ごめんねスレッタ・マーキュリー─回る毒(中編)─

ごめんねスレッタ・マーキュリー─回る毒(中編)─





 エラン・ケレスが管理施設へと出向いた時には、辺りは予想通り閑散としていた。

 最低限の人員は残して大体のスタッフも引き上げたらしく、受付の顔ぶれも変わっている。

 エランは何食わぬ顔で受付へと足を進めると、暇そうな顔をしているスタッフへ声を掛けた。

「決闘委員会の者だけど、予約していた小型巡視艇を借り受けに来た」

「ああ、話は伺っておりますよ、もう夜も遅いのに大変ですね。…おひとりですか?」

 受付が訝し気に問いかける。領空外へ行こうというなら数人での見回りが普通なので、この懸念も尤もだった。

 エランは受付の言葉に頷くと、すんなりと架空の相方を作り上げた。

「もう1人いるけど少し遅れるそうだ。時間がもったいないし、先に僕だけ船に入って出発の準備をしているよ」

「かしこまりました。では、小型巡視艇使用のためのIDを発行しますので、ご登録をお願いいたします」

「ああ」

 平静を装いながら、自らの生徒手帳を取り出す。

 登録と同時に持ち主の姿が浮かび上がる為、この時ばかりは他人の生徒手帳は使えない。特にエランはペイル寮の筆頭なので、大抵の管理スタッフには姿と名前を憶えられている。

 電源を入れると、久方ぶりに画面が明るくなる。

 エランはすぐに登録用の端末に生徒手帳をかざし、小型巡視艇の使用登録IDを発行した。

「はい、もうよろしいですよ。登録された巡視艇は4番ゲートで待機しております。お連れ様へのご案内はいたしますか?」

「いや、こちらから連絡をするから結構だ」

「恐れ入ります。では、出発の準備が整いましたら管制室へご連絡ください。お気をつけて」

「ありがとう」

 役目を終えた生徒手帳は、すぐに電源を切ってポケットへ入れる。

 今ので確実に情報は発信されたが、まだ十分に猶予はある。管理施設はベネリットグループが運営しているが、ある意味独立している為、グループの中の一社だけを特別に優遇することはない。

 エランの行動に監視員が疑問を持ったとしても、ペイルが即決で強権を行使する可能性は低い。

 そもそも強化人士は最重要機密事項だ。何らかの判断を下すには、ベルメリア・ウィンストンやペイルCEO、あるいはオリジナルのエラン・ケレスに指示を仰がなければならない。それなりに時間が掛かる。

 プロスペラ・マーキュリーについては更に脅威度は低い。彼女は学園内に限ってはそれほど影響力はなく、その力を代わりに行使するはずのスレッタ・マーキュリーはエランが先ほど取り上げたばかりだ。なりふり構わずデリング・レンブランに協力を仰げばその限りではないが、おそらくそんな事はしない。2人には敵が多すぎる。

 いずれにせよ、やる事は変わらない。焦らず着実に行動するだけだ。

 フロアにいるスタッフの動きは変わっていない。大きな鞄にも特に何も言われることはなく、思いのほかあっさりと巡視艇のあるゲートまでたどり着いた。

 予約した小型巡視艇はモビルスーツを収納できる一番小さなサイズの船で、備え付けのハロを助手として使えば単独でも飛行可能なものだ。今のエランには都合が良かった。

 実習にも使われるほど扱いやすいので、大体の生徒たちは運転できるだろう。

 素早く船に乗り込むと、何よりも先にまず更衣室へと向かった。鞄の中のスレッタを早く解放してあげたかったからだ。

 反重力を利用した鞄は普通のものよりも移動時の負担は少ないだろうが、それでも快適とは言い難い。折り畳んだ体はそれだけで血流を悪くさせるし、呼吸もし辛くなる。

 慎重に鞄を開けると、変わらず眠り続けるスレッタの姿が現れた。苦しそうな様子はなく、ほっと息をつく。

 備え付けのパイロットスーツにスレッタを着替えさせ、エランも手早く着替えると今度はモビルスーツの点検に行く。

 機体の状態とフライトユニットの推進剤の残量を素早くチェックしていく。管理施設のスタッフはきちんと仕事をしたようで、特に問題は見当たらなかった。

 後は出発するだけだ。

 助手席に意識のないスレッタを座らせて固定する。よく薬が効いているようで、いまだに起きる気配はない。

 コンソールの電源を入れ、生徒手帳をセットしてハロと同期させる。受付では危険を承知で自分の生徒手帳を使ったが、船を動かすだけなら他人の物でも問題ない。発行されたIDを手入力すればいい。

