お面が取れたら?
大学に入学後、初めてのハロウィンが訪れた。
親元を離れ一人暮らしのため、口うるさく言う者はいない。
仲良くなったサークルメンバーの提案もあって、絵里は初めて繁華街の仮装パレードに参加することになった。
魔女服を着て参加したパレードの大通りの隅っこで、変なピエロが面を売っていた。
怪しげではあったが、『幸運を呼ぶ面』という謳い文句に惹かれて面を一つ買ってみることにした。(ちなみに三百円だった)
「——」
ピエロはあることを言って、絵里に面を渡した。
終電前にお開きになり、自宅に戻って、就寝前に何気なくピエロから買った面を付けてみた。
ここで絵里は面を付けたこと、いや、ピエロから面を買ったことを大いに後悔したのであった。
◇◇◇
「どうにかしてよ、光!」
「どうにかしろと言われましても」
付けた後、面は絵里の顔にぴったりと張り付き、どうしても取れなくなった。
接着剤でもついていたのかと思い、洗面器にお湯を張って顔を突っ込んだが、一向に取れず窒息しそうになった。
悪い夢だと思ってベッドに潜り込んだが、朝起きても面はついたままだった。
当然、朝になっても取れなかった。
一緒に参加した友人達にラインを送っても、皆疲れて爆睡しているのか、一向に既読にならない。
こうなったら頼る者は一人しかいないと、絵里は近所に下宿している、幼なじみの光を訪ねたのだ。
インターホンを鳴らし、名前を告げるとすぐに出てくれたが、ドアを開けた途端「ギャーッ」と悲鳴を上げられた。
情けないなと思う反面、絵里は結構ショックを受けた。
「朝っぱらから、おかしな格好でうろつかないでよ‥‥‥」
「仕方ないでしょ、外したくっても外せないんだから。ハロウィンのテンションが抜けない、馬鹿のふりをするしか無かったのよっ」
家に入れて貰った後、いつまでハロウィン気分でいるんだと説教されたが、絵里は昨日自分に起こった不幸をかいつまんで説明した。
光は、一体何を言ってるんだという態度で絵里の話を聞いていたが、張り付いた面を引っ張ってみて、本当に取れないことは理解したようである。
しかしその後も、彼は絵里の格好に不満を漏らしてきた。
「それでも、魔女服にひょっとことか、マジ勘弁して欲しいんだけど」
そう、ピエロが売っていたのは、最初仮面かと思えば実はお面、しかも絵里に渡してきたのは、よりによって『ひょっとこ』であった。
渡された時、「いやなんでひょっとこ?」と自分でも思ったが、何を考えているのか分からない、ピエロメイクの男に突っ込む勇気は絵里には無かった。
ただひょっとこ面をつけただけで歩いたら、何となく通報されそうなので、昨日パレードで着た魔女服も身につけ、『まだハロウィン気分でいるアホ』を装って移動したのである。
光は呆れたように言うが、自分だって恥ずかしくて死にそうなのだ。
幼なじみの彼だけを頼りに、恥を忍んでここまでやって来たのに、何という冷たい男だろうか。
「そんな、馬鹿にしたように言うことないでしょっ。ちょっとくらい、同情してよ! こんなんじゃ、『豚豚』にも付き合ってやれないのよ!」
「いや、ラーメン屋くらい一人で行けるけど。それに他に友達いるし」
「ひどいわっ。このままだと餓死するしかないって言うのに、あんたは私を置いて一人ラーメンを啜りに行くって言うのね!?」
「いや、ただ店に付き合う付き合わないの話だったよね!?」
『豚豚』というのは、近所の商店街にある、光行きつけの豚骨ラーメンの店である。
彼がその店を気に入っている理由は、そこのラーメンが特別美味しいという訳では無く、ただ単に程々の味で適度に空いているからだ。
光は、中身は陰キャよりのくせに、外見だけは『T大学の光の君』と呼ばれるほどの美男子である。
しょっちゅうスカウトをされるのはもちろんのこと(いつも断ってるけど)、芸能人でもないのに、よく通っている大学にマスコミが来るほどなのだ。
そんな彼が、寂れた店で一人ラーメンを啜っている姿は、絵里は割と見るに堪えなかった。
「『光の君』のイメージを崩さないためにも、『豚豚』に行くときには私を連れて行きなさい。女連れだったら、多少は格好がつくでしょう」
