ごめんねスレッタ・マーキュリー─僕の大事なスレッタ─
※エアリアル君視点。一人称SSです
早朝のアスティカシア。
いつもは静かなハンガー内が、この日は俄かに騒がしくなった。
ひょいひょいと身軽に近づいてきた女の子が、僕の中を覗きこんでくる。
「チュチュ、どうだった?」
「ダメだ、いないよニカねぇ!」
「そんな…じゃあどこに…」
顔なじみの女の子たちが、とても悲しそうで、焦ったような顔をしている。
僕は知っている。この子たちは、『ニカさん』と『チュチュセンパイ』だ。
彼女たちは僕の中だけじゃなく、僕の後ろや、僕の装甲の隙間まで確認すると、ガッカリしたようにハンガーを出て行った。
それからも、時間差で僕の元にいろいろな人が来た。
気だるげな『ヌーノさん』。お調子者の『オジェロさん』。
しっかり者の『ティルセンパイ』。占いが得意な『アリヤセンパイ』。
気配り上手な『リリッケさん』。優しくて気弱な『マルタンセンパイ』。
放し飼いにされている『ティコ』や、鶏さんたちまで…。これは、関係ないかな。
でも彼らもなんだかソワソワしている。
いつもとは空気が違う、早朝のアスティカシア。早朝の地球寮。
そんな中、僕の心はジワジワと期待と不安に染まりかけていた。
最初は、ほんの少しの好奇心だった。
僕の家族、僕の大事な女の子が、学園に来てから仲良くなった人がいる。
何だかんだと受け入れてくれた地球寮のみんなや、ひょんなことから花嫁になってしまった『ミオリネさん』。
この人たちのことは、彼女はいつも楽しそうに、たまに不安げに、話してくれる。
だけど、ひとりだけ。こっそりと大事な秘密を打ち明けるように、彼女が口に出す人がいる。
それが、初めて会った時から親切にしてくれた『エランさん』だ。
彼はどうやら、僕が捕まっている間、僕の家族である彼女を励ましてくれたらしい。
その後も、困った時に手助けしてくれたり、やりたい事リストを叶えてくれたり、色々親切にしてくれたらしい。
彼のことを話している間、彼女の大きな瞳はどこかうるんで、まるで宝石のように綺麗にツヤツヤと輝いていた。
僕はすぐに分かった。彼女は恋をしているんだ。
内臓されているライブラリには、お母さんの検問を通った映像作品やコミックがたくさん収録されている。
もちろん僕もすべて内容を知っている。
だから分かる。これは恋だ。
それを知った僕は嬉しくなった。
これはもしかして、彼女のやりたい事リストにある『デート』の項目が叶うんじゃないだろうか。
ソワソワとしながら時を待つ。そして、その時はやって来た。
決闘場の見回りという名目で、彼と2人でお出かけする。
何とも色気のないものだけど、まだまだデート初心者な彼女にはちょうどいい内容だ。
特に保護者同伴というところが気に入った。
もちろん、保護者というのはこの僕だ。
僕の中に入って来た2人は、とってもいい雰囲気になっていた。と、思う。
少なくとも彼女は嬉しそうにしていた。
風向きが変わったのは、エランさんが僕にひとりで乗ってみたい、と言ったことだった。
乗せてみて、驚いた。彼はガンダムを知っている。
それどころか、恐らく何度も乗ったことがある。
パーメットリンクで彼と繋がり、そして分かった彼の状態は、そりゃもうひどいものだった。
神経系が傷ついて、記憶領域がボロボロになっている。体調も慢性的に悪いはずだ。
けれど彼は、何でもない顔をしていた。
何でもない顔をしていたのに、僕と繋がったあと、彼はとても苛立たしそうに僕にヘルメットを投げつけて来た。
一瞬、ムッとした。彼女には僕に乱暴しないと言ったくせに、嘘つきな男の子だ。
けれど、彼はとても傷ついていた。とてもとても傷ついた顔をしていた。
気になった僕は、パーメットを使ってもう少し深く潜ってみた。どこにって、彼の内面世界にだ。
