これには預かり知らぬ愛なので

これには預かり知らぬ愛なので


「とうさま。『あに』たちと親しげに語らう、あの男は誰だ?」

神の腕に抱かれながら、スヨーダナが訊ねる。

紫の頭(多少色のばらつきはあったりもするが)がひとつどころに集まって、一人の男を囲っている。人の良さそうな顔をした、見事に無害そうな男だ。数度見ただけでは、記憶にも残らないかもしれない。

訪ねられたアルジュナ〔オルタ〕は一度驚いた顔をして、それからややあって納得した風な顔をした。

「あぁ、そうか。スヨーダナは肉塊の内に宮殿から出されたのですね。それでしたら、知らないのも無理はない。──同じ母の胎から生まれたわけではありませんが、彼はあなたの兄にあたります。名は、ユユツ」

宮殿から出された、のではなく、捨てられたのだけど。父の気遣いはいつも、自分を傷付けぬためにあるなぁ、とくすぐったく感じながら、スヨーダナはユユツという男へ視線を向けた。

「……兄、」

ぽつ、とスヨーダナは呟いた。

父がそう言うのなら、便宜上そう呼んでいる『あに』たちとは異なり、彼は正真正銘兄なのだろう。ふぅん、とひとつ頷いたスヨーダナは次の瞬間、


──ぱちっ、


ユユツと目が合って、ぞわっと鳥肌が立つのを覚えた。一瞬だけ、ユユツの姿が歪んで、おどろおどろしいものが目に映る。

それは瞬きをすると、すぐに消えてしまったけれど。

「……っ、」

「スヨーダナ」

そっと父に名を呼ばれ、スヨーダナはアルジュナ〔オルタ〕を見上げた。今のは、と目で問うと、アルジュナ〔オルタ〕が首を振る。

「スヨーダナには見えるのですね」

「俺たち〔これ〕には? ……『あに』たちには?」

「おそらく、認識阻害か何かかと」

気付いてしまうと、『あに』たちと楽しげに語らうユユツの言葉の重なって、神々への怨嗟の呪いが混ざって聞こえるようになった。どちらも同じ音量で聞こえるので、頭の中でこだまして気持ちが悪くなる。

「……うぇ、」

ぐちゃぐちゃと混ざる感覚に小さく呻けば、父の手が背をやさしく撫でて宥めようとする。

「戻りますか?」

「……うん」

兄であるユユツと語らわなくても大丈夫か、という父の懸念は感じられたが、元より自身の身では知らぬ男である。もしかしたらスヨーダナが生まれた世界にもいたのかもしれないが、知り合う機会がなかったのだから自分の中には不在のひとだ。

「俺たち〔これ〕には、とうさまだけだから」

ふにゃ、とスヨーダナは笑う。

──と、不意に周囲の空気の色が変わった。


「あぁ。ここにいる『ドゥリーヨダナ』は全員、見付けられた」


心底幸福そうに、または哀しそうに、愛おしそうに、悲痛そうに、呪うように、ユユツが呟く。

「わたしの『弟』を返してもらおう」

ユユツがそう言葉を紡いだ直後、スヨーダナの身体は父の腕から奪われた。

「ッ、スヨーダナ!?」

「とうさまっ!!」

咄嗟に伸ばされた父の手を掴もうと、スヨーダナも必死で手を伸ばす。が、その間を隔てるように、突如として壁が出現した。同時に、スヨーダナは自身の身がなにかの液体に包まれたことを感じた。

なまぬるく、甘い、やわらかな、黄金色の──

そして、プツッと、一度スヨーダナの意識は落ちた。








「……ぅ、」

スヨーダナは目を覚ます。

ゆらゆらと、視界が揺れている。

「なんだ、ここは……あたたかい、」

うっとりと呟いて、スヨーダナは微睡の中に落ちかける。だって、なんだかとても気持ちが良いので。

やさしく抱かれているかのような、心地良さ。甘い匂い。全身をゆったりと受け入れてくれているかのような、庇護の抱擁。

それはまるで──、

まるで……?

