かごのとり

かごのとり




足の腱というものは、切れたとしても絶対に歩けなくなる訳では無いらしい。ちゃんとした手術をすれば治るそうだ。ぎこちないながらも歩く事も可能である、らしい。どちらにしろ今のコビーには出来ない事であるけれど。ぼんやりと見上げるのは真っ赤な天蓋だ。上等なシーツにシルクの寝巻き、安眠効果のあるお香。全部がコビーの為に用意された物。

扉がノックされる音がして、コビーははい、と掠れた声で返事をする。中に入って来たのはこの船の船医であるドクQだった。愛馬であるストロンガーには乗っていない。彼はよろよろと此方が心配してしまう様な歩き方をしながらベッドに近付いて来る。コビーは体を起こしてベッドの端に腰を下ろす姿勢になった。何も言わなくてもこの姿勢になる様になったのは、いつからだったっけ、と、コビーは上手く回らない頭で考える。ドクQはそんなコビーに恭しい様子で跪いて、足首を手に取った。裏側が真綿になっている足枷の鍵を外し、足首に巻かれている包帯を丁寧に取り替えて行く。

「……足枷なんて」

「……なんだ」

「そんなのつけなくても、僕、もうどこにも行けないのになあ、って」

その言葉に何も言わずに、包帯を変え終えたドクQは「ゆっくり休めよ、『姫様』」と言い残して部屋を出てしまった。コビーはまた退屈になる。何もする事が無いから、大人しくじっとしているしか無い。以前は毎日体を動かしていたというのに。いつからこのベッドの上で、誰かの手を借りなければ何処にも行けなくなってしまったんだっけ。時間の感覚はもう曖昧だった。退屈だな、と思いながら目を閉じる。ふわふわと、夢の中に揺蕩って行く。


この船に乗せられて痛い目に遭った記憶は、あの時のたった一回しか無い。足の腱を切られた時の痛みしか。そんな状態のコビーが連れて行かれたのは広い部屋だった。まるで、お姫様の部屋の様な。もしくは、宝箱の様な。真ん中に大きな天蓋付きのベッドがあって、沢山の本があって。窓も無ければ時計も無いその部屋のベッドの上が、コビーの居場所だった。包帯を巻かれて、もう感覚が無くなっている足首に、更に足枷が嵌められた。悪ィなァ、痛かったろう、と、ここまでコビーを連れて来た黒ひげが大きな手でコビーの頬を撫でた。

「けどこれでお前ェはもうおれのものだ」

うっそりと、心の底から嬉しくて仕方ないという顔で、黒ひげは笑った。


それから何日が、何ヶ月が過ぎたのだろう。部屋の中だけでは退屈だろうと、しばらく経つとコビーは船内を動ける様になっていた。とはいえ歩けないから、黒ひげか幹部に抱かれるか、ストロンガーに乗せられるかの三択だったが。彼らはコビーに酷い事はしなかった。コビーが言えば、ここから出たい、以外の事ならなんでも叶えてくれた。一度、伸び始めた髪を整えて欲しいとお願いしたデボンに聞いた事がある。どうして僕の言う事を聞いてくれるんですか、と。すると彼女は当たり前の様に言った。


「だってあなたは提督のお姫様だもの」


気が付けば、コビーの中で動けない事は当たり前になっていた。上等なシーツと布団に包まって眠る事が、黒ひげの膝の上で共に本を読む事が、黒ひげに「愛される」事が、コビーにとっての日常になっていた。この腕は、誰かに抱えてもらう為にしか伸ばさなくなっていた。この足は動かないものとして、何も気にしなくなっていた。この髪は艶々で、黒ひげの好きな香りがして、丁寧に手入れされていた。自分の着るものは、お姫様のドレスだった。お姫様、と、姫様、と、呼ばれる事が当たり前になっていた。

けれど、頭の中のどこか冷静な部分が、コビーに叫んでいる。こんなのはおかしい、と。早くここから逃げ出さなければならない、と。けれど、逃げ出すって、どうやって。もう足の動かし方なんて忘れてしまった。この腕はきっともうあの人達を殴れない。なら──待つしかないのだろう。自分を助けてくれる、誰かを。


(……ああ、それって)


(本当に、囚われの、お姫様みたいだ)




「コビー?」

黒ひげが名前を呼ぶ。ぼうっとしていた様だ。大丈夫かよ、と頭を撫でて来る彼に「だいじょうぶです」と笑い掛ける。

「……コビーよォ」

「はい?」

「よく笑う様になったなァ」

そう言われて、はた、と気付く。そういえばここに来たばかりの頃、笑うなんて事無かった。今の笑顔だって、無理に作った笑顔じゃない。ここで笑えるくらいには、この場所に慣れてしまった。頭の中の冷静な誰かは、そういえば、いつからか黙りこくってしまった。

「あとはそうだなァ」

「?」

「おれの事を名前で呼んでくれりゃ、充分なんだがな」

「……」

黒ひげのその様子は、まるで拗ねている幼い子供のようで。コビーはくすくすとわらって、「ティーチ」と彼を呼んだ。

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