これが恋路というのなら

これが恋路というのなら



横のひよ里サンが心からの「は?キッショ」を発するのを聞きながら、ボクは言語化できない言葉を「おわぁ」ともらした。

確かに平子サンは娘が乳離れしたから忘年会は行けるわとは言っていたし、うるさそうやから惣右介も連れていくわとも言っていた。


だから二人が揃っているのはおかしなことではないはずなのに、それでも目の前の光景はなんとも表現しづらい。

宴席で胡座をかいて座った副隊長の上にどっかりと座ってこちらに「おう」と言いながら手を振る隊長というのは、情報量が多すぎる。


「ハゲシンジ!なんやねんそれ!!」

「禿げてへんわボケ、ほんでこれは座椅子の惣右介や」

「夫です」


ずかずかと近づいて吠えるように話しているひよ里さんも加わって、場が更に混沌としている。

ボクはそんな様子を眺めながら「そういえば娘は預けてくるとか言ってたなぁ」と現実逃避のようなことを思い出していた。


「しゃーないやろコイツうるさいねん」

「妻の心配をするのは当然では?」

「家からこっちずーっとこの調子で、一番これが大人しなりよる」

「はー?キショ、なんやねんそれ」

「キショいやろ?でも連れて来うへんともっとうるさいねんこの眼鏡」


ボロクソに言われているように見えるけれど、藍染サン的には平子サンが手元にいれば満足なようだ。

なじられても叩かれてもそこにいるならいいというのは殊勝な態度な気もするが、単純に動かないならなんでもいいだけなんだろう。


藍染サンの態度があからさまに変わったのは祝言をあげた辺りで、それが更に激しさを増したのは娘が産まれてからのように思える。

ある種の強がりで「骨抜きにしたるわ」と言っていた平子サンが当惑しながら「おかしくしてもうた」と言う程度には色々な意味で変わった。


おそらくなにかしているのだろうという疑惑は変わらないものの、それ以外の時の態度がまるで違う。

有り体な言葉でいうなら大変な……それはもう大変な愛妻家であり過保護な父親になったのだ。


「そのまま飲むんスか?」

「立って飲むことないやろ」

「それはそうなんですけどねぇ」

「……話す必要があることですか?」

「お前ホンマに喜助嫌いなん隠さんくなってしもたなぁ」

「別に嫌いとは言っていませんよ」


それは本当でもあるし嘘でもある。藍染サンにとって自分と似た立ち位置で平子サンが気にかける相手はボクでなくても全て気に入らないのだろう。

こんな態度を隠さなくなったというのも変わったところの一つだ。夫になったから大手を振って口を出せると思ったのかもしれない。


「早く帰りましょう?」

「帰るなら一人で帰りや」

「いやです、お酒なら家で飲めばいいじゃないですか」

「久々のただ酒やぞ、楽しんでもバチ当たらんやろ」


しかし今まで世間の噂では適当で奔放な隊長に振り回される苦労人で優秀な副隊長だったのに、今では全くそう見えない。

そのせいで平子サンが包容力があると女性としてちょっと人気が出ているらしいのは藍染サンにとっては大変不本意なことであると思う。


普通は既婚者になってモテるのは男の方じゃないのかと思わないでもないけれど、藍染サンの愛妻家ぶりに逆にそういう意味での人気は落ちているらしい。

まぁ本人は妻になった平子サンと、最近なにか話すようになったらしい娘さんに夢中なのでそんなことはどうでもよさそうだ。


「なぁ、あのクソ眼鏡あんなキショかったか?」

「最近激しいですねぇ」

「やっぱりシンジが壊してもうたんちゃうか?パッパラパーやんけ」

「案外ずっと、我慢してただけかもしれないッスよ」


彼はずっと前から平子サンに自分だけを見て欲しかったのかもしれない。それが叶う立場を手に入れたからこうして我慢しなくなっただけで、胸の内では前から燻っていたのかも。

悪いことしなきゃ副隊長だなんて一番近いところにいる人を大事にしない人ではないだろうにとは思うものの、言ったところでボクの言葉なんて届きもしないだろう。


一応は平子サンにバレたら嫌われるというのは分かってるみたいで、藍染サンが関わってる疑いのある事件の数はグンと減ったのだ。

単純に隠すのが上手になっただけかもしれないけれど、わざわざ一番近くで見張ることに効果があったことになぜか平子サンが一番驚いていた。


「まぁいいじゃないスか、平和で」

「なにが平和や、この世の終わりみたいやろ」


フンと鼻を鳴らすひよ里サンを横目に、一見仲の良さそうな夫婦を眺めた。

あの二人を見ていると、なぜか奇跡的なバランスで崩れない岩を見るようななんとも言えない不思議な心地がする。


早く帰りたい藍染サンは説得を早々に諦めたようで、酔いつぶして連れて帰る方向に目的を変更したらしかった。

平子サンの方は半ば無理矢理お猪口を藍染サンの唇に押し当てて酒を飲ませている。酔わせて黙らせたいんだろう。


「ま、犬に食われたり馬に蹴られたり蝮に当たったりする世界の終わりは愉快じゃないですか」

「は?クソみたいやろ」


よっこらしょと座って見上げたひよ里サンにへらりと笑うと、めんどくさそうな顔をしてボクを蹴った後足を投げ出すようにして横に座った。

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