これは本当に、ただの気まぐれだった。
パーメットは情報を伝達する性質がある。
特にパーメットから生まれた人格を持つ僕には、彼の中にあるパーメットから情報を読み取ることだってできる。
アタッチメントで繋がっている今なら、彼の中を覗き見ることなど造作もないことなのだ。
彼に気付かれないよう、そして傷つけることがないように、静かに慎重に進んでいく。
そうして知った。
彼の境遇を。
想像していたよりもひどいものだった。
彼はまるで、物のように消費される存在だった。
僕は驚き、悲しみ、憤り。もっともっと深く彼の中へと潜っていった。
記憶は虫食いのように欠けている。おそらく、彼の乗っているガンダムに溶けてしまっているのだろう。
それでも、出来る限り彼の情報を集めていく。
しばらくして、色々とあったデートが物別れに終わり、意気消沈した彼女と一緒に僕は帰った。
けれど僕はハンガーでひとりになった後も、集めた情報を見続けていた。
いや、ひとりというのは語弊があるかもしれない。僕には頼りになる仲間がいた。
エスカッシャンの意識を呼び出す。
彼らは気まぐれな妖精さんのような存在だけど、僕がお願いすれば大抵のことは叶えてくれる。
───ねぇ。お願い。この情報をもとに、『扉』を開けられないか試してみて欲しい。
力強く返事をしてくれる子。面倒そうに返事をしてくる子。
個性豊かな彼らは、それでも僕に協力してくれる。
扉を開ける、というのは比喩表現だ。
お母さんが使った言葉を、今まで名前が付いていなかった現象に当てはめただけ。
その現象と言うのは、疑似的な未来予知のようなものだった。
パーメットで情報をやりとりする時、複数の人格を持った僕らが1つの物事を考え続けると、まれに扉が開かれたように一気にこれからの事が分かるときがある。
高度な演算作業の末、過程と結果が臨場感を持って出力されただけかもしれない。
あるいは本当に、別次元の扉を開けて誰かの記憶を覗いているのかも。
真相は分からないが、水星時代に何度か起きた現象でもある。
これで結果的に命が助かった老人もいる。
家族の誰にも言っていない、僕らの秘密の能力だ。
考える。考える。情報をもとに、どうなるか考え続ける。
そして、扉は開かれた。
僕は、悲鳴をあげた。
チャンスは一度きりだ。
僕らは宇宙空間で決闘していた。
怒って傷ついたエランさんは、僕の身柄を巡って彼女に戦いを仕掛けてきた。
最初は困惑して悲しんでいた彼女も、今は決意をもって戦いに挑んでいる。
彼女は進んでいる。
進んで2つを……彼と自分の未来を掴もうとしている。
───でも駄目だよ。それじゃ駄目なんだ。
僕の声は彼女には届かない。もし届いても、どうしようもない。
だから、僕が声を届ける相手は決まっているんだ。
戦いの最中、僕ともう一機のガンダムは加速すると領空灯の外へ出た。
この先は何の保障もされていない天然の宇宙空間だ。
まだ加速する。まだ。…まだ。
相手の軌道が不規則になってくる。このままじゃエランさんの体がもたない。
それを証明するように、彼は視界に飛び込んできたデブリを間一髪のところで避けていた。
体勢を立て直そうとして、できる隙。
その時、彼女が攻撃を仕掛けた。
エスカッシャンに『お願い』して、黒い機体に幾筋ものビームを放つ。
彼は今度もかろうじて避けたが、手に持っていたライフルを無くしてしまった。
けれど、丸腰になったと思ったのは一瞬だった。
彼はすぐさま足に内蔵されていたビーム兵器で、こちらのフライトユニットを破壊してくる。
機動力を失った僕に、相手は畳みかけるように大量のビットを展開する。
特殊な電磁ビームによって、僕の体の自由は奪われてしまった。
「あ…ッ!」
彼女が動揺でモニター画面から目を逸らす。
───いまだ!