 ハロの音声は必要ないのでサイレントモードに切り替え、目的地を入力する。最初は怪しまれないように、スレッタと決闘した領空外の近くだ。

 一通りの作業を終えると、管制室へと連絡して発艦許可を願い出た。

 しばらく待つと、管制室から許可のアナウンスが入る。今のところ妨害の様子はなく、ゲートの扉が徐々に開いていく。

 物理的に操作する必要もなく、オート操作に切り替えた船は滑らかにゲートを通っていった。

 そして、エランとスレッタを乗せた船はあっけなく宇宙港の外へ出た。拍子抜けするほど簡単に、モニターに映したフロントの姿が遠ざかっていく。

 フロントが視界から消えた辺りで、エランは少し体の力を抜いた。

 ひとまず山場は脱した。早い段階…昼の時点で計画がバレていれば、管理施設での拘束もありえた。

 やはり体内から発信機を取り出せたのが大きい。シャディクとの取引を思い出しながら、自身で傷つけた耳を触った。

 少しの間感傷に浸るが、すぐに思考を切り替える。

 ペイル社へ渡す情報の選択。死の偽装。手配した船との合流。…どれも頭が痛くなることばかりだ。

 幸いなことに管理された領空内にいる間はすべてハロに任せても問題ない。エランはすぐに運転席を離れ、色々と細工をしに行った。

 作業をしている間は、何も考えなくていい。

 ペイル社へ渡す情報の選択も。死の偽装も。手配した船との合流も。

 …そして、スレッタが起きた後の事も。

 エランは努めて何も考えないようにしていた。心の奥底から何かが湧き出ようとしていたが、必死にそれを封じ込めていた。


 ───ピピッ

 モニターが音を出して、もうすぐ目的地だと知らせて来る。

 作業を終えたエランは運転席へと戻り、行儀悪くシートにもたれかかっていた。スレッタを連れての逃走を決めてから、もう十数時間は経っている。途中で仮眠はしたが、ほとんど動き詰めだ。

 ゆっくりとシートから起き上がると、コンソールに繋げた生徒手帳を操作して情報を追加していった。

 目的地の変更。

 オート機能の半解除。

 デブリ探知範囲の拡大強化。

 あとは…。

 エランはもう一度自分の生徒手帳を取り出した。今はまだ領空内にいるので、電源さえ入れれば問題なく通話ができる。

「………」

 生徒手帳を見ながら、どんな毒を作るか考える。

 今の自分は狂人だ。突発的にスレッタを道連れにすることを思い立ち、たまたま上手くいっただけの馬鹿な男だ。

 けれどただ狂っているだけの男の言葉では、相手の心には何も残らないだろう。…相手も狂っているのだから。

 生徒手帳の電源を入れた。連絡先は、ベルメリア・ウィンストン。

 プロスペラ・マーキュリーとは別の毒を彼女に流さなければならない。


「こんばんは、ベルメリア・ウィンストン」

『4号、突然連絡なんてどうしたの?』

 予想に反して、ベルメリアの声は平常通りだった。エランの異変に気付いていないのか、訝しんではいるものの特に焦った様子はない。

 監視員が報告を怠ったか、あるいは生徒手帳のログをまだ確認していないのかもしれない。

 まだ余裕はあったんだな。何だか可笑しくなって、エランはくすりと笑った。

「べつに、最後にアイサツでもしようかなと思って」

『…4号?』

 くすくすと笑いながら、投げやりな口調でそう言うと、ようやくベルメリアの声に疑惑の色が乗った。

「僕はまだペイル寮のトレーニングルームにいると思ってるんだろ?監視員に聞いてみなよ、生徒手帳のログはどうなっていますかってね」

『!あ、あなた、今どこにいるの…!?』

「話が早いね、手間が省けていい。…ああ、どこにいるかだっけ。フロントの外だよ。もうすぐフロント外宙域に出る」

『な、なぜそんな所に』

「なぜって、邪魔されない為にだよ。これから僕はスレッタ・マーキュリーと一緒に死ぬんだ。2人で一緒に。…素敵だろう?」

『───な』

 絶句している。まぁそうだろうなとエランは思う。長い事大人しく家畜をやってきた子供が、処分直前になって突然暴走したのだ。無理はない。

 …けれど。

「僕の消費期限はあとわずかだと、それをご丁寧にも教えてくれたのはアンタだろう、ベルメリア・ウィンストン。叶いもしない報酬をぶら下げて今まで散々搾取して来たアンタが、今更何を驚いているんだ」

