おやつの話
ななしのだれか「ローさん起きて、おーきーてー。三時のおやつだよー」
ポフポフと肩を叩く柔らかな感触に、ローはゆっくりと目を開けた。
ふわふわと眠たい頭で、目を左右に動かす。ここはどこ? ポーラータング号の食堂。時間は? 壁時計は午後三時、おやつ時だ。誰かいる? テーブルを挟んで正面にイッカク、隣にいる、いやローがもたれかかっているのはベポだ。あったかい、モフモフ。
「おはよローさん、良くねてたね」
「ねてた……」
「お昼食べた後寝ちゃったんだよ、リバビリ疲れるもんね」
「……おはよう」
「あはは、おはよー」
何度か瞬きをして、ふと見ればローの体にシロクマ柄のブランケットが掛けられていた。くったり柔らかく温かいそれの触り心地は抜群で、ついぎゅうぎゅう握りしめてしまう。
そんなローの歳不相応な幼い仕草を、彼らは嗤うでもなく見守ってくれる。ドフラミンゴだったら、絶対よからぬことの一つ二つはやろうとしただろう。
この“異なる世界のハートの海賊団”に保護され、粗方の傷が塞がってからは、ローの毎日はリバビリに次ぐリバビリだ。著しく落ちた歩行能力を取り戻す為の訓練。片腕でペンや箸を扱う訓練。その一環で書くようになった航海日誌の文字は、前よりもだいぶ読めたものになってきた。
無理をしないよう調整されたリバビリ生活だが、長いことドフラミンゴに幽閉され衰弱したローには中々に応えた。規則正しく早寝早起き、三食食べてリバビリして……と大事に扱われても体力の消費に回復が追いつかず、だいたい午後は二時間ほど寝てしまうのが常であった。
だが、日々の疲労は心地良いものであった。無為に時を過ごし、ドフラミンゴに一方的に蹂躙されたあの日々とは違う。前を向いて踏み出す為に誰かに支えられる日々は、枯れ果て不毛の地と化したローの心を潤した。
できることが一つ増え、眠りすら悪夢に蹂躙される日が一つ減る。
ローは確かに、一度は死んだも同然の魂が、少しずつ息を吹き還していた。
そしてこの日々は、なんと言っても昼寝だけでなくおやつもついた贅沢な日々でもあった。うん、リッチだ。
「今日のおやつは、ナッツとシナモンたっぷりの一口パイでーす! クリオネ達が作りましたー!」
「麦わらのところのコックに教えてもらったんだって。これおいしいんだよねぇ」
白い大皿の上には、渦巻き模様の一口パイが山盛り。よくよく見るといびつだがハート型だ。焼きたてのパイとナッツの香ばしい香りに、シナモンのスパイシーな香りが合わさって、ローの衰えた食欲をそそる。
イッカクは炭酸水、ベポはホットミルク、ローにはカフェオレが、パイのお供に用意されていた。縮み荒れた胃は長いことまともな食事を拒絶し、前のローなら飲まなかったミルクたっぷりのカフェオレでさえ、最近やっと受け付けるようになった。
…………世界が違う。限りなく同じ人間で、だからこそ“ローのハートの海賊団”と彼らは違う。でも、彼らが“トラファルガー・ロー”に向けてくれる親愛の情は、世界の彼此に関わらず変わらないものであった。
おやつはいつも、片腕のローでも食べやすい、つまみやすい小さいもの。誰か二、三人はローと一緒になって食べてくれる。菓子に合わせて飲み物は変わるが、痩せて冷え性になったローには必ず温かい飲み物が出される…………。
言葉にされずとも分かる気遣いが、申し訳なくて、でも嬉しくてむず痒い。異物でしかないローの為に用意された居場所が、あたたかくて、優しくて、でもいつ消えてしまうか分からなくて怖い。
ここにいる程、安らぎと不安が二律背反になってローを襲う。
分かっている。いずれローはここから居なくならなければならない。ドフラミンゴがローを放っておくはずないのだ。ここで守られ身も心も癒やされても、結局ローが本当にあるべき居場所は地獄だけだ。
あんな地獄に巻き込む前に、ローはここから消えないといけない。そして、あの地獄の主を相討ちになってでも止めなければならない。それはローの責務だ、なさねばならない償いだ。
そう、分かっていても。
「それじゃ、いただきまーす!」
「おやついただきまーす!」
「……いただきます」
元気よくおやつに手を伸ばすイッカクとベポに、クスリ、と一つ笑って、ローもパイに手を伸ばす。
ごめんなさい、ごめんなさい。
おれのせいでしんでしまった、おれがころしたもどうぜんの、やさしいあたたかなよきひとたち。
どうか、いまだけは。
かりそめでもいいから、このしあわせに、もうすこしだけひたらせてください。
ごめんなさい、ごめんなさい。
つみぶかいおとこが、こんなおろかなことをねがって、ごめんなさい。
苦い本音を押し込んで、パイを口に放り込む。
サクサクのパイに、カリカリのナッツ。シナモンのスパイスと溶けた砂糖の甘味が二つを繋いで、口の中に美味しいがいっぱいに広がる。その味に、つい頬が緩んでしまう。目を細めれば、イッカクとベポが楽しそうに笑った。
…………こんな日々が、ずっとずっと続けばいいのに。