お互い様
ドクズのヒモ&面倒見のいいカモならぬキジ※左右/ヒモの性別ともに不詳のクザヒモクザ
※本スレ概念からの影響あり
🧊
奇妙な具合に生温いドアノブを捻り、その手応えに何度目かの溜め息をつく。
おれがいない間は鍵をきちんと掛けておけと、子供にするような説教もとうに効き目を無くしていた。砂浜に書いた落書きのように定着せず、ただ気紛れな小波に削られる。いっそ家ごと凍りつかせて出入りできないようにしてやろうか。
欲しいと言うから作ってやった合鍵も、今はどこで埃を被っているやら。長らく不在続きと言えども少々甘やかしすぎたか。万一におれ以外がこの扉を潜っていたらと思うと、それをあいつが迎えたかと思うと、どうも腹立たしくやるせない。
最もそれに対して怒るような甲斐性も、むざむざ不和の種を植えようと思い切る気もありはしないのだが。ああ、こりゃあ想像以上に疲労が溜まっちまってるらしい。
ややこしいことは端から考えないに限る。もとより、おれとあいつの間には筋道立った思考など必要ないはずだ。利便性のある楽をしたい。怠惰だけで繋がっているものを切り離しても、残るのは薄ら寒い喪失感だけである。形も確信もいらない。
あいつはそれを求めないし、むしろ疎ましいとそっぽを向くだろう。もしおれがそれを欲しいとでも抜かせば、つまらなくなったおれのことを当然あいつは求めなくなる。
仕方がない、なし崩しとはいえ拾ったのはおれだ。たかだかガキ臭い我が儘、大人らしく付き合ってやるとしよう。世話の焼ける奴め。
体温が伝わって冷えたドアノブを掴み直し、普段よりも手荒く開け放った。ちょっとした腹いせのふりと、家主の帰還を刻みつけるために。チャイムなんて気の利いたものがない代わり、念を押すように足音を鳴らそうとして、ふと静止する。
暖かい匂い。湯気と料理に複数の酒、それとあいつが纏う某か。久方ぶりに感じる空気が、ささくれの出来ていた胸懐を宥めていく。いや、誓って暖かいだけのものじゃない。都合の悪いものをなあなあで煙に巻くような、打算でつくられた紛い物。
けれど、それを知っていて尚、帰ってきたと実感してしまう。雪だるまの核にしようと思っていた苛立ちは、凍らせていなかったために呆気なく溶けた。いつだってこっちが転がされている。
まだ顔を合わせてもいないというのに、あいつのペースに乗せられるのだけはあっという間だ。その度おれは内罰を後回しにして、輪郭のある堕落に骨まで浸されてしまう。おまけにこちらが冷たくしすぎると拗ねたり逃げたり、面倒ったらありゃしない。また薄い唇を尖らせない内に、形だけでもご機嫌取りをしてやるとするか。
「よう、久し振り。元気してたか」
あくまでも平静に。鍵のかけ忘れも電伝虫のブチ切りも、そんなこと気にしていませんよとひけらかすように。そうすりゃマタタビを翳された猫より早く反応するのは分かってる。
この居候は肩透かしに弱く、自分の思う通りの応答が来ないとそれが気になって仕方ない。お互い都合良く凭れ合っちゃいるが、たまの意趣返しくらい多目に見て欲しいところだ。
革張りのソファに行儀悪く寝転んでいた居候は、さもたった今おれに気付いたとばかりに顔を覗かせる。おおよそ見え見えの嘘で気を引こうとしてるんだろう。
甲斐甲斐しく駆け寄る、なんて可愛らしさは願うだけ無駄。でろんと滑り落ちそうな体勢で背凭れに寄りかかり、締まりなく笑いながら形ばかりの迎えを寄越してくる。いつだって、おかえりとは言われない。
「んァ、くーちゃんじゃん。もう帰ってこないかと思ってた」
以前よりも伸びた髪がだらしなく解れ、毛先には水滴がぶらさがっている。どうせ面倒臭がって床屋にも行っていないんだろう。猫じみた性根のくせして、毛繕いは平気で怠るのだからどうも掴めない。
