お兄ちゃんと一緒
ホラ話ってやつは、十割嘘って訳じゃあなくて、本当のことが二割くらい、後はそこに味付けたっぷり施して出来上がってるのさ。
「知ってるか、華満。あの店にはな、伝説の隠しメニューってのがあるんだ」
「はにゃ?」
クラスメートの華満らんは、思ったとおり俺──高木晋平の話に興味を惹かれて、トコトコと俺のそばにやってきた。
昼休みも終わりかけで、次の授業のためにみんなが教室の移動を始めて、他の同級生たちの注意が向いてない、そんな空白の時間。
俺はこの隙を狙って、華満に話しかけていた。
「……ねえねえ、それってどんなメニュー? あたしにも教えてくれる?」
「ああ、いいぜ。ただその前に、ちょっと耳貸せ」
「んー?」
ちょいちょいと手招きすると、華満は素直に顔を近づけてきた。
ふわっとシャンプーか何かの良い匂いが鼻先をかすめて、思わずドキッとする。
「むー、高木くん。勿体ぶらずに早く言ってよ」
「あ、えと! その隠しメニューな、弟とか妹が居るお兄ちゃんにしか出してくれないらしいぜ」
それは嘘。隠しメニューってのも嘘。
行きつけの店にあるあんまり誰も頼まないマイナーメニュー、でも俺はそれがお気に入りで、もっとみんなにも知ってもらいたい……特に、華満に食べてもらいたいから、こんな話を彼女にしたんだ。
華満は料理と会話するみたいに美味しさを伝えるのが大得意なおもしれー女だから、俺の隠れたお気に入りをどんな風に表現してくれるのか、すっげー気になるから──
華満のことが気になって仕方ないから、こうやってホラ話で気をひこうとしちまう。
「はにゃ〜、それってどうやって頼むの? 私はお兄ちゃんです、って言えばいいの? はうわ、それじゃらんらん食べれられないじゃん。らんらん長女で一番上のお姉ちゃんだから、お兄ちゃん居ないもん!?」
教室移動の途中で、二人並んで会話する。華満はおしゃべりだから、こっちがひとつ言えば三つくらい勝手に言葉がポンポン飛び出してくる。
クラスの中でも、華満は変なやつって思われてる。おかしくて面白いやつって意味で。
華満は身長低いし、ちんちくりんだし、すっとんとんだし、ポンデリングぶら下げたみたいな髪型してるし、それに普段からクラスで一番美人の扶羽さんと一緒に居るせいで男子からはあんまり女扱いされてないけど、俺は、まぁ華満、そこそこ可愛くね? って、ちょっとだけ思ってる。
たまに男子の間で、誰がイケるか会話になった時とか、
『顔とスタイルの扶羽、隠れ巨乳疑惑の和実、この二人はガチだろ。……華満? あー、おもしれーやつだよな。でも、無くね?』
てのがいつもの流れで、俺も周りに合わせて頷いちゃったりしてるけど、同時にちょっとホッとしたりもしてる。
華満の本当の面白さは、多分、俺だけが気づいてる。
「ねえねえ高木くん。その隠しメニュー、らんらん食べる時はどうすればいいのかなぁ」
「お兄ちゃんと行けば良いんだよ」
俺はホラ話にちょっとの下心も混ぜて言った。
「お兄ちゃん居なかったら?」
「誰か適当な男子誘ってさ、メニュー頼むときにそいつに向かって『お兄ちゃん』って言えば良いんだ。そしたら出してくれるぜ」
そう言った瞬間だった。
俺のすぐ目の前にあった華満の顔が、ボッと音を立てて真っ赤に染まった。
「……へっ!?」
「あれ? どうかしたか?」
「い、いやあの……なんでもない……」
「……」
なんだろう。この感じ。胸の奥がきゅぅっと締め付けられるような感覚。
「……なあ、華満」
「うん?」
「そ、その店に、こ、今度──」
一緒に行ってみないか、そう誘おうとしたけれど、でも緊張で言葉がつっかえてしまった。
言い直そうと思った時には、場所はもう目的地の教室の目の前で、しかも授業開始のチャイムも鳴り響いてしまった。
