おんがくとは

おんがくとは




「い~い天気ですねえ」


眩しいほど輝く太陽の光を全身で浴びながら私は大きく背伸びをした。


程よく吹く風は海の水面と足元の芝生を優しく揺らし、空では渡り鳥たちが風に乗りながら仲間同士で鳴きあっている。長い間霧に囲まれ独りだったあの頃とは比べ物にならない程穏やかな時間だ。


「ヨホホ、良い曲を奏でますね」


自然が生み出す音色に耳を傾けていると、金属の擦れるような小さな音が交ざっている事に気が付いた。


「(--これは確か……)」


途切れ途切れで他の音たちにかき消されそうな程かすかなソレに、引き寄せられるように耳を澄ましながら辿ると、1体の……いや1人の小さな人形のもとに着いた。背後に立つ私には気が付いていないようで、遠くまで続く海を眺めながらゆらゆらと左右に体を揺らし、背負ったオルゴールを鳴らして"歌って"いる。


「お上手ですね、ウタさん」

「キッ!?」


驚かせないよう気を付けながら声を掛けたつもりだったのだが、ウタさんは全身を大きく跳ねさせ、その勢いでバランスを崩し前のめりに転がってしまった。


「あああっ、すみません。驚かせるつもりはなかったんです」

「キ、キィキィ……」


「気にしないで」と言いたげに手を振りながら起き上がろうとするウタさんの背中に、そっと手のひらを添えて起き上がるのを手伝う。


「失礼しました、珍しくウタさんが歌っていたものですからつい……」


体勢が戻ったことを見計らって話を戻したのだが、反応はあまり良いものではなかった。


「……キ……」


私の言葉を聞くと頭の上の一対の輪っかが小さく揺れ、次第に垂れ下がってしまった。彼女の輪っかは動物の耳のように感情の起伏に反応するらしくこうなっている時は大体「リラックスしている」か「悲しい、つまらない等マイナス寄りの感情」の場合のようだ。察するにこの場合は後者だろう。


「……あのう、ウタさ--」

「おーいウター!! こっち来てみろよ! 面白ェもん釣り上げたぞー!」


俯いてしまったウタさんにどう声を掛けようかと思っていたちょうどその時、ルフィさんの興奮気味の呼び声が重なるように届いてきた。どちらを優先すべきか、こちらと向こうをわたわたと見比べるウタさんに「船長がお待ちですよ」と言い見送った。



「ふむ……」


椅子に腰掛け、淹れたての紅茶を飲みながら先ほどの様子を含めウタさんの事を思い返す。


--ウタさん。私の恩人である麦わらの一味の1人で「1人目の音楽家」。


魔の三角地帯を抜け少し経った頃、そういえばとウソップさんが切り出したのがきっかけだった。


「ウタの書いた楽譜、ブルックなら読めるんじゃねえか?」


聞けばウタさんは日頃自身で曲を作って楽譜を書き溜めているのだが、それらを読める人がクルーの中にはおらず困っていたそうだ。


ならば本人が……と思ったのだが、どういう訳かウタさんは自身で歌うことを憚り、奏でられそうな楽器の類いもこの船には載っていなかった為、皆さんは楽譜に綴られたメロディを知る術が無くもどかしい思いをしていたらしい。

是非弾いてほしいと頼まれ、さっそく皆さんのお役に立てるのなら、とウタさんから楽譜をお借りして目を通してみたところ私は驚嘆した。


そこには私が聴いたこともないような斬新な旋律が並んでいた。アップテンポの力強いもの、バラードのように穏やかなもの……ジャズやクラシック等とはまた違うそれらに私の目は釘付けになった。


「キ……キィ……?」


楽譜を凝視したまま黙っている私を不安に思ったのかウタさんが恐る恐るこちらを覗き込んできたので、しゃがみこんで彼女の目線に合わせる。


「失礼、とても良い曲だったので夢中になってしまいました。ウタさんは素晴らしい感性をお持ちなのですね」


そう言って立ち上がると、期待の眼差しでこちらを見つめる皆さんの方に体を向け、バイオリンを構えた。


「それでは、僭越ながら弾かせていただきます」



--別に、自分では歌わず、作曲のみを専門とする音楽家など珍しくもない。皆が皆歌唱力がある訳でもないし、人前で歌いたがらない人だっているだろう。気にするほどのことでもない。

