いつか鴉を殺しても
目を閉じるとよく分かる長い睫毛が癪にさわる。寝てるときくらいもう少し間抜けな面でもできないもんか。
本当ならば蹴りとばしてやりたいところだが、それでも顔の良さでは隠しきれない目の下の隈を見ると叩き起こすのは気が引けた。
疲れているのなら大人しく自分の部屋で寝ればいいと思うものの、男というのはそういう時に"元気"になってしまうこともあるらしい。どことは言わないが。
実際にぶちのめしてやりたいほど元気ではあったなと、昨晩のことを思い出して顔がひきつった。お陰さまで腰が鈍く痛む。
「……よう寝とるなァ」
俺の側ならば寝ても大丈夫だと安心しているのだろうか。それともお前には寝首をかくことなんてできないだろうと侮られているのだろうか。
それともそんなことを考えられないほどに疲れているのだろうか。それはおそらく、仕事だけが原因ではないのだろう。
確証などない。証拠もなに一つない。それでもなにか、俺の知り得ないなにかをこいつがしていることは肌でわかっている。
そしてそれが、誰かを幸せにするようなことではないだろうことも。どうしようもなくわかってしまっている。
本当ならばこいつの首を俺が責任もって落としてやるべきなのかもしれない。現状なんの罪もない副官を手にかける極悪人になったとしても。
それでも目の前に真実として現れないのならばと、ほんのわずかの信じたいという欲求で己に手を伸ばさない俺を逆撫は嗤うだろう。
まだ明け方の薄明かりが照らす部屋で、答えのないことばかり考える。
「あー……やめや、やめ!」
「……なにを、やめるんですか?」
かすれた低い声は、少し不機嫌にも聞こえる。眩しそうにこちらを見る姿さえ、なんとなく様になっているように見えて辟易した。
こちらの心中の懊悩など知らないこの男は、どうせ俺が寝首をかく度胸もない女だと腹の底で嘲っているに違いない。
床を共にしたところでなにも変わりはしないのだ。例え隣で寝ている惣右介を見てもしもを考えたとしても。
どうせ俺たちは普通の男女のように形だけでも愛し合うことすらできない関係なのだから、なにもかも期待するだけ無駄というものだ。
「なんや、起きとんのかい。はよ帰り」
「なにをやめるんですか?」
「べつになんも、顔が無駄にええのが腹立ったから鼻でもつまんで不細工にしたろかと思っただけや」
どうせそんなことをしたらこちらの手を掴んで薄く笑いながら「どうしました」とでも聞くのだろうと簡単に想像ができて苛立たしい。
表面だけの無防備すら取り繕う気がないのはお互い様だが、寝たふりすら満足にできないのは狸としてはどうなのか。
「すればいいでしょう?」
「寝とるところに手ェ出して噛みつかれたら怖いやろ」
「ひどいな、僕は野犬かなにかですか?」
「そうやったら、もっと可愛げもあったろうな」
とろりと微笑んだ瞳に、なんも知らない娘ならコロッと落ちているのだろうと他人事のように考える。
実際コロッと落ちてしまって、裏切りのその瞬間までこいつを信じられたとしたらはたして幸せなのだろうか。
いや絶対にクッソ性格の悪いネタばらしするだろうから、先に別件で死にでもしない限りドン底に叩き落とされる気がする。
「犬みたァに可愛がっただけ懐くんなら、俺もええこって撫でたるわ」
惣右介の癖のある髪を撫でるとまだ眠気が残っているのか目を細めた。されるがままなあたり寝ぼけているのかもしれない。
そうとは見えないがプライドの高い男からしたら犬扱いは屈辱かもしれないが、起き抜けではそう感じる頭の部分も眠気に負けるのは小さな発見だ。なんの役にも立たないが。
「ほれ、起きたんなら誰かに見られる前に帰れや。色男の巻き添え食って刺されるんはごめんやからな」
「僕はそんなに見境ないように見えますか?」
「少なくとも、上司で性欲処理する程度には見境ないやろ」
暖かくなってきたとはいえ明け方はまだ肌寒い。目が覚めてしまった以上、とっとと惣右介を追い出して暖かい布団で二度寝でも決め込みたい。
股も腰も目の前の男のせいで軋むのだから、朝までの間くらい睡眠に逃げてもバチは当たらないだろう。
「もう一眠りしたいんや、早よ出てけや」
「寒いんですよね」
「知るかい、俺の部屋で寝くさったお前の自業自得やろ」
脛を蹴ってやると、やっと渋々といった様子で惣右介が布団から這い出ていく。いつもはとっとと帰るのだから、最初からそうすればいいのだ。
ヤることはヤッても共寝をする男女のような甘い空気はまるで無しなのだから、万に一つでも俺と寝たい気持ちがあるなら口説くところから初めてほしい。完膚なきまでにフッて一人で寝てやる。
「お一人だと布団が広いのでは?」
「広々使えて結構なことやろ」
「まるで僕が嵩張るように言いますね」
「お前が嵩張ろうがなんだろうが、俺のために三千世界の鴉を殺す気ィもないやつと朝寝するつもりはないわ」
もう話しは終わりとばかりに寝返りをうつと、呆れたようなため息と共に惣右介が部屋を出ていく音がする。
気紛れのように布団から手を出してふってやった手は、部屋の中の明け方の空気をかき回すだけで少し肌寒かった。