「……ちがう、な。うん。違う」

確かに心地良いけれど、これは自分の持っているものとは違う。スヨーダナは思って、首を振った。

父の腕はもう少し冷たいし、ときどき力の加減を間違えてスヨーダナの身を傷付けてしまうような、不器用な抱擁だ。

だから、この庇護は不要である。

そう決断して、スヨーダナは脚よりもよほど長くて威力の高い尾を振って、壁を勢いよく叩いた。ビキッと僅かな罅が入る。それを数回繰り返して、スヨーダナは自身を閉じ込める壁を破壊した。

ガシャン、と大きな音が響いて、スヨーダナは溢れる液体と共に外へと投げ出される。

「げほっ」

全身包まれていたときには楽に息ができていたというのに、壁を砕ききった瞬間に水に沈められているのと同じ息苦しさを覚えた。ゲホゲホと咳をしながら冷たく昏い空気を何回か肺に取り込み、スヨーダナは辺りを見渡した。

周りにはいくつもの壺が、整然として並べられている。どれもこれも大きくて、人ひとりくらいなら悠々と沈めてしまえそうな大きさだ。

「……『あに』たちは、」

すぐ近くに並べられていた壺によじ登り、スヨーダナはその中を覗いた。中はやはり甘い匂いのする液体で満ちていて、そこには偽王を名乗る『あに』のひとりが沈んでいる。いつも気難しい顔をしているというのに、どうしてだかとてもやわらかな、安堵しきった顔をしていた。

スヨーダナは眉間に皺を寄せ、液体を指で掬うとペロリと舐めてみる。

「……ギーだ」

聞いたことはあるし、識っている。

肉塊として生まれた『スヨーダナ』は、百と一に分けられてギーに満たされた壺に入れられて人間の形になった、と。

つまりこれらは、『あに』たちにとって母の胎の中にも等しいものなのだ。

母の胎の中という、結界。そこに入れられた『あに』たちは、赤ん坊のように庇護されるだけの存在になってしまうのだろう。

いくつかの壺によじ登っては中身を確認し、スヨーダナは何人かのドゥリーヨダナとその弟妹たちを見付けた。誰も彼も、安らかな寝顔で揺蕩っている。

一体誰がこんなことをしたのか。状況から考えるに、ユユツ以外に考えられない。

「……そういえば、あのひとがカルデアに召喚されたサーヴァントだったのかどうか、聞いてなかったな」

スヨーダナは思い付き、ぺしんと尾でもって床を叩いた。もしかすると、マスターが召喚した新顔ではなく、乗り込んできただけの侵入者だったのかもしれない。だとしたら、顔見知りだからといって迂闊すぎやしないだろうか、『あに』たちは。

小さく鼻を鳴らし、スヨーダナは周囲の壺を見上げる。苛立ち紛れに壊し回っちゃダメかなぁ。

ぺしん、ぺしん、と床を何度か叩いて思案するスヨーダナの耳元で、

「なぜ、起きてしまったんだい? 愛する『弟』よ」

ユユツの声がする。

ヒュ、と息を呑んで、スヨーダナはその場から飛び退いた。距離を取るのを阻む壺に背中をびたっとくっつけ、スヨーダナが元いた場所に視線を遣ると、静かに佇むユユツの姿がある。

「おまえたちのために、極上の揺籃を作れたはずだよ」

心の底から不思議そうに、ユユツが問う。その言葉に、スヨーダナは「それは否定しない」と頷いた。胎の中は、確かに心地の良いゆりかごだろう。

「けれど、俺たち〔これ〕には預かり知らぬモノなので」

そう否定すると、ユユツの瞳から血の涙が滴った。

「嗚呼。おまえは、それすら奪われていたのか──」

神々への怒りに満ちた、呪いと嘆きの慟哭だった。

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