しらゆきと赤

しらゆきと赤


あるところに、真っ白……ではなく小麦色の肌を、血のように真っ赤な唇……ではなく髪を持った女の子がいました。

彼女の名前はスレッタといいます。

「スレッタ、起きて。いつまで寝てるの」

「ぅうん……あ、は、はいっ、おはようございます。おかあ様……」

「早く支度をして。朝ごはんを作って」

そうぶっきらぼうに言うのは彼女の母ではなく父でもなく、強いて言ったとしても、義母でも義父でもない、不思議な男です。白いブラウスに、黒いパンツといういたって地味な出で立ちですが、彼の佇まいのせいか、王子のようにも見えます。

スレッタは朝一番に大好きな人の瞳が目に入り、ぽっと頬を赤らめましたが、彼はさっさとスレッタの部屋から出て行ってしまったので、それを見られることは幸か不幸かありませんでした。真っ白で雪のような肌と、みずみずしい葉っぱのような瞳を持った彼は、間違いなく美しい人です。



「美味しいって言ってくれないかなぁ、あーあ、またおかあ様にお料理教わりたい……」

そう言いながらもスレッタはトントンと包丁を手際よく動かして野菜を切ってゆきます。

ほかほかと湯気をたてるトマトスープとパンとスクランブルエッグをエランの前と、スレッタの席に置きました。

我ながら良い出来です。

スレッタは彼をちらちらと盗み見ながらパンを頬張ります。パンをちぎる仕草は上品で、同じことをやっているはずの自分と何が違うのか分かりませんでした。

「……ご馳走さま」

エランが食器を片付けようと席を立ったので、スレッタは慌ててスープを飲み込み、自分も食器を洗い場に持ってゆきます。

「お、おかあ様……ご飯、美味しくなかったですか……?」

「どうして」

「おかあ様に、私の作った食事、美味しいって言ってもらいたくて……あのっ、なおせるところがあったら教えてほしいです。だからまた、お料理教えてください……」

「別に。なおしてほしいところなんて無い。それに君に料理を教えたのは僕で、君の味は僕の味なのだから、僕の味を美味しいとは、僕は思わない」

「私は……おかあ様の味、好きです。美味しい、です」

「そう。ならいいでしょう」

彼はそう言って二人分の食器を指のひとふりで綺麗にして、部屋から出て行ってしまいました。ふわふわとカトラリーが浮いて、棚に戻ってゆきます。

スレッタはまた項垂れました。

彼に料理を教われば、いずれ美味しいと言って貰えるだけでなく、そばにいられる時間も得られるという考えが砕かれてしまったのです。

はあ、と大きな息をついて、スレッタは自分の部屋に一度戻りました。枕元にある、くすんだ緑のウサギのぬいぐるみをぎゅっと抱き締めます。

「おかあ様……」

このぬいぐるみは彼が昔、スレッタに買ってくれたものです。小さな頃、ウインドウのそばに置かれたこれを見た瞬間、ぐいぐいと彼のローブを引っ張ってねだったのを今でも覚えています。スレッタの初めてのワガママでした。ぺたんと横にたれた耳と、無愛想な瞳が彼にそっくりで、一目惚れをしたのです。飾って置くのではなく、何年も前から強く抱き締めてばかりいたので、かなりくたびれていますが、ずっと大事に持っています。

「おかあ様、すき……」

そううっとりとこぼす声は、ただの女の声でした。

彼に褒められたい。頭を撫でられたい。手を繋ぎたい。抱き締められたい。唇を……と考えたところで頭を振りましたが、彼と口付けをし合う姿を思い浮かべることを止めることはできませんでした。

いつからこんな想いを持つようになったのでしょうか。このウサギを買ってもらう前からでしょうか。分かりません。

じわりとスレッタの瞳に涙が浮かびます。ウサギのおでこににじみました。

「どうしよう……私、もうここから追い出されちゃうかもしれない……」

ぐすぐすと嗚咽まで漏れてきました。彼の「もう、一人で大丈夫そうだね」という言葉が浮かびます。

彼からは、食事の仕方、料理の作り方、読み書き、お花の育てかた、計算の仕方……なんでも習いました。

昔は何かができる度に褒めてもらったのですが、最近は確認するようにひとつ頷かれるだけです。だから、そんなことはないと、何かにつけてもっと教えてくれと頼むのに、すげなく返されるばかりでした。いつかは働きに出ることもちゃんと考えています。しかし、この家から、正しくは彼のそばを離れたくはありませんでした。お嫁に行くなんて考えたこともありません。彼のそばで死にたいのです。

