらず母様に弱いね」
『覚えとけロー、大抵の男は美人に弱い』
『おいおい、夫の前で妻に言い寄る気かロジャー?』
苦笑をこぼす父に惚気なら後でなと手を振り、用意された食事に席に降ろされる。
『もう、また毒キノコ持って帰ってきたりしないでくださいね貴方?』
『悪かったと思ってるよ』
「母様、ラミがもう待てないみたいだ」
席に座ったままじっと目の前の料理に釘付けのラミを見て大人たちが揃って顔を見合わせ、笑いながら席につく。
『ごめんなさいねラミ、食べましょう』
『はーい』
一家の団らん風景だ。
真白なカーテンが揺れ、真白なテーブルとイスに人だけが色付いた世界。
目の前に置かれた料理はただの白い塊だ。
それはローの中にはもうその記憶が無いから。
家族や街並みは覚えているのに、細かな部分は消えて行く。
歳を経る度に世界は白く染まっていく。
数年前までは確か美味しそうな料理が並び、その香りまで覚えていたのに。
「いただきます」
真白なフォークで刺して口に運んだ白い何かは、噛むと砂のような味がした。
「キャプテンまだ起きてこないの?そんなに飲んだ?」
「昨日俺らの方が先に潰れただろ?さっき向こうのコックに聞いたら普通にコーヒー飲んでたって聞いたけど」
「何で宴でコーヒー!?」
「そりゃ全員潰れる訳にはいかないからでしょ」
二日酔いで死屍累々としたハートの海賊団はかのコックのご厚意を受けて酔い覚ましを貰っているため、その半数が必要なチェックを進めている。未だ伏しているのは交代まで時間のある者だけだ。
「でもそれならそろそろ起きて来てもいい頃だけど…ベポ、ちょっと見てきてくれるか?」
「アイアイ!寝てたら起こす?」
「まだログも溜まらないし、様子見て眠そうなら寝かせといてくれ」
わかった、と船長室へと向かうベポを見送ってもう一杯酔い覚ましを飲む。
普通に美味いので後でレシピを聞こうと誓った。
「キャプテン~?」
扉を軽く叩く。
返事はない。
そっとノブを捻り、部屋内を覗くとベッドで寝ている事を確認して安堵する。
うっかり机に向かったまま寝てたり床に落ちていたりする事も少なくない為、まずベッドで寝ているなら昨日は酔ったりしてはいないようだ。
足音を殺してベッドに近寄り、顔を覗き込めばいつも寄っている眉間の皺が無い分幼い寝顔が見える。
「うーん…」
これは寝かせておいた方がいいかなぁ、と判断する。
最近は前より酷くはないがそれでも寝不足気味で目の下の隈が取れない。
海流の関係で恐らく明日いっぱいまでこの島に滞在する事になると話し合った為、それなら今日一日は休ませてあげたい。
身動ぎ一つしないローを見ていると些か不安になるが、枕元にある日誌を見れば大丈夫だと確信が持てる。
この日誌はローの支えだ。
ベポ自身やシャチ、ペンギンたちクルーでは引けない手を引いてくれるものだ。
「(ちょっと妬けちゃうけど)」
ぴす、と鼻を鳴らして日誌を見る。
「キャプテン、ゆっくり休んでね」
屈んで頬を擦り付けて、入って来た時と同様にそっと扉を抜けて閉めた。
この世界は白と僅かな黒で作られている。
ローの中の記憶が投影されているらしいのは最初の数回で理解したが、それでも色は殆どない。
内陸国であるフレバンスだから海を臨む事は出来ないが、出来たとしても黒か白なのだろうか。
あの青に満たされた世界を生きているローにとっては違和感しかないだろう。
『お、そいつ新種か?』
「ううん、多分毒キノコ」
『そうか、新種の毒キノコか?』
「この前父様が取ってきた奴」
そう答えれば問いかけてきたロジャーが視線を逸らす。
家に持って帰ってきたのは父だが籠一杯に取ってきたのは彼である事は日誌で知っている。
『……捨てるか?』
「勿体ないから研究に使ってもらう」
多分父様ならやるし、と答えれば豪快な笑い声が白い森に響く。
手に持った白いキノコを形の違う白いキノコの山に積んで立ち上がる。
「ロジャーおじ様」
『なんだ、ロー』
「どこまでが夢なんですか、これ」
そう問えば笑うのをやめたロジャーがこちらを見下ろしてくる。
『いつから気付いてた?』
「割と最近。わからないけど二年くらい前、麦わら屋を助けたくらい」
『ほー、もうちょい前かと思ってたが』
口髭を弄り、目を閉じていたロジャーがしゃがみ込んでローと視線を合わせる。
