ごめんねスレッタ・マーキュリー─記憶の欠片 氷星に炎が満ちた日─

ごめんねスレッタ・マーキュリー─記憶の欠片 氷星に炎が満ちた日─




歌が聞こえる 大切な歌が

ハッピーバースディ トゥーユー

陰気な声で 誰かが歌を口ずさむ

ハッピーバースディ トゥーユー

磔にされた男が 虚ろな眼差しで口ずさむ

ハッピーバースディ ハッピーバースディ

男には それしか残っていないから

ハッピー バース ディ トゥー ユー

それしかないと 思っていたから




 ペイル・テクノロジーズの地下区域の一室で、エラン・ケレスは磔にされていた。

 ペイル社に呼び戻され、拘束され、薬を打たれ、まるで実験動物のように体の自由を奪われている。

 もしかしたら、動物の方がいくらかマシかもしれなかった。なにせエランはこれからいらない物として焼却される。

 対モビルスーツに使われるような高出力のレーザーでこの身を焼かれ、骨も残さず、何もかもが消えてなくなる。

 エランに出来ることは何もない。抵抗する気力もなく、ただ最後の時を待つだけだ。

 朦朧とする意識の中で、少女の顔が思い浮かぶ。

 鬱陶しいほど絡んで来ては、鬱陶しいほどまっすぐぶつかってきた、水星から来た赤髪の少女。

 彼女がいれば、エランは孤独じゃないと思えた。

 いまごろ彼女は自分を待っているのだろうか、口惜しく思うが、もはやどうしようもない事なのだと自らを説き伏せる。

 薄々、分かっていたことだ。

「ハッピ…バース でぃ トゥー …ユー」

 せめてもとエランは歌う。大切な歌を口ずさむ。

 最後に残った大事なもの。

 光熱に焼き尽くされこの世から消える瞬間も、自分にはこれしかないと思いながら。

 …とんだ思い違いだったとは 気付かずに。


「………」

「…………」

「……………」


 目を開ける。

 たっぷりの休息をとった後のように、それは自然な目覚めだった。

 眠る前は何をしていたのだったか、エランは少し考えて、磔にされた自分の姿を思い出す。

「………」

 自分は死んだ。ならばここはあの世だろうか。

 辺りを見渡す。物も何もなく、先もあまり見通せない乳白色の空間だ。

 天国にしても地獄にしても殺風景すぎる。もしかしたら、これは消し炭になる瞬間に見た走馬灯のようなものなのかもしれない。

 それにしても味気ない。エランは自分自身に呆れてしまう。末期の夢くらい、もっと楽しいものを見てもいいだろうに。

 そう…例えば、あの少女の姿くらいは望んでも罰は当たらないだろう。

『じゃ、じゃあ。来ますよね!?』

「…!」

 何もない空間に突然人の声が割り込んできた。それも直前まで思い描いていた人物の声だ。

「スレッタ・マーキュリー?」

 反射的に彼女に呼びかけるが、返事はない。

 もう一度周りを見渡すと、先ほど何もなかった空間が唐突に変化を遂げていた。足元から赤い光が立ち上ってくる。

 なんだこれは。

『御三家来るなら。エランさん、きっと来ますよねッ!?』

 また声が聞こえる。赤い光は徐々に青い光へと姿を変え、更に白い光へと変化し、最後に虹色の光となって、エランの目の前ではじけ飛んだ。

 そこから先は、まるで悪夢を見るかのようだった。

 いや、まさしく悪夢だった。

『また学園…来ますか?』

『もちろん。約束する』

 どこかのパーティで、彼女が自分ではない自分と喋っている。

 あれはオリジナルだ。本物のエラン・ケレスだ。

 嬉しそうに笑う彼女がエラン・ケレスへと付いていき、大勢の前で晒し者にされている。

『だからきっと、許してくれるよ』

『どうしたんだろうエランさん…なんか怖かった』

 夕暮れ時、また別のエラン・ケレスが彼女に接触する。ミオリネ・レンブランとの仲を揶揄され、彼女はエランを怖がり始める。

 …壊されていく、彼女との絆が。

 毒を孕むように、彼女の中のエラン・ケレスが少しずつ姿を変えていく。

 エランにはもう大事なものは歌しかないと思っていた。けれど、あった。まだこんなにたくさん、奪われたくないものが残っていた。

 そして、真に恐ろしいことは、この後に起こった。


『進めば2つ』

 プラント・クエタで

『進めば2つ』

 アスティカシア学園で

『進めば 2つ』

 彼女の周りで争いが起こるたびに

『進 めば 2 つ』

 その呪文の言葉は繰り返された


『……、…』

「───」

 目を見開き凍り付く。

 エランの見ている前で、徹底的に彼女の尊厳が破壊されていく。

 壊れていく 壊されていく かつてのスレッタ・マーキュリーが。

 大人たちの手で、容赦なくひとりの少女の心が解体されていく。歪な価値観を植え付けられ、化け物のようにちぐはぐに形作られていく。

 優しくて怖がりな少女はもういない。代わりに残されたのは無邪気に破壊を振りまく魔女だけだ。

『どうして…』