ついこの間欲しい服がある靴がある早く帰ってこいと、昼夜ひっきりなしに電伝虫を鳴かせていたのは何処の誰だ。おまけにおれは前もって帰還日時を連絡しておいた。まさかとは思うがこの口振り、留守電を聞きもしていないと言うのか。勘弁してくれ。
こちらから注ぐ冷たい視線もどこ吹く風、危なっかしい挙動でローテーブルに手を伸ばしている。いつだったか大枚叩いて持ってきた飴色の天板へ、半端に開けられたボトル数本が映り込んでいた。古い童歌を口ずさみ、次はどれを呑もうかと指を振る後ろ姿。
首筋に張り付いた髪とバスローブの隙間、いかにも脆そうな項が薄紅に染まっている。今すぐにつねってやりたい衝動を凍らせ、傍らに腰を沈ませた。今まさに傾けられようとしていたロックグラスを掠め取ると、あ゛、なんて爛れた声から数拍置いて恨みがましい視線が刺さる。
「なんで取んの。まだ呑む」
先程まではあんなにもご機嫌だったのが、瞬く間にぶすくれた膨れ面だ。あんまりにも見事に空気を溜めてみせるものだから、思わず両頬を掴んで間抜け面に変えたい衝動をぐっと抑える。
関節まで酒が回ったんだろう、直ぐに取り返さんとする手はおれの肘にも届かない。これ見よがしにグラスを揺らしてやると、折角整ったツラが台無しになるほど顰められた。
酒が回ってくるとこいつは自棄に素直になる。こちらの一挙一動へ律儀に反応するのがおかしくて、ついついちょっかいをかけてしまうのはおれの弱点かもしれない。
ほんの戯れを本気にする奴で遊ぶ一時に、言葉にし難い愉しさを感じる。余裕ぶっちゃいるが、相手はずっと子供なのだ。とうとうおれの身体をよじ登ろうと伸ばされる手を避け、湿ったままの髪をくしゃりと崩してやった。
「どんくらい呑んでたかは知らねェが、風呂上がりのちゃんぽんは良くないんじゃないの。風邪と二日酔いのカクテルになっちまうぞ」
とても飲めたモンじゃねェだろうなァと軽口を叩きながら、取り上げたグラスを然り気無くサイドテーブルへ置く。あとはこのまま目を離さなければ、こいつが今以上に酒気を帯びることはない。
おれだって酒は好むどころか必需品だが、度を超せば身体が悲鳴をあげるのくらい分かっている。いくら若いと言ったって、無茶を続ければ後々憂き目を見るものだ。
完熟間近の白桃を思わせる熱っぽい頬を撫でてやると、満更でもなさげに大人しく瞼を下ろす。そういえばいつかの暑い日、矢鱈とおれに纏わりついて涼をとっていた事があったっけ。
こいつにとっておれの冷たさが心地好くても、おれからしたら僅かに熱すぎる。どこからか伝ってきた滴に己の掌が溶け落ちたのかと思ったが、よく見てみれば何の異常もなく、相手の髪から溢れた湯浴みの名残であった。
「かったいコト言っちゃって。てか風邪引いてもくーちゃんが治してくれんじゃん」
「おれに看病させる前提かよ。ったく、お前は」
ママがいねェと何も出来ない甘えたなお子様はこいつか。そんな揶揄いを込めて耳朶を擽ってみると、酒で感覚が鈍っているせいかもっとやれと擦り寄ってきた。
いつもは耳珠を軽く引っ掻くだけで勝手に蕩け始めるが、ただ心地好さそうにしている姿も新鮮でいい。氷枕扱いに慣れてしまったのは、果たして吉か大凶か。
仲睦まじい親子じみた戯れ合いでは物足りなかったのか、半ば這うような格好で距離を詰められる。ふわりと立ち上るのはこいつ好みの甘ったるいつまみと、ミスマッチなほど重厚な夜半の匂いだ。
歓楽街の水気を含んだ雰囲気だとか、鬱陶しくすらある喧騒を一纏めにして、その上澄みだけを染み込ませた匂い。初めは噎せ返りそうだったのに、いつからか満たされていく肺に一抹の安堵を覚えている。
ゆるく抱きつきながら寄りかかってきた頭を撫でつつ、先程取ったロックグラスを後ろ手に掴み間接照明に透かした。すっかり出来上がった居候の相手をするには、素面とほろ酔いの狭間ぐらいが丁度いい。
つまみの残り香と綯交ぜになった酒精のせいで、そういえば銘柄が何かは確認していない。しかし元はと言えばおれの金で買った酒だ、ささやかな晩酌に誰が異議を唱えられよう。
