お兄ちゃんって呼んでいい?

お兄ちゃんって呼んでいい?

大将

心地良い揺れだった。

いつまでも微睡んでいたくなるような優しい振動。記憶にはないけれども、母に優しくあやされている時を思い出すような気がするのは何故だろうか。

そんな益体も無いことを考えていると自分が意識を取り戻していることを理解する。

小さく首をもたげれば、その動きが伝わったのか、前から声が上がった。

「華満、起きたか。眠いならまだ寝てても良いんだぞ?」

「ん……。たくみ、せんぱい……?」

聞き覚えのある声。その声の主を思い描いていると、ようやくらんの意識が完全に浮上した。

「あれ。らんらん、何でせんぱいにおんぶされてるの……?」

「覚えてないか?お前、寝落ちしてたんだぞ」

言われて、記憶が蘇ってくる。

季節は春。拓海とあまねの卒業祝いにいつものメンバーでキャンプに出かけた。そこで、いつかのキャンプの日を思い出して、星を見に行こうという話になったのだった。

あの時と同様に星がよく見える場所に行くことになって、辿り着いて、それで?

「そっか……。らんらんそこで寝ちゃったんだ」

「ぐっすりな。なかなか起きないからオレが背負うことになったんだ」

「ごめんなさい。もう大丈夫だから、降りて歩くね」

「良いよ、このままで。まだちょっと寝ぼけてるだろ?」

否定は出来なかった。まだどこか頭はふわふわしている。とりあえず拓海の言葉に甘えることにして、寝落ちする前を思い出しながら呟く。

「みんなにも謝らなきゃ。……台無しにしちゃったよね」

「謝らなきゃいけないってのは正しいけど。謝る理由が違うだろ」

拓海の声にらんは首を傾げる。みんなで楽しい時間を過ごす筈だったのに、自分が台無しにしてしまったのだ。謝る理由なんて、他にないように思えた。

「例えばの話だけど。もし、お前が逆の立場で……そうだな、芙羽が寝落ちしたらさ。楽しい時間が台無しだ、なんて思うのか?」

拓海の言葉にハッとする。言われてみればその通り、もし逆の立場なら、そんなことは思わない。むしろ、気にするべきは他にある。

「華満が謝るべきなのは迷惑じゃなくて、心配をかけたことだよ。皆、お前に何かあったんじゃないかって心配したんだぞ」

いつも元気ならんだからこそ、彼女の笑顔や声が無いと一気に空気が変わってしまう。拓海は少々強めの口調でらんに向けて問いかける。

「今日が楽しみで眠れなかった、とかそんなんじゃないだろ。ローズマリーが言ってたぞ。随分疲労が溜まってるみたいだって」

「……そんなこと」

無い、筈だ。今日が楽しみで少々寝不足の気があったのは事実だけど。他人に指摘されるほど、疲労が溜まっていたなんて思えない。

だって、今日までらんはいつも通りの日常を送っていたのだから。

「たまにはさ、しっかり休めよ。頑張り過ぎだぞ、お前」

拓海の言葉が理解できなかった。頑張り過ぎとは一体何のことだろう。らんが答えずにいると拓海が続ける。

「家の手伝いして、下の子の面倒見て。キュアスタの更新だとか、インフルエンサーの勉強だとか、いろいろやってるんだろ。いくら何でも頑張り過ぎ」

「それは……がんばってるって言わないよ?らんらんがやりたくてやってることだし、やらなきゃいけないことだし」

「お姉ちゃんだから、家の手伝いしたり下の子の面倒見たりは当たり前か?」

「……そうじゃないの?」

「違うよ。全然違う」

「よくわかんない。だって、らんらんはずっと――」

「当たり前のことをやってるだけって言うんだろ。でもさ、当たり前のことを当たり前にやってるって、凄いことだぞ」

「――――――」

「実感なんて無いのかもしれないけど。そんな当たり前が出来ないヤツだって世の中にはたくさんいるんだ。なのにお前は逃げないで、毎日向き合ってる。凄いよ、本当に」

「……らんらんだってにげたくなったこと、あるよ?」

「でも、逃げてない」

「――!!」

「『逃げたくなったこともある』って言ったけど、でも華満は逃げてないだろ。ちゃんと向き合って、頑張ってる。だからさ」

「………………」

「たまには、誰かに頼ったり、愚痴ったりして良いんだぞ。今日みたいに疲れ過ぎちまう前に。ゆいや芙羽、菓彩にローズマリー、オレだって。皆、お前の力になりたいって思ってるんだから」

「……拓海せんぱいは」

「ん?」

「お兄ちゃんみたいだね」

「……そうか?初めて言われたぞ」

「そうだよ。らんらんたちのこと、よく見てくれてる。やさしくて、たよりになるお兄ちゃんみたい」

「まあ、華満がそう言うならそうなのかもな」

「……ねぇ、せんぱい」

「ん?」


「また、今日みたいに二人きりになれたら。お兄ちゃんって、呼んでいい?」


「え」

「え!?」

拓海の声に思わず大声を出すらん。今のはOKしてくれる流れじゃなかったか。しょうがないな、と照れながらか、或いは任せろ、と力強く頷くか。その違いはあるだろうけども、間違いなく是が返ってくる流れだっただろう。

困惑するらんに、慌てて拓海は声をかける。

「あ、いや!華満にそう呼ばれるのは……まあ、恥ずかしいって言えば恥ずかしいけど、別に良いんだ」

「じゃあ、何で今、『え』って……」

「いや、だってさ。今二人きりじゃないぞ?」

今度はらんが『え』と声を漏らす番だった。勢いよく跳ね起きたことで頭も少しずつ活性化してくる。だからこそ、気が付くことが出来た。

自分達の背後に、人の気配。

ぎ、ぎ、と油の切れた機械のような緩慢な動作でらんが振り返る。

その視線の先には、こちらを見つめる仲間達。にこにこ――いや、どちらかと言えばにやにやと笑っている、ゆいが、ここねが、あまねが、ローズマリーがいる。

今までの話を全部聞かれていたという事実にらんの目がぐるぐると周り出して、

「――は」

「は?」


「はにゃあぁぁああああああああああああああああああああああああ!!!」




人生で一番の大声だったかもしれない。

後に、華満らんはそう語る。


ただこの日以降、時折拓海を『お兄ちゃん』と呼ぶらんの姿が見られるようになったという。

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