 魔女は呟く。

『どうしてこうなったんだろう』

 魔女は嘆く。

『お母さんの言うとおりに進んだのに…ミオリネさんも、皆も、どうして離れていくんだろう』

 魔女は理解できない。

『エランさんも…わたしを騙した。うそつき…うそつき』

 獲物が弱ったと理解したペイルの行動は早かった。エランの後任のエラン・ケレスは甘い言葉を囁くと、いとも簡単に彼女を攫った。

 信頼を寄せた者からの裏切りと、実験に次ぐ実験に、更に心は疲弊していく。

 ベルメリア・ウィンストンは何の力にもなれなかった。悍ましいことに、プロスペラ・マーキュリー…彼女の母親すらもこの状況を容認していた。

 それが本当の止めだった。魔女の、少女の、スレッタの。

『お母さん…おかぁさん…』

 彼女の心は小さくなって。

『…ぁ…さん…』

 傷ついて 傷ついて 小さくなって。

『…ぁー…ぁ…』

 最後には 手の届かないどこかへと消えていった。


「─────満足か」

 底冷えする声が出た。

 もうすでにエランはこの映像を見せた何者かの存在に気づいていた。

 ぐつぐつと腸が煮えくり返る。まるで灼熱の炎が腹の内から生まれ出たようだ。

 今ここにスレッタ・マーキュリーを傷つけた者がいたら、指の骨が見えるまで殴っていただろう。

 何もない乳白色へと戻った空間を睨むと、もやもやとした白い光が滲み出てきた。

 1つ 2つ 3つ…。

 子供サイズの白い光は、後から後から湧いて出て来る。

 ───さいごまで ちゃんと みれた?

 白い光が話しかけてくる。

 ───ひつようなことは とどけられた?

 訳が分からないことを言ってくる。

 ───あれは きおく ぼくらの きおく きみに ながれた ぼくらの きおくだよ

「何の話だ」

 要領を得なくてイライラする。その心のままに声を上げると、怯えたように白い光は少し離れた。

 ───おこらないで おこらないで

 ───なんだよ もう またこっくぴっとを はかいするぞ

 ───だめだよ きみは いつも らんぼうなんだから

 コックピット?よく知る単語にエランは少し我に返る。

 よく見ると、白い光には個性がある。真ん中で憤るように上下する白い光を、隣の光が宥めている。

「───」

 じっと見る。どこかで見た。声も、聞き覚えがある。

 あれは…。

 ───おもいだした? うちゅうでのおいかけっこ たのしかったねぇ

 ───またしたいね でも あの けっかんひんは いただけないなぁ

 ───しかたないよ エアリアルとは ちがうもの

「………」

 スレッタ・マーキュリーとの決闘の時、現れた不思議な白い影だろうか。

 黙っていると、安心したのか白い光がまた近づいてきた。

 ───ぱーめっとでつながったから じょうほうをおくったよ ぼくらはじょうほうをきょうゆうできるから

 ───いちばん ちかい せかいの かのうせい きおくのかけらを おくったよ

「僕に何をさせたい」

 愛想もなにもないエランの態度に委縮したように光が点滅する。やがて白い光たちは一ヵ所に集まって、人型の大きな光になった。

 エランと同じか少し小さいくらいに成長した光は、顔も見えないのにくすりと笑った。自嘲の笑みだとすぐに分かる。妙に人間的だが、違和感はない。

『こんにちは、エラン・ケレス。僕はエアリアル』

 流暢に言葉を喋る白い影。彼は少しだけスレッタ・マーキュリーに雰囲気が似ていた。

『僕の願いは1つだけ』

 エアリアルは家族。スレッタの言葉を思い出す。

『…どうかお願い。スレッタの事を、助けて欲しい』

 エアリアルは、悲しそうに笑っていた。




「───」

「────」

「─────ッ」


 目を開ける。

 ぱちりとスイッチが切り替わったように、その目覚めは唐突だった。

 見えるのは自身の腕と、何もない殺風景な部屋。

 いつもの体勢で眠っていたことを確認すると、深く息を吐いて、ゆっくりとエラン・ケレスは身を起こした。

「………、…」

 乱れそうになる息を意識して整える。

 どくどくと心臓の鼓動が鳴っている。冷汗がひどく、悪寒が止まらない。ひどい風邪にかかった時のようだ。

 先ほどまで見ていた夢の内容を思い出す。磔にされて消された自分。その後に見た、スレッタ・マーキュリーの最後の瞬間を…。

 夢…ほんとうに、夢なんだろうか?

 違う、と直感する。

 前髪をくしゃりと握りつぶす。指の隙間から見えたエランの緑目は、爛々と炎のように輝いている。

 根拠はない。客観的な証拠は何もなく、自分は狂ってしまったのかとすら思う。

 …だが。

 頭にこびり付くのは自分の陰気な歌声と、あの子の悲痛な叫び声。

「───」


 その日、怪物が動き出した。







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