端切れ話(きゅーとアンドじぇらしー)

端切れ話(きゅーとアンドじぇらしー)


地球降下編

※リクエストSSです




 初めての内海を見てからしばらくして、エランとスレッタはゆっくりと南方面へ向かっていた

 この辺りから路線は途切れ始め、所々徒歩やバスを使いながらも移動していくことになる。外の様子もずいぶんと変わり、線路沿いでもあまり大きな町にはたどり着かなくなっていた。いわゆる田舎の風景というものが多くなっている。

 少しばかり不便にはなったが、その代わり治安は少しずつ良くなっているようだ。時折危険な話も耳にしたが、用心深く過ごせば何とか回避することができた。

 その日もエラン達は徒歩で移動していた。線路が途切れたうえに、バスの路線もあまり走っていないエリアだ。目的の場所までは半日ほど待たなければならないと分かった時、スレッタが選択したのは徒歩での移動だった。

 確かに2、3時間ほど歩けばたどり着く距離ではあった。けれどスレッタの体力を心配して難色を示すエランに、彼女は言った。

 何となくですけど、歩きたい気分なんです…と。

 こう言った物言いの時、スレッタは何気に頑固になる。彼女の何がそうさせるのか、普段はこちらが心配になるほど聞き分けがいいのに、たまにどうしても折れない時があるのだ。

 エランはスレッタのきらきらとした目を見ながら、今回も引かないだろうと確信した。何かの予感か、好奇心か、あるいはそれが混ざったものか、彼女の大きな瞳は地球そのもののように輝いていた。


 そんな経緯を持って少々くたびれた道を歩いていたが、小規模な森に近づいた時にそれは聞こえてきた。

 キュン、キュン、キゥォーン…

 高くて細いそれは、何かの鳴き声のようだった。

 スレッタはピクンと反応すると、きょろきょろと辺りを見渡した。

「エランさん、これって何の鳴き声ですか?」

「…少なくとも大型動物ではないね。恐らくイヌ科の幼獣じゃないかな」

 この辺りには狼も生息している。ちょうど春から夏にかけては子供が多く生まれる時期なので、子狼という可能性があった。

 2人は獣避けの鈴を付けている。なので滅多なことでは成獣の群れは近づかないだろうが、生まれたばかりの幼獣はどうだろう。

 すぐに離れた方がいいと口に出そうとすると、その前に目の前の茂みがガサガサと揺れ、明らかに狼ではない子犬が茂みの間からまろび出てきた。


 キュン、とその子犬が一声鳴く。先ほどから聞こえていた声だ。

「ふおぉ…っ小さいっです…!え、狼の子供ですか…!?」

 スレッタがわたわたと両手を動かしながらこちらと子犬を交互に見ている。突発的な出来事にエランの判断を仰ぎたいのだろう。

「狼じゃないね。耳がペタンと垂れてるし、たぶん普通の子犬だよ」

 犬種までは分からないが、クリーム色の短毛で垂れ目がちな子犬だった。人に慣れているのか逃げ出すこともなく、むしろ嬉しそうにエラン達の方に近寄って来ている。

「わわっ近づいて来ましたよ、エランさんっ」

 慌てながらも嬉しそうにしたスレッタが、子犬の方に手を差し出そうとした。

「ちょっと待って、スカーレット」

「え、は、はい」

 子犬を触る前に一旦スレッタを下がらせて、エランは手ずから子犬を両手で掬い上げるとジッと観察してみた。

 毛の生えていないぽこりとしたお腹を見てみると、ぶつぶつと発疹のようなものが出来ている。先が赤くなっていて見るからに痒そうだ。おそらく虫刺されだろう。

 子犬はエランの手の中で大人しくしているが、小さな尻尾はふりふりと嬉しそうに揺れていた。やはり人の手に慣れているようだ。

 クフン、クフン、と甘えるように小さく鼻を鳴らしている子犬を見ながら、「野犬じゃなさそうだね」とエランは言った。

「迷い犬か、捨て犬…かな」

「え、エランさん、わたしも、わたしも触っていいですかっ?」

 スレッタが期待しながらこちらを見ているが、残念ながら頷くことは出来なかった。

「この犬はワクチン接種をまだ受けていない可能性がある。普通の子に見えるけど、もしかしたら狂犬病に感染してる可能性だってあるかもしれない。触らない方がいいよ」

「ふぇっ、で、でもエランさんは触ってますっ」

「僕は分厚い手袋をしてるし多少は噛まれても平気。でもきみの手袋は薄いし、いま素手で触ろうとしたでしょ」

「うっ」

 うきうきと手袋を脱いで子犬に触ろうとしていたスレッタは、体の後ろに手を回して何も着けていない手を隠そうとした。

 エランはふぅっとため息を吐くと、相変わらず大人しくしている子犬をジッと見た。

「本当は置いていった方がいいんだろうけど、仕方ないね…」

 手を離してもついてきそうだし、スレッタが気にしてしまうだろう。とりあえずは町まで連れていく事にした。


 小さな同行者を連れてエランとスレッタは道を進んだ。

 最初は子犬をタオルにくるんで固定してからバックパックに入れて移動しようと思ったりもしたが……結局は手で抱きかかえることにした。

 ノミが大量に体に付いている可能性もあるし、バックの中で粗相をされては堪らない。今は大人しいが突然暴れ出すことも考えられる。それで万が一露出している肌の部分を噛まれでもしたら、病院に駆け込むことになる。