しかしウタさんの場合、ただ恥ずかしいからという理由だけではないような気がしてならなかった。


「……うーむ……」


しばらく手元の楽譜を見つめていたが、意を決すると楽譜とバイオリンを握り締め席を立った。



「いやあ突然すみませんねェ」

「キィキィ」


部屋を出たあと、再び1人で時間を潰していたウタさんを呼び止め、2人でアクアリウムバーにやってきた。

用件を伝えずいきなり連れてきたので、一体何事だろうと不思議そうにこちらを見つめるウタさんの視線を感じながら準備を進める。


「実は私も曲を作るの好きなんですよ。近頃はあまり作曲する気になれずにいたんですけど……。先日ウタさんの作品を見せていただいた時インスピレーションが刺激されまして、久しぶりに書いてみたんです」

「キィ……!」


私がお願いしたいことを何となく察したのか、ウタさんの輪っかが上に向かってピンと立つ。心なしかボタンの目もキラキラ輝いており、この子は本当に歌が好きなのだな、と可愛らしく思い少し笑いを洩らしてしまう。


「ええ、よろしければウタさんに最初に聴いていただきたいと思いお呼びしたんです。聴いていただけますか?」

「キィ、キィ!」

「ありがとうございます。それでは……」


コクコクと元気よく頷くウタさんに一礼し、バイオリンを弾き始める。



……私が今からやろうとしていることは、ただのお節介だ。

ウタさんにとってはデリケートな内容だろう、船に乗ったばかりの新入りが踏み込んでいいものではないかもしれない。


だが、私もウタさんも同じ音楽家。音楽を愛するものとして、今の彼女を見過ごすことは出来なかった。



最後のフレーズを弾き終わると、柔らかな音の拍手が耳に届く。


「キィ……! キィキィキィ!」

「ヨホホッ、聴いていただきありがとうございました」


思っていたよりかなり気に入ってもらえたようだ。楽しそうなウタさんの様子にこちらまで嬉しくなるが、私にとって本題はここから。


「ウタさん。私、先ほどは演奏を聴いてほしいというのが頼みと言いましたが、本当はもう1つあるんです」

「キィ?」


「私と一緒に歌っていただけませんか?」

「キ……ッ!?」


予想していなかった頼みごとにウタさんの動きが一瞬固まり、何かを堪えるようにゆっくり身を縮こめてしまった。

「ギィ」と鈍い音を立て、力なく首を横に振る姿に心が痛んだが、私は退かずに言葉を続ける。


「突然こんな事を言い出してすみません。ウタさんが人前であまり歌いたくないというのは分かっています」

「…………」


「それが「苦手」だったり「嫌い」であるならば、私も無理強いしたりしません。ですが……「我慢」や「遠慮」は、出来ることならばしてほしくないんです」


「……ギ」


俯いていた顔が上がり、「どうして分かるの」と言いたげにこちらを見つめてくるウタさんの手を、両手でそっと包み込む。


魂と関係する「ヨミヨミ」の能力を持つせいか、はじめて見かけた時から彼女の魂の異質さを感じ取り、気になっていた。

彼女の魂は人形という器に対してあまりにも大きくて眩すぎる。不相応の狭く不自由な器の中で、苦しくもがいているような、そんな印象を受けた。


「私にはウタさんの事情や心情すべてを把握することは出来ませんが……これだけは何となく分かります。ウタさん自身が、“今の”自分の歌声を許せないんですよね」

「……ギ」

「出来ていたことが出来なくなるのは、どんなことだって辛いものです」


ぎゅうと強張る布の手を、包んでいた両手で優しく撫でる。


「でも、今のウタさんだからこそ表現出来るものだってあるかもしれませんよ」

「ギッ?」

「ウタさんは不満かもしれませんが、私はウタさんの歌声好きです。柔らかで、繊細で、とても可愛らしい」

「キ……ッ!? キ、キィィ……?」


突然自分のコンプレックスに好意的な言葉を貰ったからか、ウタさんは気恥ずかしそうにもじもじと身をよじらせる。素直に受け取るのは難しいだろうけど、これはお世辞ではなく私の本心だ。


