いとしい、束の間。
16:55※閲覧注意
※男のifローが想像妊娠している。女体化要素なし
※ifドの虐待に性的なものが含まれている世界線
※「フレバンスの子守唄」を一部引用しています
「愛しいと思うか?」
草木がみずみずしく育つ温室。朝の日差しがガラスを透かし、清涼な風が穏やかに吹き抜ける。品よく配された花々の中心に、ドフラミンゴが腰掛けていた。横抱きにされたローは、不意の問いかけに胎動をあやす手を止める。虚ろな瞳で、操られるように顔を上げた。その頬を撫で、ドフラミンゴは問いを繰り返す。
「そいつを愛しいと思うか? ロー」
撫でた手が、そのままローの左手に重なる。重なった手が触れるローの腹は、ぽっこりと膨らんでいた。
ここに宿る『命』を。ドフラミンゴとの『我が子』を。
愛しているかとドフラミンゴは問うているのだ。
きっかけは覚えていない。ただ、虐待に性的なものが加わったあたりだと思う。2カ月ほどの間、ローは正気を失っていた。
幼子のごとく退行した精神でドフラミンゴを兄と慕い、求められるまま体を開き、頭から足の先まで染められた、おぞましい日々。そこから醒めたローに残されたのは、底なしの自己嫌悪とドフラミンゴに知り尽くされた体。
そして、ぽこりと膨らみ『何か』を宿した腹だった。
想像妊娠だとわかっていた。
ローは医者であり、男だ。腹に感じる『命』は、虚ろな幻覚だとわかっていた。
そう思うのに、己の診断を信じようとするのに、「本当に?」と嗤う声が頭に響いていた。膨れるほど中に出された腹を、孕んでしまえと撫でる手がよみがえる。己を苛んだ、あらゆる仕打ちがよみがえる。あの男が、あらゆる手段でローを貶めたドフラミンゴが。男のローを孕ませる手段を見つけていないと、本当に言い切れるのか?
ローは疑念を否定できなかった。シーザーとのパイプが健在なことも、血も凍る思い付きを叶える執念も知っている。ローは進む想像妊娠から醒められず、膨らむ腹にただ怯えた。
そして、がらりと変わったドフラミンゴからの扱いが、ローを決定的に追い詰めた。
ドフラミンゴはローのそれが想像妊娠だと知っていた。そのうえで、ローを『子を孕んだ者』として扱った。育児書を共に読み、執拗に腹を撫でては「元気に生まれてこい」と口付け、胎教に良いとされることを次々と試してみせた。
そして。「ストレスは体に悪い」と嘯き、ローへの暴力も、遺品の損壊も、使用人の殺害も、ぱったりと取りやめた。ローを鳥籠から出し、私室を用意し、なんの痛みもない生活を与え続けた。
それはローにとって、なにより残酷な『飴』だった。
孕んだ幻想を受け入れていれば、誰も殺されない。誰も貶められない。痛みも絶望も、味わわされない。ローが、宿った『命』を信じてさえいれば。
膨らんだ腹をドフラミンゴと共に愛で、ただ穏やかに一日が過ぎるたび。幻想を否定し、機嫌を損ねたドフラミンゴに使用人を殺されそうになり、幻想を受け入れて謝ればあっさりと許されるたび。ローは己に命が宿ったことを信じこむようになった。孕んだ者として振舞うようになった。
そうして存在を確かにし、今や腹を蹴りさえする『我が子』を、ローは確かに愛していた。己が信じたせいで生まれてしまった『命』に、ローが情を持たずにいられるはずがない。
だから、ドフラミンゴの問いに頷こうとして。
────『フフフフフフッ!! 可哀想になァ? ロー』
────『お前が愛さなけりゃ、コイツらみぃんな死なずに済んだのによお?』
まざまざと思い出した。ローの心が幼子のように退行し、ドフラミンゴの愛猫に成り果てたきっかけを。
そうだ。そうだった。
ローが愛した人々は、ローが愛してしまったせいで、みんなドフラミンゴに殺されてしまったのだ。
麦わらの一味を殺された。クルーたちを殺された。ポーラータング号に保管していたカルテの患者を、ひとり残らず連れてこられて殺された。言葉を交わした使用人も、指先で触れた小鳥さえも、殺された。
────みんなみんな、おれのせいで。
────おれが愛したせいで死んでしまった!!!!
あるときは糸で縛られて。あるときは鳥籠に仕舞われて。あるときは糸人形に抱きすくめられて。
もう少しで触れられる距離で、愛した人たちが殺される惨劇がよみがえる。
おれはこの子をあいしている。おれが愛したひとたちはみんな死んでしまった。ならこの子は。このこは。
この子までおれのせいで──……!!