 なら少し不便だろうが、すぐに制圧できるよう手で押さえていたほうが効率がいい。

 相手はエランの片手に収まってしまうほど小さい子犬だ。少々動いても問題ないし、もし逃げてしまってもエランとしては構わなかった。スレッタは悲しむだろうが、自主的に置いていくよりも逃げられた方が諦めもつくだろう。

 …そのスレッタだが、エランばかりが子犬に触っているからか、元気に歩きながらも少々むくれているようだった。時折「いいなぁ…」とか、「独り占め…」…などと呟く声も聞こえてくる。

 たとえば喉が渇いているだろうと、撥水加工されている手袋の上に水を注いで子犬に飲ませている時。

 虫が付いていないか確かめるために、短い毛を掻き分けて確認している時。

 甘えた鳴き声をあげる子犬をつい撫でてしまっている時。

 彼女はジィっと、羨まし気な目でこちらを見ていた。特に頭や背を撫でるのは無意識で行っていることが多かったため、その度に気まずい思いをした。

 エランは動物が嫌いではない。手の中で身じろぎする小さい体や、キュンキュンと甘えた鳴き声なども、まったく嫌いではなかった。

 だからスレッタが感じているだろう嫉妬の気持ちも想像できたし、彼女に対する罪悪感も心にあった。

「…その、スレッタ・マーキュリー」

 辺りは視界が開けているので誰かが聞いている心配はない。エランはスレッタの本名を呼んで彼女の気を引くと、彼女の希望に沿う提案をすることにした。…ただし、条件付きでだ。

「よければ僕の予備の手袋をして、子犬を触ってみる?」

「え、いいんですかっ!?」

 案の定、目を輝かせたスレッタが反応してきた。

「いいよ。ただし手袋と服の境目は露出しないよう気をつけて。肩より上に抱きあげたり、顔を必要以上に近づけたりするのもダメだよ」

「分かりましたっ!」

 途端に元気になったスレッタが、力いっぱい挙手をした。


「えへへ、エランさんの手袋、すごくおっきくて…ぶかぶかですっ!」

 指の先が少し凹んでいる手袋を掲げてスレッタが嬉しそうに笑う。見るからにサイズが合ってないが、彼女の手は小さくてほっそりしているので当然だった。

 手袋が脱げないように手首のバンドを服の上からしっかり留め、いよいよ期待に目を輝かせたスレッタがこちらに手を差し出してきた。

 落とさないように慎重に子犬を明け渡すと、「ふうぉぉぅ…っ」と謎の声をあげながらスレッタが感動に打ち震える。

「軽いけど、重い…!小さいけど、元気に生きてます…!って、わっ、ちょ…」

 エランの時とは違い手の中でジタジタと暴れ出す子犬に手を焼きながら、スレッタは何とか落とさないように頑張っている。

 少し位置が悪い彼女の手を直して、ついでに子犬の頭を撫でてやると少し大人しくなった。

「ふぅ…ありがとうございます、エランさん」

「どういたしまして。このまましばらく歩く?」

「はい、歩きたいです!わんちゃん、もうちょっとだけ一緒にいようね」

 スレッタの言葉に答えるように、子犬は元気よくキャン!と鳴いた。

 それから上機嫌のスレッタと共に、町までの道のりを歩いていく。スレッタはニコニコと笑いながら、可愛らしい歌を歌っていた。

「迷子の迷子の子犬さんっ♪あなたのおうちはどこですかっ♪」

 即興で作ったにしてはあまりに完成度が高いので、聞いてみると実際にある童謡を少しだけ変えた歌らしい。

 本来の歌詞だと迷子になるのは子猫の方で、それを犬のお巡りさんが助けるという内容のようだ。

 昔は『警察犬』という訓練を受けた犬が警察組織に組み込まれていたようなので、案外本当の事が元になった歌なのかもしれない。

 とはいえ今回の迷子は犬の方だ。

 この子を最後まで面倒を見る事はできないが、せめて歌詞の中の迷子の子猫のように、元居た場所に戻せればいいなとスレッタと話していた。


 それから程なくして、2人と1匹は近くの町までたどり着いた。

 まずは子犬の健康状態を確認した方がいいだろうと、端末でヒットした動物病院へと連れて行くことにする。

 ついでに獣医に相談して、しかるべき施設に預けるつもりだった。

 結局、子犬は少し虫に刺されているが、特に病気になっているわけでもない健康体だった。それどころかきちんとワクチンを受けた飼い犬だと分かった。

 いつの間にか家の外に逃げ出してしまったらしく、飼い主から子犬の情報が病院へと届いていたらしい。少し前に病院に来て注射を受けていた記録もあり、すぐに気づいた獣医が飼い主へと連絡してくれた。

 エランは肩の荷が下りたとホッとしていたが、スレッタは少し残念そうだ。

「わんちゃん、元気でね…」

 病院の前で寂しそうにお別れの言葉を告げるスレッタに、年を取った院長は優しく笑った。

「優しい人に送り届けて貰えてこの子は幸運でした。よければ最後に抱きしめて、お別れのキスでもしてあげてくださいな」

 そう言ってこちらに子犬を渡してくるので、エランは特に何を思うでもなく子犬のこめかみにキスを落とした。診察ついでに洗われたばかりの子犬は優しい匂いがして、温かい気持ちになる。

「あーっ!ず、ずるいです…!」

 …と、スレッタが言うので、すぐにエランはスレッタに子犬を渡した。

「はい、きみもすればいいじゃないか」

「んもうっ!そう言う意味じゃ、ありません!」


 なぜか怒ったスレッタは、パタパタとしっぽを振る子犬の鼻先にちゅっと優しいキスをした。







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