きらきらひかる、

きらきらひかる、



⚠解釈違い注意

⚠他人に兄ちゃを見出して縋る凛ちゃんがいます





子守唄が聴こえる。


凛は吸い寄せられるようにフラフラと、音が近付くほうへ向かった。低く掠れたやさしいこえだ。なんだか懐かしいような、安心するような、でもどこか狂気的でちょっと不安になる、そんな声を追って歩いた。


とぅいんくる、とぅいんくる、りぃとる、すたぁ。


きらきらぼしだ。凛は基本的に勉強が不得意だが、英語だけはよくわかる。それだけにこの拙い英語の発音が耳についた。

きらきら、ひかる、おそらのほしよ。

ここには窓なんかないから、星なんか見えやしないが。


とぅいんくる、とぅいんくる、りぃとる、すたぁ。


廊下を進むたび、声がより鮮明に聴こえる。

よく通る、よく伸びる声だ。発音さえ怪しくなければ、どこぞの歌手かと思うほど。

「まばたき、しては……みんなを、みてる…」

日本語版のきらきら星はそう続くが、英語版では全く違う。…そらは、今も俺を見ているのだろうか。それとも窓のない施設に閉じ込められているやつのことは、さすがに見えてやしないかな。

「きらきら、ひかる………」

ちいさくちいさく、凛も歌った。どこからか聴こえてくる声とは違って、日本語で。

「おそらの、ほしよ…」

噛みしめるように、祈るかのように。凛はゆっくりゆっくり歌う。

英語版のきらきら星は、太陽がいなくなった後の空に浮かぶちいさな星へ、お前は一体何者なのだと問いかける。

今の凛にはそんな歌詞が、すごくこわいものに思えた。サッカーしかない凛だから、そのサッカーを奪われた今、お前は何者なのかと問われても答えは出せない。太陽には去られ、暗くたちこめる闇の中にただ浮かんで、燃え尽きる日を待つばかりの星々の姿が、明日の我が身を想起させる。

凛という人間は、ネガティヴとは無縁な生き方をしていた。しかし今の凛は違う。崩れかけの心のまま極限状態に身を置き続けた凛はもう、限界だった。

「みんな、を、みて……る」

だから凛は日本語で歌う。どうか、ちいさくとも、か細くとも。星だけでも、地獄にいるおれたちを、どうか。ここにいる、凛がここにいることを、見て。


「おそらの、ほし、よ……」

「Little、Star……」


ふと、声が重なった。薄暗い部屋の奥に誰かがいる。身体が青一色ではないからあのバケモノ共ではない、誰か。

……正直、声で分かってはいたが。

よく目立つ黒い長髪に、規格外の長身。

凛はこの男をよく知っている。

心の強い男だ。凛がいくら罵っても、オシャオシャ鳴いて纏わりつくのをやめなかった懲りない男だ。

だからこそ、 大丈夫だと、思ってた。多分、心のどこか片隅で、そいつのことをあてにしていた。そいつの優しさに、甘さに、かつての、大好きだったやさしい兄ちゃんを、重ねていたりなんかした。

「……凛?」

そいつの腹は、不自然に膨らんでいた。凛の心拍が不規則に乱れる。嘘だ、嘘だ、お前はそんなに、ぬるいやつではないはずだろう!

「……なに、してた?今……」

凛は呆然としたまま呟く。突然亡霊のような足取りで現れた凛が、今にも死にそうな顔でそんなことを聞いてくるものだから、蟻生は驚いて問いを返す。

「ぇ、いや、お前こそ何を…というか、どうしてここに……」

「いいから答えろ。何してた」

聞くな、やめろと脳が警鐘を鳴らしている。答えろと言ったのは凛のくせに、嫌な予感が体中を駆け巡って、凛の肌を毛羽立たす。

蟻生は不思議そうに眉を顰めた後、はぁ、とため息を一つ落とした。凛の横暴さ頑固さを、蟻生はよく知っていた。

蟻生がゆっくりくちをひらいて、その長い腕を持ち上げるのが嫌に目についた。青い監獄、二次選考、同じ部屋で過ごしたあの時。オシャだかなんだか知らないが、凛が何度文句を言っても蟻生が辞めなかった爪に色を乗せる行為を、蟻生の指先の黒を、凛はよく覚えている。

今の蟻生の爪には、なんの色も乗っていない。

「…このこに、子守唄を歌ってた」

うっとり瞳をとろかして、とびきり幸せそうな顔で腹を撫でた蟻生に反して、凛は深い絶望の表情で床へ崩れ落ちた。


強い男だと、おもってた。凛が何を言ったって傷一つつかなかった、1ミリだって曲がらなかった蟻生の矜持は、もうぼろぼろに壊れていた。


心が悲鳴をあげたあの時、そいつに兄の面影を見たとき。そういえばあんまり表情が変化しないのも、兄ちゃんと似てるかもな、なんて思ったっけ。


突然膝を折った凛を心配する蟻生は、凛のしらないかおをしていた。いまのそいつのひょうじょうは、にいちゃんじゃない、そう、まるで、おかあさ

「いや、やだ、なんでっ、兄ちゃんっ」

他人に頼るな。他者に依存した心は脆い。凛はそれをいつかの雪の日、痛いくらいに思い知って、そうしないよう努めていたはずだった。

凛は、どこまでいっても弟で、おにいちゃんがだいすきな、甘ったれのままだった。兄ちゃんがあの雪の日に、凛を捨てていってしまって、確かに学んだはずなのに。変わってなんかいなかった。凛は変われていなかった。ずたずたのこころが、さらにずたずたにされた時、凛はまた性懲りもなく他者に縋った。蟻生に、だいすきなにいちゃんを、わずかにでも重ねてしまった。

崩した正座のような体制で座りこんだ凛の頭を、蟻生が長い脚を屈めて、優しく優しく撫で擦った。

蟻生に撫でられながら凛は、だいすきなにいちゃんが凛をサッカーに誘ってくれたあの日の、しあわせな記憶を、思い起こした。


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