ごめんねスレッタ・マーキュリー─きみが呼ぶ名前(前編)─

ごめんねスレッタ・マーキュリー─きみが呼ぶ名前(前編)─


※更にオリキャラ注意です




 あと少しで中継地点のフロントに着く。

 エラン・ケレスは何か忘れている物はないかと、初日に渡されていた荷物を改めて確認した。

 数日分の水、食料。着替え。今時珍しい現金に、端末に移し替える事が容易な電子マネーカード。他にも細々とした衛生用品や常備薬が、手ごろなポーチにいくつか纏まって入っている。

 すべて一般的なメーカー品で、個人が所有していてもおかしくない品物ばかりだ。用意された服も高額なブランド品などではなく、自分でも知っているような、各フロントで数多く出展されている小売店の物だった。

 メーカー名が分からないのは、スレッタ・マーキュリーの手を素手で触らないように用意してもらった手袋くらいだろうか。

 今の時代では必須の端末機器は入っていないのだが、これはフロントに着いた後に手に入れられるだろう。市民カードが届けられた後で契約すればいい。この3日は端末など無くても普通に過ごせたので、おそらくは大丈夫だ。

 エランは纏められた荷物が入った鞄を手に持った。何の機能も付いていない、使い古されたごく普通のアタッシュケースだ。スレッタにも同様の物が与えられている。

「スレッタ・マーキュリー。必要最低限の品は入っているけど、他にもあった方がいい物は思いつく?…端末機以外で」

「そうですね。暇をつぶせるモノがあれば嬉しいですけど、うーん…」

 スレッタがぽつりと呟く。あまり我が儘を言わない彼女から出た言葉に、エランは傍らに立っている壮年の男に顔を向けた。

「少々お待ちください」

 と言い残して男は部屋を出て行った。何か用意するつもりなんだろう。

 スレッタは自分の発言に慌てていたが、次の船ではずっと一緒にいられる訳ではない。離れている間に彼女が気兼ねなく過ごせるように出来るなら、少々の荷物が増えたところで構わなかった。

「失礼いたします」

 壮年の男が戻ってくると、にこやかな笑顔と共にスレッタに古い型のタブレットを差し出してきた。

 …端末機以外でと言ったのを、聞いていなかったのだろうか。

 胡乱な目で差し出されたタブレットを見ると、壮年の男は笑顔で説明を付け足してくる。

 古い型なので情報のやり取りは出来ない事。追跡できるような部品は付け足されていない事。新しい端末機器を手に入れれば処分してもいい事。

 更にはエランの狭量を遠回しに攻めるようなことまで言ってきたので、こちらを伺うように見ていたスレッタに仕方なく頷いて見せた。

 彼女はそっと両手をあげて、壮年の男から古いタブレットを受け取り礼を言った。男はにこやかに対応している。

「………」

 後でスレッタに言って少し触らせてもらおう。さすがに分解はしないが、中に入っているアプリなどを確認した方がいいだろう。そう思いながらも小さくため息を吐いた。

「ではそろそろお時間です。先方も港に着いている頃だと思いますので、すぐに引き継ぎいたしましょう」

 男の言葉に頷いて、3日間世話になった部屋を出る。次の船は民間の輸送船だ。そこでエラン達は秘密裏に船に乗せてもらう事になる。

 片方は透明な客人として…もう片方は臨時のスタッフとして。


「よぉー!おやっさん!久しぶりだなぁ!!」

 港の乱雑とした雰囲気に大声が響きわたる。声を出したのは今まさにエラン達と共にいる壮年の男だった。

 その細い体から出たとは信じられないほどの声量にエランはぎょっとする。スレッタもびっくりしたのか体が少し跳ねてしまい、繋いだ手がわずかに引っ張られた。

 口調と動き方を乱暴なものに変えた壮年の男は、1人の男に歩み寄っている。

「おおう、話は聞いてるぜ。何かお偉いさんのボンボンに目ぇ付けられたんだってぇ?」

 返事をしたのは筋骨隆々とした初老の男だ。頭に白いものが混じり始めているが、体は厚く、動きはゆったりしているが大振りで声も太い。なんというか、存在感が強い男だった。

