おやすみのその前に

おやすみのその前に

NTR堕ち

低重力状態のプラントと比べると学校の中は重く、その上地面に縛り付けられているという感覚に囚われる。

プラントクエタは医務室と似た冷たい匂いがしたし、すっかり通い慣れたこの学校からは緑と水の湿った匂いがする。地球寮は動物達の鼻をくすぐるようなのと、古臭い赤錆の匂いとが混ざってなんだか面白い。そういえば水星の軌道基地はどうだったろうか──思考を巡らせるが上手く思い出すことは出来なかった。少し前までずっと過ごした故郷のことなのに。

そんな取り留めのない疑問もエアリアルのコックピットの中に入ればすぐに解決した。焦げた金属とオゾン、それからパーメットの温かさが私を出迎えてくれたからだった。

ハッチをしっかり閉じれば地球寮の照明すらこの中には届かない。きぃっとした音と共に全身が徐々に暗闇に包まれる。あるのは私の存在を感じとって、薄らと光るエアリアルの光だけだ。

けれど私にってはこの瞬間が一番好きかも知れない。

「おはよう、みんな。」

だってこれは「秘密のお話を始める」合図なのだから。

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昔は朧気にしか理解出来なかった「みんな」の言葉も最近はくっきりと聞き取る事が出来るようになった。お陰でこうしてエアリアルの中に居る時間が随分と増えてしまったように思う。学校のこと、ミオリネさんのこと、それから会社のこと………私が感じたこと、見た物、触れた物は全部話してしまうくらいに。もしかしたらお母さんよりもずっと私のことを知っているかもしれない。

「最近ね、地球寮の子達が楽しそうじゃないの。」

「査問会ってやつと試験が被っちゃったみたいで。」

「先生も課題減らしてくれないし、悪口を言う子も増えちゃったんだ。」

身振り手振りを使いながら出来る限りその状況を伝えようとする。だってエアリアルが動かない間はみんなもスヤスヤと寝ているし、そもそもみんなには人間の目も身体もないからだ。

「私、皆を元気づけようとしたけど全然ダメだった。」

「みんなが言う通りダジャレもくすぐりっこもやったよ。でも逆に空気が冷え込んじゃったんだ。なんでだろ?」

みんなが貌を見合わせている、そんな気がする。

「……うん、やっぱり黙ってた方がいい気がしてきたや。」

小さい頃からあんまり上手く話せないから自然と口数は減らすようにしていた、と思う。だけど初めての環境に来て、いろんな人と関わるようになってからはペラペラと口を動かしてしまっていたのが悪かったのかもしれない。───反省を込めてそう呟けば"そんなことないよ"とみんなは穏やかに励ましてくれた。

私達の会話の内容はそれから二転三転、遂には十一回転位はしたかもしれない。例えば今日の晩御飯のことに来週の試験のこと、トマトの調子にヤギのミルクの味と話題は尽きなかった。それでも楽しい時間が終わる時は来る。生徒手帳が煌々と「23:00」と知らせてくるからであった。

「もうこんな時間。そろそろ寝ないと。」

みんなを寝かしつけるために操縦桿を握り、青く光るコントロール画面を操作する。

「みんなも付き合わせちゃってごめん、最近誰ともこうやってお話できてないから、つい喋りすぎちゃって。」

半円状に並んだ項目からスリープモードを選択し、軽く力を入れてボタンを押した。


おやすみ。

いつもならそう返ってくるはずなのに今日は違った。

『はなよめ さん は ?』

コントロールパネルが弱く明滅する。それを見て私は少し浮かせた腰をもう一度座席に下ろした。

試験前だけど少しくらいの夜更かしをしたってバチは当たらないと思いたい。だって、大切なお嫁さんの話だから。

「ミオリネさんはね、あれから学校に来てないんだ。」

「お父さんが怪我しちゃって……悪いヤツのせいなんだけどね、それの付き添いと会社のこととか色々あるらしくって。」

『あえる ない ?』

「忙しいみたいだから。メールもちゃんと1日3回送ってるし、電話もしてみたけどお返事は来なかったよ。」

『スレッタ かなしい そう』

「ちょっとはね。でもトマトのお世話をしてる時はずっとミオリネさんのこと考えてるから平気だよ。」

「もう少しで収穫だけどそれまでに帰って来てくれるかなぁ、ミオリネさん。」

『つらい のに かんがえる なんで?』

「お母さんが昔言ってたんだ。離れ離れでも想いあって居れば心が通じ合うって。だから考えるの。そうすれば寂しくなんてないんだよ。」

『そっか』

「あ、でも私とエアリアルと"みんな"はずっと一緒だからね!勿論ミオリネさんも、お母さんも水星のおじいさんたちもだよ。」

『うん すれった げんき よかった』

『わたしたち ずっと おなじ』

当たり前のことでもみんなはケラケラとはしゃいで大喜びしてくれる。他の人は私の話を聞いてもつまらなそうにするか嫌がるだけなのに。だからこの時間が大好きで大切でずっと続けばいいとさえ思ってしまう。

でもそろそろ眠らないと明日の授業で起きられなくなってしまうから今はここでおしまいにしよう。

「今日はもう寝るね。ありがとう、聞いてくれて。」

『おやすみ すれった』

「おやすみなさい、みんな。エアリアルもね。」

もう一度ボタンを押すまでもなく、エアリアルの全照明がゆっくりと落ちていく。コックピットのハッチが開いて、それでおしまい。

「ミオリネさん、元気かな。」

誰にも聞かれなかった呟きは冷たいコンクリートに零れて消えた。


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