――ごめんね、ゆい

――ごめんね、ゆい

大将

「ゆい、いるか?」


勝手知ったる和実家の庭に入りながら、拓海は声を上げる。幼い頃から何度も出入りしていたこの庭は、最早第二の実家と言っても差し支えない。

拓海の手には、二枚のチケットがあった。所謂クーポンである。期日は今月末まで。まだ余裕はあるものの、自分にも予定があれば、幼馴染の彼女とて予定がある。話を通すには早い方がいい。

そんなわけでやってきた和実家であるが、そこに幼馴染はいた。ただし、一人ではなく彼女の友人達と共に。

「あれ、拓海どうしたの?」

こちらに気付いたゆいが大きく声を張り上げる。彼女の視線に合わせて、仲間達もこちらを向いた。都合、四人分の視線に晒されながら、拓海は言葉を返す。

「あー……。いや、大したことじゃないから、また後にするよ」

もちろん、ファストフードのクーポンがあるから、等と告げるのは簡単である。しかし、そのチケットは二枚しかないし、出来ることなら彼女と二人きりで出かけたいというのが思春期の男心。

ゆいは首を傾げながらも、彼の言葉を信じたらしく、上げていた腰を下ろした。

また出直そう、と決めて踵を返す拓海だが、直後に足を止めることになる。

「待ってください、拓海先輩!」

大きな声。振り向く拓海の視線の先にいるのは、ゆいの友人の一人――芙羽ここねである。さらさらのボブヘアーを揺らし、立ち上がってこちらを見ている。

そんなここねだが、拓海は彼女との接点はほとんどない。無論ゆいの友人であることは知っているし彼女が伝説の戦士の一人、キュアスパイシーであることも知っている。だが、裏を返せばその程度のことしか知らないわけである。おそらくだが、彼女からしても『友人の幼馴染』程度でしかないだろう。

だからこそ、声をかけられる意味が分からなかった。

さて、何用だろうか。首を傾げた拓海やゆいの友人達。

そんな中で彼女は先と負けず劣らずの声で、衝撃的な言葉を告げる。


「拓海先輩、付き合ってくれませんか?」


時が止まった。

空気が凍った。

天使が通った。

表現は様々なれど、表すものはみな同じ。ここねの言葉で、全員の思考が確かに停止した。

「こ、ここぴー、それって……!?」

最初に起動したのはらん。顔を赤く染めて、友人の言葉に分かりやすく動揺している。彼女が言葉を発したことで、周囲の人間も動き出す。

みんなの態度を受けて、ここねは一度首を捻った。おそらく彼女の中ではおかしな言葉ではなかったのだろう。

ただ、傍から見れば明らかに言葉が足りておらず、その言い方は交際を申し込む際のそれである。

ここねはゆっくりと自分の言葉を振り返り、

「ち、違います!そういう意味ではなくて!」

あわあわと両手を振り乱すここね。どうせそうだろうとは思っていたものの、やはり内心では動揺していた拓海はバレないように細く息を吐いて、呼吸を整える。

「で、オレに付き合って欲しいって、何に?」

顔を赤く染めながら、ここねは自らのハートキュアウォッチを見せる。

そこにはある店のHPが表示されていた。

「拓海先輩はFuwa×2ベーカリーってご存知ですか?」

「えっと、確か女性に人気のパン屋……だったよな?」

Fuwa×2ベーカリー。拓海が語ったように、主に女性をターゲットとした人気のパン屋である。店の規模としては然程大きくはないものの、可愛らしいデザインの菓子パンが多く、カロリーにも気を使われており、幅広い層の女性から支持を受けているのが特徴だ。

