おこたライス
「お兄さま」を「お兄様」と間違えるな高校正直に白状すると、ライスシャワーは自分が少し好色な方であるという自覚があった。
子供向けに描かれ、また、そのように脚色される絵本であるならば兎も角として、時代を遡りふるぶるしきは童話、御伽噺ともなると、恋愛の色濃い話もまた多く、小説ともなればさもありなん。
同室のゼンノロブロイと、自身のトレーナーと何をした。これをした。だとか、あんな事をしたい、こんな事をしたい。だとか、そんな妄想話に夢中になった事も、往々にしてある。
故に今、お兄さまが炬燵に潜りながら無防備な姿を晒しているこの状況を、ライスシャワーは幸運であると捉えていた。
普段、恐らく意識して弱い所を見せたがらない、あの憧れの、親愛なるお兄さまの、無防備な寝顔を独り占め出来るこのシチュエーションを。
「……」
その寝顔を瞳に焼き付けつつも、一瞬チラリと時計の針を確認する。
夕飯までは時間がある。お昼寝には丁度いい時間と言えるだろう。今晩はお鍋と決めているし、具材は揃っている。後は煮込むだけだ。
つまり今この瞬間、ライスは確かに手持ち無沙汰だ。
意を決して、行動を起こした。
「……お兄さま」
先ず、そっと声をかけた。ただし、眠っているならば起こさないよう、微かに喉を震わせるに留める。
反応はない。
「……よし」
次に、ゆっくりとお兄さまの被っている毛布を捲った。そして肌寒さをなるべく感じさせないよう、素早くその隣に潜り込み、再び毛布を閉じる。
炬燵の内に籠もった熱は微かに逃げていったものの、お兄さまが起きる気配はない。
小さく拳を握りガッツポーズ。
ちょうど腕枕のように広げられたその腕にそっと頭を乗せ……いや、血流を圧迫してしまうのはよくない。身体を少し上げて、肩と頬でその腕を挟むように位置取りを行う。
そうしてライスシャワーはいよいよ、お兄さまの事を堪能し始めたのだった。
お兄さまの逞しい腕が、撫でるように頬を触れる感触が、如何ともし難い気持ちをライスシャワーの内に呼び起こす。
思わずうっとりとしてしまうが、ここはとろけておかゆになっている場合ではない。と、慌てて自身に喝を入れた。
冬は長く厳しいものであるとはいえ、普段しっかりしているお兄さまがこれほどまでに無防備になる事は早々ないのだ。
今のうちに、と意識を固めて、ライスはそっとお兄さまの顔を見上げる。
「……」
相変わらず、お兄さまは眠っていた。
ライスシャワーは真正面からお兄さまの寝顔を見つめて、見つめて、見つめる。
普段はキリッとしていて、カッコいいお兄さまの、隙だらけで、まるで悪戯のし甲斐がありそうなその顔を、穴が開くほどに、視線で起きてしまうのではないかというほどに、ただ只管に見つめた。
否、最早ライスシャワー自身も、自分の意思では目を逸らせなかった。
「可愛い……」
微かに口を開けて、脱力しきった顔で眠るお兄さま。普段は決して見せないその姿に、かつてうさぎ人形に留守を任せていると語ってみせたミホノブルボンに対するものと同様の感触が走り抜ける。
ライスシャワーは、その感触に心当たりがある。師アグネスデジタル説いて曰く、これは「ギャップ萌え」というものだという。
そのように可愛らしい姿を見せられては、ライスシャワーとしてはとある欲望に駆られて仕方がない。その開いている口に、お兄さまのお口の中に、指を入れてみたくて仕方がない!
好色な方であると自覚はあれど、ライスは特段自分が悪戯好きな方ではないと思っている。が、しかし、お兄さまの寝顔には、ライスを以ってしても抗いがたい悪戯心を刺激されるのだ。
「……」
ドキドキと高鳴る胸に手を当てつつも、もう片方の手をソロソロと伸ばし、お兄さまの口元へ運ぶ。
E.T.のように人差し指を伸ばし、しかしてあと少しの所で止めてしまう。
ライスの指とお兄さまの口元までは、僅かに2cmあるかないか。だが、その2cmを縮める勇気がない。
「すぅー……はぁ……」
煩いくらいに高鳴る心臓を無理やり手で押さえ付け、震える手で何とか照準を定める。
大丈夫。この3年間で、緊張する場面には何度も出くわした。一歩を踏み出す勇気だって、何度も手にしてきた。緊張するとは言ったって、G1レースのそれに比べれば屁の河童だ。
だから、ライスはいける。やれる。
「頑張れライス、頑張れー……おー……!」
勇気を出して、衝動のままに悪戯を決行しようとしたその時、
お兄さまが、動いた。
「ん……」
ライスが肩と頬で挟んでいた腕が動き、ライスを抱きしめるようにして後頭部へと回される。同時に、もう片方の腕もライスの背中へと回される。
そのまま身体を抱え込むようにして、ライスは腕の中へと絡め取られた。
「あ……の、お兄さま……?」
この期に及んで起こさぬようそっと声をかけたのは、ライスシャワー自身の願望が多少なりとも混じっている事を否定出来ない。
数ある妄想の中の一つには、こういったシチュエーションも無くはなかった。
だから抵抗出来なかった。この状況を、約得だと思っている自分がいた。
ああ神様、お願いです。今日、ライスの幸運を全て使い果たしても構いません。
否応なく高鳴る鼓動が、この後の妄想を加速させてゆく。それに対するお兄さまの心臓の鼓動は実に静謐であった。
「あのね、お兄さま」
どうか。
あと少しだけ、起きないでいて。