「ぅううう、やですぅ……おかあ様……おかあさまぁ」

今日は一段ときつくウサギが抱き締められています。



「鏡よ鏡よ、鏡さん。この世で1番美しいのはだぁれ」

「それはあなたです。エラン」

「うん……うん」

エランは大きく息をつきました。

魔法の鏡を満足そうに眺めたあと、エランは大きな布で覆いました。

今日も自分が美しいのだと、綺麗なのだと確信をして、スレッタを起こしにゆくのです。そうでなければ、彼女がエランをとらえた瞬間の、瞳の輝きに耐えられそうにないからです。

僕を慕う、忌々しい女。

あんなのはもう、娘ではありません。いつからかは分かりませんが、エランを見つめる瞳に熱がこもっているのに気づいて、エランはひどく動揺したのを覚えています。エランをそんな風に見るのは、スレッタの父もそうでした。彼を思い出した瞬間、エランは拳を握りしめ、爪の刺さったところから少しだけ血がにじみました。

かつてエランを好き勝手に扱った忌々しい男がスレッタの父です。スレッタの母が、スレッタが幼い頃に死に、その後に男がエランを迎えました。結婚したわけでもなんでもないのですが、金にものをいわせてエランをかこったのです。あの男からは様々な屈辱を受けました。男はさっさと死んだので、そこは良かったのですが、エランの憎しみが消える訳ではありません。

屋敷と、金と、スレッタが残り、エランは仕方なくスレッタの面倒を見たのです。あの男と血が繋がっているとは微塵も思えないほどに、スレッタは可愛くて、それが余計に腹立たしいのです。

男に連れられ、スレッタと初めて出会ったとき、彼女はエランを「新しいおかあさま?」と呼びました。フリルたっぷりのドレスを着ていたわけでもないのですが、エランがあんまりにも綺麗なので、女だと思ったようです。

しかしエランが男と分かったあとも、2人をどちらもお父さんと呼ぶわけにもいかず、エランもどうでもよいと思ったので、おかあ様呼びのままにしたのでした。

元からたいしてスレッタの面倒を見ていなかった男が死に、エランがなんでもスレッタに教えたのです。なんでも見てあげたのです。

そんなスレッタは、今はエランを避け、エランに近づこうとします。

お風呂に入れたことだってあるのに、指が触れればスレッタはさっと手を引っ込めて、ぎゅっと指を握り込みます。朝起こしに行けば、唇をほどき、一度目をすがめたあと、寝顔を見られたのを恥じるように布団に潜り込みます。買い出しに行こうとすれば、荷物持ちをするからと言うのに、その腕はエランの腕にしがみついて、口ははぐれないようにする為だとのたまいます。

あぁ、ついにスレッタの料理は完璧になっていました。少しずつ、何もかも上達し、もうどこへ彼女をやっても生きていけるでしょう。



「鏡よ鏡よ、鏡さん。この世で1番美しいのはだぁれ」

「あなたです。エラン」

息をつきます。

「でも、あなたよりも美しいのはスレッタです」

エランは鏡を蹴り飛ばしました。繊細な鏡の縁の装飾が割れ、鏡にもひびが入ってゆくのを、靴でぐしゃぐしゃと踏みつけます。

「はぁ……やっぱりか」

なんでも出来て、可愛いかわいいスレッタ。彼女が咲うと、花も鳥も喜んでいる気さえします。

彼女をこの世で1番美しい女にしたのが自分だと思うと、余計に憎しみがわき上がってくるのでした。自分はスレッタの父に穢されたというのに、スレッタは真っ白で真っ赤です。スレッタからの恋慕の情が、憎くて、おぞましくて、綺麗で、エランはどうにかなってしまいそうでした。

