これ、毒です
最大多数の最大幸福
5さいのころ。
いっつもごはんがたべきれなくて、おうちのひとにしかられてた。
おなかいっぱいになってものこしちゃいけないから、がんばってたべて、たべおわったら、トイレでゲロしてた。あじもうすくておいしくないのに、なんでぜんぶたべなきゃいけないのかわかんなかった。
7さいのころ。
ぼくとおんなじくらいのとしの子たちと一しょのへやになった。
おうちのために、じゅじゅつのくんれんをしなきゃいけないって大人の人は言ってた。
一日中走ったり、くみ手をしたり、きんトレをしたりしてた。つかれるけど、にが手じゃなかった。
10才のころ。
初めて食べ物に毒がまざってた。食べ物をいにつめこんでたら、急に気持ち悪くなって、たおれた。他のやつらはたおれたおれを見て食べるのをやめたから、あんまりひどくはならなかったらしい。
それから、たいのやつらはおれが食うまで食べ物に手をつけなくなった。毒見役ってことらしい。だれだって毒は食いたかないし、みんなが生きのこるためならしかたないことだと思う。おれだって、食べてすぐ吐けばそんなにひどくならない。
正直、役立たずのおれにもできることがあったって思えて、ちょっとうれしかった。
12才のころ。
今までで一番ひどい毒が入ってた。死にかけて、一か月は声が出なかった。のどがハリセンボンを飲みこんだみたいに痛んだ。隊のやつらは俺が毒見したから無事だった。うらめしかった。うらんだところで俺が毒を食って苦しむことがなくなるわけじゃないけど。
でも、初めて隊のやつにお礼を言われた。いつも毒見してくれてありがとうって。
毒見の仕事は辛いけど、必要だ。
俺にとってもみんなにとっても生きるためになるんだから。
15歳の頃。
家の大人が、隊の奴らが俺を毒見役にして服毒を避けてることに気づいてしまったらしい。俺が食うのをしばらく見て、一斉に食べ始め、そして一斉に倒れる。俺の食事にだけ毒を入れなかったんだ、と気づいたころにはもう全員が毒を食ってしまっていた。
恨み言を、魂から吐き出される刃を、一斉に向けられた。
それからしばらくはこっそり盆を取り換えたりして毒見をしていたけど、それもバレてとうとう毒を入れること自体を諦められた。
毒見という役目を失った俺はどう振舞えばいいのだろう?
18歳の頃。
ついに声変りが来ることなく、第二次性徴を終えた。
12のときの毒のせいだろうか。この女みたいな甲高い声が小さくもない体躯に不釣り合いで、嫌で嫌で仕方なくて、縛りで声を捨ててしまおうかとも考えて、言葉なしに生きていける気がしなくて諦めた。
あれだけ沢山毒を喰らったのに耐性がつくこともなかった。ついたのは吐き癖だけだ。自分の糧になるはずだったそれが全て食道に逆流していく。胃酸に喉が焼かれることに慣れてしまったのも声変りが来なかった原因だろうか?
結局自分はここで燻り続けるんだろう、と目を閉じた。
あの日の毒が喉を焦がし続けていた。
欠けた精彩が心を冷やしきっていた。