ごめんねスレッタ・マーキュリー─硬実種子と二者択一─

ごめんねスレッタ・マーキュリー─硬実種子と二者択一─


※ほんの少し閲覧注意です




 生きることは二者択一をし続けることだとエラン・ケレスは思っている。

 片方を捨て、片方を拾う。

 それはすべてを選べるほど力のある立場ではない、搾取されるだけの子供による精一杯の処世術だった。

 周りの子供たちがひとり、またひとりと脱落していく中、黙々と課題をこなして命を長らえていたあの頃。

 影武者になることを命令され、生まれ持った名前と顔を大人たちに差し出したあの日。

 先のない生活に絶望が押し寄せ、自らの意志で感情を抑制する方法を学んだあの時間。

 すべては二者択一の結果だ。たとえ理不尽に踏みにじられようとも、その前も…その後の判断も自分のものだ。

 片方を捨て、片方を拾う。

 生への執着が薄れて行っても、その習性は無くなることはない。

 そうして、エランにとっての運命の日。

 エアリアルの夢から目が覚めたエランは、スレッタ・マーキュリーの命を何があっても拾うことに決めた。捨てるモノの中に自らの命が入っていても構わなかった。

 彼女が無事ならそれでいい。彼女が守れればそれでいい。彼女が自分の事を覚えていてくれるのなら、死んだっていい。

 それがどのような感情を基にした考えなのか、エランは深く知ろうとしない。必要がないからだ。

 彼女の存在を核とした種のようなモノ。心の中のそれは芽吹くこともなく、硬い種皮に包まれたまま沈黙している。




………

…………

……………




 アスティカシア学園から遠く離れた宇宙船の中、スレッタを誘拐したエランは彼女に無理やり選択を迫っていた。

 自分と一緒に地球へ行くか、自分を殺して学園へ帰るか。

 予めシャディクにはエランが死んだ後の事を頼んである。こんなに早くなるとは思っていないだろうが、彼は約束は守るだろう。

 シャディクとミオリネがそばにいれば、きっとあの夢の記憶のようにはならない。

 けれどエランは、スレッタが後者を選ばないだろうと半ば確信していた。

 彼女が自分を切り捨てるつもりなら、目の前の光景のようにはなっていないだろうからだ。

 彼女は泣いていた。

 エランの目の前で、スレッタは泣いていた。

 わぁわぁと子供のように声を上げるスレッタから、ぽろぽろといくつもの大粒の涙が出てきては頬を伝い流れていく。

 初めて会った時のように自らの涙をぬぐう事も出来ない。彼女の両手はエランの首を絞めるように固く拘束されているからだ。

「スレッタ・マーキュリー」

 名前を呼ぶ。返事を促すような響きで。

 スレッタは何も答えず涙が流れるに任せている。時々腕に力を入れて両手を取り戻そうとしているが、エランが許すはずもない。拘束され続けた彼女は、だんだんと力を無くしてソファに凭れ掛かっていく。

 ひっ、ひっ、と断続的に上がる呼吸が痛々しく、ひきつけを起こしてしまうのではないかと心配になる。

 その間もずっと彼女の顔を眺めていたエランは、それでも決して手を離すことはしなかった。

「スレッタ・マーキュリー」

 何度目かの呼びかけ。

 スレッタは俯き、強く目を瞑った。新たに作られた涙が雫となってスカートの布地に吸い込まれる。それが最後の涙だった。

「……ぃ…きます」

 泣きすぎたせいでかすれたのか、普段なら聞き逃してもおかしくないほど細く小さな声が聞こえる。

「…エラ、っ…さん…と、いきます」

───だから、死なないで。

 スレッタの囁きに、エランのどこかがほの暗い喜びを覚える。それは彼女を拘束せずにすんだ安堵の気持ちに紛れ込み、自分でも気付かないほどの微かな揺らぎのような感情だった。