拓海も名前は知っている。ただし、詳しい知識はない。男子としては可愛さやカロリーにはあまり興味はなく、買い食いをするのであれば、より彼好みの店がある。

「はい。そのお店で今度、こんなイベントがあるんです」

どれどれ、と一行は彼女のハートキュアウォッチを覗き込んだ。

「新メニューの募集?」

「そう。Fuwa×2ベーカリーは今まで女性層がメインだったんだけど……今度は男性向けメニューを出すそうなの」

ゆいの疑問に応じつつ、ここねの指がスライドする。そこにはまさに彼女が解説した通りの内容が記されていた。しかし、それだけではなく、まだ続きがある。

「なるほど、メニューの公募か。これで採用されたメニューは実際に商品として店頭に並ぶわけだ」

あまねが呟く。この手の試みは、この街では珍しいわけではない。美味しいものを求めてやってくる人の多くは舌が肥えているものだし、そうでなくても、一般人が何を求めているのかが分かれば商品展開はしやすくなる。

後は、そのメニューの公募に何かしらの特典を付ければ、店としても消費者としてもWin-Winである。

Fuwa×2ベーカリーの話も、それと同義であった。

「今日みんなに集まってもらったのはこの話をしようと思ったからで……出来れば、拓海先輩の意見も欲しいんです」

なるほど、と拓海は頷く。彼女達の交友関係を把握しているわけではないが、気軽に意見を求められる立場としては自分が適任だったのだろう。

最初から『新メニューの開発に付き合ってくれませんか』と言ってくれれば何の誤解も無かったわけだが……まあ、それはそれである。

「オレで良ければ力になるよ」

「本当ですか?」

「ああ、もちろん」

一から新メニューを考えろと丸投げされるのなら流石に困るが、今回はそうでもない。求められているのは男子としての目線。それくらいなら協力するに決まっている。

「ありがとうございます!……良かった」

ぺこりと頭を下げて、小さく笑う。実際、男子の目線があるのとないのとでは大きく違うだろう。ここねからしてみれば拓海が協力するメリットは特に無い筈なので、彼の協力を取り付けられたのは非常に大きかった。

「もちろん、あたし達も協力するよ!」

「うんうん!マシマシに素敵なメニュー、作っちゃおう!」

「私達に出来ることであれば何でもしよう。一緒に美味しいパンを考えようじゃないか」

ゆい、らん、あまねと続き、ここねはぐるりと周りを見る。

嬉しそうにその頬を緩めて、ここねは一層大きな声でみんなに告げた。

「みんな……本当にありがとう!」





それが、つい先週の話。

拓海の預かり知らぬところで話は進んでいたらしく、その数日後には、ゆいを経由して、『今週の日曜にここねの家に集合』という話を聞かされた。

拓海もそれを了承し、後はみんなで仲良く新メニューの開発――となる筈だった。

「まさか、こんな急に予定が合わなくなるなんてな……」

独り言ちながら、ここねの家を見上げる拓海。何の因果か、今日この日に予定が決まってから拓海を除くメンバーに次々と用事が入ってしまったのである。

最初はらん。まあ、彼女一人ならそんな事もあるだろう、という話だった。

続いてあまね。そもそもが多忙な彼女であり、それも仕方ないかと受け入れた。

最後にゆい。もうここまで来ると何か良くないものが憑いているとしか思えないくらいだった。

そして困ったことに、この日以降となると、今度は拓海の方が予定を合わせるのが難しくなってくる。もちろん、例えばゆいが試作品を持ち帰って拓海に届ける事で間接的に協力することも不可能ではない。しかし、協力すると告げたのだから出来れば顔を合わせてしっかりと話がしたいところだし、ゆいを経由していたのではいちいちラグが生まれてしまう。

Fuwa×2ベーカリーのメニューの公募締切はまだ先ではあるが、余裕があると言える程ではない。なれば、一日たりとも時間は無駄にしたくないところだ。

結果、相談の末に拓海が一人でここねの家を訪れる運びとなった。歳下の女の子の家を一人で訪れることに思うことはあるものの、ここねの気持ちを考えれば自らの気恥ずかしさを理由に断るのも申し訳ない。