僕はすかさず、エスカッシャンに号令をかけた。
彼らは僕の周りに集まり、ありったけのパーメット粒子を放射する。
パーメットは伝達物質だ。
その粒子1つ1つに情報を乗せて、相手に叩きつけることだって、僕らなら可能なのだ。
生憎と僕らの発したパーメット粒子は、その大半が黒いガンダムに吸われてしまった。
けれどエランさん自身にも確実に届いた。おそらくは、十分な量が。
いま切り分けたパーメットは、僕の分身のようなもの。きっとエランさんに必要な情報を届けてくれる。
できればパーメット汚染そのものも何とかしてあげたいけれど、そこまでは望み薄かもしれない。
でも、やれるだけのことはやった。
脱力する僕をよそに、動きを止めた黒いガンダムをエスカッシャン達が仕留めている。
四方八方からの攻撃に、とうとう相手のブレードアンテナが破壊された。
現れる『WINNER』の文字。
勝負はついた。
とりあえずは、僕らの勝ちだ。
───みんな。おつかれさま。
定位置に戻ったエスカッシャン達に労わりの言葉をかける。
1体だけ執拗にコックピットを狙ったヤンチャな子がいるけど、今だけはお説教はしないでおいた。
パーメットを大分失ったので、しばらくは大人しく回復に専念しなければいけないからだ。
今のはいわば僕らの脳、僕らの心を失ったようなもの。
もちろんバックアップは取ってあるけど、パーメット自体の総量は確実に少なくなっている。
これを何度も続ければ、僕らはせっかく出来た人格を失うだろう。
だから、奥の手。僕らの最終手段だ。
彼女がお礼を言ってくる。僕はそのお返しにエランさんが危ないよと教えてあげた。
彼女は慌てて彼を救助しにコックピットを出ていった。
助け出されるエランさん。
彼は何だか、憑き物が落ちたように穏やかな顔をしていた。
2人は何をするでもなく、ただ話をする為だけに危険な宇宙空間を漂っている。
僕はそれを見ていた。
その光景を、僕は祈るようにずっと見ていた。
そして現在、僕はひとりでハンガーに佇んでいる。
時々来る人が、僕の目の前で喋り合ったり、僕に話しかけたりしてくる。
どうやら、ペイル寮の『エラン・ケレス』が学園に戻ってこないらしい。
エランさんの事だ。
そうして、僕の家族の女の子も、いなくなってしまったらしい。
───成功だ。……きっと、成功したんだ。
僕は寂しくなる。けれども、僕は誇らしくも思う。
切り離した分身は、エランさんに必要な情報を渡した。あの恐ろしい可能性の世界を、きっと彼にそのまま見せた。
そして、彼女を連れて逃げてくれと説得したはずだ。
おそらくそれは、成功した。
だから2人は今いないのだ。
1日。2日。3日。…1週間を過ぎる頃には、確信に変わった。
相変わらず、僕はハンガーで独りぼっちだ。
もうしばらくすれば、きっとお母さんが迎えに来てくれる。
僕はそこで、1つだけ嘘をつくことにした。
彼女の中には、僕のパーメットが入ったままになっている。
だからじつは、それをアンカーにして、彼女の行方を捜すことが可能なのだ。
けれども、僕は彼女の中の自分の分身をそっくりそのまま眠らせていた。
彼女の体に拡散してしまわないよう、厳重にフタをして、ただ深く沈みこませる。
そうして僕は、嘘をつく。
まるで彼女がこの世界からいなくなってしまったように、何の反応も返さないことにする。
きっとお母さんは、がっかりするだろう。
扉を開けて見たあの世界が本当なら、お母さんはもうひとりの娘を手に入れる為に、彼女を犠牲にするつもりなんだから。
彼女がいなければ、娘は戻ってこないんだ。
でも、それでいいじゃないか。
お母さんは、家族が大好きなあまり、考えて考えすぎて。きっと突拍子もないことを思いついてしまっただけなんだ。
彼女を犠牲にすれば、たとえもうひとりの娘が戻って来たとしても、後悔するのはお母さんだ。
だって、自分の手で娘の片方を殺してしまうことになるんだから。
そんな事、耐えられる訳がないんだ。
僕はお母さんの子供なんだから、それくらい分かるよ。
だよね?お母さん。
そうして僕は待つ。彼女の心が成長するのを待っている。
彼女の中の僕の分身は、彼女が確固たる強い心を持つことができるまで、起きることはないだろう。
お母さんの意見に流されないようになるまで、僕は彼女との繋がりを断ったままにしておくつもりだ。
すごく時間がかかるだろう。
もしかしたら数年はかかるかも。
でも、いつかは成長すると信じてる。
だって、彼女が好きになった男の子が一緒なんだ。
僕ほどじゃないけど、僕の次くらいには彼女を守れる男の子だと信じてる。
彼女を信じてるから、彼の事も信じられるんだよ。
僕の家族。
僕の姉弟。
僕の小さなパイロットさん。
君は、地球に行きたがっていたね。
ガンダムだから一緒に行けないと、意地悪を言ったこともあるけれど。
君はいま、どこにいるんだろう。
もう地球には降りた?
そこは、綺麗な世界かな?
ねぇ。
僕の家族。
僕の姉弟。
……僕の、スレッタ。
離れていても、僕らは家族だから。
繋がっているから。
だから、祈ってるよ。君のことを。
きっと、きっと、幸せになれるように、祈っているよ。
だから、2人で仲良くね。