「はわっ、高木くん、急いで席に着かなきゃ」
「お、おう……」
結局、次の休み時間には言えなかった。
〜〜〜
数日後の週末、俺は行きつけの店を訪れようと思って外出した。
独りだ。華満をもし誘えていたなら、今頃どんな会話していただろうかな、なんて考えながら目指す店の前まで来た時、俺は店内に、見覚えのある人影がテーブル席に着いているを見つけた。
ちんちくりんで、すっとんとんで、ポンデリングなあの姿。
華満らん、彼女が店内に居た。
男と一緒に。
俺と同年代か、少し歳上か、優しそうなイケメンだ。それに、なんか俺のお兄ちゃんにちょっと雰囲気が似てる……。
窓越しだから声は聞こえない。でも、華満が楽しそうにその人と何かを話しているのがわかった。多分、いつものあの調子で、たくさん変なこと喋ってるんだろう。
相手の彼は、それを軽く笑いながら、優しい顔で聞いていた。
そこに、店員がメニューを伺いにやってきた。
華満がメニュー表に目を落とし…。その目をメニューの陰から、ちらちらと向かいに居る彼に向けながら、あいつの唇が少しだけ動いた。
──お兄ちゃん……
俺は読唇術なんて使えないし、そもそも離れているから唇の動きなんてのもはっきり見えたわけじゃないのに、華満が赤面して、恥ずかしそうに、そう呟いたのがハッキリわかった。
……わけわかんねえよ。お前んち、お兄ちゃんなんて居ないって言ってたじゃないか。
なのにどうしてそんな嬉しそうな顔をするんだよ? あんな風に、まるで恋しているみたいに相手を見つめたりするんだよ?
俺と話すときはいつも変なことばっかり言うくせに、なんで、こんなときばっかりそんな女の子みたいになるんだよ。
「……」
これ以上、華満とその人の姿を見るのが耐えられなくて、俺は踵を返して店の前から立ち去った……
〜〜〜
「はあ〜、高木くんに教わったとおりメニュー頼むときにお兄ちゃんって言ったのに、結局それっぽいの出てこなかったぁ。……また高木くんのホラ話だったのかなぁ」
「だったら、その高木くんと来ればよかったじゃないか」
って、私──らんらんの前で拓海先輩が笑った。
隠しメニューが気になって独りで店を訪れた時、偶然、拓海先輩も店に来ていて、それでお兄ちゃん限定隠しメニューについて話したら興味を持ってお兄ちゃんのフリに協力してもらったんだ。
えへへ、お兄ちゃんじゃない人を「お兄ちゃん」って呼ぶの、ちょっとドキドキしちゃった。普段、お姉ちゃんばっかりやってるから、なんかすっごく新鮮!
例えるならそう、これはスパイ映画、兄妹と偽って敵の秘密基地に潜入した女スパイらんらんと、相棒の拓海先輩、みたいな?
でも、結局それっぽいのは出てこなかった。確かに高木くんと来れば、確実だったんだろうけど。
「高木くんをお兄ちゃんって呼ぶの、なんか違和感すごくて」
「そりゃまあ同級生だからな」
「ま、それもあるんですけどね。でもどっちかというと高木くん、弟〜って感じ?」
「弟〜っ?」
「うん、高木くん、お兄ちゃん大好きっ子だから。だから高木くんみてると、らんらんも、りんちゃんとかるんちゃん思い出すんだ」
「ああ、妹さんと弟さんね。……言っとくけど、俺は一人っ子だから、お兄ちゃんってガラじゃ無いぞ?」
「はにゃ? ゆいぴょんと一緒に居る時は、もうお兄ちゃ〜んって雰囲気全開ですけど?」
「俺が気にしている事を……」
「えへへ〜、拓海先輩は、らんらんたちデリシャスパーティーみんなのお兄ちゃんですよ〜」
だから、この兄妹ごっこ、もう少し続けたいな。
嘘だけど、どこか本当にこの人がお兄ちゃんだったら良いなって本当の気持ちも混ざり合ってて……
だからかな、今まで味わったことがない、どんな言葉にも表すことができないこの心地よいドキドキを、もう少しだけ感じていたかった。