いつかどこかで

いつかどこかで

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「この花が気になりますか?」


その気配に声をかけられるまで気づけなかったことにローは一番驚いた。

振り返ると一人の老人がにこやかな笑みで立っている。身の丈もある刀を抱えた男に対して怯える様子もなく近づいてくる。むしろこちらが妙に構えてしまい、鬼哭を握る手に力がこもった。

老人はローの隣に立ち、その先にある一面の花畑を見つめている。無数の花弁が重なった黄色い花が緩やかな風に揺られていた。ローが老人に話しかける。珍しいことであった。


「他では見ねェ花だ」

「そうですね。私もこの島に来るまではあまり目にしたことはありませんでした」

「……あんた余所者か」

「ええ。妻と移住してもう10年になりますかねえ。貴方は観光ですか?」

「そんなところだ」


老人は大分痩せていたが、骨格から若い時の体格はそう悪くはなかったと推測できる。実際杖をついてはいるものの足取りはしっかりとしており、腰も曲がっている様子は見られない。

老眼鏡だろうか、レンズ越しの目を細め花畑を見つめる老人に続いて、ローも視線をそちらへと向けた。


「この花はこの島のれっきとした資源です。一部の国ではこれを葬祭の装飾として使用する文化があるそうで、そういった土地へ輸出するために栽培されています」

「献花か」

「そう、死者への手向けの花ですよ」


死者、という言葉に反応した腕が鬼哭を鳴らす。

老人は身をかがませて風に揺れる花弁にそっと指を伸ばした。資源にそんな気軽に触れていいのか、という疑念が一瞬頭に浮かぶも、わざわざ指摘してやるほど親切でもない。

突如、老人がその花を摘み取る。わずかに目を見開いたローの目前にそれを差し出した。


「何の真似だ」

「この島の思い出に一ついかがですか?」

「売りものになるんだろう。あんたの一存で渡していいのか」

「ご心配なく。育てているのは私です」


弔いたい方がいるのではないですか。

投げかけられた言葉に反応ができないまま、空いている手が無意識に花へと伸ばされる。

今は亡き愛した人たちの顔が浮かぶ。父と、母と、妹と、故郷の隣人たち。そして…

伸ばされた手を戻す。今度は己の意思でもって。

小首を傾げた老人の眼をレンズ越しに見つめながら、ローははっきりと首を振った。


「いらねェ」

「おや」

「死んだ者に手向ける趣味はない。そいつらの命を背負って共に生きると決めている」


柄にもない言葉だった。少なくとも、ローのことを政府の広報でしか知らない一般人たちには想像もできないものだっただろう。

しかし、老人は納得したように頷き花を持つ手を下ろす。それが合図だったかのようにローは老人に背を向けた。挨拶もなしに歩き出す。その足を止めたのは、背中に投げかけられた老人の言葉だった。


「君の中に『あの子』はいるかい?」





『こんな仕事だからいつ死んでもおかしくないし、大切なもののためなら惜しくはないけど』

『おれのことを思い出してもらう時には、せめて笑顔がいいなって思うんだ』

『もちろんあなたにも———先生』





「この心臓の真ん中に」


噛みしめるような、祈るような、力強い言葉だった。

拳を握る音をまだ衰えていない耳がはっきりと拾う。背中で隠れているけれど、きっとそれは胸に添えられているのだろう。

長く心の片隅でつっかえていたものが取れたような感覚がした。老い先短い人生の数少ない心残りが霧散した感覚。手配書でその顔を見てから、どうしても確かめたかった事だった。


「ならば、よかった」


止まったまま振り向かない背中に願う。


「自由に生きなさい。どうかお元気で、『スワロー』」

「……あんたもせいぜい長生きしな、『大尉』」


長らく呼ばれなかったかつての階級はすんなりと自分の中に入ってきた。

とうとう振り返ることなく去っていく姿に対して、右手を額に掲げる。

やがて一人の退役軍人が去った後には、静かに花々が揺れる音だけが残った。









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