ごめんねスレッタ・マーキュリー─きみが呼ぶ名前(後編)─

ごめんねスレッタ・マーキュリー─きみが呼ぶ名前(後編)─


※引き続きオリキャラ注意+主人公達への偽名設定注意です




「おじさん、こっちだよ」

 初老の男に付いていった2人を待っていたのは、背の高い穏やかな表情の男だった。

「久しぶり、ハンスから話は聞いてるよ。この子たちを連れて行けばいいんだろう?」

「おおぅ、そうだ。業突く張りなスペーシアンに捕まらねぇようにな。いい子たちだから面倒ごとは起こさねぇだろうが、頼んだぞぉ」

 甥っ子だという割に、あまり初老の男とは似ていない。体は縦に長いが、それほど肉は付いていないように思える。ゆったりとした動作だけが血の繋がりを感じさせた。

 一言二言だけ声を掛けると、初老の男は「じゃあな」と言いつつ離れて行った。エランはそれを見送ろうとして、なぜか男に声を掛けていた。

「あの」

 咄嗟に声をかけたが、何を言おうとしていたのか自分でも分からない。少し迷った末に、名前を聞くことにした。

「名前だぁ?ああ、それなら甥っ子の名前を聞けばいい。元気でやれよぉ」

 初老の男は答えになっていない答えを告げると、ゆったりと背を向けて去っていく。

 立ち尽くすエランに、穏やかな男は笑いながら教えてくれた。

「僕の名前はゲイブ。おじさんの名前もゲイブ。僕らの名前は同じなんだ。区別をつけるために僕はリトルゲイブって呼ばれることもある」

 おじさんより背が高いのに面白いでしょ。

 そう言いながら、叔父と同じ名前を持った男はおかしそうに喉を鳴らした。

 エランとスレッタは改めて男に自己紹介をする。市民カードが届くまでは、ケビンとローズの名前を使わせてもらうつもりだ。

 穏やかな男は「よろしく」と笑って、2人に頼みたい仕事があると言ってきた。

 先の船とは違い、次は事務関係の仕事だ。スペーシアンの学校に通っていた子供なら、少しは戦力になると思ったのだろう。

「…専門的なものでなければ、おそらく可能です」

「わ、わ、わたしも、計算は得意…ですっ!」

 ひとりになっている時間が長かったからか、スレッタもやる気になっているようだ。どうやら彼女は困ったことに、仕事があるほうが嬉しいと感じる性質のようだった。

 穏やかな男は、手伝ってくれれば料金はタダでいいと言ってきた。

「…先の船長も同じことを言ってましたが、本来は密航なんて高額な料金を請求されるのでは?」

 困惑したようなエランの言葉に、穏やかな男は目を細めた。年齢の割に若く見えてはいるが、目尻にできた皺は深く経験を感じさせるものだ。

 男は言った。子供なんだから少しは大人に甘えてもいいと。…ついでに差額はハンスに奢らせるから大丈夫だと、こちらの気が咎めないように軽口も付けてくる。

「………」

 甘える、とはどういう事だろう。

 何だか初めて聞く言葉ばかりで、エランはどう対応していいか分からない。

 助けを求めるようにスレッタの手をぎゅっと握れば、彼女は楽しそうにふふっと声を漏らしていた。

 戸惑うエランをよそに、男は4隻目の船まで案内してくれる。

 男の指さす先には、まだ新しい高速船が鎮座していた。人口の太陽の光を浴びて、ぴかぴかと美しく輝いている。

 アーシアンの…それも工作員ではない身分でこんな立派な船を持つなんて、相当大きな規模の会社なんだろうか。

 感心していると、男は最近クジで高額金が当たったのだと打ち明けて来た。どうせなら夢だった最新鋭の船を買いたいと、借金までしてしまったらしい。

 いささか不安になりながら、エランとスレッタは4隻目の船に乗り込んだ。

 この船は壮年の男…ハンスの船と、初老の男…大ゲイブの船の、ちょうど中間のような大きさをしていた。扱っている荷物は主に地球産の加工食品とのことだ。

 食料生産フロントはあるが、まだまだ地球の生産力にはかなわない。近年では汚染された大地もだいぶ正常化が進んで、品質も改善されて来たようだ。

 スペーシアンが散々地球を汚していってから、もう100年ほど経っている。少しずつではあるが、地球は元に戻ろうとしている。聞けば海は大地よりも浄化が進んでいるらしい。