また返せ返せと管を巻かれても面倒なため、肌蹴させたバスローブで襟足を拭ってやりながら視界を阻む。大人しくこちらの鳩尾に額を押し付ける様は、木天蓼に溺れるどら猫のようだ。
グラスの飲み口を僅かに傾け、本来の薫りを燻らせる。例えるならばナッツ類や胡桃に似て華やいだ────覚えのある芳香と琥珀色。ああ、そういうことな。なるほど、だったら合点がいく。汗をかいたグラスを置き直し、纏わりつく肢体を見下ろした。
爪先程度には艶を感じていた濡れ髪に触れ、無くなりかけの滴を一掬い。滴らせる寸前で能力を使えば、バスローブの襟へ潜り込む頃には立派な氷の完成だ。いつまでも火照りが引かない肌に触れた瞬間、骨抜きになっていた背が弓なりに反る。
「ァぎゃっっっ?!?!」
「酔ってる割に活きがいいじゃないの。暴れんなよ」
面白いくらい間の抜けた奇声をあげて、侵入した異物を取り除こうと闇雲に回される両腕。強張った指に溶けゆく塊を捉えさせず、手首ごと片手間に捕まえる。ついでに身を捩られても問題ないよう、指先で氷を押し付けてやった。
そのまま背骨の窪みひとつひとつをなぞってみると、肩を震わせ足をばたつかせと変化に富んだ反応が返ってくる。しかしどれも本気の抵抗とするにはしおらしく、こちらの嗜虐心に火を灯し輪郭を形作るためのパフォーマンスじみていた。まだこの悪戯の意味を汲めず、蠱惑の瞳を物言いたげに向けてくるが構わず続けた。
舌先で描くそれに似た跡がみるみる広がり、仙骨辺りへ届くか届かないかで制限時間がやってくる。溶けるのが妙に速いのは深酒のせいだろう。今すぐ布を剥ぎ取ればもうひと遊びできそうだったが、こいつへのご褒美よりお仕置きの方が優先だ。
思いの外緊張の反動が大きかったらしく、すっかり脱力した身体が密着する。捕まえたままの手首を放してやるが、振り払いもされず力なく下ろされた。脇の下に滑り込んだ手で上体を持ち上げ、膝の上に座らせる。
ついでに最早服の体を成していない裾を直してやった。見せつけられるなら幾らでもと言えど、下手に目を惹きつけられても癇に障る。解けかかった腰紐をしっかり手綱代わりにしてから、逸らされる前に視線を絡めた。
「なァ。お前からおれに言わないといけねェこと、なんか心当たりない?」
口振りは努めて柔和に、且つ声色の重みのみを増す。海兵時代世話になっていた酒場のねーちゃんによれば、おれみたいな男…………つまり普段さほど威圧感のない奴が、ここぞと掛けてくる圧は万人に効くとか何とか。この記憶を引っ張り出したのも遠い昔であるから、呼び水となったアルコールにだけは感謝しておく。
問われた当の本人はというと、潤びた瞳を伏せては瞑り逸らそうとしては止め、おれのシャツを摘まんで皺を寄せていた。健気っぽく可愛こぶられるのも悪くはないが、求めているのはあくまで自白。だからこそ問い詰める尋問でなく、引き出させる質問という形をとったのである。
何をしたのが駄目だったのか、理解していないままする謝罪に意味を見出だしてやる程甘くない。こちとら保父でもシッターでもないのだ。しばらく思案した末、ようやくピンときたぞとばかりに相手の目が丸くなる。
「……あ。お小遣い全部使っちゃったから、昔の友達にちょっと貰った」
「そりゃあいつもの事だしちょっとじゃないでしょ、どうせ。他には?」
なァ~にが昔の友達だ現在進行形の金ヅルだろうがジャブにしたってもうちょいマシな誘い文句はねェのかよ、とツッコまなかったおれの寛容さを今すぐ誉め称えてほしい。それこそ他の奴相手に言っていたら、端正な顔に張り手をくらっていたんじゃなかろうか。つくづくヒモとしてスキルフルな奴である。
処世術や独自性たっぷりな身の振り方は一級品だろうに、こうも変なところで墓穴を掘られてはまったく呆れて物も言えない。溜め息混じりに続きを促すと、眉尻を下げながら右へ左へ首を捻る。真面目に思い出すのが不得手なのか、片手でおれの髪をほふほふと弄ってきた。毛糸玉をほぐすような手つきだ。