「僕と地球に行く?」

 こくん、とスレッタは頷く。

「2時間後に別の船に移る。そうしたら、学園に戻るのは難しくなるけど、本当にいいの?」

 少し間を開けて、もう一度スレッタはこくんと頷く。

 エランは確証が欲しくて、先の予定を少しだけ話すことにした。

「…次の船には走行中に直接乗り込むことになる。少し危険な行動になるけど、きみはどうしたい?薬を使って眠っている間に、僕が連れて行くこともできるけど」

 エランの言葉に首を振り、目を伏せたままスレッタは答えた。

「自分で行けます。…暴れないし、邪魔もしません。大丈夫、です」

「…そう」

 スレッタの答えを聞いて、ようやく己の首を抑えつけていた手を緩める。すぐにはねつけるかと思ったが、彼女の手は大人しくエランの手の中に納まったままだ。

 あまり長く触れるものではないと、そっと彼女の手を離す。乗り上げていたソファからも足を下ろし、彼女自身からも離れる。

 自由になった手でスレッタはごしごしと顔をこすっている。強く握っていたので気がかりだったが、特に問題なく指は動かせているようだ。

「目元が腫れてしまうよ」

「………」

 思わず声に出た言葉に、スレッタは一瞬こちらに目を向けて、また逃げるように目を逸らした。

 そのまま彼女は無言で立ち上がり背を向けると、洗面所に向かっていく。

「………」

 パタン、という音と共に扉が閉められると、エランは何らかの感情を吐き出すために大きなため息を吐いた。

 洗面所に備え付けられた小物を思い浮かべる。カミソリはなかったはずだ。ひもの類も見た限りはなかった。洗剤…薬剤の類はどうだろうか。

 今の彼女は平静じゃない。思い余って自身を傷つけないとも限らない。

 そっと洗面所の前に移動して、頭の後ろを扉に付ける。水を流す音、ばしゃばしゃと顔を洗うような音が聞こえてくる。今のところは大丈夫そうだ。

 我ながら変態のような所業だと呆れ果てる。これでは軽蔑していた大人たちのようだ。エランは前髪をくしゃりと握りつぶして、今だけだと自分を慰めた。

 水の音が消え、しばらくして軽い足音が扉へと向かってきた。これも音を立てないように横に移動して、スレッタが扉を開けるのを待つ。

「ひゃっ」

 思わず、といった風にスレッタが声を上げる。

 洗面所から出たら横に男が立っているのだ。それは驚くだろうなと他人事のようにエランは思う。

「きみが自分を傷つけないか心配だったから見張ってた。大丈夫だと思えば、もうこんな監視みたいなことはしないよ」

「は、い…」

 言い訳じみたことが口から出るが、彼女は怖がっている。当然だ。

 スレッタを精神的に拘束するためにわざと追い詰めたのは事実だが、それで彼女の心が弱ってしまうのは本意ではない。

「誓って言うけど、僕はきみに暴力は振るわない。暴言も言わない。これは信じて欲しい」

「…はい」

「続きはソファに座って話そうか。大まかに、これからの事を説明するよ」

「…は、い」

 委縮した様子のスレッタは大人しくエランの後に付いて、ソファの端に座った。

 新しい水のボトルを差し出しながら、改めて彼女に説明する。

「これから僕らは何隻かの船を乗り継いで地球に向かう。次の船はまだ僕らの事情を知っている人たちだけど、その次からは民間の輸送船に密航させてもらうことになる」

「密航、です…?」

「民間の人たちは事情を知らない。ただの貧乏人が伝手をたどって安く移動費をすまそうとしている、そんな風に話が通っているはずだ。僕はきみのそばにずっとは居られないけど、誰にも話しかけたりせずに大人しくしていて欲しい」

「はい…」

「地球に行く前のフロントで市民ナンバーが渡される。そこに書かれた名前が僕ときみの新しい名前だ。とは言っても、あくまで偽名だから、人前で呼びかける時に注意するくらいでいい。書類記入が必要な時は僕が書く」

「は、い…」

「地球に降下した後しばらくは各地を転々とすると思うけど、治安や情勢の良さそうな土地を見つけたらそこに定住する可能性がある。ただ、きみは基本的に表には出ないでもらいたい」

「…閉じ込められる、ですか」

「ずっとって訳じゃない。管理されたフロントや箱庭のような学園と違って、地球では色々と勝手が違う。慣れるまでは大人しくしてもらうだけだ」

「………」

「ただでさえきみは狙われてる。僕は処分される予定だったけど、きみにはまだ利用価値があるとペイルは思っている。安全だと分かるまで、外の人との交流はなるべく控えてもらいたい」

「………」

「…いやなら、逃げてもいいよ」

 黙り始めたスレッタに対して、もう1つの道を指し示す。今の彼女は選ばないだろうと知っていて、エランはわざと口に出した。

「……逃げたら、エランさんは、どうする、ですか」

「………」

 スレッタの声を聞きながら、これからも自分は彼女に選ばせるのだろうなとふと思う。

「エランさん」

「そうだね、死ぬことにする」

「………ッ」

 選択肢があるようでない、見せかけだけの道を提示して。

「きみが僕のそばから離れて3回太陽が沈んだら、その時点で命を絶つよ。きみが死んでも後を追う。僕を生かそうと思うなら、自分の体を傷つける事無く僕のそばに居ることだね」