「……にしても、デカいな」

ここねの家ーーもはや芙羽邸とかそんな呼称の方が似合いそうな大豪邸を見て思わず言葉を漏らす。尻込みする気持ちはあるものの、ここで足踏みしていたって仕方ない。

意を決して呼び鈴を押せば、ややあってここねが出てきた。

「芙羽、来たぞ」

『拓海先輩、ありがとうございます。すぐに行きますね』

通話が切れて、数秒。すぐに、の言葉通り、瞬く間に彼女はやってきた。

「こんにちは。今日はわざわざありがとうございます」

「いや、大したことじゃないし……と、これ土産」

「ああ、すいません。重ね重ねありがとうございます」

拓海の手土産を受け取って、ここねは彼を中へと案内する。

家に踏み入って、真っ先に感じたのは家全体のきらびやかさでも、清潔さでもない。

大きな家を満たす程の、良い匂いだった。

「この匂い……パンを焼いたのか?」

「はい。新メニュー開発のためですから」

思わず目を瞬かせる拓海。新メニューの開発、とは聞いていたが彼の中では案を出すだけの認識だったからである。まさか、実際にパンを焼くまでいくとは思っていなかった。

しかし、それならそれでより一層気合を入れるだけ。彼女の想いには応えるべきだろう。

ここねに連れられて部屋に入れば、パン屋顔負けの香ばしい匂いが広がっている。ゆいがいたらこれだけでだらしなく頬を緩めていそうなくらいだ。

拓海はざっと並んだパンに目を向ける。流石に売り物に出来るレベルではないが、彼もパンを作ることは出来る人間である。なので、見るだけでも得られる情報は多い。

「作ったのは惣菜パンがメインか」

「はい。男性向けのメニューとなると、やっぱり量がある方が良いかと思ったので」

間違いではないだろう。

実際拓海も自分が買って食べるのは、その手のボリューミーなものが多い。また、今回は今まで可愛らしく――小さめなパンがメインだった店の新メニューである。

目を引くためのインパクトとしても、それは必要な要素足り得る。

「あの、拓海先輩。実は、ちょっと問題がありまして……」

「どうしたんだ?」

「その、量が……随分多くなってしまったんです」

ここねの言葉通り、ズラッと並んだパンは確かに多い。おそらく試作に夢中になってどんどん増えていってしまったのだろう。

ここにゆいが居れば完食は容易いが、実際にいるのは拓海とここねの二人だけ。彼女の両親等にも頼れないとなれば、机いっぱいのパンを二人で食べ切らなければならない。

ここねも食べることは大好きだけども、食べる量そのものは一般的な範疇。そうなると、負担は一気に拓海にのしかかることとなる。

その申し訳なさが顔に出ていたのだろう、拓海は安心させるように笑って、

「任せろ。ちゃんと全部食べてやる」

言って、拓海はここねの作ったパンに手を伸ばす。一つ一つはそこそこ程度の大きさなれど、如何せん数が多い。しかもこれらはただ食べれば良いというわけでもなく、しっかりと味わって、是非を判断しなければならないのである。

「こっちはバターが効き過ぎかな。しっかりした味わいになるけど、ちょっとクドくて重い気がする」

一つ。

「これは生地をもう少し膨らませてふわふわにした方が良いかもしれない。具が良いアクセントになってるからそっちの方が合うと思う」

一つ。

「ターメリックが効いてて俺は好きだけど……いろんな人に食べてもらうならもうちょっと抑えた方が食べやすいかな?」

一つ。

「揚げ時間、バッチリだな。後はチーズとかもどうだ?他にもいろいろアレンジがあるぞ」

一つ。

「ホットドッグはオーソドックスだから、何か差別点が欲しいな。どうせならこっちのと合わせてみるってのも良いかも」

一つ。

次々とここねのパンを食べながら、逐一アドバイスを繰り返す拓海。ここねは彼の指摘を受けて、次々とメモに書き込んでいく。

当然のことではあるが、拓海の考えが全面的に正しいなんてことはない。しかし、自分の作った料理をしっかりと味わいながら、アドバイスをくれるのだから、無碍になんてする筈もない。