内側が汚くても、せめて外側だけでも美しくあろうと魔法を使ってまで自分を磨いたエランでしたが、スレッタの心の美しさに負けてしまったのです。

こんな日が来るとは予想していましたが、それでもむかむかと収まらない心のままに、スレッタの部屋の扉を叩いて開けます。

「スレッタ、起きて。いつまで寝てるの」

どうやら今日は先に起きていたスレッタが布団からひょっこりと顔を出して、顔をほころばせます。初めてのことでした。

「おはようございます、おかあ様。朝ごはんは何がいいですか?あなたの好きなもの、なんでも作りますから……」

ぽんぽんと布団をたたこうとしたエランの手を両手で取り、スレッタは頬に寄せています。くるりと指でスレッタの赤い髪をひとふさ巻き付けたあと、手を離しました。

「今日は僕が作るからいい。身支度をして」

「えっ!おかあ様が?えへへ、おかあ様のご飯、すごく久しぶりです……楽しみ」

ベッドからすとんと足を下ろし、ネグリジェを脱ごうと、裾をつまんでいます。そこで、いつもとは違って部屋から出ようとしないエランにスレッタが首を傾げました。

「あ、あの……おかあ様。私……お着替え、します……」

「うん、着替えて。見ているから」

「えっ? み、見る……ですか? 」

そのまま動こうとしないエランに忙しなく目を泳がせていたスレッタでしたが、一度ぎゅっと目をつむると、ネグリジェを床にすとんと落としました。

陽に照らされ、スレッタの肌が浮かび上がります。柔らかそうな小麦色の肌は、なめらかに曲線を描いていて、たぷんと揺れるふたつの膨らみは、エランの指が沈み込みそうなほどでした。けれどもスレッタの指はほっそりとしていて、エランの手では簡単に包みこめてしまえるのだと、彼は知っています。

スレッタはそばにあるクローゼットから胸あてを取り出すと、いそいそと付けます。そして真っ赤な顔で、エランを見上げてきました。

「お、おかあ様が……服を選んでくれませんか……?」

断ろうとしましたが、ひとつ頷いて、クローゼットの中身を見ました。

こうして眺めてみると、スレッタはふわふわして甘そうな系統のものが好みのようです。

その中から、真っ赤なワンピースを選びました。ふわふわとスカートが揺れます。

「ど、どうして、これを……?おかあ様、こういうのが、好き、ですか?」

「別に。僕に服の好みは特に無い。ただ、君の赤いあかい髪に映えると思っただけ」

あぁ、言うんじゃなかった。

エランはそう思いました。スレッタの顔が薔薇のように咲いたからです。もうついでだと思い、背中の留め具をつけてあげながら、エランはスレッタのうなじに唇を寄せます。

「似合ってる。綺麗だね」

震える指で後ろ髪をあげていたスレッタの指から力が抜けます。はらはらと落ちたあと、スレッタはエランを振りかえりました。

その瞳はやっぱり、とろけていて、甘くて熱そうでした。

「お、おかあ、さま……」

なんと頼りない声でしょう!

エランは、うっかり口付けそうになった自分に愕然としながら、スレッタの部屋から出ました。



「スレッタ。この家から出るんだ」

カシャン、と派手な音を立ててフォークがスレッタの指を離れます。皿には傷がつきました。

ふるふると首を横に振ると、珍しく高い位置で結ばれたスレッタの髪が揺れます。

「嫌です……」

エランの作った食事を久しぶりに食べられた高揚感がみるみるしぼみ、席を立ってエランの元へと駆けました。スレッタに、食事中に立ってはいけないと教えてくれたのもエランでした。