「………」

「別に僕はどちらでもいいよ。きみが無事に命を長らえて、死んだ僕を覚えていてくれるなら」

「逃げません…」

 そうして彼女は道を選ぶ。エランと共に歩む道を。

「あなたと一緒に行きます」


 それから1時間ほど、エランはソファに座ったまま休息をした。何かがあればすぐに行動できるように、眠ることはせずにただ目を瞑る。

 スレッタはエランが眠ったと思ったのだろう。時折ぐずるように鼻をすすり、小さく母親やエアリアル、ミオリネの名前を呼んでいた。

 しばらくして、コンコン、コンコン、とノックの音が聞こえてくる。エランが「入っていいよ」と入室の許可をすると、先の男がひとりで部屋に入って来た。

「お休みのところ失礼いたします。あと1時間ほどでランデブーポイントへと到達の予定です。必要な装備をお持ちしましたので、どうかお使いください」

「分かった。ありがとう」

 エランの返事を聞いて、男の後から台車を押した女性スタッフが入って来る。台車の上には新しいパイロットスーツやジェットパック等が乗せられている。

「身支度に人手はお入り用ですか?」

 男はそう言って、ちらりとスレッタの方を見てくる。

 彼はシャディクの手駒として優秀な工作員なのだろう。部屋の中から少女の泣き声が聞こえて来ても、まったく何の反応もなかった。今も表面上は平静なままだ。

 だとしても、何かしら思うところはあるはずだ。感情のない人間はいないのだから。…自分だって、散々振り回されている。

「いいや、必要ない」

「かしこまりました」

 一礼して、男と女性スタッフが部屋から出ていく。変わらず扉の前に待機するつもりのようだ。

「スレッタ・マーキュリー、聞いていた?まだ少し時間は早いけど、準備だけは整えておこう」

「はい、わかり、ました」

 こちらを見ていたスレッタが頷いてくれる。きちんと男女用に分けられていた装備を手に持って、彼女は洗面所へと消えていった。

 エランもすぐに着替え始める。服を脱いでインナースーツ姿になり、その上にパイロットスーツを着込む。完全な新品という訳ではないが、よく手入れされている状態のいい装備だ。かえってこちらの方が信頼度は高い。

 ヘルメットを被り、不備がないか確認する。酸素残量も簡易センサーも問題ない。大丈夫そうだ。

 チェックに時間をかけていたからか、洗面所からパイロットスーツに着替えたスレッタが出て来た。まだヘルメットは被っていない。

 エランもすぐにヘルメットを脱ぐ。周りの酸素に問題がないのであれば、視界確保のためにも脱いだ方が都合がいい。

 長めの髪が視界にかかり、鬱陶しいとかきあげる。この髪も切った方がいいだろうか。一応は、顔と耳を隠すように考えられた髪形ではあるようだが…。

「あ」

「…?」

 スレッタの声に顔を向ける。何かに気付いたような、そんな声だ。

「どうしたの?」

「………」

 何か気がかりがあるなら言って欲しい。エランに解消できるかどうかは分からないが、負担に思っていることがあるなら出来るだけ減らしてあげたい。

「あの、エランさん、耳…」

「うん?」

「耳、ピアスがない、です…。それに、ケガが…」

「…ああ」

 指摘されて改めて気づいた。そういえば、自分は耳を怪我していたんだった。ジェルで固めて血も出ていないが、時折は思い出したように軽い痛みが走っている。

「諸事情で耳にメスを入れたんだ。数日で治るだろうから問題ないよ。…耳飾りは、邪魔になるから置いてきた。身一つで出る必要があったから」

「…そ、ですか…みひとつ、で…。………」

「スレッタ・マーキュリー?」

 どうやら彼女は落ち込んでいるようだ。エランの言葉のどこに落ち込む要素があるのか分からず、少し困惑する。

「わたしの、ヘアバンド…」

「………」

「お母さんから、貰ったんです。でも、どこにもなくて…」

「……それなら、置いてきたよ」

 あの忌々しいヘアバンドは、それでもスレッタにとっては宝物だ。母親や家族、友達からも離され、宝物すらも勝手に捨てられ、本当に身一つで彼女はエランに攫われたのだ。

「…取りに戻る?」

 言外に、僕は死ぬけど、という意味を含ませて提案すると、スレッタは強くかぶりを振った。

「わたしも、行きます。何も持てなくても、エランさんと一緒に行きます」

 その言葉に、心のどこかが喜びに湧きたつ。けれどエランはその感情がどこから来るのか、決して考えようとしなかった。

 感情の種を知ってしまったら、芽吹かせて育ててしまったら、どこかで立ち行かなくなると本能で分かっているからだ。

 片方を捨て、片方を拾う。

 けれど存在しなければ、少なくとも捨てることはしなくていい。だから無視をする。

 いまは、まだ。

「じゃあ行こう。───2人で逃げよう、スレッタ・マーキュリー」

「はい、エランさん」

 差し出した手を、スレッタが握る。それはお互いを拾いあい、それ以外を捨てる行為だ。

 エランは自主的に、スレッタは強制されて、その違いはあるけれど。

 今のところはそれで構わない。彼女が無事で、彼女が守れて、彼女が自分のことを覚えてくれるなら。


 自分の選択を、決して後悔はしない。







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