「どんな音だって上手く紡げば唯一無二の素敵な歌になります」


作ることも、聴くことも、好きなのは間違いない。それらが楽しめるだけ充分だと思っているかもしれない。

でもきっと本当は、彼女が一番好きなのは歌うこと。だから出来ることなら、自分の“好き”に蓋をしないでほしい。その素敵な歌声に、少しでも自信を持ってほしい。


「難しく考えるのはやめて、もっと肩の力を抜いて楽しんでみましょ! 『音』を『楽しむ』と書いて『音楽』ですから!」


「……キィ、キィ……」



「…………なんちゃって! ちょっと押し付けがましかったですかね!」


いつの間にか強く握っていた手をパッと放して立ち上がる。


「すぐになんて言いません。ただ、いつか音楽家同士デュエット出来たら素敵だなという……私のわがままです!」


「キィ……」


自分の手元をじっと見つめたままのウタさんを見て、少し踏み込みすぎただろうか と反省しながら楽譜を畳んで後片付けを始める。


バイオリンは……と少し探して、ウタさんの手をとる為ソファに置いたのを思い出す。ネックを掴もうとしたその時、私が手に取るより先にウタさんが引っ張り、自分の元にたぐり寄せた。


「ウタさん?」


そのままズイと両手で私にバイオリンを差し出す。

わざわざ渡す為に取ってくれたのだろうか……? お礼を言いながら受け取ると、そのまま空いた両手でバイオリンを弾くような動作をし始めた。


「……キィッキ……! キィ!」


これは、もしや……。


「もしかしてウタさん……」


私の問いかけに対して肯定するようにこくりと大きく頷いた。

それを見て、私も彼女の気持ちに応えるように弦に弓をあて、曲を弾き始める。



「♪ヨホホホ ヨホホホ

ヨホホホ ヨホホホ」

「~~♪~~♪~~♪~~♪」


「♪ビンクスの酒を 届けにゆくよ

海風 気まかせ 波まかせ」

「~♪~♪~~♪~~♪」


最初は少し遠慮がちで小さかった声も、ひとフレーズ、ひとフレーズと歌う内に明るくのびのびとした音色に変わっていく。

それが何だか嬉しくて、間奏中バイオリンを弾く動作をわざと大きくしておどけてみせる。口元を押さえキィキィと笑い声のような音を鳴らすウタさんにつられて私も笑う。


「ヨホホッ! ウタさん! 私、今とっても感動してます! ウタさんの「歌が好き」だという想いが、とても伝わってきます!」

「キッ! キィキィ!」


「--あら、何か聴こえると思ったら」

「なになに? 随分楽しそうね」

「アゥッ! 2人だけで楽しむなんて磯くせェじゃねえか!」

「それを言うなら「水くさい」だろっ」

「さっきの歌、もしかしてウタちゃんも歌ってるのか!」

「なにー! おれも聴きたい聴きたいぞ!」

「……フッ。なんかわからないがふっ切れたみたいだな、良かったじゃねえか」


「キ、キィ!?」

「おやおや、全員集合ですね」


どうやら私たちの歌は外まで届いていたようで、聞きつけた皆さんがぞろぞろ集まって部屋の中はすっかり満杯になってしまった。


「ウタ」

「キキィ……」


最後に入ってきたルフィさんは、ほんの僅かに目を丸くさせると、ウタさんをじっと見つめる。そしてすぐに歯を見せて笑い、部屋中に響く大きな声を張り上げた。


「よォ~~しおれたちも歌うぞ~!!」

「「「おお~~ッ!!」」」


♪ヨホホホ ヨホホホ

ヨホホホ ヨホホホ



「……キィッキ」


「どうしました? ウタさん」


「キィキキィ!」


「! ……ヨホホ」



音楽自体に、奇跡のような強い力は無いかもしれない。たかが娯楽と思う人もいるだろう。


だが、仲間たちを見送り、独り彷徨い続けた50年間私の心を支えてくれたのは仲間たちと共に歌った歌と思い出だった。


ウタさん、一緒に歌いましょう。苦しみや悲しみを和らげるような楽しい歌を。

今は先が見えず望みが薄くても、皆さんと一緒ならいつかきっと貴方を光に導いてくれるはず。私も力をお貸しします。


そして、貴方を苦しめる“何か”から解放されたその時は、私とまたデュエットしてください。 私、今からその時が楽しみです。ヨホホホホ!


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