「ど、どうして……」

「もう君も外に出ていい頃でしょう。君はなんでも出来るしから、どこででも働ける。もしかしたら良い人が、君を見初めるかもしれない」

「そんな事ないです! 私、全然上手くできなくて……、昨日だって、お庭にお水やるの忘れちゃいそうだったし、転んじゃうし、」

「転んだ? 」

エランがさっと跪き、スレッタのワンピースを少しめくります。膝には白くて薄い布が巻き付けてありました。

「ちゃんと処置もできてるね。もう痛くはない?」

エランに肌を見られたことと、すぐに心配をしてくれた彼の頭を見下ろすスレッタの心臓が大きく鳴りましたが、エランは立ち上がってスレッタに席につくよううながしました。

ひとまず席に着いたスレッタでしたが、フォークもナイフも握らずにぎゅっと膝の上で拳をにぎります。

「絶対ぜったい、お外なんか行きません……おかあ様のそばにいます」

誰かに嫁げばいい、という旨のエランの言葉を思い出して身震いしました。

スレッタは小さな頃から、おかあ様の横に立つのは自分であるべきだと信じています。

昔、同世代の子どもたちに、男の人なのにエランをおかあ様と呼んでいることを変だと言われたこともありました。そして、スレッタはたくさん本を読んできましたが、子どもがおかあさんを好きになるお話は一つもなくて、自分の気持ちも変であることを自覚していました。女の子が好きになるのは王子様ばかりでしたから。

「誰かのお嫁さんになんてなりたくありません。わ、私がなりたい、のは……お、おかあ様の……」

コドモは嫌。

「おかあ様のお嫁さんがいい……」

エランは目を見開き、ぽかんと唇を開けています。スレッタの頬がじわりと赤く染まり、恥ずかしさにうつむきます。

「ずっと、ずっと、おかあ様しか見えていませんでした。変……です、よね」

エランはぐっと唇を引き結びます。

「……変だ。そんなのは間違っている」

スレッタの心にひびが入りました。

「でも、そんなことはどうだっていい。僕が君を外に出すのは、君のことが嫌いだからだ。君の顔を見たくないからだ。さぁ、出て行って」

スレッタはわんわん泣きながら、おうちを飛びだしました。




熊にでもなんにでもいっそ食べられてしまいたい、スレッタはフラフラと森をさまよいました。涙がぽたぽたと小鳥やリスの頭に落ちます。

ウサギがすりすりとスレッタの足に頭を寄せてきたところで、スレッタはぴたりと足を止めました。

「あぁ、ぬいぐるみ……置いてきちゃった……うう、うう、おかあ様ぁ……」

いっそう激しく泣き出すスレッタに動物たちは大慌てです。

森にこだましている泣き声にビックリして、スレッタの方へ歩いてくる者がいました。

「どうして泣いているの? 」

なんて小さな人でしょう。老人のような顔をしているのに、身体は子どもよりも小さいです。スレッタはそのちぐはぐさが、おかあ様であるエランと重なった気がして小人を気に入りました。

「おうちを……追い出されちゃって……どうすればいいのか、わからなくて」

「お姫さまなのに災難だねえ。なんにもできないだろうに、それじゃあ野垂れ死にしろってことかい」

スレッタは唇をへの字に曲げます。

エランまで馬鹿にされた気分になったのです。

「私、なんでも出来ます。お料理、お掃除、お洗濯、文字も、計算だってできます」

「本当かい? じゃあうちに来とくれよ。うちは大きいし、家族が多いから家事が大変なんだ」

迷いましたが、どうせ行く宛てもないので、スレッタは頷きました。

それからスレッタは7人の小人の住むおうちで働きました。彼らは、気さくだったり、気難しかったりと性格はバラバラでしたが、スレッタによくしてくれました。なんだか、お父さんかおじいちゃんのようだと、スレッタは心地よく思います。

3人分のベッドにまたがって寝るスレッタが泣いていると、小人たちは子守歌を歌ってくれました。

おかげで、少しだけスレッタの心は落ち着いたものです。



「鏡よ鏡よ、鏡さん。この世で1番美しいのはだぁれ」

「それはスレッタです」

「どうして…………」

ひび割れた鏡の破片がスレッタの笑顔を映し出します。小人たちに囲まれて笑顔でお洗濯をしているようでした。

「その笑顔がくもれば、僕が1番美しいはずなのに。結局君は僕に傷つけられても、なんとも思っていないんだね。あぁ、やっぱり君は、どこに行っても愛されるんだ。僕なんか、要らないんだ」

エランは鏡に映った、スレッタの赤い髪を久しぶりに見て、目を細めました。

エランは櫛を用意し、毒を塗り込みました。忌々しいあの赤い髪に、この手で触れてみたかったのです。


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