 どうやらこの男が次の船の船長らしい。壮年の男は親し気な口調でエランとスレッタの事情を説明している。

 上級スペーシアンに目を付けられたアーシアンの子供が、どうにも進退窮まったので仕方なく実家に逃げ帰る。そういうシナリオになっている。

 初老の男もアーシアンのようで、2人にいたく同情してくれた。船員に手は出させないと約束をして、仕事の手伝いさえすれば料金はいらないとまで言ってくれる。

 名前を聞かれたので答えようとすると、先駆けて壮年の男が口をはさんだ。

「男の方は『ケビン』、女の子の方は『ローズ』だ。ほら、お前らアイサツしろ」

 勝手に名前を決められているが、いずれにしろ偽名は必要なのでエランに否やはない。隣で固まっているスレッタの手を静かに放すと、一歩前に出て挨拶をする。

「ケビンです、よろしくお願いします。…こちらはローズ」

「すれッ…あ、ろロロ…ッローズ…っです!よろひくお願いしまッ…ましゅ!!」

 久しぶりにスレッタの慌てた口調が出た。用意していた偽名が使えなくなったので仕方ない。軽く会釈をするエランの横で、彼女は直角に腰を折って勢いよくお辞儀をしている。

「じゃあ任せたぜおやっさん。後で酒でもおごるよ」

「おう、帰りにここに寄るだろ。そん時になぁ、ついでに飯でも食おうやぁ」

 年を取った男たちがふざけながらも別れの挨拶を交わす。エランにとっては初めて見る光景だ。

 挨拶を終えた壮年の男がエランのそばに引き返して来る。そのまま通り過ぎるかと思ったが、そっと耳打ちをしてきた。

「ではこれにて失礼いたします。…先ほど告げた偽名は、最初の船の2人のものです。たくさんある名前のうちの1つですが、どうか覚えてやってください」

 あなた方の事を、気にかけていたようなので。

 それだけ言うと、「じゃあなー」と男は後ろ手に手を振りながら自分の船の方へと戻っていった。その姿はもう研究員のようだとは思えない。

 ひらひらと適当に振られている手を見つめる。最初の船で手を振ってくれていた男と女性スタッフの姿が思い浮かんだ。

 …覚えていられるように、その人の名前を代わりに名乗る。

 そんな偽名の使い方もあるのかと、エランは驚いていた。


 そうして、エランとスレッタは3隻目の船に乗り込んだ。今度の船は随分と小さく、またオンボロだ。細かな傷が無数にあるせいで、船体そのものが霞んで見える。

「じゃあ次のフロントに着くまでの2日間、よろしく働きなぁ」

 初老の男はそれだけ言うと、傍らにいた中年の男に2人の世話を頼んでいた。

 中年の男の案内で、まず小さな倉庫を仮の部屋として荷物を置かせてもらう。きちんと寝袋が壁に備え付けてあり、一応の用意はしてくれたことが分かる。

 そこで中年の男から簡単な説明を受ける。食事は1日3回、トイレは共同、風呂やシャワーはない。代わりに体を拭くシートだけは支給されるらしい。

「分かりました。ローズも分かった?」

「は、は、ハィ…えら、け、けびん?さん…?」

「…仕事してくるから、ローズは休んでいてね」

 混乱しているスレッタには悪いが、エランはすぐに中年の男と部屋を出ていった。きちんと鍵が内側から掛けられるように改造されているので、誰かが来てもエランの声がしない限りは開けないように言い含めてある。

「ちょうど港で搬入作業があるんだ。ちょっとキツイかもしれないが、単純作業だから仕事自体は簡単だ。がんばれよ」

「はい」

 男の言う通り、作業自体は簡単だった。小さな子供でも理解できるだろう内容だ。ただし、体力は消耗した。

 一応パイロットとして体は鍛えていたつもりだったが、おそらく使う筋肉の種類が違う。最後の方は体が鈍い痛みを訴えていた。

 初日は朝に港で搬入作業。昼前に港を出発して、移動している間に船内で仕分けの作業を行う。これも単純だが、とにかく数が多い。どこへ運ぶ荷物か確認して、指示の通りにまた荷物を移動していく。

 解放されたのは夜になってからだった。更衣室でシートを使って体を清めると、エランは食事を持って倉庫へと戻った。

「あ、お、おかえりなさい、エランさん」

「………。ただいま、スレッタ・マーキュリー」

 迎えの挨拶に、一瞬動きが止まる。こんな風に温かい言葉を貰えたのはいつぶりだろうか。思い出そうとするが、もう朧げな記憶の中には似たような事柄はついぞ見つからなかった。

