かみさまでもなかよくしてください
「……どう……して……あんたが……ここに?」
暴走したルフィこと「ニカ」によって、文字通り「塗り替えられた」世界に現れた男に、トラファルガー・ローは問いかける。
息も絶え絶えなその言葉は、縋っているようにも、泣いているようにも聞こえた。
「あの子が願ったからだよ。
『トラ男が大好きな人ともう一度会えますように』ってな。
だから今、俺はここにいる」
3mを超える長身に、黒い羽毛のようにコートを肩に掛けた、ピエロメイクの男がヘッタクソな笑顔を浮かべて答える。
その笑顔も、声も、全てが確かに、間違いなく、その答えの通り彼はローの大好きな人。
何もかもを壊したかった世界で、生き抜いて幸せになりたいと思わせてくれた人。
フレバンスの悲劇で皆と一緒に死んだはずの心を蘇らせてくれた人。
「……コラさん」
嬉しくて嬉しくてたまらないはずなのに、あのドレスローザでドフラミンゴが「不老手術を施すなら何でも願いを叶えてやる」と言った時、煽りのつもりで口にしたが本音でもあった願いが今まさに叶っているのに、ローは喜ぶことができない。
嬉しいはずなのに、それ以上の感情がそれらを塗り潰す。
どうして?何で?やめてくれ。返せ。返せ。
返してくれ!!
今にも叫び出したくなるその感情を押さえつけるのに必死で、その場に固まってしまったローを、麦わらの一味はそれぞれ「トラ男?」「トラ男くん?」「ちょっ、大丈夫かお前?」と心配するが、彼と向き合う長身の男……コラソンは困ったような苦笑を浮かべて告げる。
「……なぁ、ロー。お前は何を恐れてるんだ?」
「え?」
座り込んでも、「ニカ」によって子供にされた自分とではまだ視線が合わない。
それでもコラソンは、出来るだけローに視線を合わそうと努力して、そのままバランスを崩して後ろに転倒。
「コラさん!?」
そのドジっ子ぷりが懐かしくて嬉しくて、……容姿も性格もドジっ子だったなんて一言も語っていないのに、それなのに再現されたことでこの人が本物であることを思い知り、またローの胸の内に渦巻く感情が強くなってゆく。
だが、コラソンは地面に仰向けに倒れたまま、自分の傍らで座り込んで心配そうに見下ろすローへ笑って言った。
「なぁ、ロー。何で世界を塗り替えることができる『神様』が、お前が大好きな人に会えることを願うんだ?」
「……え?」
もう一度、戸惑った声を上げるローに、相変わらず下手くそな笑顔でコラソンは倒れたまま言葉を続ける。
「お前はさ、あの子の自我がなくなることが怖かった……あの子があの子じゃなくなって、神様っていう別物になるのが怖いんだろう?
……俺との再会を、喜べないくらいに」
「…………うん」
背後に麦わら一味がいることも忘れて、ローは素直に頷いた。姿の年齢に精神も引っ張られているのか、幼い言葉で。
大好きな人に素直な気持ちを何も伝えられなかった後悔があるから、何も偽らずに答える。
幸いながら一味は、いきなり現れてドジを披露したピエロに戸惑いつつも、流石に空気を読んで沈黙を守り、彼らの様子を伺っていたので、二人はそのまま話を進めた。
「ま、それはしかたないな。俺だってローが悪魔の実に乗っ取られてローじゃなくなるなんてごめんだ。食わせた奴をぶっ殺しても許せねえ……俺だ!?
あ、話がずれたな。まぁ、お前の気持ちはわかるよ。けどな、ロー。ちゃんとお前は『あの子』を見てやれ」
「……見る?」
仮定の話で一人で勝手にキレてから、元凶自分と気づいて話を戻したコラソンだが、脱線していた話よりローにはそちらの方がわからない。
わからないことが不安で泣き出しそうなローの頭を帽子越しに、コラソンはポンポンと撫でてやる。それも、答えだと教えるように。
「……もう、『ニカ』に乗っ取られて自我が残ってないのなら、どうして俺はここにいるんだ。
どうして、『神様』はお前が大好きな人と会えることを願うんだ?」
「「「!?」」」
ローだけではなく、麦わら一味も目を見開いて気づいた。
例え一時的な夢のようなものだとしても、この死人の蘇りなんていう神の権能そのもののようなことをしておきながら、その理由はあまりにも……人間らしい……少女らしいものだということに。
それは……神様なんかの意志じゃない。
間違いなくそれは……ルフィの意志による「願い」だ。
「あの子は自我を失っても、奪われてもいない。それどころか、神様の力を逆に利用してるぐらいだな」
おかしげにコラソンは笑ってやっと半身を起こす。
そしてまだ呆けているローを、優しい眼差しで見下ろして告げる。
「ロー。お前からしたらあの解放のドラムは解放どころか恐怖そのものなんだろう?あの子があの子じゃなくなる……その証明みたいなもんだもんな。
けどな、あの子が神様に……ニカに塗りつぶされない、逆に塗り潰す胸の高鳴りがあるんだ。
……何だか、わかるか?」
ローの抱いていた不安を指摘し、そして問うコラソンにローは一拍ほど間を置いて、戸惑いながらも答えた。