「いや、イメージとかどうでも良いんだけど。それに俺は光源氏みたいな女たらしじゃない」
そんな可愛げの無いことを言ってはいたが、彼はそれ以来、件のラーメン屋に行くときは、良く絵里を誘うようになっていた。
◇◇◇
「しっかし、悪戯にしては質が悪いなあ」
「いたっ、いたたっ。無理矢理ひっぱらないでよ!」
男の手で力を入れて引っ張ってみても、一向に取れる気配が無い。
絵里の話によると、お湯でふやかしてみても全く取れなかったというので、もう素人にはお手上げである。
「もう少し様子を見るしかないか‥‥‥もしそれでも取れなかったら、奥の手を使うしかないな」
「奥の手?」
「絵里の家、会社を経営してて方々に顔が利くだろ? 形成外科のスペシャリストに依頼して、面を剥がして貰ってその後皮膚移植手術を‥‥‥」
「ブラックな冗談はやめてよ!」
「えっ、割と本気で言ったんだけど」
「なお悪いわっ」
絵里は怒るが、正直その程度しか思いつかないのである。
それに彼女は本当に怒っているし、困り果てているのだろうが、ずっとひょっとこ面なのでいまいち緊迫感も現実感も無い。
しかし真面目に考えないと、絵里だけではなく光だって困るのだ。いや、現時点で困りつつある。
このままだと、彼女の前で光も飲み食いが出来ないのだ。
実際、早朝を過ぎたばかりの頃に訪ねてこられたので、まだ朝食すら取っていない。
せめてコーヒーくらいは飲みたいのだが、昨晩から飲まず食わずの彼女の前でコーヒーを入れようものなら、ぶち切れられるに決まっている。
ただ、朝起きたらカフェインを取るのが日課になっているので、どうにも頭が回らなかった。
「こうなったら‥‥‥感染してやる」
「えっ」
「あんたも私と同じ、ひょっとこ面にしてやるぅううううっ!」
「えっそれ感染するのっ!? ちょ、待っ、うわぁあああああっ」
光が頭を悩ませている間、うずくまって「あんのクソピエロォ~」と面を渡した相手を呪いながら泣いてた絵里が(お面だから涙は見えないけど)突然ゆらあと起き上がった。
そしていきなり光を押し倒し、のしかかってきたのである。
うつすってどうやって? と光が動揺していると、なんと彼女はひょっとこ面を光の顔に近づけてきたのだ。
「ちょ、ちょっと待て! 早まるなっ。そんな事で感染なんか‥‥‥」
「やってみなきゃわかんないでしょう!」
相手は絵里と分かってはいても、ひょっとことキスをするのだけは御免である。
ぐぐぐっと近づけてくる顔を、光は必死で押し戻した。所詮は女の力なのですぐに持ち上げることが出来た。
からん。
「ん?」
「あれ?」
顔を持ち上げ手を離した瞬間、いつもの絵里の顔が目の前にあった。
面が取れたのだ。
横を向けば、ひょっとこ面が床に転がっている。手に取って裏側をなぞるが、接着剤らしきものは何もついていなかった。
「もしかして、引くんじゃなくて押せばよかった?」
「さあ‥‥‥」
そうだとしても、原理はさっぱり不明である。奇妙奇天烈な面であることには変わりなかった。
「え、えーと‥‥‥無事お面は取れたし、身体、どかすね?」
絵里はまだ、光の上に乗ったままの状態であった。
急に一難が去り、冷静さを取り戻した絵里が気まずそうな顔をして離れようとした。
「絵里」
が、それを押しとどめ、光は絵里の頬を両手で包み込みながら言った。
「面がついてない状態なら良いよ」
「え?」
「する? キス」
「‥‥‥うん」
真っ赤になった絵里の顔を引き寄せ、光は彼女の唇にキスをした。
◇◇◇
二人でコーヒーを飲んだ後、絵里は自分の下宿先に向かっていた。
魔女服では商店街を出歩けないため、普通の服に着替えるためだ。そして、着替えたら光と『豚豚』に行くのだ。
あのひょっとこ面も、両腕でしっかりと抱えていた。
光が「そんな気味の悪いもの捨てろ」と言っていたが、絵里は大事に取っておくつもりだ。
何故なら、あの怪しげなピエロが言った通りになったからである。
絵里に面を渡すとき、ピエロはこう言ったのだ。
「このお面が外れる時、とっても良い事が起こるかもね♠」と。