「何か不都合はなかった?」

「いいえ、何も。…お手洗いの時だけ部屋を出ましたけど、ごめんなさいエランさん」

「いや、仕方ないよ。幸いこの船の人たちは人数も少ないし、よく統率されているようだ。大人しくしていれば滅多なことは起こらないだろう」

「タブレットがあって、助かりました。何もすることがないって、結構たいへんなんですね」

「………」

 壮年の男は存外良い仕事をしてくれたようだ。エランがそばにいない時間をどう過ごすのかという問題を、タブレット1つで解決してくれた。

 地球降下後。ひとつどころに留まるとすれば、スレッタを家に閉じ込める必要がある。彼女の気が塞いでしまわないよう、これを参考に十分に気を付けなければならない。

「ごめんね、もう少しの辛抱だから」

「だ、大丈夫です。エランさんの方が大変なのに、文句を言ってごめんなさい」

「文句とは違うと思うけど。…きみがどう感じてどう考えたのか、僕はもっと聞きたい」

「あ、…は、早く食べましょう。お話は、ね、ね、寝る前に…」

「そうだね、食べようか」

 支給されたのは普通の宇宙食だ。肉に、野菜に、パンにスープ。ごくシンプルなものだが、疲れた体にはとても美味く感じる。スレッタもおいしそうに食べていた。

 それからしばらく食休みとして会話をして、それぞれ寝袋に入り就寝した。エランはここでも浅い眠りを繰り返すつもりだったが、存外深く寝入ってしまったようだ。起きた時には数時間が経っていた。

 次の日はそれほど多くの仕事はないと言われた。フロントへ着いた日は搬入作業や仕分けで忙しいが、移動している間は主に荷物や施設の点検。装備品の補修や修理。そういう細々とした仕事が主になるようだ。

 そんな中でエランが与えられた仕事は、船内の掃除だった。

 大まかに通路を綺麗にして、それが終わったら細かい部分を清めていく。最初は少し手間取ったが、だんだんと作業効率も上がり、夕方になるころには予定していた仕事を終了できた。

 早く終わったこともあり、昨日よりもゆっくりとした時間をスレッタと過ごす。なんだか居心地が良く、無重力状態であることもあってか、この日もエランは少し長く眠ってしまった。

 そうして3日目の朝。早朝の時間帯に次の中継地点のフロントへ到着した。

 2人は初老の男の後について船を出た。この数日で馴染みになった船員に別れを告げると、次の船へと引き継ぎをするために港を歩いていく。

 まだ早い時間だが、宇宙港はすでにそれなりの賑やかさだ。きょろきょろと辺りを見るスレッタの手を引いて歩く。

 男は2人の様子を横目で見ながら、おもむろに口を開いた。

「次の船の船長は俺の甥っ子でなぁ、ハンスの奴の友人だ」

「ハンス?」

「なんだ、聞いてなかったか。俺のところにお前らを連れてきた奴だ。あのひょろひょろの」

「ああ」

 あの印象がころころと変わる食えない男は、ハンスという名前を名乗っているらしい。おそらくこれも偽名の1つだが、初老の男の話しぶりでは長く使っている名前のようだ。

 ぼんやりと先の男の事を思い出していると、あいつに気に入られるとは大したものだ、と男は言ってきた。

 まったくそうは思えなかったが、どこをどう見てそう結論付けたのだろうか。エランは首をかしげて男を見る。

 初老の男はおかしそうに喉を鳴らして、1つの秘密を打ち明けてくれた。

 少年の方があまり眠れていないようだから、疲れさせるような仕事を与えてやってくれ。そんな内容のことを、男…ハンスが頼んできたことを。

 目を丸くするエランに、よく眠れたようだな、と初老の男はにやりと笑った。次いで、船員のいう事をよく聞いてよく働いていたと、仕事ぶりを評価してくれる

 てっきり放置されていると思っていたが、実は注意深く見てくれていたのだ。

 それに気づいたエランは、少し俯いて髪で顔を隠した。なんだか少し、頬が熱くなっている気がしたからだ。

 スレッタが嬉しそうに繋いだ手をつんつんと引っ張ってくる。彼女の方を向くと、耳の近くに顔を寄せて来た。

「…エランさんが褒められて、わたしも何だかとっても嬉しいです」

 誰にも聞こえないように小さな、けれども少し弾んだ声。


 エランは声に出さず、彼女の手をぎゅっと握ってそれに答えた。










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