『ここは間違いなく夢だ。ただ、その中に俺が入り込んでるからおかしくなってる』
「…つまりロジャーおじ様は夢の中に存在するものではないと?」
『まあな、自由を愛する俺が夢の中で満足すると思ってんのか?』
そう言われればそうだ。
自由を愛した海賊王が一人の夢の中で大人しくしているわけがない。
『俺がやった航海日誌、ちゃんと保管してくれるんだな』
「俺の宝だから当然です」
そう返せば嬉しそうに笑う。
『そうか、お前の宝か』
ぐしゃぐしゃと頭を混ぜられ小さな体が揺れる。
「お、じさまっ!」
『悪い悪い、可愛いこと言ってくれるもんだからついな』
豪快な笑い声に漸く離された頭を押さえて頬を膨らませる。
ここでの年齢に引っ張られているのか、夢の中だと子供っぽくなってしまって困る。
『どうやったって記憶ってのは薄れる。日誌に書いた分俺たちはまだ鮮明だがそれだっていつまで持つかわからん』
いつかここが本当にただの白い世界になってしまう前にローにはあちらに繋ぎ止めるものが必要だ。
それは過去ではなく、そして自分であってはならない。
『俺ぁ、フレバンスが好きだ。だが俺が好きなフレバンスはここまで何もない白じゃなかった』
草木には緑があったはずだ。噴水は薄く青みがあったはずだ。
ローの目には、月の輝きがあったはずだ。
『ロー。お前がこれから何をするのかは知らんが』
その言葉にぎくりと肩が震える。
『お前には俺がついてる。思うまま進め』
優しく頭を撫でられると突然眠気が襲ってくる。
目覚める時の反応だ。
『あの兄ちゃんもまあ、何とかしようとしてるみたいだがあれじゃなぁ…』
意識が飛ぶ瞬間に呆れ顔で呟かれた言葉の意味を考える間もなく、白い夢は覚める。
白い天井が見える。
経年劣化で旗揚げ当時よりは薄汚れているがまだ綺麗な白を保った天井だ。
身体を起こせば枕元の時計が示す時間にぎょっとする。
既に昼を過ぎ、夕刻に差し掛かる頃合いだ。
ベッドから降りた瞬間に扉をノックする音がし、返事を待たず開かれる。
「キャープテーン!流石に寝すぎですよー!」
「麦わらの所のコックにおやつまで貰っちゃいましたし食べましょー!」
「何やってんだお前ら」
両手に持った大皿に乗せられた色とりどりのスイーツを見て頭を抑える。
いくら同盟相手だとはいえここまでされては返礼をせねば対等にならない。
「…この前治療の礼に貰った高級菓子詰め合わせ、渡しとけ…」
「アイアイキャプテン!」
「あとそれ食堂で食え、他の所で零すな」
「勿論です!キャプテンも早く来ないと無くなっちゃいますよ!」
慌ただしく去っていくクルー達を見送り、軽く身支度をして枕元の日誌を手に取る。
「思うまま進め、か……」
ロジャーの言う事だ、そんな一言ですらローに勇気を与えてくれる。
懐に仕舞った日誌を軽く撫で、開けっ放しにされた扉を閉めた。
しろいゆめをみていた。
うつくしいしろい、ゆめを。
「あ、キャプテン来た!」
こちらを見つけたベポに抱きしめられ、もふもふとした感触が頬に触れる。
「随分長く寝てましたね」
「ああ、久しぶりにすっきりした」
「いつもこれくらい寝てくれると隈消えると思うんですけど!」
「でもそんなキャプテンも好き!」
いつも通りよくわからない歓声をあげるクルーに内心首を傾げ、ベポから離れて用意された菓子を抓む。
小さなクッキーにはアイシングで雪のような模様が描かれていた。
「しかし麦わらのところって毎日こんな凝ったもん食ってんのか」
「めちゃくちゃ食うのにさらにこんなに……」
「いいコックが仲間にいるって事だろ、うちだって飯は美味いだろうが」
そう言えばまたよくわからない歓声があがる。
齧ったクッキーは程よい甘さで、ほぼ半日以上食べていない胃にも重くない。
「キャプテン、こっちも!」
「ん」
ペンギンが差し出したものを口に放り込まれ、とろけるそれにマシュマロかと思い至る。
「甘ぇ」
「へへ、でも美味しいでしょ?これはうちで作った奴!」
「…美味ぇ」
「そう言った瞬間コーヒー飲まないでくださいよ!でも好き!」
暖かな白に囲まれて、白い夢から覚めた月が美しく輝いている。
それはかつてのフレバンスであった『家族』のひと時に煌いたのと同じ、美しい色だった。