「……不整脈?」
「それは解放のドラムよりダメな高鳴りだな!!」
「「「お前医者やめろ!!!!」」」
まさかのマジボケにドジっ子コラソンから突っ込まれ、空気を読んで空気と化していた麦わら一味一同からも総ツッコミを食らった。
実際、ローも自分で言っておきながらここでこれしか答えられないぐらいの職業病に陥るなら、医者をやめた方がいいかもしれないとちょっと思った。
「恋だ恋!!魚じゃねーぞ!ラブの方!!俺がレディ達にやるメロリンの方だ!!」
「恋の高鳴りで神様以上のワガママになって、逆に神様を乗っ取ってやれってことを言いたいのよこのピエロは!!」
「……あー、うん。このぐるぐる眉毛とオレンジ嬢ちゃんの言う通りだな」
ローの職業ボケにガチギレしたサンジとナミに圧倒されつつ、コラソンはなんとか間に入って話を続けた。
「ロー。ちゃんとあの子を見て、そして関わってやれ」
コラソンの言葉に、「これ以上どうしろと?」と怒りに似た疑問をぶつけようとしたが、言葉にならない。
「お前があの子と同じ気持ちでなくとも、……別の形でも『愛』があるなら、その『愛』を伝えろ」
本当はわかってる。コラソンの言う通り、自分は見ていなかった。
だから、自分の恐れを優先して彼女の自由を縛ったくせに、自分は逃げた。
「あの子があの子たらしめる鼓動は、あの子一人じゃ維持できない」
彼女の自由に対する越権行為をしておきながら、自分と彼女の関係は「友人」ですらなく、「医者と患者」だと言って、彼女のひたむきすぎる思いに背を向けた。
「……自分を見てもらえない、知ろうとしてくれない、ハートに触れてもらえないことこそが、『失恋』だ」
終わらせるために触れることすらせず、始まってすらいないと拒絶した。
「どんな形でも『愛』で触れてもらえたのなら、破れはしても『恋』は残る」
だから、彼女は彼女ではなくなった。
「心」を自分のせいで無くしてしまったから、神様に全てを奪われたと思ったから、神様が……「ニカ」が憎くて仕方なかった。
「あの子は……神様になってもあの子のままでいられるんだ」
「……っっけど!コラさん!!」
言いたいこと、泣き叫びたいこと、謝りたいこと、自分にぶつけたい罵倒。
様々な思いが頭の中でぐちゃぐちゃになりながらも、それでもローは必至に紡ぎ出して、訴え、問う。
「どうやって……触れたらいいんだ?」
今更、逃げていた自分が
こんなにも弱くて、卑怯な自分が
「こんなふうに……こうやってあいつの心に触れたら……無理やり入り込めばいいのか?」
地面に指で円を描き、その円に外から入り込む線を描く。
あまりに乱暴で無神経な方法しかわからない。
だから、怖くて仕方なかった。
振り返れなかった。
踏み出せなかった。
触れられなかった。
そんなローに、コラソンはまた困ったような苦笑を浮かべる。
「こういう方法もあるさ、ロー」
ローの手を大きな手で優しさ包み込むように掴み、そして動かす。
彼の指先で地面に描く。
ローが描いた円を囲む、包み込む更に大きな円を。
ポカンとその円をしばし眺めてから、ローは顔を上げると、コラソンは悪戯が成功した時のような少し意地の悪い笑みを浮かべて言った。
「女の子には優しくしてやれ。おまえは単に接し方がわからないだけなんだ」
その言葉に、悔しくても何の反論も浮かばなかった。
ローにできたのは、立ち上がってそのまま大好きな人に、夢でいいからもう一度会いたかった人に背を向けて走り出すこと。
「!?トラ男!?」
「麦わら屋に会ってくる!!」
麦わらの一味の誰かが叫んだが、それが誰かを確認しないままローは、ただそれだけを告げて駆け出した。
(バカだ!俺は麦わら屋以上のバカだ!!)
ポケットの中に突っ込んでいた紙を取り出し、それを握りしめて。
(知っていたのに!今更、教えてもらわなくても知っていたのに!
俺はコラさんから「それ」をもらっていたのに!!)
それは「ニカ」からだと思えば不愉快極まりなかった手紙。
(あいつからも……もらってたくせに!!)
今更になってやっとわかった。
これはルフィからの手紙。自由を縛られ、ハートに触れてもらえないことで傷ついて、それでもローの幸福を、「大好きな人と会えますように」と願ってくれた優しい子の、あまりに幼くてささやかな「お願い」だったことに、ようやく気づいた。
「……もう、今更『次会った時は敵』なんて、無理なのはわかってる」
だからこそローは、大好きな人に背を向けて、駆ける。
「だから……なってやるよ。
同じものは返せなくても……『仲良く』ぐらいは、してやるっつうの!!」
世界を塗り替えて、塗り替えた世界「アラハビカ」に閉じこもってしまった彼女にも届くように声を張り上げて。
「お前が!麦わら屋である限り!神様でも仲良くしてやる!!」
恋ではないかもしれない、けれど間違いなく愛してる少女の元まで、トラファルガー・ローは駆け続けた。