かすがい。(2) #早瀬ユウカ&天童アリス
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──そして、時間は現在へと戻る。
「あの、アリスちゃん……そろそろ手を放してくれないかしら?」
「ダメです! 今夜一晩は、先生とユウカの手をずっと握ってるって、アリスはもう決めましたから!」
ダメ元でお願いしてはみたものの、やっぱりアリスちゃんは固く握った手を離してくれそうにもなくて、どうやら私に拒否権は無いみたい。
見た目は華奢な女の子でも、アリスちゃんは古代文明の超技術によって生み出されたアンドロイドであり、人間離れした怪力を持っている。
そんなアリスちゃんに本気で捕まえられてしまったら、先生はもちろん私にだって抵抗のしようがなかった。
うう、夜中にトイレに行きたくなったらどうしたらいいのよ……
「なんでこんなことになっちゃったんでしょうね先生……」
“あはは……もう観念するしかないんじゃないかな”
諦めたように笑う先生の声が耳にくすぐったくて、思わず顔が火照ってしまう。
まあ……正直、まんざら悪い気分じゃないってことも確かなのだ。
真夜中のシャーレの遊戯室で、枕元に置かれたナイトライトの仄かな明かりだけが私たちを照らしている。
だぼだぼのパジャマにすっぽり身を包んで、枕に頭を預けてにこにこと笑うアリスちゃんの笑顔はとっても可愛らしいし、アリスちゃんを挟んでとはいえ先生と添い寝しているという事実にはドキドキを禁じ得ない。
……もちろん、男の人への恐怖心はまだ完全に克服できたわけじゃない。
いくら相手が先生とはいえ、否が応でも「男女の交わり」を連想させるシチュエーションなら、尚更。
正直、またパニックになってみんなを心配させちゃわないかって不安もあったけど、今のところはぜんぜん大丈夫。
きっと、怖さよりもみんなといっしょにいるって安心感の方が勝ってるからかな。
……むしろ今は「私は今夜一晩、このまま先生の隣で理性を保っていられるのだろうか?」なんて、みんなには絶対聞かせられない心配の方が大きいくらいなんだから。
案外、私って自分で思ってたよりも単純だったのかも。
「えへへ! いい加減に諦めちゃいなよユウカ。たまにはこういうのも楽しそうじゃん?」
「ちゃ、ちゃんと私たちが見張ってますから! 一人だけ抜け駆けして先生にヘンなことはさせませんからね!」
「うぅ、先生がすぐそこに……ゆ、ユウカ先輩は、大丈夫、ですか……?」
……まあ別に、今この部屋にいるのは私と先生、それからアリスちゃんの三人きりってわけじゃないんだけど。
つい数時間前まで遊戯室で和やかに過ごしていたメンバーのうち、私と先生とアリスちゃん、それからノア、モモイ、ミドリ、ユズ、そしてセリナさんを加えた八人は今、シャーレの遊戯室の床に所狭しと敷かれたお布団の上で雑魚寝していた。
というか……もこもこのパジャマを着たゲーム開発部の三人は私の体にまとわりつくよう抱き着いていて、まるで肉布団みたいなありさまになっている。……正直、ちょっと暑苦しいけど。
まあ、みんなの温もりを感じられると安心できるのも確かだし、嫌ってわけじゃないかな。
今はいないけど、さっきまではネル先輩とアスナ先輩も顔を出してくれて。
ネル先輩は「べ、別にあんたが心配で様子を見に来たわけじゃねぇんだからな!」なんて、いつものツンツンした態度で言ってたけど……まったくあの人ったら、素直じゃないんだから。
アカネとカリンには会えなかったけど……ネル先輩の口ぶりからすると、どうやら私たちが安心して眠れるように不寝番を買って出てくれてるみたいだった。
……迷惑をかけちゃってごめん、なんて言うのも、彼女たちに失礼よね。
明日ミレニアムに帰ったら、C&Cのみんなにもちゃんとお礼を言わなくちゃ。
「あの……本当によかったんでしょうか? 私まで皆さんとご一緒してしまっても……」
「ううん。私がセリナさんにも一緒にいてほしいって無理に頼んだんだから、むしろ私の方が謝らなきゃいけないくらい。トリニティでのお仕事もあるだろうし。その……もしも迷惑だったのなら、ごめんなさい」
