きらきらとひかるなにか
15歳と4歳 現パロ長きにわたる支配と争いが終わり、大海賊時代は今や大昔。課題はありつつもそれなりに平穏な頃の話だ。
うちの学校は春に修学旅行に行く。行き先は毎年変わるが、今年は世界の産業の中心地と名高いウォーターセブンだ。
史跡の説明や社会見学も終えて、その後に控えるのは学生が一番楽しみにするだろう自由行動。班を事前に自分たちで組み、朝早くにホテルの最寄り駅から出発して、好きな場所を巡り、集合時間に間に合うように帰ってくる。
ここだけ読めば楽しく、良き思い出になるだろう日。だが、どんなことにもトラブルというのはつきものだ。
出発時間丁度、私は出発予定地の駅で、大泣きする小さな子供にしがみつかれて動けなくなっていた。
「わあ〜」
「わあ〜じゃねえよ」
「お前どうすんだよそれ」
同じ部活の友達と、付き合いの長い腐れ縁が困ったように言う。
私は右足にしがみついたその子のつむじを眺めながら言った。
「どうしようね。この状態のまま歩けなくもないけど、危ないしね」
「当たり前だろうが!」
「どうする? 先生呼ぶか?」
「……や」
「ん」
「やあ"〜〜〜っ」
「あらららら」
腐れ縁が私から子供を離そうとすると、元々大きい泣き声が更に大きくなる。ぎゅうう、と私の脚に加わる力も強まり、あっなんかこれマッサージ器具みたいでいいかも、なんて下らないことを考えた。
「どうしたのきみ、なんでそんなことになってるの?」
「うわお前そんな優しい声出せたの」
「気持ち悪ィ」
「うるさいよ」
「……から」
「うん?」
「あにき、おいてっちゃ、やだから」
その言葉とともに、その子は顔を上げ、私と目が合った。
縦長の瞳孔が入った綺麗な瞳が、涙で濡れてきらきら光っている。白い肌は泣いたせいで真っ赤になって、顔は全体的にべしょべしょだ。
かわいいな、と思った。普段から子供は嫌いじゃないが、なんだかこの子は特にかわいい気がした。
「ペロスペロー、モリア、先行ってて」
「はっ? 何言ってんだよ」
「時間押してるし。二人とも行きたいところあるでしょ?」
「それはお前だって同じだろ」
「いいよ、私は。個人的にまた来ればいいだけの話だし」
「まあ……それを言ったらそうなんだが……」
飴細工の上手い友人は首をひねり、少し考え込んでから、わかった、と呟いた。
「その代わり一段落ついたら連絡入れろよ。迎えに行くから。くれぐれも勝手に動かないように!」
「一応近いところから回るからな、おれたち」
「ありがと、二人とも」
「あとこれ」
「ん」
友人が棒付きの飴を何本かよこす。
「困ったら使え」
「……ありがとう」
じゃあなー、と二人に手を振りながら、電車に乗るのを確認する。その間も、子供はずっと脚にしがみついていた。スラックスの腿部分は涙やらなんやらでもう死んでいる。
「さて、と。ちょっとごめんね」
「う」
脇の下に手を入れて抱き上げる。その子は素直に応じ、私の首に手を回して掴まった。そのまま背中をぽんぽん撫でながら、駅のベンチに座る。その子は、私の膝の上に。そうするとその子は少し期限が良くなったようで、徐々に泣き止んでいった。
「よしよし。いっぱい泣いたねえ。お水飲む?」
「のむ」
「はあい」
私は鞄の中からペットボトルを取り出し、開けて彼に渡した。その子はありあと、と舌っ足らずのお礼を言ってくぴくぴ飲んでいた。
「きみ、お母さんは?」
「いなくなった」
「はぐれちゃった?」
「うん」
やはりと言うべきか、その子は迷子だった。普通なら駅員さんに届けるのが最適解なのだろうが、何分私と離れるとその子は泣いてしまうため、ひとまず私はその子の母親がこちらを見つけるまでここから動かないことにした。
「さっき、私のことあにきって言ってたよね? あれはどういう意味?」
「あにきがあにきだから」
「うーん……ちょっと待ってね…………いつから私はきみのお兄ちゃんだったの?」
「ずっとまえ」
「ずっと前……」
「ずっと、ずーっとまえから、あにきはおれのあにきだったの」
膝の上に乗せたその足をぷらぷら揺らしながら、その子はどこか得意げにそう言った。
言っておくが、私は一人っ子である。親が他所で子供を作ったという話も聞かないし、離婚歴やらもない。弟などいないはずだし、できないはずだ。
なのに私は、その話を聞いて何故かそうだな、と納得していた。
私、この子のお兄ちゃんだったんだ。そうか。じゃあくっついても仕方ないな。
「……きみ、名前は?」
「クロコダイル」
「クロコダイルくん、ね。私はキャメル」
「くろってよんでー」
「クロ」
「んふふふっ」
さっきまでの涙はどこへいったのか、クロはすっかりご機嫌になった。こちらに向き直り、私の顔を見つめたクロは、あ、と呟いて肩にかかった私の髪に触れた。
「ながい」
「伸ばしてるからね。長い髪、好き?」
「や」
「じゃあ切っちゃお」
小さくてふわふわの手が、次は耳元に来る。
「ごつごつ」
「それはピアス。たくさんついてるでしょう」
「うん、いっぱい!」
「ピアス好き?」
「や」
「じゃあ全部外しちゃお」
手は髪や耳、ピアスを散々なぞったあと、最後に顔に添えられた。丁度、右目の位置に。
「……いたい?」
「……いや」
私は顔の上側右半分に生まれつき大きな傷がある。私自身、この傷をコンプレックスに思ったことなどは無いのだが、たまに道ですれ違った子供に泣かれたりはするので、少しだけ心配になる。
「怪我したわけじゃないからね。痛くないよ」
「そっか」
「……こわい?」
クロは私としっかり目を合わせると、本当に嬉しそうににっこり笑って、
「すき」
と、言った。
その顔を見て、私は数秒思考が止まった。脳にある語彙が全て消えて、次どう行動すればいいか全くわからなくなって、この世のどこも見ていられなくなる。
ようやく意識が戻ってきて、不思議そうにこちらを覗き込むクロに向けてなんとか言葉を絞り出した。
「……じゃあ、お兄ちゃんも好き!」
それを聞いたクロがほっとしたようにまた笑う。私たちは、クロのお母さんが迎えに来るまでそうやって傍から見ればよくわからない話を延々と続けていた。
別れ際、私はクロに住所と携帯の番号を書いたメモと、棒付きの飴を渡した。ここにお手紙かお電話をしてね、とささやくと、クロはまたしてもべしょべしょの顔で頷いた。
私はというと、クロと別れたあともずっと顔が緩んでいて、合流した友人たちにさんざ気味悪がられてしまったのだった。
このときの私はまだ知らない。クロが家に帰ったあと、お母さんに頼んで本当に手紙を書いてくれることを。数年後、私が進学ですぐ近くの街に住むようになることを。さらに数年後、二人で同じ家に暮らすようになることを。さらにさらに数年後、私がようやく全て思い出す日が来ることを。
待ち受けるすべてをまだ知らない私は、いつかまた小さな『弟』に会える日を想いながら、鉄道の張り巡らされた都市を歩いていた。