さよならなんて

さよならなんて


 出発予定時刻の一時間前にして俺は今さら一つのことに悩んでいた。
 ……あかねとは何回もデートをしてきたはずなのにどういう恰好をすればいいのか分からない。
 付き合っていたころに毎回あかねから送られてきていたデートの写真を確認する。古いものから見ていくが、案の定ここら辺は参考にならない。
 なんだこの適当な服装は。いくらビジネスカップル時代でのデートとはいえ酷いものだ。
「あかねはずっと綺麗なのにな」
 写真に写っているあかねはどれも綺麗で、可愛くて、お洒落で、目を惹かれる。この時のビジネスデートはどうだったか、そんなことばかり思い出す。他愛のない会話をしたり仕事の話をしたりパフェの感想を言いあったり……思い返してみれば、ビジネスとは言っていたのに俺はあかねとそうやってデートをするのが楽しかった。
「いや今は服装だ」
 写真と睨み合い、どんな服装がいいのか吟味する。どうせならしっかりとした服装であかねと会って、話をしたい。
「これなら大丈夫そうか?」
 数十分悩んだがなんとか満足いくコーディネートになったはずだ。時間もまぁ、少し早いが丁度いい時間帯だ。既に煩い心臓の鼓動を確かめながら家を出る。

 待ち合わせ場所はあかねと何回か一緒に訪れたことがあるカフェ。時間まであと三十分弱あるが、そんなのはすぐに過ぎるだろう。待ってる間にこの緊張も解けるだろうし。
「アクアくん」
 聞き慣れた、それでもここ数ヵ月は聞けなかった俺を呼ぶ声。間違えるわけもない、あかねだ。
「……早いな」
「アクアくんならこのくらいの時間に来そうだなって」
 プロファイリングとは言っていたがもう人読みを越えて完全な先読みになっている。もしかしたら俺が今日話したい内容なんかもあかねにはお見通しなのかもしれない。そう考えると急に気恥ずかしくなってくるがもう今さらそんな恥ずかしさで躊躇するわけにはいかない。
 あかねは帽子にサングラスと顔バレしない変装をしているが服装はさっきまで見ていた以前のデート時の写真同様、美しく着飾っていた。
「入ろ?」
「ああ」
 あかねに促されて一緒にカフェに入る。特に会話はせずになんとなくお互いにパフェを選んで注文すると、平日だからかそんなに待たずに運ばれてくる。
「懐かしいね、初めてのビジネスデートもここだったよね」
「あの時は舞台東ブレの話をしてたな」
「かなちゃんもその時に来てちょっとした言い合いもしちゃったっけ」
「あの時は正直驚いた。あかねが有馬に対してあんな対応をするなんて思っていなかったから」
 そんな他愛もない会話、昔のデートを思い出すような、特に深い意味のないただのコミュニケーション。少しあかねの反応を探ろうかと思っていたが、やっぱり会うことに関しては即座に返信をしてくれたからか俺に対して拒絶の色を感じることはなかった。

 カフェを出てある場所を目指しながら歩き始める。あかねは黙って俺が行きたいその場所に着いてきてくれる。
 着いたのは歩道橋、俺とあかねにとっては縁が深い場所。どこかムードのいい場所でとか思ったが、俺とあかねの間にあるものを解決して、そして想いを伝えるにはここ以外適した場所が思いつかなかった。正確にはもう一か所該当する場所があるがそこは生憎、宮崎だ。
 あかねのほうを見るが案の定、驚いた様子ではない。きっとこの場所を俺が選ぶことも織り込み済みだったんだろう。今日は特にデートとかそういう気ではなく、メインはあくまでもこれからについて話すことだからこういう反応は案外気が楽だ。
 あまり溜めても仕方がない。どういう返答であっても俺はそれを受け入れる。エゴでも自己満足でも俺は、あかねにこの恋心を伝える。怖さはある、だけどそれに怯えたままだと俺は前には進むことができない。それともう一つ、伝えるべきことがある。
「あかね、最初にありがとう。俺を救ってくれて」
 今まで言えなかった、あかねへのお礼。これも言わなきゃいけなかった。それこそもっと早くに。
「私はただ自分のエゴでアクアくんの企みを止めただけだよ。ただそれだけ」
 あかねは首を横に振って否定をする。その視線の先に俺はいなくて、風景をただ遠い目で眺めている。
「エゴだとしても、俺は救われたんだ。あかねが手を差し伸べてくれなければ俺は今ここにいなかった。それだけは断言できる。だから、ありがとう」
 正直な気持ちを伝える。俺は行方を晦ますつもりで用意してきた。ただそれをいい意味で滅茶苦茶にしてくれたあかねにはどうしても好意の前に感謝の言葉を伝える必要があった。
「……そっか。なら、よかった。アクアくんにそう言って貰えるならちゃんと受け取っておくね」
 こっちを向いて微笑むあかね。惚れた弱みなのかやっとこっちを向いてくれたからかその言葉に、笑顔に心が揺さぶられる。ただ、それと同時になにか違和感というか、チクリとした異物感をあかねの顔から感じた。