 シャディク・ゼネリがこの話を聞いたら喜ばしいと笑うだろうか。今も蟲毒のような場所で己の理想の為に戦おうとしている友の事を想った。

「さて、ここが僕の執務室だ。さいきん帳簿係が体調を崩してね。僕もできるだけ頑張ってたんだけど限界があって。少しでも手伝ってくれたら嬉しい」

「分かりました。ローズ、さっそく仕事に取り掛かろう」

「あっ!はい、えら、け、ケビン…ッさん。がんばりますっ!」

「ほどほどでいいからね」

 穏やかな男の言葉に頷くが、専用のタブレットを持った2人はほどほどという言葉を知らなかった。

 計算機も使わずに高速で打ち込まれる数字に、男は目を白黒させる。ついには仕事の指示の方が追い付かず、男の方が慌てることになっていた。

 結局、予定していた時間よりもはるかに早く仕事が終わった。次のフロントへ着くまでする事はないと言うので、何となく男と雑談を続ける。

 色々な話をする。地球の話。宇宙の話。苦労話。楽しい話。男は話題が豊富で、スレッタも楽しそうにしている。

 ふいにスレッタの読んだ物語の話になると、彼女はタブレットを掲げて笑った。

「これ、ハンスさんが持たせてくれたんです。本当に色々なお話があって、中にはとても刺激的な話もあって、とっても面白かったんですよ。主にコミックが入ってます」

「へぇ、コミック。僕も読んでるよ」

 どうやら男…小ゲイブもコミックに関心があるようだ。彼は好きな作品を描いている作者の話をしてくれた。

 その作者は変わっていて、作品の傾向ごとに名前を変えているのだという。まだすべてを集めきっていないが、面白い話が多いのだと熱心に語っていた。

 スレッタはその話を聞いてとても驚いていた。1つの偽名で慌てているのだから、複数の偽名を使い分けるなど信じられないことなのだろう。

「わたしは、混乱するから普段使う名前は1つがいいです…」

 彼女の言った言葉は、妙にエランの耳に残った。

 その後も雑談は続いた。夜になると、執務室の隣にある仮眠室でスレッタは眠り、自分と男は夜遅くまで話し合った。

 地球の現状の話が多かったので、男は自分たちがあちこちを移動しようとしていることを、もしかしたら見抜いていたのかもしれない。

 そうして、エラン達は地球へと降りるためのフロントへ到着した。

「これでお別れか。1日だけだったのに随分と世話になったね」

「…逆だと思いますが。その…お世話になりました」

「お仕事のお手伝いもお話も、楽しかったです!ありがとうございます」

 エランとスレッタの言葉に、穏やかな男は笑顔を浮かべる。これから男は少し先のフロントへ行って、また引き返して来るのだという。きっと戻って来た時にはハンスや大ゲイブと一緒に食事でもするに違いない。

 スレッタは貰ったタブレットを男に差し出し、ハンスに返してあげて欲しいとお願いしていた。

 エランは用意された荷物をここでほとんど入れ替えるつもりでいる。タブレットは真っ先に処分するべきものなので、彼女はそれが気になったのだろう。

 男…小ゲイブは快く応じてくれた。タブレットを受け取った彼は、手を振って2人を送り出してくれる。

 スレッタが大きく手を振り返している。それを見て、自分も小さく、手を振り返してみた。


「いい人たちでしたね」

「そうだね…驚くほどに」

 個性豊かな船乗りたち。共通するのは、子供を搾取しようとしない大人だという事だろうか。

 あんな大人もいるのかと、エランは目が覚めるような思いだった。

 指定された場所に近づくと、数人で小さなチラシを配っている女性たちがいた。貴重な紙を惜しげもなく配る行為は、珍しいことだが無いわけじゃない。

 どうやら近くの娯楽施設の宣伝のようだ。

 エランが近づくと、ひとりの女性が他の通行人にするのと同じようにチラシを差し出してきた。2人連れだからか、複数のチラシを手に持っている。

「………」

 何気なくそれを受け取り、指定の場所を通り過ぎる。しばらく歩いて、建物の陰になっている小道に入ると、チラシの間に挟まった封筒を手に取った。

 中には2人分の市民カードが入っている。…自分と、彼女のものだ。

 同封された小さなメモには、市民カードに記載された架空の人物の経歴が書かれている。


『カリバン・エランス 21歳 男』

『スカーレット・マーティン 18歳 女』


 安直な名前に、エランはため息を吐いた。

「『怪物のエラン』か…シャディク・ゼネリもいい趣味をしている」

「エランさん、新しいお名前ですか?」

「うん。当たり外れがあるって話だったけど、これはどっちだろうね」

 少なくとも大当たりではないだろうな、と思いつつ市民カードをスレッタにも見せる。さっそく彼女は覚えようと思ったのか、2人の新しい名前を連呼しはじめた。

 そんな彼女に、エランは笑いながら「…エランでいいよ」と告げていた。

 生憎と本名はまだ思い出せない。だから本当は、新しい名前を呼んでもらうのもいいかもしれないと思っていた。記憶を無くしてからはずっと、自分だけの名前が欲しかったからだ。

 けれど彼女があんまりにも、まっすぐに『エラン』と呼ぶから。

「…いいんですか?」

「いいよ。せっかく新しい名前にもエランという名が入ってるんだ。フロントにいる間だけ控えてくれれば、大丈夫」

 スレッタに頷くと、彼女の顔がジワジワと喜びで綻んでいく。

「僕の方は人目がある場所ではスカーレットときみを呼ぶけど。それはいい?」

「はい、構いません。ここ数日でローズさんも随分慣れました。スカーレットさんも、たぶん大丈夫です」

「じゃあ決まりだ」

 エランはスレッタの手を握って歩き出した。これから必要な物資を調達して、地球行きの船を予約しなければならない。

「エランさん、エランさん、地球ってどんなところでしょうね?」

 きょろきょろと周りを見たスレッタが、内緒話をするように耳元へ話しかけてくる。

「どんなところだろうね。きっと、もうすぐ分かるよ」

 それに答えながら、エランはもう気付いていた。

 本物でも、偽物でも、どちらでも同じだということに。

 口にするのがどんな響きのものでも、本質は変わらないということに。

 彼女の顔をじっと見る。地球の海のような、森のような、煌めいた碧い瞳を。…嬉しそうに自分を呼ぶスレッタの唇を。

「エランさん」

 うん。スレッタ・マーキュリー。


 きみが呼んでくれるのなら、僕はどんな名前だろうと構わないんだ。










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