ごめんねスレッタ・マーキュリー─黒風白雨の小休止(前編)─

ごめんねスレッタ・マーキュリー─黒風白雨の小休止(前編)─





 宇宙空間を漂っていたエラン・ケレスとスレッタ・マーキュリーが救出されたのは、すでに真夜中を大分過ぎ、もうすぐ夜明けになるという時間帯だった。

 約束のポイントに近づいた時、すでに近くの宙域に待機していたその船は、光を瞬かせてエランに合図を送って来た。

 チカチカ、チカチカ、明暗を繰り返す人工の光が、暗闇に慣れた目に焼き付いていく。

 遥か遠く、冷たい天然の光の枠に囲われながら進んできた身には、その光は今にも手に触れられそうなほど近く、温かいものに感じられた。

 慎重を重ねて少しずつ近づけられた船から、数人の船員が救命具と共に降りて来る。

 彼らはまっすぐにエランとスレッタの元へ近づいて来ると、2人の状態を確認するように素早くこちらを観察して来た。壮年のがっしりした体系の男が、落ち着いた声音で話しかけてくる。

「意識ははっきりしていますね」

「ああ」

 エランはしっかりと頷いた。体は疲れ果ててはいるが、意識の方は問題なく保っている。

 腕の中の少女を守るためにも───実際は彼女に守ってもらっていたようなものだが、ずっと頭の中を動かしていたからだ。

「もうひとりの彼女は」

「眠っているだけだ。酸素残量も問題なく残っている」

 健やかな寝息を立てているスレッタの様子を見て、納得したように男は頷いた。

「我々は『プリンス』…シャディク・ゼネリの使いの者です。確認の為、一度だけお名前をお呼びします。…『エラン・ケレス』様と『スレッタ・マーキュリー』様で相違ありませんか」

「…相違ない。すまない、感謝する」

 そうして、エランとスレッタの2人は丁重に船へと迎え入れられた。


 やはり区切られた室内は安心感を覚える。エランは久方ぶりに地に足を付けながら、ほっと息を吐いた。

 この船は輸送船のようだ。小型ではあるがエランの利用した小型巡視艇よりは遥かに大きい。通路も大きな作りになっていて、何人かで歩いていてもまだ余裕がある。

 スレッタを預かるという動作をする男に首を振ると、エランは自らスレッタを抱いて船内を移動した。

 低重力に設定されている船内では、今の疲れている体でも人ひとり運ぶくらいは十分に行える。

 部屋の一室に通された後、周りを見回したエランは備え付けの大きいソファを見つけるとまずそこにスレッタを寝かせ、自身のパイロットスーツを脱いで身軽になった。もう酸素残量も心許ない為、ずっと着ていても動きにくいだけだ。

 次いで同行していた女性スタッフの申し出を断り、自らの手でスレッタのパイロットスーツを脱がせていく。

 寝る時の邪魔になるだろう髪を括った紐をほどき、再びソファに横たわらせると、傍らに置いてあった毛布を上にかける。

 最後にスレッタの頭の横に腰を下ろし、守るように体の上に腕を回した。

 水と携帯用の食料を持ってきた男が、こちらの様子を伺いつつも話しかけてくる。

「いま主と連絡を取っております。もし体調が悪いようでしたら後でお繋ぎしますが…」

「いや、問題ない。すぐにでも繋いでくれていい」

「畏まりました。では少しの間だけお待ちください」

 男は水と食料を置いて出ていく。そういえば随分と食べ物の補給をしていないな、とエランは思い出した。

 監視用の女性スタッフが残っている中でモノを口にする気も起きず、水だけを手に取る。

 ボトルの封は切られておらず、手で触っても目視しても小細工されている様子はない。温かい食事ではなく携帯用の食料を用意したのも、エランが確認しやすいようにだろうか。よく考えられている。