記憶の輪郭を探っているだけなら多目にも見られたが、指を差し込んで穴を空けるのは如何なものか。いきなり凍らせて抜けなくしたら少しは真剣になるかもと、中々に手酷い仕打ちを思案しかけた矢先に掌が離された。
「だったらあれでしょ、この前くーちゃんブレンドのコーヒー飲みきった時だ。本当ごめんって、一応代わりの豆買ってきたじゃん」
「……ンな事もあったな、そういや。別に気にしてねェよ、また挽きゃいい」
「ならいいや。あれ好きなんだよね、今度は一緒に飲も」
「あらら、いつの間にオネダリまで上手くなったか。残念ながらいいとは言えねェな、飲み物の恨みは浅くないモンなのよ」
調子のいいことばかり喧しく宣っているが、その実こいつは存外に敏い。数多あるやらかしラインナップの中から飲み物に関する話題を出してきたあたり、こちらが何を言わせたいかある程度察しているのだろう。
きっと本気で腹を立てている訳じゃないことも知っている。その上で突っぱねずに乗っかってくるのは酒の恩恵か、はたまた持ち前のサービス精神故か。これまでの度重なる経験によるものだと分かっていても、現時点での集大成を自分に向けさせている以上不問にせざるを得ないのが難儀なところだ。
ご丁寧に共通点までちらつかせて、線引きギリギリの最終確認から揺るぎない確信を掴む。そういう細やかな狡猾さや慣れた手の打ち方は、クザンからすれば幾何か好意的に捉えられるものだった。
こと相性にだけは恵まれたものである。いつかはおれも『可愛さ余って憎さ百倍』ってのの意味が解るようになんのかね、と何回思いを馳せただろう。けれど己の甲斐性のなさは理解しているつもりだから、相手に熱をぶちまけることはしない。みすみす自分ごと不定形になってお役御免、なんて無様も真っ平だ。
儚いはずの緣を結い直す代わりに、腰紐へ添えていた手を絡めるように滑り込ませる。すると相手は口角だけに笑みを散らし、自分へ向けられている感情のいろはをすっかり理解した上で、ミードのような口当たりの言葉を寄越した。
「そろそろ、イイ子になった方がいい?」
あなたの思うままになってみせましょうかと、卑怯なほどに魅惑的な言葉が鼓膜を淡く痺れさせる。伺いを立てずともさっさと謝ってしまえば済むのに、承諾を欲しがるのは飼われる側の性なのか。首輪すらつけさせやしないくせに。
廉価の媚を売り飛ばされるより、ただ見捨てないでと請うようなその嘆願が憎らしい。きちんと分かっているからと念を押して、馬鹿のふりをしているだけだと悟らせて。
答えようにも憎まれ口に尾鰭を生やしてしまいそうで、緩慢に頷き是非を表す。つれない態度の取り合いは、戯れだという相互認識さえあれば容易く成立する。これまで散々振り回してくれたのだから、たまの逆転くらい何のことでもないだろう。
膝の上の身体はグラスの中の氷の如く、いくらか縮こまって見えた。湿り気を帯びたままの唇が、踏ん切りと怯えの狭間に置かれて微かに強張っている。陳腐な例えだと承知の上でも、雨に濡れた仔猫を彷彿とさせるような弱さに、脳のどこかがくらりと酩酊した。
微妙に外されていた視線が、ぴんと張り詰めた糸のようにつながる。
「………くーちゃんの、全部じゃないけど呑んじゃった。ごめんなさい」
いざ正解を手渡されてみると、この世話の焼ける怠け者が薄ら愛おしいかのように思えてくるのが馬鹿馬鹿しい。先に指摘したのがどちらだったかは忘れたが、面倒なのはお互い様だ。嫌悪を向けない同族として、つるんでいるのは心地がいい。
締まりのない面など見る影もなく悄気て、そのくせ謝ったから許せとでも言わんばかりに見詰めてくる。つくづく調子も都合も性根も逞しいやつだ。思い返せば関係を持ち始めた時から、やけに善悪の塩梅を見極めているというか、バランス感覚に恵まれていた。