「大丈夫だ、ロー」
低く落ち着いた声が、危うくなるローの呼吸をぴたりと鎮める。確信に満ちた断言に、ローは真っ白な思考でドフラミンゴを見つめた。音量を絞ったクラシックが、今更のように聞こえ始める。ローの左手越しに腹へ触れたままだったドフラミンゴの手が、ぽんぽんと『我が子』をあやす。ゆるやかに笑い、ローへ静かに言い聞かせた。
「ここにいるのはおれの子だぞ。お前が愛しておれが死んだか? ロー」
は、とローが目を見開く。はくりと開いた唇で、しかし何も言わず奥歯を噛み締める。泣き出したいほど屈辱的な気持ちがよみがえった。
そうだ。そうだった。忘れるものか。
自分が愛したせいでみな死んだ。なら、ドフラミンゴも愛すれば死ぬのではないかと、あるときローは思いついたのだ。そもそもローが愛する者を殺したのはドフラミンゴだというのに、己を責め続けたローは『おれが殺したようなものだ』としか考られなくなっていた。そうしてローは、自分はドフラミンゴを愛しているのだと思い込んだ。心を壊し、ドフラミンゴの愛猫に堕ちた。得たものはおぞましい記憶と、趣の違うローを心ゆくまで愉しんだドフラミンゴと、虚ろを孕んで膨れた腹。
踏みにじられた心で、それでも賭けた一縷の望みは、当然のごとく叶わなかった。
けれど。
「嬉しいか?ロー」
ローを宥めた声音とは全く違う、昏い愉悦にまみれた声が吹き込まれる。がくがくと身を震わせ、それでもローはドフラミンゴの意図を正しく察した。
「おれとのガキが、おれ譲りにくたばりそうになくて嬉しいか?」
畳みかけるその言葉を、ローは否定できなかった。
ドフラミンゴはローが愛しても死ななかった。なら、ドフラミンゴとの間にできた『我が子』なら、ローが愛しても、死なないかもしれない。
そんなわけがあるか、すべてはドフラミンゴの気分次第だと叫ぶ自分が確かにいるのに、都合のいい考えに飛びつくのを止められない。愛したものをすり潰される恐怖が、ローをドフラミンゴに縋らせていた。
ローを苛むのも、慈悲を与えられるのも、ドフラミンゴただひとりだったから。
結局守れなかったけれど、仲間の命に一日だけ猶予を貰えたとき。結局姿を消してしまったけど、必死の懇願で使用人の殺害をやめてもらえたとき。緩急をつけて嬲る手段だとわかっていたけど、数日間なんの暴力も振るわれなかったとき。
たとえすべてが掌の上でも、自分は、自分は────。
「……っぁ、あ……。…………うれ、し、ぃ……っ!」
削られきったローの心に、またひとつヒビが入れられる。
そうだ、自分は確かに嬉しかった。
誰も死なないのが嬉しかった。何もされないのが嬉しかった。
──この安寧に、1秒でも長く縋りたかった。
光の失せたローの瞳から、ぼろぼろと涙が零れ落ちた。その涙を、すくい、口付け、舐め取り。余すことなく味わって、ドフラミンゴがニタリと笑う。大きな口が悪魔のように裂けた。
「フフッ……フフフフフフフッ!! ああ、それでいい、ロー!! お前の希望も絶望も、喜びも、すべてはおれが与える!!! おれだけのものだ!!! フッフッフッフッフ!!!!」
ドフラミンゴの哄笑がローの嗚咽をかき消す。涙で冷えたローの頬をあやし、頭を寄せ、ドフラミンゴは熱っぽく囁いた。
「ああ、おれのロー。おれの弟、おれの雛鳥。お前はいったい、おれの何を孕んでくれた?」
ローが言葉を返す前に、大きな手でその瞳を覆ってしまう。びくりと動きを止めたローに、穏やかな声で言い聞かせた。
「何も考えるな、ロー。もうしばらくは、この夢に浸っていようじゃねえか」
「……っ、あ……」
諭されて、ローの意識がぐわんと揺れる。まるで術でもかけられたように、ローの心はドフラミンゴの言葉に従った。力が抜け、操られるように頷くと、痛みも悔しさもローから遠ざかって薄れていく。引きつっていた左手がぱたりと腹の上に落ちた。かくんと反ったローの首を、ドフラミンゴが危なげなく支える。目から手をどけてローを己の胸に抱え直すと、青ざめた額に口付けた。
「さあ、おれたちの子どもがお待ちかねだ。今日も歌って聞かせてやろう」
優しげな声にまた頷く。ドフラミンゴはローと己の指を絡め、膨れた腹の中心に置いた。掌の体温に、孕んだ体が和らぐのを感じ取る。愛し気に笑んだ唇で、遠い地の子守唄を歌い始めた。
おやすみおねむり波の音
雪より白きこの町に
かもめもどくろもやってくる
一目見たいとやってくる
ドフラミンゴが歌うのは、フレバンスの子守唄。二度と帰れぬ、ローの白い故郷の歌。
低く伸びやかな声が一小節を終えると、今度はローが口を開く。
天をたゆたう われらの子
なによりいとしい われらの子
この世をいろどる 人々を
天まで積み上げ 眺めても
眠るあなたは なおかわいい
ローが歌うのは、聖地マリージョアの子守唄。二度と帰れぬ、ドフラミンゴの遠い故郷の歌。
か細くひそやかな声が一小節を終えると、またドフラミンゴが歌い始める。
虚ろな腹に宿る命を、父母の子守歌が愛おしむ。
『我が子』に触れる手を離し、ドフラミンゴがローを抱きしめた。長い腕で、そっと。ゆりかごのようにローを囲い込む。それにぐったりと身を預け、ローは『我が子』を撫で続けた。
そっと、優しく、心を置き去りにした触れ方で。
錆びついた金の瞳に、新たな涙の膜が張る。ドフラミンゴが口付ければ、ほろりとほどけて頬を伝った。
おやすみおねむり愛しい子
夢より白いフレバンス
天をたゆたう われらの子
なによりいとしい われらの子
あたたかい日差しが満ちる一室で、愛し子への祝福が重なり合う。ローの瞳は何も見ていない。ドフラミンゴの瞳は、ローだけを見ていた。
涙の粒が光る睫毛に、またひとつ口付けが落とされる。
寄り添うふたりの歌声が、いつまでもいつまでも響いていた。
─終─
おまけ
●2023/1/12 追記
スレッド動画化等に伴う無断転載への措置として、
同じ小説を23-01-12 13:29:06にぷらいべったーで非公開投稿いたしました。
上記以外のものは無断転載です。
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