ここにいるよ 2

ここにいるよ 2



「ベポ、キャプテンとローさんは」

シャチの問い掛けにベポが手を上げる。

「アイアイ、大丈夫。今は二人で島を回ってるみたい」

ハートの海賊団の旗艦たるポーラータング号、その食堂に顔を揃えているのは全てのクルー。ここに居ないのはキャプテン・ローと別世界から攫ってきたもう一人のトラファルガー・ローだけだ。

「じゃあ見聞色組はキャプテンの動向に注意。艦に帰ろうとしたりルーム展開したら即解散だ」

『「アイアイ」』

ペンギンの声にクルー達の声がそろう。

その声が二重に重なって聞こえるのは、ここに居るクルー達だけだった。声なき声、音なき想い。見聞色の覇気で感じるものとも異なる、別世界の自分であるからわかる声。キャプテンとローにも似たような感覚共有はあると聞いていたが、自分たちは相手の肉体が無いからこそ、余計にはっきりと聞こえるのだろう。

シャチから新入りのジャンバールに至るまでの面々が胸元からシルバーのチェーンを引き抜いた。

ざらり、と色とりどりの大粒のダイヤモンドのペンダントトップが複雑に光り輝いて食堂のテーブルに並ぶ。美しく悲しい無機物の光。

──もしもの自分たちの姿がこれだ。

ドフラミンゴに殺され、加工されたなれの果て。なぜ自分たちにだけ声が聞こえるのかはわからない。もしかしたら何かの能力者の力なのかもしれないが、死んだ後のことは彼らにもわからなかった。

『ごめんなァ、面倒かけて』

「気にするな。知られたくないのもわかるからさ」

自分の下げていたダイヤモンドの声なき声に首を振る。

「でも助かるよ。おれ達だとどれがヘルメスから飛んできたのか判断つかないときがあるからさ」「そうそう。この間の口枷はヤバかった」

クリオネが頷いて、イッカクが応じる。

ペンギンは思い出すだけでげんなりとした。

古代宝器ヘルメス。神の足と言われるもの。

今はもう一度破壊された宝物だ。麦わらの船大工の手で修復され、今はもう人を乗せて世界を渡ることは出来ない。

だが、古代兵器に準ずるそれは今なおあらゆる世界をわずかにつなぎ続けている。思い出したようにぽろり、ぽろりと。

例えば、歩けぬように加工された豪奢な靴。

例えば、辱めるためだけの美しい服。

例えば、珀鉛の枷。

例えば、折れた鬼哭。

例えば、あちらで生きる老海兵からの手紙。

例えば、誕生を祝う花束。

例えば、心づくしのある海兵からの焼き菓子。

そして今回は──心なき音貝。

良い物も悪い物も区別無くヘルメスは運ぶ。

おそらくは、最も大きなこの世界の異物であるローと、この魂の宿った宝石たちが引き寄せているのだろう。

「危なかったなァ……これ」

シャチがそっとテーブルに置いたのは、今回の議題であるヘルメスの運んだあちらの世界の、音貝。ローが拾おうとして慌てて取り上げた、あちらの世界の音貝だ。

「うちに似たような音貝があってよかったぜ、ごまかしきれないとこだった」

「と、いうかあれもあれで」

「キャプテンにバレたらやばい」

『え、そんなんあった?』

「ゾウで音貝でキャプテン宛に記録しよ~っつって、みんなで録らなかった? あれうっかり百獣海賊団来てからも録音しっぱなしでさ」

『……それが、コレだな』

あちらの世界の自分がどんよりとした気配で告げる。

「あー……、そっかァ世界が違うと色がちがうんだぁ……」

ゾウに持ち込んだ音貝にローへのメッセージを吹き込んでいたところまでは同じだったのだろう。

自分たちの貝が最後に聞いたのは、自分たちは麦わらの一味の救援の声。

この貝が聞いたのは、絶望の哄笑。

おそらく自分以外のクルーも大方説明をうけたのだろう。辟易とした顔で音貝を見た。

「つまりここには……」

ベポが恐る恐る音貝を持ち上げる。肉球のある両手に包む。

「おれたちが死んだときの声が入ってるってことだね」

ごくり、と誰かが息をのむ声が聞こえた。

「だからローさんに渡したくなかったのか」

『……うん、キャプテンやっと笑えるようになったんだ。あの地獄みたいな籠の中であっという間に窶れて、あんなに、あんなにひどい目に遭って。もうおれたちのことで苦しんで欲しくねェ……!』

ダイヤモンドが複雑な色を揺らす。まるで涙をこぼしているようだった。

『たぶん、これから切り取った俺たちの声を、ずっとあいつはキャプテンに聞かせてた。キャプテンがあいつの気に食わないことをしたときに、罰の一つで……』

「なァ、おれたちは死に際に恨み言とか言ったか?」

『言うわけねェ……言う訳ねェのに……! あいつ……!』

呻くような声なき声に、ペンギンは頷いた。

そうだろう。

自分たちならきっとそうだ。

「……おれたちも言ってねェ。おれたちもゾウで毒を撒かれて命を一度は諦めた」

それでも、音貝が聞いたのはきっと残していく彼への愛だ。苦悶の声もそりゃちょっとは入ったかもしれないが、そんなもので彼の心を縛りたくは無かった。

「『覚えててもらうなら、バカで元気なおれたちがいい』」

クルー達と目を合わせる。皆同じ気持ちだった。ならばこの音貝が聞いたのもきっと同じだろう。

「ベポ」

「うん」

ベポが頷いて殻頂を押した。

ゾウに到着したことを告げる明るい声がしばらく続く。

──ネコマムシの旦那の世話になることになったよ。早く来てね!