セリナさんを引き留めてしまったのは、私の我儘。
……この数ヵ月、セリナさんには本当にお世話になって。セラピーだけじゃなく、リハビリのための外出にだって付き合って貰った。
それは患者と看護師というだけの関係じゃなくて、ただの学生同士として会話やショッピングを楽しんだこともあって。今ではもう、彼女のことも大切な友達だって思ってる。
セラピーの頻度が減ったら、必然的にセリナさんと会う機会も減ってしまうだろうけど……できることなら、今日一日くらい、もう少しだけお話していたかった。
「……いいえ。迷惑だなんてこれっぽっちも思っていませんよ。ミネ団長からは、ユウカさんのケアを最優先にするようにって言われていますし。それに……本音を言えば、私も今日は、ユウカさんと一緒にいたいって思ってましたから」
「そっか。それじゃ、私と同じね。ふふっ」
セリナさんも私と同じ気持ちだって分かって、嬉しさが込み上げてくる。くすくすというセリナさんの笑い声。
「あらあら。私の知らないうちに、随分セリナさんと仲良しさんになったんですね。しかも先生とアリスちゃんと川の字に並んで添い寝だなんて、ちょっと妬けちゃいます。ユウカちゃん、今夜は眠れなさそうですね。……うわきものー」
「の、ノアったら……こんな時まで、もう!」
悪戯っぽい声と共に、枕を挟んで向かい側に寝そべったノアが顔を近づけてくる。私は顔がかあっと熱くなるのを感じる。
大人しそうな雰囲気に反して案外いたずら好きなノアのことだから、こうして私をからかうタイミングを今か今かと待ち構えていたんだろう。
まったくもう……いつものこととはいえ、ノアのこういう悪い癖は困りものだ。
(……いつものこと、か)
自然と頭の中に浮かんだその言葉に、自分でもはっとした。
……そういえば、ノアがこうして私の前で冗談を口にするのなんて、いつぶりのことだったかしら。
"あの日"以来、彼女はずっと私を気遣ってくれていた。
私をこれ以上傷つけないように、ほんの些細な態度や言葉遣いにまで気を配って、そっと寄り添ってくれていて。
でも、だからこそ。前なら軽々しく笑い飛ばせたような冗談だって、いつの間にか途中で言い淀んでしまうようになって……
その優しさに救われた半面、少しだけ辛くも感じていた。
だから、今こうしてノアが昔みたいにからかってくれるだけで、胸につかえていた重さが少しずつ消えていくのを感じる。
ああ、ようやく私は前に進めたんだなって、そう実感できたから。
「はい! アリス、今夜はユウカを絶対に寝かしません!」
ノアの冗談を真に受けてしまったのだろうか。アリスちゃんは無邪気に宣言すると共に、私の手をぎゅっと握りしめる。
こうしてみんなにまとわりつかれて、覆いかぶさられて……ほんのちょっとだけ、"あの日"にも似たシチュエーション。だけど、"あの日"とは全然違う。だって、少しも嫌じゃない。
アリスちゃんの小さな手から伝わる温もりが、彼女の言葉にできない私への想いをそっと伝えてくれて。自然と笑みがこぼれてしまった。
「……はぁ。もう、しょうがないわね」
アリスちゃんが私と先生を逃がしてくれないなら、もう覚悟を決めるしかない。どうせだったら開き直って、この状況を思いっきり楽しんじゃおう。
「それじゃあ、先生、アリスちゃん、みんな。このまま朝まで、楽しくお喋りしちゃいましょうか」
私の提案に、アリスちゃんの目がぱあっと輝いた。
「分かりました! アリス、ユウカが元気になったら話したいこと、いっぱいあったんです!」
“そうだね。私も、たまには堅苦しいこと抜きで、ユウカやアリスとお喋りしたいな”
無邪気に笑うアリスちゃんと、それを温かい目で見守る先生。モモイやノア、周りのみんなも、口々に楽しそうな声を上げていく。
まるで、みんなと本当に家族になったみたいな暖かな気持ちが心を満たしていく。
みんながいてくれるなら、私はきっと大丈夫。
私もそっと微笑んで、枕元のベッドランプを消した。
まだ、楽しい夜は続いていく。
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