こどもの言い訳
伝令神機を携帯と思ってる石田藍染の乱が治まり、新たな友情を結んだ撫子と一護達はよくつるむようになった。
似た境遇で同じ体験をし、協力し合ったかけがえの無い友人達と過ごした秋が終わり、冬の冷たい風が街に吹きはじめた頃。石田は撫子1人を家に呼ぶようになった。
5階建てのエレベーターがついていないアパート3階。一般的な1Kが石田の部屋だ。最初は誰もいない事に多少の気まずさを感じたが、今ではよく上がり込んで石田と同じ時間を過ごしている。
最初のきっかけは試験勉強だったが、そのうちそんな理由なんてものはどんどんおざなりになっていった。
じいっとこちらを見ているのを、気づかないふりをしてやり過ごす。
「石田、ずうっと何か言いたそうな視線を感じるような気がするのはアタシの気のせい?」
おたまで味噌汁をかき回しつつ背後に声を投げかける。石田の食生活が思ったよりも深刻で、何となく弁当を作ってやって、家に寄ったら夕飯を作って、あれこれと世話を焼くようになってしまった。
「……いや、別にそんなことはないよ」
「フゥン」と笑う撫子の顔は惚れた弱味だろうか、とても可愛かった。
平子さんの笑顔というのはずるいと、石田は心底そう思う。どうしてここまでそんなささやかな笑顔に、心揺るがされるのだろう。
「それよりこれ、ちょっと濃いかな?」
小皿に注いだ味噌汁を差し出す。
「…おいしい」
くぅ、と腹が鳴った。それが聞こえた撫子はやわらかく目を細める。
「用意するからあっちおって。鶏とナスが安かったから、今日は南蛮漬けや」
撫子の目は石田と同じ、愛おしいものを見る目だった。
それからも定期的に撫子は石田の部屋を訪れて、そうしている内に浦原から専用の携帯を受け取り、2人だけで連絡を取り合うようになった。
***
伝令神機がメールの着信を知らせ、撫子は夕飯作りの手を止め文面を読んだ。送信は石田。
『君の意見が聞きたい。』
華奢なストラップのワンピースエプロンの写真が付いていた。撫子が手料理を作る際、制服を汚さないようにという配慮だろう。裁縫が得意な事は勿論知っているが石田の作風とは異なった撫子好みのデザインに、写真を見ながら笑ってしまう。こういう気遣いが出来る男なのか、石田雨竜という男は。
『可愛い!このエプロンでご飯作りたい!明日バイトないからお邪魔してもいいかな?』
送信。
メールを眺めて、なんだかくすぐったくて仕方がないその感覚をどうにかしようと、撫子は夕飯作りに勤しもうとするが……好きだという気持ちをぶつけてくるのだから困ったものだ。
「何かいい事あったんスか?撫子さん」
魚を焼いていた浦原がこちらに身体を向ける。撫子の手は反射的に伝令神機を携帯とは別のポケットに隠す。
「んー。ちょっと。明日アタシご飯食べて帰るな」
「…石田サン家ですか?」
ぴくり、と撫子のまつ毛が揺れ一瞬のラグが生まれる。
「明日はな。ご飯モリモリ食べてくれる織姫ちゃん家にも行きたいなァ」
毎日とは言わないまでも、この数ヶ月かなりの割合で石田の部屋にお邪魔している。最初の頃は夕飯を作ってすぐ家に帰るのも何だから、とかそんな理由を作ったが、また何か言われそうだと思った。
その考えが間違っているとは思わないが、実家に帰るよりも恋人でもない男の部屋に1人で上がり込む事は良くないと、世間一般に言われそうな事を浦原が言ったので。
「そうやって何でも色恋に結びつけんの、オッサンくさいで喜助」と返すのが精一杯だった。
撫子に男が出来た。
直接確かめた訳ではないが、浦原がその事を知ったのは石田に携帯電話(を模した伝令神機)を渡したその日。
伝令神機を持った撫子のくすくす笑う声が聞こえて、それだけで恋をしているのだと解った。
手塩にかけて育てた子どもの不純異性交遊。いつの間にこんなにも大人になったのだろうと浦原は目頭を抑える。
「心配せんでも、今ンとこなんもシとらん。ビミョーな関係や」
しかし返ってきた返事は予想外のもので少し困ってしまう。
「アラ、そうなんですか?若い男女が一つ屋根の下ナニも起きないのは逆に不健全デスよ」
「セクハラ親父…一護の恋人に嵌まらんかったら、アタシを滅却師[石田雨竜]にあてがおうとするんや」
「とんでもない!そんなつもりは」
「まあそれはわかっとるけど…そもそもこれが恋なんか、ただ人並にレンアイをしてみたいと思ってるんか、とかよくわからんねん」
「好きになるのに理由はいらないスよ、撫子さん」
夜一を待たせている男の言葉とは思えない。
「何はともあれアナタに同年代の友達が沢山出来て良かったと思ってるっス」
「同年代……」
果たして同年代なのだろうか。干支は5周り以上違うが。
しかしそれはまた違うお話なので撫子はぐっと堪える事にした。
昔も今も、そしてこれからも、浦原は撫子の関係者、保護者のような立ち位置である。産まれてから命を繋ぐためあれこれするうちに愛着がわいてしまったのだ。浦原もまた、軍勢と同じくらい撫子を大切に思っている。
「言葉の通りッスよ。アタシとしてはアナタには幸せになってもらいたいんス。相手が石田サンでなくても」
「…ありがと喜助、アタシを高校生にしてくれて」
やんわりと微笑んだ子どもは、少し大人びて見えた。
魚の良い香りがする。
その匂いで腹が鳴ったのをごまかすように魚をひっくり返すと、ちょうどよく焼き色がついていた。