「……アクアくん、私からもお話してもいいかな?」
「え? あ、あぁ」
 咄嗟に肯定の返答をする。あかねからも話があるのは伝えられていたからある程度の心構えはしているが、どんな内容なのかあまり見当がつかない。
「多分、アクアくんがこの後にするお話と同じような内容だと思うんだけど」
 そう前置きされた。同じということはあかねも復縁の話をしようとしているのか? 一瞬だけ、浮かれそうになるがあかねの表情を見るに……間違いなく、違う内容だとわかった。
「区切り、つけなきゃいけないもんね」
「…………」
 出発まで、いやついさっきまでどこか浮かれていた自分を殴りたくなる。
 あかねの言葉に俺は返答できなかった。いま口を開けば即座にあかねの言葉を全部否定してしまう。それでも間違ってはいない、と思う。だけど、それだとあかねの伝えたい思いを俺は受け止めることができない。
「アクアくんは復讐が終わって、こうして普通の日常に戻ってこれた。これからきっと、アクアくんは色んな幸せを感じて、段々と復讐のことや辛いことを思い出すことも考えることも無くなっていくと思う。でも、アクアくんは優しいから、私のことがどうしても心残りになっちゃう」
 あかねがまた顔を背ける。言葉はまるで用意してきた台本をそのまま読んでいるかのようにも感じるのに、その中には本心もきっと含まれている。
「だからこうしてアクアくんは誘ってくれた。何も言わずにまた二度と関わらないことだってできたのに。……楽しかったよ、アクアくん。久しぶりのお出かけ。思い出の場所でパフェを食べて、ちょっとぎこちなかったけど色んなお話ができて、あの頃を思い出せた。私ね、アクアくんとのビジネスデートは最初から楽しみで嬉しかったんだよ」
 アクアくんはビジネスだって割り切ってたけどね。とあかねは付け足す。
 確かにそうだ。俺はそう割り切っていたはずだった。でも、違った。俺はあかねとのビジネスデートが心の底から、楽しかったんだ。それこそ今日の待ち合わせ場所にあのカフェを選んでしまうくらいには。
「舞台を観に行ったデートも、監督さんの家で連日していた感情演技の稽古も、宮崎でのあの思い出も、そこから正式にお付き合いしたこと全部、私にとってはかけがえのない思い出だよ」
 俺も同じだ、同じなんだ。
「でも、アクアくんは違うよね。私は深いところまで足を踏み入れすぎちゃった。きっと私のことを思い出すたびに、一緒に辛いことも余計なことも思い出しちゃう。私の存在がきっと、アクアくんを未来に行かせない邪魔をしてる。だから、ここでゼロに戻そう。今ガチの前の、関わりすら無かったころに。それで、私も前を向けるから。どうかな、合ってると思うんだけど」
 ──さよならしよう? その声が届いた瞬間、俺はもう耐えきれなかった。 
 ────違う、違うんだ。嫌だ、そんなの嫌だ。
 あかねが離れてしまう前に、どこかに行ってしまう前に、手を掴む。
「アクアくん……?」
「いやだ……俺はあかねと離れたくない。さよならなんて、したくない」
  引き寄せてあかねを抱きしめる。何処にもいかないように、消えてしまわないように、さよならなんてしないように。
 自分でもわかる弱々しい声。あかねにこんなことを言わせてしまった罪悪感にも苛まれる。だけど、伝えるんだ。好意だけじゃない、俺の気持ちを全部、あかねに。

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