呆れるほど我が儘でいて哀れっぽく、思慮深くも奔放な振る舞いは七色のかき氷に似ている。シロップが雑ざれば汚ならしく黒ずむのに、ぐちゃぐちゃの人工甘味料へ無二の甘露を探してしまう。
反省度をアピールするためか、盗み食いを叱られた子供そのものの呈で項垂れた姿。下手な嘘や出任せで誤魔化さないあたり妙に潔い。旋毛を爪弾いてやると亀のように首を縮めるので、不意を打たれた口元が綻んだ。飴と鞭なんて型へ嵌めるには稚拙だけれども、ぺたんとした髪を撫でながら梳いてやる。
「まァよく言えたじゃないの、偉い偉い。一応聞いておきたいんだけど、銘柄は?」
「……オロロソ」
「あぁそう、んじゃ気が向いた時にでも買い足しよろしく。余ってるのはもらうわ」
縺れそうな舌づかいから紡がれたのは、めでたく大好物の音並びではなかった─────実のところ薫りと色味で見当はついていたが、取ってなんぼの本人確認。そもそも本当に呑まれたくないならこっちの家に置いておかないし、保管するにしても鍵つきのワインセラーを隠してある。
そう、本当にこの遣り取りは時間の無駄極まる戯れだった。ただ偶然にも“こいつを困らせられる建前がお膳立てされていたから”であって、切っ掛けありきの手慰みにすぎない。
例えば面倒臭く怒ってみたら出ていくのかとか、軽く追い詰めたらどんな顔をするのかだとか、膠着状態ともいえる関係へ雑なテコ入れをしてみたくなったのだ。正真正銘のクズは罪悪感を抱くか、もついでに。
そうしてみれば普段は焦点すら窺い知れぬ瞳が揺らいで、蒲魚ぶって見せるものだから思いの外収穫に恵まれた。自分で買い込んだらしい安物の酒も数瓶飲み干されているし、やはりアルコールは人間のネジやら歯車をちょっぴりトばすにゃ丁度いい。大方つまみを平らげた後もズルズルと酔いを深めていたのだろう。
確かサイクリング先のワイナリーで買ったものだったし、たかだか750mlで暇を潰せるなら上等だ。三度目の正直とグラスを持ち上げ、招き入れた口内で愛でるように転がす。安売り商品にしては中々、近くの海域に用事が出来たらまた立ち寄るとしよう。
「くーちゃん、オロロソが一番好きだって言ってなかったっけ」
「シェリーなのは合ってるが惜しいな、おれァティオペペ一筋よ。誰と間違えてんだ?」
からかい混じりに詰ってみると、つい先程まで安堵していたのが嘘のようにたじろぐ。もうそれに苛立ちや焦燥を感じることはなく、寧ろ油断しているのが丸分かりで微笑ましい。こいつだって間違い相手の名前はおろか、顔も覚えてやっちゃいないだろう。実在を確かめる術など無いが。
悲しいねェあんまりだとふざけた言葉を投げ掛けつつグラスを傾けて、こちらもまた気を抜いてしまっていたらしい。
伝い落ちてくる滴までを含みきった矢先、手と手が重なったかと思えばその数倍距離を詰められる。同じ味で湿った唇が押し付けられ、瞬きをする間もなく薄い舌が捩じ込まれた。危うく取り落としそうになったが、すんでのところで硝子容器を置く。床がテーブル代わりとなったが、割れて片付ける羽目になるよりマシだ。
こいつ、誤魔化すのが怠いからって雑な手段取りやがって。そんなにおれの唇が恋しかったかと揶揄いたくても、口腔を絶えず掻き乱されては逃れようがない。喉だけで溺れたらどうしてくれる、いっそお前の舌ごと飲み込んでやろうか。
飲み込みきれなかったアルコールが立てる水音は、粘り気どころかムードの少しも醸し出しやしない。隙間から漏れ出ないうちに嚥下すると、名残惜しむような舌先が深く追いかけてきた。何とか押し戻した後に吸い付いてやり、宥めたところでようやく解放される。
仲直りの口付けにしては荒々しくとも、関係に当て嵌めるならこれくらいが妥当だろう。ごめんの一言に乗せられない誠意の残滓を指で拭い、口内に溜まった味を知る前に食道へ追いやった。
あらゆる感情の遣る瀬を探すように。