こちらも抜かねば、無作法と言うもの・・・
「ヤッホ、アクア。今日も気だるそうだね」
月九ドラマの撮影日。現場で椅子に座って待機していたアクアのもとに不知火フリルがやって来た。
彼女はアクアの隣にわざわざ椅子を動かし座る。
「どーも、フリル。お前は元気そうだな」
「うん。毎日ヨーグルト食べてるからね」
フリルが面白そうに瞳を細めて、気楽そうに笑いながら会話する。
すでに撮影開始から数ヶ月。
最初は互いにさん付けで呼び合っていたのだが、同い年で同じ学校というのも有り。今となっては互いに呼び捨てだ。
「いい事だな」
「水入れて、混ぜて固めるやつ」
「それはプルーチェだ」
「そうとも言う。ルビーは元気?」
「元気だよ。プルーチェ食ってたからな」
「え、タイムリー。運命みたい」
「昨日不知火フリルにもらったらしいぞ」
くだらない会話をしながら、アクアは用意されていたコーヒーをフリルに手渡した。
フリルは、「ごっつぁんです」と言いながらそれを受け取る。
「なんで相撲なんだ?」
「九州場所がはじまったからね」
余談だが、こういった『フリルがボケて、アクアがツッコむ』と言う撮影待機時間の二人の会話動画は、動画サイトに投稿され人気を博している。
「おお、そう言えばアクアおじいさんや。聞きましたかな?」
「フリルばあさんや、多分聞いたから言わなくていいぞ」
突然、わざとらしいフリルの声。
アクアはそれを流そうとするが、フリルにはどこ吹く風だ。
「なんでも、今ガチで付き合い始めたくせに一度破局して。その後やらかし案件あった癖に、結局よりを戻したカップルにまた破局の危機だそうだよ」
「そうなんですかー。知りませんねー」
アクアは見ていないが、フリルがいたずら好きの子供のような笑顔をしているだろうと予測した。
合っていたら嫌だから、見ないように注意する。
「確か、その人の名前は・・・そうそう、雨宮アクアだっけ?」
一瞬胸がきしむ。それをため息に隠して、アクアは訂正した。
「・・・星野アクアマリンな。その間違いは二度とするな」
「いやでも毎回思うけどすごい名前だよね。芸名より本名の方が芸名っぽいよ」
「結構デリケートな話題だからな、それ」
「ごめんね・・・それで、そのアクアって人だけど」
「続けるのか」
フリルは、アクアの反応を楽しむように、無視するように言葉を続ける。
「なんと、月九で共演してる同じ学校に通う同い年の超美人のマルチタレント、不知火フリルさんといい感じになってるんだって」
「ほー。初耳だな。まぁ、根も葉もない噂だな」
バッサリ切り捨てたアクアの声に、しかし返答は中々ない。
普段ならば、フリルの凛とした声で「え〜本当にござるか〜?」とこちらの神経を逆なでしてくる言葉をかけてくるはずなのに。
「もしかしたら、あるのかもよ? 根も葉もできてて、実になることが」
真剣な声に、アクアはフリルに視線を向ける。
そこには、アクアを見つめる瞳があった。二人の視線が、まっすぐぶつかる。
「わたしはさ、いいよ。アクアだったら」
気がつけば周囲が静まり返り、皆が二人に注目していた。
普段は厳しい監督までメガホンを盗聴器にしている。
「俺さ、恋人がいるんだ。一度はそいつを裏切って、別れて、すごい傷つけてしまったんだ。だから、その子を大切にしたい」
「それは、傷つけたという罪悪感じゃないの?」
フリルの言葉には、真実を暴く裁判官のような冷たさがあった。
故にアクアも誠実に答える。
「一切ない・・・わけはないな。だってそうだろ? 本当に、本当に好きだったんだ。その子を傷つけたのが許せなかった。自分を殺してやりたくなった位にはな」
「ふーん・・・その子はどんな子なの? 私よりも可愛いの?」
「めちゃくちゃ可愛いぞ」
ここまでくると、流石にアクアも理解する。フリルの瞳は最初からいたずらを仕掛ける子供のものだったのだ。
「優しくて、可愛くて。料理が上手くて頑張り屋で。傷つきやすくて意地っ張りで、負けず嫌いで、頑固者で」
本当に
「俺には勿体無いくらいの、最高に可愛い彼女なんだ・・・黒川あかねって女の子はな」
瞬間、周囲が沸いた。
叫んだり、口笛を吹いたり。
様々だが皆が祝福するように茶化すように囃し立ててくる。
「残念。惚気けられちゃったね」
「悪いな、フリル」
苦笑するフリルに、アクアは感謝の言葉を発した。
おそらく、彼女は先程の情報を入手したのだろう。
それが出回る前に、あえてアクアにあかねの惚気話を披露させた。
二人の撮影待ちの動画は、今では人気動画だ。それに、元々今ガチでも人気カップルであったアクアとあかねは話題性も高い。
生半可な噂など容易く飲み込んでしまうか、逆にスパイスになる程度のものだ。
いつ思いついたのかは、わからない。噂を聞いた時なのか、コーヒーを受け取った瞬間か。あるいはルビーにプルーチェを渡した時か。
そんな益体もない事を考えていたから、フリルの声は、アクアには奇襲だった。
「私は・・・いつでも、待ってるからね? アクア」
ゾクリと、アクアの肌が粟立つ。
アクアにだけ聞こえる程度の大きさで、しかも、周囲はまだ賑わっている。
ただの声だと言うのに、快楽という現象を凝縮したようなその響き。
日本が誇る天才。
最高のマルチタレント。
その肩書ですら生温いのではないかと思いながら。
「今度さ、あかねさんを撮影に連れてきてよ。3人で色々話そう?」
今度は皆にも聞こえる声。
先程の声は幻聴だったのかと思えるほどだ。
しかし、アクアの粟立った肌が、あの声が事実であると、告げていた。
ちなみに、二人の会話は編集されて即座に配信。容易く一万再生を突破。お茶の間と今ガチからの二人のファンや舞台の闘鬼と鞘姫のファンを大いに気ぶらせたようだ。
誰よりも昂ぶったのは、やはりというか黒川あかねだった。
彼女はそのままの勢いでアクアに突貫し。
お約束のように敗北した。