 そのままボトルを手で弄んでいると、先ほど出ていた男がモニターを持って戻って来た。

 ソファの前にあるテーブルに置くと、女性スタッフと共に改めて部屋を出て行こうとする。

「我々は扉の前にて待機しております。御用があればお呼びください」

 それだけを告げて、扉は閉まった。

 部屋の中にはエランとスレッタの2人だけになった。そうして、後はモニターが一つきりだ。

 モニター画面にはどこかの部屋の様子が映っている。暫くすると、見慣れた金色の髪が画面を横切った。

 カメラを調整するように画面が動き、やがて中央にシャディクの姿が現れる。

『やぁエラン、昼間ぶり。ずいぶんと無茶をしたもんだ』

「シャディク・ゼネリ」

 ここに来て本心からエランはホッとした。体の力が抜けていき、随分と体が強張っていたのだと自覚する。

『近くにはモビルスーツの残骸なんてなかったみたいだけど、君どこから単身で宇宙遊泳して来たんだ?』

「…ざっと2、3時間ほど離れた宙域だ。輸送船の通り道になっているエリアだから、きっとすぐにでも見つかるはずだよ」

 エランの言葉に、シャディクは呆れたようにため息をつく。

『…もっと近くでもよかったはずだろう。この船は隠れて走行してるんだ。すぐに離脱すれば早々足はつかないのに』

「ペイルやプロスペラ陣営に追いつかれる可能性があった。モビルスーツの近くで乗り込むところを目撃されたら、この船は下手したらすぐ襲撃されていたよ」

『考えすぎだよ、まったく。…まぁ、無事で何よりだ』

「途中で危ないところはあった。もう宇宙遊泳はこりごりだ」

 冗談のような口ぶりにシャディクが朗らかに笑う。エランはその顔を見ながらボトルを開けると、久しぶりに水分補給をした。随分と喉が渇いていたようで、数口でボトルの3分の1が減る。

 とりあえず一息つくと、シャディクに話を促した。

「…シャディク・ゼネリ、これからの事だけど」

『ああ、任せて。もう手配はしてあるんだ』

 シャディクは自信ありげに話し始める。

『しばらくは休憩してもらって、これから6時間後にすれ違う船へ直接2人で乗り込んでもらう。次の船も俺の直下の配下が運航してるから、そこまで俺とは連絡できるね』

「分かった。その後は?」

『ここから先は民間用の船に乗ってもらう。客船じゃなくて輸送船になるけど、もう話は付けてある。秘密裏に密航させてもらう感じになるかな。それを2つほど繰り返して、最後は普通の民間船で地球まで降りてもらう。…それでいいかい?』

「問題ない。ありがとうシャディク・ゼネリ」

『おっと、お礼はまだ早いよ。必要な物資は2つ目の船で渡す手はずになってる。君のことだから途中でほとんど手放すだろうけど、食料と現金だけは持って行ってくれ』

「了解」

『最後に身分証明書も支給する。これはすぐには間に合わないから、地球に行く前のフロントで受け取ってもらう』

 よどみなく続くシャディクの言葉に目を見張る。驚いたせいで、すぐに反応を返せなかった。

「…何?」

『市民ナンバーだよ。姿見も映らない本当に最低限のランクのものだけど、これがあれば地球圏でも大分暮らしやすくなる』

「………」

 固まっていると、シャディクは安心させるように言葉を重ねてくる。

『大丈夫、心配しなくても本物と同じ作りの物だ。追跡できるような発信機なんて付けていないよ。それに、発注したのは昔から使っている信頼できる業者だ。念には念を入れて他の子飼いに配るものと一緒に頼んである』

「………」

『名前や経歴はこちらで勝手に決めたけど、俺にもどの名義のカードが配られるかは分からない。それっぽい名前も混ぜておいたから、他のフロントに潜伏している仲間の何人かは囮役にもなってくれるだろう』

「………」

『…一応、難民用の書類も用意してある。こっちは時間が掛かるけど、自分で名前も年齢も決められるよ。そっちの方がいいかい?』

「いや、有難く市民ナンバーの方を使わせてもらう…」

 呆然としながらエランは礼を言った。もう覚えていないが、市民ナンバーは自分が身を売る代償に得るはずだった物だ。

 シャディクの力は分かっていたつもりだったが、思いのほか強力だったようだ。そして視野も広い。エランは自分が地球に降りた後のことを具体的に考えていなかったことに気が付いた。

