しろいまち

しろいまち

呱呱の声

 白い道、白い家、白い花、白い店。

 海岸から続く石畳を辿りながら、バニラアイスで造り上げたような街並みに足を踏み入れた彼らを出迎えるものは、空に咲き続ける彩り豊かな花火だけだった。

「だれもいねえぞ」

「お祭り……じゃ、ないのかしら」

 メインストリートにも路地裏にも人影のない町に首を傾げる子供達から目をはなさないようにしながら、彼は聴覚に集中して周囲になにか敵対的な存在がいないかを探った。しかし、周囲からは子どもたちが認識している通り誰の声も足音も聞こえず、生き物の息遣いさえ聞こえては来なかった。

 今度は視覚を頼りにしようと周囲を見渡したが、子どもたちと違い地面を這いずる彼にとっては、眼では地面に近いところのものしかろくに見えなかった。視点の違いは存外情報を制限するのである。

 人間が暮らしやすいように整えられた町中にあって、彼の体はいささか不便だった。もっとウタや養親たちに近い体を得られたら楽なのかもしれないという考えが這いずりながら周囲を探知する彼の思考のすみで浮かびあがったが、変わりたいという意思よりも自身の生態や形質からかけ離れすぎた存在に造り変わることへの本能的な畏れがそれに勝った。

 彼はかつて誰かに願われたとおりに何にでもなれてどこにでも行けるほど自由だったが、同時に彼自身が望みのままに変質していくことには可塑性を伴うことも理解していた。変わることはできるが、変わってしまえば戻れない。それが彼に自身を望みのままに変貌させ続けることへの自制を持たせていたのである。

「でも、花火はずっと鳴ってるぞ」

 ほらまた、と空を指さした麦わら帽子の子供に習って彼も空を見上げる。ソーダ色の空に淡い色彩の花火が咲いては散っていくのを惜しむように紙吹雪がひらひらと舞っている。

「……あれ、本当に花火なのかしら」

「違うのか?」

「花火には見えるけど、音の方向が……」

 垂直じゃなくて真横に響いてる感じがするの、とウタが言い終えないうちに、彼の聴覚が硬い何かが石畳を叩く音を拾った。彼は子どもたちを強く引っ張り、路地裏へと誘導する。いたいとウタ達から抗議の声は上がったものの、彼の剣幕にただ事ではないと感じたのか素直に路地裏に身を潜めてくれた。

 しばらくして耳を澄ませなくてもはっきりと聞こえるほどに音が響き渡り始め、振動となって子どもたちの皮膚を叩く。

 相変わらず、メインストリートには人の姿は何もない。しかし紙吹雪と花火の音に混じって、無数の人間の足音が近づいてくる。行列を作って行進でもしているような、猛々しい足音の主旋律を飾り立てるようにラッパの音が響く。

 高らかと言うにはあまりに不快な湿り気を帯びたそれは、水に半分漬け込んだまま吹き鳴らしたように不格好で、絶命する間際の生き物が上げる悲鳴によく似ていた。

 音ばかりは不気味であるのに、メインストリートには相変わらず人影一つ無い。ただ美しい白い町が広がって、模型のような平穏を保ち続けている。

 何が起こっているかわからず戸惑った子どもたちが顔を見合わせたのもつかの間、地鳴りにも近い響きに屋台を揺らされたせいか、街並みを彩っていた屋台の一つからりんご飴が足音の近づきつつ有るメインストリートの真ん中へと転がり落ちる。

 ごり、と赤いあめに飾られたアメが、見えない足によって踏み潰される。無感動に、気に留められていないようにつぎつぎと鮮やかな飴菓子の残骸の上をみえない足が踏みつけるたびに、石畳に赤い破片が散らばった。

 ラッパの音は絶えず鳴り響き、見えない行列がたしかにそこを通り過ぎていく。何も目に入らないように、気に留める価値が無いように。

 その様子に気圧されたウタがぎゅ、と腕の中の彼を強く抱きしめた。怯えきったウタを、同じように震えている麦わら帽子の子供……ルフィが彼とウタをかばうように力いっぱい両腕を広げて抱きつく。何の役にも立たない肉のまもりで自分をかばおうとする子どもたちを見上げながら、彼はじっと息を殺した。

 足音は何にも気づくこと無く響き続け、しばらくして通り過ぎたのか何も聞こえなくなる。

 後にはただ、地面の染みのようになった赤いりんご飴の残骸だけが転がっていた。

「……なんだ、アレ」

「知らないわよ」

「飯踏み潰すとかもったいねえことしやがって」

「怒るトコそこ!?」

 小声でヒソヒソと話し合う子どもたちを見上げて、見た目以上に厄介な町かもしれないと彼は嘆息する。あの見えない行列に敵意があるかはわからないが、そのまま踏み潰されるだけでも子どもたちや彼には十分危険だ。ウタの頬に触腕を伸ばし、ほほを痛くしないように気をつけてつねる。

「ルフィ、この子が夢から覚めよう、って言ってる」

 いつも使っているお別れの合図を正しく汲み取ったウタが、ルフィにむかってそう説明するのを補強するように、彼は触腕で頭の上にまるをつくる。

「夢から覚める…ってどうやれば良いんだ?」

「夢の中で眠るか、普通に目を閉じて、家のベッドとかを思い浮かべればいいの。あたしはいつもそれで目が覚めてる」

「……また会えるか?」

「アンタが麦わら帽子を持ってれば、この子が見つけてくれるもの」

 大丈夫よ、と笑うウタに仕方がない、というように彼は触腕を肩をすくめるように(そもそも肩がないのであるが)動かして同意する。

「約束してあげる、ほら、指切り!嘘ついたら?」

「え、あ、ハリセンボンのます!」

「指切った、約束よ、また会いましょう!」

 にこ、と笑ったウタにルフィがうん、と大きく頷いてまたな、とちょっとはにかむ。その姿にまた、というように手を振った彼はいつも自分が目を覚ます時のように目を閉じて、祈るように触腕を重ね合わせた。それからもう一度目を見開いて、ぱちり、とまばたきをする。

「……?」

 目を開けても、相変わらず路地裏のままで変わらない。ウタもルフィも、先程と同じようにそばにいる。なにか手違いがあったかともう一度眼をつぶって、見開く。景色は変わらない。同じように何も変わらないことに戸惑ったルフィが、ウタに向かって声をかける。

「なあ、目……さめねえぞ?」

 うそでしょ、とウタが顔を青ざめさせて呟いた。それはルフィの言葉を否定するものではなく、夢から覚められないという異常事態に対しての戸惑いと、恐怖から発されたものだった。

「なんで、あたしたち起きられないの――?」



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