時に彼の意見に頷き、時に聞き返し、時に共に味わいながら、二人の時間は過ぎていく。





やがて、机いっぱいに並んでいたパンは、さながら幻のように見事に消え失せた。その大半を胃の腑に収めた拓海は大きく息を吐きながら、椅子の背もたれに体重を預ける。

一生分――とまでは言わないが。それでも、もしかしたら半年分くらいのパンは食べたかもしれない。

よくもまあ、ここまで食べることが出来たものだと自分で自分を褒めたいくらいだった。

「拓海先輩、お茶です」

「ああ、サンキュ……」

ティーカップを受け取りながらも、これ以上何かを胃に入れると戻してしまうかもしれないと、とりあえず目の前に置いておく拓海。

一方のここねはと言うと、何とも形容し難い表情を浮かべていた。

拓海が全部のパンを食べてくれたこと。

これは素直に嬉しい。ましてや味の評価もしてくれて、時には美味しいと笑ってくれたのだから。

拓海に無理をさせてしまったこと。

これは後悔している。彼が優しい性格だからこそ全てを受け入れてくれたけれども、普通であればそうはいかないだろう。一つ歳上の先輩に無理難題を押し付けて、明らかに苦しい想いをさせてしまったのは、明確に反省すべき点であり、自身のミス。

夢中になると周囲が見えなくなって、いつも何かやらかしてしまうのだから。

だから、相反する二つの想いが混じり合い、彼女は何とも言えない表情を浮かべている。

「芙羽って、本当にパンが好きなんだな」

不意の拓海の声に、ここねは顔を上げて彼を見る。ゆいに向けるような、優しくて柔らかい表情。何処となく父性さえ感じさせる微笑みに、知らずここねの胸が跳ねる。

「オレも自分でパンを作ったりするけどさ。ここまでいろいろ作れるわけじゃないし」

それに、と続けて。

「オレが何か言うと、全部真面目にメモしてただろ。そういうのが当たり前に出来るのって凄いと思う」

言葉を切って、お茶を一口。

「そんな芙羽だから、オレも力になりたいんだよ。だから、これはオレがやりたくてやったことだからさ。そんなに気にするなよ」

拓海の言葉はストンとここねの胸に落ちてきた。何てことはない。彼はここねを慮って笑ってくれているのだ。

ここねは、確かに自己嫌悪していた。優しい少年に無理をさせたこと、自分のわがままに巻き込んだこと。

反省するべきことだ。

内省するべきことだ。

自省するべきことだ。

だけど。

彼はそれでも良いと笑ってくれる。無理をさせたのに、苦しめたのに。

一つ歳下の少女を悲しませないと、優しく声をかけてくれる。

ああ、と声に出さずに呟いた。今までも分かっているつもりではあったけど、どうやらまだ足りなかったらしい。

品田拓海とはそれ程までにお人好しで、優しくて、それでいて――

「ありがとうございます、拓海先輩」

――魅力的な男性だ。

「今日、先輩と一緒に過ごせて良かったです」

だって、一つの想いに気付けたから。

彼がゆいを――プレシャスを助ける度に、どこかで思っていた。

羨ましい、と。

そう思った理由は簡単だ。当たり前のように傍にいてくれる、優しくて魅力的な男性であることを無意識に悟っていたから。

自分も、そんな人に傍にいてほしいと思っていたから。

だけど、品田拓海はゆいの幼馴染で。自分とは所詮、他人でしかない。

それを知っていたからこそ、芙羽ここねは無意識に、品田拓海を深く理解することを拒んでいた。

でも、今日この日。

彼を知ってしまったから。

その優しさを向けてもらったから。

だからこの想いを受け入れて、真っ直ぐに彼と向き合おう。

「あの、もし良かったら、拓海先輩のこと、教えて貰えませんか?」

いつかきっと、胸を張って。

彼に想いを伝えられるように。

それはもしかしたら、親友を傷つけてしまうかもしれないけれど。

誰にも譲りたくないものが出来たから。

(――だから、ごめんね、ゆい)


これからは、ライバルだよ。

ゆいがもたもたしてたら、私が拓海先輩を貰っちゃうからね。






後日、Fuwa×2ベーカリーには新しいパンが並んでいた。

どこか『羽』のようにも見えるそのパンは『シー・ボリューム』と名付けられ、時折一人の少女が買いに来ては愛らしい微笑みで見つめているという。

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