 これではスレッタ・マーキュリーを守るどころではない。普通の定職にもありつけず、裏の世界に身を落とすか、それすら出来ずに路頭に迷う可能性があった。

 そう言って大きなため息を吐いていると、シャディクは苦笑しながら慰めてきた。

『俺にはお前の方がすごい事をしているように見えるよ。今夜だけでいくつの爪痕を残したんだ?具体的に教えてくれると嬉しい』

「…分かった。教えるから君の武器にしてくれ」

『それは楽しみだ』

 そしてエランは今夜のことを包み隠さずすべて話した。

 プロスペラ・マーキュリーへの宣告。

 ベルメリア・ウィンストンへの忠告。

 そしてワザと痕跡が残るようにした証拠の数々も。

 それを聞いたシャディクは手で顔を覆って天を仰いだ。

『…暴れすぎだ。…暴風雨か、君は』

「言いすぎだ。僕ひとりで出来る事なんてたかが知れている」

『それは謙遜…じゃないんだろうな。まぁいい、ちょっと聞きたいこともあるし、話を整理しよう。ついでに相談に乗ってくれると嬉しい』

「僕の意見でよければ」

 エランが快い返事をすると、さっそくとばかりにシャディクは見覚えのある日記帳を見せてきた。

『…3冊目の日記帳を見た。具体的なことは何もないけど、これには君からペイル社への恨みつらみがびっしり書いてある。まるで遺書のようだけど、この日記帳の意図は?』

「ああ、それはまさしく遺書として書いた。いくつかの使い道がある遺書だ」

『…具体的には?』

「これから君にはペイルの関係者が接触を謀ってくるだろう。僕が最後に会話した学生だし、日記帳を渡したという事実を重要視してくる可能性が高い。1冊目と2冊目は見せる訳にはいかないけど、この3冊目は好きに使ってくれていい。目くらましの囮として使える」

『囮にしては劇薬じゃないか?これじゃ君が偽物のエラン・ケレスだったと俺が気付いてしまう事になる』

「君なら上手く使えるはずだ。情報を制限して立ち回るのは得意なほうだろう?それに無軌道なペイルの動きをある程度読みやすくさせることはできる。…使うか使わないかは君次第だ」

 エランの提案にシャディクはしばらく考え込んだ。自分の効率的な立ち回り方を考えているんだろう。

 まだ言う事があるので考えるのは後の方がいいと思ったが、口を閉ざして大人しく待つ。

『…『いくつか』と言っていたけど、他には?』

「そうだね、ミオリネ・レンブランには見せた方がいいだろう。彼女はどちらにしろエラン・ケレスを警戒するだろうけど、逆に暴走して突っ込むことも考えられる。この情報を与えれば、少なくとも単身でどうにかしようとすることは無くなるはずだ」

『あぁ、そうだね。ミオリネ…』

 シャディクは頭を抱えている。幼馴染の気質はこの男のほうがよほど知っているはずだ。

 向こう見ずな少女のことだ。手綱を上手につけないと大変なことになると分かっているのだろう。

「あともう1つある」

『…まだあるの?』

 少し疲れたような言葉にうっすらと笑って返事をする。これが吉と出るか凶と出るかは分からない。シャディクが使うかどうかも。

 だが上手くすれば強力な武器が1つ増えることになる。

「これから僕の代わりに『エラン・ケレス』として送り込まれる強化人士。その彼を仲間に引き込みやすくするための物だよ」

『次のエラン…?』

 次の彼ならきっと、助けられるはず。ベルメリアに言い放った言葉だ。自分がこれから死ぬという事柄を強調するため、利用した言葉でもあるが…。

「彼も僕と同じ立場だ。ペイル社への不信と恐怖を煽れば、ペイルから抜け出す決心が出来るかもしれない」

 出来るだけのことをしてあげて欲しい。これもベルメリアに言った言葉だ。

 エランが伝えた言葉は、すべてが嘘という訳ではない。

「…君からしたら1つの駒が手に入るだけの話だけど、考えてみて欲しいんだ」


 それは強化人士4号だった少年の、紛れもない本心だった。








Report Page