おしまい〜奈落の虫と歌姫
──落ちていく、落ちていく
底のない空洞、何処までも続く坑道、果てのない闇にオベロンは落ちていく。
麦わらの一味に彼らと共闘していた海賊たちを奈落へ落としたは良いが予想外のイレギュラーの介入により何もかもが台無しになり完膚なきまでに破れた挙句、この世界を終わらせるという目的すらも果たせなかった。
無様に敗北し、何も果たせなかった事に思う事は多少あるが、それでも憤りはなかった。いや、むしろ清々しかった。
「ふんっ……まあ、俺にしては良くやった方じゃないか?あんなイレギュラーさえ割り込んで来なければ俺の計画は果たされていたしね」
「それに、これからあの我が儘でおてんばな歌姫を四六時中つきっきりで面倒を見なくていいと思うとせいせいする!全く、まさか12年も面倒を見る羽目になるとは思ってなかったよ」
ヘラヘラと笑うオベロンの脳裏に過るのは吐瀉物から生まれたこんな醜悪な虫を本当の親のように慕ってくれた哀れで愚かな、それでいて優しいただの女の子と過ごした12年間の日々の思い出だった。
──見て見てオベロン!新しい曲がやっとできたの!だからまた一緒に練習してくれる?
──ねぇ、オベロン……またあの森に連れてってくれる?怖い夢をみたわけじゃないんだけど、あの子達にもあたしの新曲を披露したいの!だからお願い!
──世間知らずとは何よ失礼ね!あたしだってそれなりに色々知ってるわよ!あっ、いま絶対馬鹿にしたでしょ!?今日という今日は……えっ!?今日のお昼はパンケーキって本当!?ありがとうオベロン!
──オベロン!えへへ、呼んでみただけだ!
──オベロン!いつもありがと!
「ああ、本当に……本当にせいせいするよ」
そう自嘲気味に静かに呟き、目を閉じようとした瞬間、
「オベロンっ!!!!!」
「うるさっ!!!」
奈落に空いた脱出口からいつも以上に煩い声が聞こえ、なんだなんだと目を開けて見上げてみるとそこには涙でぐちゃぐちゃになった顔をして泣きじゃくるウタがいた。
「ははっ、不細工な顔だなぁ。女の子がそんな顔しちゃ終わりだろ……」
オベロンは呆れた顔で笑う。聞かれたら絶対に殴られたそうだが、もう自分の声があの子に届く事はないのだから。
「あたしど、あだじと出会ってぐれてありがどう!!!!ずっど、ずっと私の側に居てくれて、一緒に居てくれてありがとう!!!!あたじが新しい曲を゛作っで見せたら褒めでぐれでありがとう!!!!あたじど一緒に曲の練習をじてぐれてありがどう!!!!それとオベロンが作ってぐれだパンケーキ、今まで食べてきたどんな料理よりも凄く美味しかっだよ!!!!あど、あとね゛!!!!森の妖精だぢにも「あたしと遊んでくれてありがと」っでお礼ぢゃんど言っでね゛!!!!つだえてぐれなかっだら怒るがらね゛!!!!」
「全く、仕方ないなぁ……ちゃんと後で言っといてあげるよ」
「あどね!!!!!」
「はぁ、まだなんかあるのかよ」
奈落の蓋が閉じるまであと少し。ウタは流れ出る涙を拭いそして、
「あたしね、オベロンのこと、大好き!!!」
まあ大量の涙を流しながら自分にいつも向けてくれた満面の笑みを浮かべたウタにオベロンは僅かに目を見開き、自分でも意図せぬうちに彼女に向かって異形の手を伸ばしていた。
「ウ──」
しかし、その異形の手がウタに届く事はない。
無限のウロの蓋が無情にも閉じ、辺りは完全なる闇に覆われる。
奈落の虫は、何処に辿り着く事もなく、永遠にこの闇の中を落ちていく。
完全なる暗闇の中、オベロンは伸ばした手を下ろし、満足したように鮮やかに笑った。
「……あぁ、俺も君の事が、君の歌が「大嫌い」だったとも」
遠くで、遥か遠くでいつも側で聴いてきた美しくて優しい歌声が聴こえる。聴こえるはずもないその歌声を聴きながらオベロンは今度こそ目を閉じた。
──落ちていく、落ちていく。
一人の女の子に愛された奈落の虫は何処までも落ちていく。