『4号、落ち着いて』

「落ち着いてるよ。そっちこそ僕を『落ち着かせて』どうするつもりなんだ。そんなに自分たちで用意した絞首台に上がらせたいの?」

『………』

「僕の命はあと僅かだ。ガンダムに乗らなければそれなりに生きられるだろうけど、どうせペイルは僕の体を外に放り出す気なんてない。機密事項の塊だからね。そうだろ?」

『………』

「なら、好きな所で死んでやる。ペイルも僕を殺処分する手間が省けていいだろう」

『………スレッタさんは』

「うん?」

『スレッタさんは、すぐそばにいるの?』

「いるよ、僕の隣に座ってもらってる」

『…起きているの?』

「怖がらせるといけないからね、眠ってもらってるよ」

『あ、あなた、自分が何をしてるか分かっているの。人を攫って、殺そうとしているのよ』

「…だから何」

『スレッタさんが、可哀そうだと思わないの』

「………」

『4号』

「…どうせ彼女も碌な目に合わない。エアリアルはガンダムだ。ガンダムに乗る人間はすべて呪われるに決まってる」

『そんなこと』

「あるんだよ。エアリアルと戦って分かったんだ。あの機体は普通じゃない。普通の手段で作られていないってね」

『………』

「…ベルメリア・ウィンストン。これは忠告だけど、もうガンダムからは手を引いた方がいい。その方が幸せになれるよきっと」

『………それこそ、いまさらよ』

「…そうだろうね。アンタはそう言うと思った」

『4号、わたしは…』

「言わなくていいよ、ベルメリア・ウィンストン。可哀そうで馬鹿なアンタに、1つ良いことを教えてあげる。その代わり、僕の頼みを聞いて欲しい」

『…なぁに?』

「ルブリスという機体を探すといいよ。オックス・アース・コーポレーションが、21年前に作らせていたガンダム試作機だ。型式番号はXGF-02。ベネリットグループのどこかに隠されているはずだ。それを探してAIを解析すれば、きっとファラクトの呪いも軽減できる」

『あなた、その情報をどこで…』

「さてね、プロスペラ・マーキュリーの陣営も一枚岩じゃないんだろう。…それで、僕の頼みだけれど」

『…ええ』

「次の強化人士には、出来るだけのことをしてあげて欲しいんだ」

『………』

「僕はもう間に合わない。だけど次の彼ならきっと、助けられるはずだよ。ベルメリア・ウィンストン」


 通話を切る。

 ごく親切な振りをして、エランは毒を流した。末期の毒だ。それ相応に効いてくれるだろう。

 ベルメリアが素直にルブリスを調べ始めればそれで良い。保身に走って何もしなくても、どうせ通話内容はペイルにも知られる。ペイル社とプロスペラ陣営の敵対は必至だ。

 読めないのはペイル内にいるプロスペラの内通者の動きだが…。

 まぁ、直接は自分たちには関係のない話だ。『彼』がどんな動きをしようと、ひとりの力では混乱を止められないのだから。

 船はもう領空灯のエリアから出ている。ここから先はデブリの危険がある宙域だ。

 エランは更にコンソールに繋げた生徒手帳を操作して、船の通信状態の解除を行った。かろうじて追えていただろう管制室からも、巡視艇の信号は消えたはずだ。

 目指す宙域までは丁寧に船の操作をする。もうオート操作も解除して、ハロにはエランの補助に留まってもらっている。

 所々デブリのマークが消えたり増えたりしている画面を見ながら、エランはどこか力のない声で、ぽつりとスレッタに話しかけた。

「…ルブリスの事を口にした途端に、君の名前を出さなくなるなんて。まるで僕らはガンダムのオマケでしかないみたいだ。ひどいね…本当に」

 ねえ、スレッタ・マーキュリー。

 震えた声で同意を求めるが、返事はない。当然だ、自分が眠らせたのだから。


 水面が乱れる。

 静かに、無視できないほど確実に、波紋は広がっていった。








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