──ご飯はちゃんと食べてる? ゾウのご飯のレシピもらったよ。

他愛のない会話は、自分たちとほとんど同じでわずかにぶれている。

幾度も夜を越えた後だった。

この日だって、とシャチが呟く。

しばらく無音が続いた後、どこかから取り出されたように音を拾う。

背後に戦闘音が響いている。聞いたことの無い──けれど、ダイヤモンドから伝わる殺気だった戦慄がドフラミンゴその人だと告げている──哄笑と嘲弄。苦痛のうめき声がわずかに入っている。

『フッフッ……! 弱いものは死に方すら選べねェ! さァ無様に這いつくばれ! 苦痛に命乞いをしろ! 弱い船長について行ったことを後悔して泣いてみせろ!』

ふっ、と音貝の向こうで場違いに朗らかな笑い声がした。

『ふっ、あっはははは! おれ達が後悔するわけないだろ! なァ!みんな!』

『アイアイ!』

それを最後にふつり、と音が途切れた。

──此処までか。

ベポが音貝を置き直そうとした時だった。

『待って』

とあちらのペンギンが止める。声を上げたのはジャンバールだった。

「待ってくれ、これは違うやつだ」

ジャンバールが手を伸ばして殻頂を押して音を止める。

「……ここから先は、ローさんに聞いて欲しいと、『おれ』が」

クルーは目を見合わせて、こくりと頷いた。



**



「ちょっと遅れた誕生日プレゼント、か」

潜水艦の一室を明け渡され、渡されたものをローは不思議そうに眺めた。

誕生日プレゼントは先日既に十分過ぎるほどもらっている。忘れかけていた喜びがわき上がるたくさんのものを。ローは腰に手をあてて微笑んだ。

物打ちなかばから折れた大太刀の鬼哭を擦りあげて鍛え直した太刀と短刀。それをベルトに佩くためにクルー達が作ってくれた太刀拵と下げ緒。拵えにはめ込まれ、太刀紐に編み込まれている宝玉は──自分のクルーたちのかけらだと聞いている。

きらきらと輝くかれらが今なお側に居るような気がして泣いてしまったのはつい先日の話だ。

そしてその日、ヘルメスから吹きこぼれた花吹雪と、自分を案じてくれていたあちらの世界のロシナンテの養父──センゴクからの手紙も十分すぎるほどのプレゼントだった。

それに加えられた、それ。

「音貝……か」

苦しい思い出の多いそれを再生するのは思いのほか勇気がいった。

『……もしもしキャプテン』

弱々しいベポの声が音貝のすぐとなりで聞こえた。

『無事かな。無事ならいいな。どうか元気でいてね。おれたち、キャプテンのこと大好きだから……愛してる』

ローは目を見開いた。

"おれの"ベポだ。

それがはっきりとわかる。

なぜかなどわからない。全く同じ声にしか聞こえないが、はっきりとローには理解できた。

『へへ、ローさん。おれたちはたとえ死んでも愛してるぜ!』

『ローさん、諦めないでくれよ。きっとどんな姿になってもあんたの側にいくから』

『どんな姿になってもってなんだよ』

『うるせー、ほら、幽霊になっても行くってこと!』

『幽霊ってなれるもの?』

『気合い!』

『えーっ』

『いっつつ……、キャプテン、大好き~』

『雑だなァ!』

『──本当だよキャプテン。ずっと側にいる。どんなことがあってもキャプテンは一人にはならないよ』

"おれの"クルー達の声だ。

ぼろ、と涙がこぼれた。

苦痛に呻く断末魔でも無く。

悲鳴でも、苦悶でもない。

ただ、あの日まであの艦で聞いていた愛おしい彼らの日々の声だ。

「ふっ……ぐ、ッ……!」

熱い涙がこぼれて頬を伝い、太刀緒の宝石にこぼれる。それらを抱きしめて、音貝に耳を傾ける。きっと死の間際だ。か細くなる呼吸音がそれを告げている。

けれど、これは"自分の"クルーの言葉だ。

もう二度と聞けないはずだった声だ。


「愛してるよ、キャプテン!」


それを最後に録音が止まる。今際の際の声を聞かせない配慮に涙が止まらなくなる。

──なのに、なぜこの耳には声が聞こえ続けているのだろう。


『側に居るよ、キャプテン。ずっと一緒だよ』


その声は、音貝からだけではなく、今この場所から聞こえたような気がした。

顔を上げても何も見えない。けれど──この言葉が事実なのだと思いたい。

「バカやろう……、本当に化けてついてくるやつがあるか……!」

泣き笑いの罵倒に返る声はない。

けれど────ああ、けれど。

ダイヤモンドのふれあうさらさらとした音は、彼らの笑い声に似ていた。


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